不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、三月以上七年以下の拘禁刑に処する。
この条文の過去問 7問
誤り。違うのは「乙が降りたいと言った時点以降についてのみ、甲に監禁罪が成立する」の部分である。監禁の方法は偽計によって被害者の錯誤を利用する場合を含むから、偽って乗せて走り出した時点から監禁罪が成立する(最決昭33.3.19)。
220条の「監禁」とは、人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいう。その方法は、部屋に閉じ込める、縛るといった有形的な方法に限られない。判例は、監禁の方法は、必ずしも暴行又は脅迫による場合のみに限らず、偽計によって被害者の錯誤を利用する場合をも含むとして、被害者を欺いて自動車に乗せて走行した事案で、乗車させた時点からの監禁罪の成立を認めた(最決昭33.3.19)。乙は乗車そのものには同意しているが、その同意は、家まで送るという甲のうそによる錯誤に基づくものであって、甲の真の目的を知っていれば乗らなかったはずのものであるから、監禁罪の成立を妨げる有効な同意とはいえない。走り出した自動車からは降りることができず、乙はその時点で移動の自由を奪われている。したがって、甲には、乙が降りたいと言った時点以降についてではなく、偽って乙を乗せて走り出した時点から監禁罪が成立する。

刑法二二〇条一項にいう「監禁」とは、人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は、必ずしも所論のように暴行又は脅迫による場合のみに限らず、偽計によつて被害者の錯誤を利用する場合をも含むものと解する
誤り。違うのは「甲には監禁罪は成立し得ない」の部分である。Aが施錠に気付いていなくても、出ようと思えば出られる自由は現に奪われているから、甲に監禁罪が成立し得る。
最決昭33.3.19は、220条の「監禁」とは人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は暴行・脅迫に限らず、偽計によって被害者の錯誤を利用する場合をも含むとした。被害者が欺かれて拘束状態に気付いていない場面でも監禁罪の成立を認めるこの立場は、保護法益を、現実に移動しようとした自由ではなく、移動しようと思えば移動できる自由と捉える考え方(可能的自由説)に立つものである。下級審にも、被害者が拘束を認識していなかった事案で監禁罪を認めたものがある(広島高判昭51.9.21)。本肢のAは施錠に気付かず、もともと深夜まで作業を続けるつもりであったが、約3時間にわたり全ての出入口扉に外側から鍵を掛けられ、客観的には倉庫から脱出できない状態に置かれていた。Aがその間に外へ出ようとしなかったことは、出ようと思えば出られる自由が奪われていたことを左右しないから、甲には監禁罪が成立し得る。

刑法二二〇条一項にいう「監禁」とは、人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は、必ずしも所論のように暴行又は脅迫による場合のみに限らず、偽計によつて被害者の錯誤を利用する場合をも含むものと解する
- ["可能的自由説", "移動しようと思えば移動できる自由が保護法益である。被害者が監禁に気付いていなくても、眠っていても監禁罪が成立する"]
- ["現実的自由説", "現実に移動しようと思ったときに移動できる自由が保護法益である。被害者が気付いて移動しようと思った時点から監禁罪が成立する"]
誤り。違うのは「甲には監禁罪は成立し得ない」の部分である。Aが施錠に気付いていなくても、出ようと思えば出られる自由は現に奪われているから、甲に監禁罪が成立し得る。
最決昭33.3.19は、220条の「監禁」とは人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は暴行・脅迫に限らず、偽計によって被害者の錯誤を利用する場合をも含むとした。被害者が欺かれて拘束状態に気付いていない場面でも監禁罪の成立を認めるこの立場は、保護法益を、現実に移動しようとした自由ではなく、移動しようと思えば移動できる自由と捉える考え方(可能的自由説)に立つものである。下級審にも、被害者が拘束を認識していなかった事案で監禁罪を認めたものがある(広島高判昭51.9.21)。本肢のAは施錠に気付かず、もともと深夜まで作業を続けるつもりであったが、約3時間にわたり全ての出入口扉に外側から鍵を掛けられ、客観的には倉庫から脱出できない状態に置かれていた。Aがその間に外へ出ようとしなかったことは、出ようと思えば出られる自由が奪われていたことを左右しないから、甲には監禁罪が成立し得る。

刑法二二〇条一項にいう「監禁」とは、人を一定の区域場所から脱出できないようにしてその自由を拘束することをいい、その方法は、必ずしも所論のように暴行又は脅迫による場合のみに限らず、偽計によつて被害者の錯誤を利用する場合をも含むものと解する
- ["可能的自由説", "移動しようと思えば移動できる自由が保護法益である。被害者が監禁に気付いていなくても、眠っていても監禁罪が成立する"]
- ["現実的自由説", "現実に移動しようと思ったときに移動できる自由が保護法益である。被害者が気付いて移動しようと思った時点から監禁罪が成立する"]
誤り。違うのは「逮捕罪と監禁罪が成立し,これらは牽連犯となる」の部分である。判例は、人を逮捕し引き続き監禁したときは、包括して220条の単純な一罪が成立するとしている(最大判昭28.6.17)。
220条は、不法に人を逮捕し、又は監禁した者を一つの条文で処罰している。逮捕は人の身体を直接拘束すること、監禁は人を一定の場所から脱出できないようにすることであり、どちらも人の身体活動の自由を奪う行為である。判例は、人を逮捕し監禁したときは、逮捕罪と監禁罪との各別の二罪が成立し牽連犯又は連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して220条1項の単純な一罪が成立するとした(最大判昭28.6.17)。逮捕に引き続いて監禁する行為は、同じ被害者の同じ法益である身体活動の自由に対する侵害が時間的に続いているものであり、逮捕から監禁へと拘束の形が変わっただけで、法益侵害は一個である。したがって、二個の罪が成立したうえで手段と結果の関係にあるとして科刑上一罪にする牽連犯ではなく、初めから一個の逮捕監禁罪として評価される。本肢の甲は、Aを監禁するために逮捕し、引き続き監禁しているので、成立するのは包括して一個の逮捕監禁罪であり、逮捕罪と監禁罪の牽連犯とする本肢は誤りである。

人を、逮捕し監禁したときは、…逮捕罪と監禁罪との各別の二罪が成立し、牽連犯又は連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して刑法二二〇条一項の単純な一罪が成立する
誤り。違うのは「監禁罪と恐喝罪が成立し,これらは牽連犯となる」の部分である。判例は、恐喝の手段として監禁が行われた場合でも両罪は通常の形態として手段又は結果の関係になく、牽連犯にならないとしている(最判平17.4.14)。
牽連犯(54条1項後段)は、犯罪の手段又は結果である行為が他の罪名に触れる場合であり、数個の罪が成立するが、その最も重い刑により処断される。判例は、牽連犯になるのは、行為者が主観的に一方を他方の手段にしたというだけでは足りず、二つの罪が罪質上通例として手段と結果の関係にある場合に限られるとしている。判例は、本肢と同じく恐喝の手段として監禁が行われた事案で、恐喝の手段として監禁が行われた場合であっても、両罪は犯罪の通常の形態として手段又は結果の関係にあるものとは認められず、牽連犯の関係にはないとして、監禁罪と恐喝罪を併合罪とした原判断を是認した(最判平17.4.14)。監禁は恐喝の通常の手段とはいえないので、本肢の甲がAを監禁したうえで監禁により畏怖していたAを脅迫して金品を脅し取ったとしても、監禁罪と恐喝罪は牽連犯にならず併合罪(45条前段)になる。したがって本肢は誤りである。住居侵入罪と窃盗罪のように通例として手段と結果の関係にある組合せと区別される。

恐喝の手段として監禁が行われた場合であっても、両罪は、犯罪の通常の形態として手段又は結果の関係にあるものとは認められず、牽連犯の関係にはない
誤り。違うのは「社会的に見て一個の行為であると考えている」の部分である。監禁行為と恐喝行為が社会的に見て一個の行為なら観念的競合になるはずであり、併合罪とする見解はそう考えていない。
54条1項前段は、一個の行為が二個以上の罪名に触れるときを観念的競合とし、最も重い刑により処断すると定めている。判例は、この「一個の行為」とは、法的評価を離れ構成要件的観点を捨象した自然的観察の下で、行為者の動態が社会的見解上一個のものとの評価を受ける場合をいうとしている(最大判昭49.5.29)。したがって、監禁行為と恐喝行為とが社会的に見て一個の行為であると考えるのであれば、監禁罪と恐喝罪は観念的競合の関係になり、科刑上一罪として処断されることになる。本問の見解は、恐喝の目的で人を監禁し、その監禁中に脅迫して現金を喝取した場合に、監禁罪と恐喝罪が併合罪の関係になるとするものであり、両罪を別個の行為による別個の罪とみている。監禁は一定の場所から脱出できなくする継続的な行為であり、恐喝は畏怖させて交付させる行為であって、監禁中に恐喝が行われても両者は別の動態だという理解である。社会的に見て一個の行為と考えているとする本肢は、見解の理解として誤りである。

一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。
| 考え方 | 帰結 |
|---|---|
| 監禁行為と恐喝行為は社会的に見て一個の行為である | 観念的競合(54条1項前段) |
| 監禁が恐喝の手段として用いられることが類型的に予定される | 牽連犯(54条1項後段) |
| 牽連性を行為者の主観で判断する | 恐喝の目的で監禁した以上、牽連犯 |
| 両罪は別個の行為で、類型的な手段・結果の関係にない | 併合罪(本問の見解・最判平17.4.14) |
誤り。違うのは「判例における逮捕罪と監禁罪の罪数関係と同様に考えている」の部分である。判例は逮捕に引き続く監禁を包括して220条の一罪とするのに対し、本問の見解は監禁罪と恐喝罪を二罪の併合罪とする。
判例は、人を逮捕し、引き続き監禁した場合について、逮捕罪と監禁罪との各別の二罪が成立して牽連犯又は連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して220条の単純な一罪が成立するとしている(最大判昭28.6.17)。逮捕も監禁も人の身体活動の自由を奪う行為であり、同じ220条に並べて定められていて、逮捕した者をそのまま監禁することは身体の自由に対する一個の侵害の継続とみられるから、二罪を立てずに包括して一罪と評価するという理屈である。これに対し、本問の見解は、恐喝の目的で人を監禁し、その監禁中に脅迫して現金を喝取した場合に、監禁罪と恐喝罪という保護法益の異なる二罪が成立することを前提にしたうえで、両者を併合罪としている。二罪が成立し、科刑上一罪にもならないとする点で、一罪しか成立しないとする逮捕罪と監禁罪の処理とは正反対である。したがって、本問の見解が監禁罪と恐喝罪の罪数関係を判例における逮捕罪と監禁罪の罪数関係と同様に考えているとする本肢は、誤りである。

人を、逮捕し監禁したときは、・・・逮捕罪と監禁罪との各別の二罪が成立し、牽連犯又は連続犯となるものではなく、これを包括的に観察して刑法二二〇条一項の単純な一罪が成立するものと解すべき
