危険の現実化説とは|相当因果関係説から何が変わったのか
危険の現実化説とは何かをわかりやすく解説。実行行為の危険が結果に現実化したかを問う判断枠組みの中身、行為の危険性・介在事情の異常性・寄与度・誘発関係という4つの判断要素、直接実現型と誘発型の2類型、判例がこの枠組みで理解される理由、そして答案でのあてはめ手順と1行論証まで、司法試験・予備試験の受験生向けに整理する。
本記事の役割 — この記事は「危険の現実化説」という一つの説の中身に絞って解説する。
条件説から相当因果関係説を経て危険の現実化に至る判断基準の全体像は
因果関係の判断基準|相当因果関係説から危険の現実化へにまとめている。
この記事のポイント
危険の現実化説とは、実行行為が有していた危険性が、現実に生じた因果経過を通じて結果へと実現したと評価できる場合に、法的因果関係を肯定する考え方をいう。 相当因果関係説が「行為時に、その結果が発生することは通常予想できたか」という事前の予測可能性を問うたのに対し、危険の現実化説は「現に生じた結果は、その行為がもともと抱えていた危険が姿を変えて実現したものか」という事後の実質的評価へと問いの立て方そのものを組み替えた。
判断は、介在事情が行為の危険の延長線上で結果に直結した「直接実現型」と、行為が介在事情を誘発し、それを介して危険が実現した「誘発型(間接実現型)」の2類型に整理すると安定する。 答案では、①行為の危険性を具体的に特定し、②介在事情の異常性と結果への寄与度を分けて評価し、③誘発関係の有無を検討したうえで、④危険の現実化の有無を結論づけるのが王道である。
危険の現実化説とは
一文で言えば「危険が形を変えて実現したか」
危険の現実化説を最も短く言い表すなら、「起きてしまった結果は、行為がもともと持っていた危険が形を変えて実現したものといえるか」を問う考え方である。
たとえば、人の頭部を鉄パイプで殴打する行為は、「頭蓋内の損傷によって死に至る危険」を抱えている。この行為の後に被害者が実際に頭蓋内損傷で死亡したなら、それは行為の危険がそのままの形で実現したにすぎない。ところが、殴打された被害者が搬送中の救急車が落石に巻き込まれて死亡したのなら、実現したのは「落石の危険」であって「殴打の危険」ではない。前者は因果関係が肯定され、後者は否定される。この直感を理論化したものが危険の現実化説である。
ここで重要なのは、問われているのが「行為と結果に物理的なつながりがあるか」ではなく、「結果をこの行為に帰属させてよいか」という規範的な評価だという点である。物理的なつながり(条件関係)は前提としてすでにクリアされている。そのうえで、なお処罰範囲を絞り込むための道具が危険の現実化なのである。
前提となる二段階構造
刑法上の因果関係は、次の二段階で判断される。
- 条件関係(事実的因果関係) — 「その行為がなければ結果は発生しなかった」といえるか。いわゆる「あれなければこれなし」の関係である。
- 法的因果関係(帰責の判断) — 条件関係を前提に、その結果を行為者に帰責してよいかという規範的評価。ここで危険の現実化が問題となる。
危険の現実化説は、あくまで第二段階の理論である。条件関係を否定するものでも、条件関係に代わるものでもない。条件関係が否定される事案(そもそも「あれなければこれなし」が成り立たない事案)では、危険の現実化を論じるまでもなく因果関係は否定される。この前提部分については条件説・条件関係の解説で詳しく扱っている。
なぜ第二段階が必要なのかというと、条件関係だけでは因果の連鎖が無限に遡ってしまうからである。殺人犯を出産した親の行為も「あれなければこれなし」の関係にあるが、誰も親に殺人の結果を帰責しようとは思わない。条件関係は因果関係を認めるための必要条件にすぎず、十分条件ではない。この絞り込みの基準として、かつては相当因果関係説が、現在は危険の現実化が用いられている。
なぜ因果関係がそこまで重要なのか
因果関係は、既遂と未遂を分ける分水嶺である。殺人罪(刑法199条)にせよ傷害致死罪(同205条)にせよ、結果を要求する結果犯では、因果関係が否定されれば結果を帰責できない。故意があれば未遂(同203条)にとどまり、結果的加重犯であれば基本犯の限度で処罰されるにすぎない。刑の重さが劇的に変わるのだから、司法試験でここが問われるのは当然である。刑法総論全体における位置づけは刑法における因果関係の基礎を参照されたい。
相当因果関係説から何が変わったのか
問いの立て方が入れ替わった
相当因果関係説は、「行為時を基準として、その行為からその結果が発生することが経験則上通常といえるか(相当か)」を問う。判断の視点は行為の時点に固定され、そこから将来を見通す事前判断の構造をとる。だからこそ、その予測の材料としてどの範囲の事情を取り込むか(判断基底)をめぐって、主観説・客観説・折衷説の対立が生じた。
これに対し危険の現実化説は、「現に生じた因果経過を見たうえで、そこに行為の危険の実現を読み取れるか」を問う。判断の視点は結果発生後に置かれ、現実の経過を素材とする事後判断の構造をとる。判断基底の広狭という問いは、少なくとも正面の争点ではなくなる。
つまり変わったのは結論ではなく、問いの立て方そのものである。
比較の軸 相当因果関係説 危険の現実化説 問いの形 この結果が起きることは通常予想できたか この結果は行為の危険が実現したものか 判断の視点 行為時に置く(事前判断) 現実の経過を踏まえる(事後判断) 主な争点 判断基底に何を取り込むか 行為の危険性と介在事情の関係をどう評価するか 介在事情の扱い 予見可能性の枠内で処理せざるを得ない 異常性・寄与度・誘発関係として正面から評価できる 理論の性格 予見可能性を軸とした限定 危険の実現過程を軸とした限定何が行き詰まったのか
相当因果関係説、とりわけ通説であった折衷説が批判にさらされたのは、行為後に介在事情が生じた事案である。これは「相当因果関係説の危機」と呼ばれる。
行き詰まりの核心は単純で、折衷説は行為時の予見可能性を基準とするのに、介在事情は行為後に起きるという点にある。行為時には知りようのない事情が後から生じたとき、これを「行為時に予見可能だったか」という枠組みで処理しようとすると、多くの場合は「予見できなかった」となり、因果関係を否定する方向に流れてしまう。しかし、行為者が既に致命傷を与えていたのに、その後の些細な介在で因果関係が切れるというのは、常識的な処罰感覚と噛み合わない。
さらに、「相当」という基準自体が曖昧だという批判も根強かった。どの程度の確率をもって「通常ありうる」といえるのかは、結局のところ言葉遊びになりがちである。
危険の現実化説は、予見可能性という一本の物差しを捨て、行為の危険性の大きさ・介在事情の異常性・結果への寄与度・誘発関係という複数の要素を直接評価することで、この行き詰まりを解いた。介在事情を予見可能性に翻訳する必要がなくなり、介在事情それ自体の性質を素直に論じられるようになったのである。
なお、両説の対比を表で詳細に検討し、どちらの立場で書くべきかという優劣論まで踏み込んだ整理は、相当因果関係説と危険の現実化説の違いで扱っている。本記事は危険の現実化説そのものの中身に絞る。
結論はしばしば一致する
誤解されやすいが、両説は多くの事案で結論において一致する。危険の現実化説は相当因果関係説をひっくり返したのではなく、相当因果関係説がうまく処理できなかった領域を、より率直な言葉で説明できるようにしたものと理解するのが正確である。
危険の現実化の判断枠組み
出発点は「行為の危険性の特定」
危険の現実化を論じるうえで、実は最も差がつくのが最初のステップである。「行為の危険が実現したか」を問う以上、まずその行為がどのような危険を抱えていたのかを具体的に特定しなければ、そもそも比較の対象が定まらない。
ここで言う「危険」とは、抽象的な「死ぬかもしれない」ではない。どのような機序(メカニズム)で、どの程度の蓋然性をもって、どのような結果に至る危険なのかを、事実に即して言語化する必要がある。
- 頭部を強打する行為 → 頭蓋内損傷により死に至る高度の危険
- 人を自動車のトランク内に閉じ込める行為 → 走行中の車両に追突された場合に逃げ場のない状態で死傷する危険
- 深夜の高速道路上で暴行を加える行為 → 被害者が逃走を図って車道に飛び出し轢過される危険
3例目に注目してほしい。暴行それ自体が直接人を殺す危険は必ずしも高くない。しかし、その場所・状況で行われた暴行は、被害者を危険な逃走行動へ追い込む危険を含んでいる。行為の危険性は、行為の物理的な強さだけでなく、行為が置かれた状況によって作り出される危険な状態をも含めて捉えるべきである。この視点を持てるかどうかで、あてはめの説得力が大きく変わる。
行為の危険性という概念は、実行行為性の判断(結果発生の現実的危険を有する行為か)とも直結する。危険の中身をどう記述するかについては実行の着手と実行行為性の整理も参考になる。
4つの判断要素
行為の危険性を特定したうえで、危険の現実化の有無は、次の要素を総合考慮して判断する。単独で決着がつく決め手はなく、要素相互のバランスを評価するのが本質である。
- 行為の危険性の大小 — 行為がどの程度結果発生の危険を持っていたか。危険が大きいほど、多少の介在があっても現実化が肯定されやすい。
- 介在事情の異常性 — その介在が経験則上どの程度例外的・偶発的か。異常性が高いほど否定方向に働く。
- 介在事情の結果への寄与度 — 結果発生に介在事情がどの程度効いたか。寄与度が大きいほど否定方向に働く。
- 行為と介在事情の関係(誘発の有無) — 介在事情が行為によって引き起こされたものか、行為とは無関係に独立して生じたものか。誘発されていれば肯定方向に強く働く。
要素間のシーソーを理解する
この4要素は、独立に加点・減点されるのではなく、互いに引っ張り合う関係にある。
- 行為の危険が極めて大きい → 介在事情が多少異常でも、結局は行為の危険が実現したと評価できる。
- 行為の危険が小さく、介在事情が異常かつ寄与度も大きい → 実現したのは介在事情の危険であって、行為の危険ではない。
- 介在事情が行為に誘発されている → 寄与度が大きくても、その介在自体が行為の危険の現れなのだから、なお現実化を認めうる。
とりわけ「誘発」は、寄与度の大きさによる否定を跳ね返す力を持つ。介在事情が結果に決定的に効いていても、それを呼び込んだのが行為自身であれば、因果の流れはなお行為に帰属する。ここを見抜けるかどうかが答案の分かれ目になる。
判断の2類型
危険の現実化は、講学上、大きく2つの類型に整理される。事案がどちらの型かを最初に見極めると、論述の軸が定まって書きやすくなる。
直接実現型 — 介在事情があっても行為の危険がそのまま実現した
行為の危険が、介在事情に妨げられることなく、そのまま結果へと結実した類型である。介在事情は存在するが、それは結果発生の道筋に対して補助的・付随的な役割しか果たしていない。
典型は、行為者が既に死因となる傷害を形成していた場合である。この場合、行為の時点で結果への道筋は事実上完成しており、その後に何が介在しようと、結果は行為の危険が実現したものと評価できる。介在事情が死期をいくらか早めたにすぎないなら、なおさらである。
大阪南港事件(最決平2.11.20)はこの類型の代表として理解されている。犯人の暴行により死因となった傷害が形成された以上、その後に第三者の暴行が加わって死期が早められたとしても因果関係を肯定できる、という判断枠組みが示された。第三者の故意行為という、一見きわめて「異常」な介在があってなお因果関係を認めた点で、予見可能性を軸とする枠組みでは説明が苦しく、危険の現実化への移行を象徴する判例とされる。事案の詳細と判旨の射程は大阪南港事件の判例解説を参照されたい。
直接実現型のもう一つのパターンは、行為が結果発生の危険な状態を作り出し、そこに珍しくない事象が加わって結果に至った場合である。人をトランク内に監禁したまま路上に停車していたところ後続車に追突された事案(最決平18.3.27)では、そもそも追突されれば逃げ場のない危険な場所に被害者を置く行為自体が結果への危険を含んでおり、追突という事象自体もさして異常ではない。
誘発型(間接実現型) — 行為が介在事情を呼び込んだ
行為が介在事情を誘発・誘導し、その介在事情を通じて行為の危険が実現した類型である。結果に直接つながったのは介在事情だが、その介在事情を生じさせたのが行為なのだから、なお行為の危険が実現したと評価できる。
高速道路進入事件(最決平15.7.16)は、被告人らの暴行から逃れようとした被害者が高速道路の本線車道に進入し轢過されて死亡した事案で、その進入行為が暴行から逃れる方法として著しく不自然・不相当とはいえないとして因果関係を肯定した。被害者自身の行動が介在しているが、それは行為者の暴行に追い込まれた結果の行動であり、行為の危険がその行動を経由して実現したと見ることができる。
夜間潜水事件(最決平4.12.17)も、指導者である被告人が受講生らを見失った行為の後、指導補助者や被害者の側にも適切を欠く行動があったが、それらは被告人の行為から誘発されたものであるとして因果関係が肯定された事案として知られる。
誘発型で問われるのは、要するに「その介在事情は、行為があったからこそ生じたといえるか」である。行為と無関係にたまたま起きたのか、行為が呼び込んだのか。この一点を事実で示せれば、誘発型の論述は完成する。
2類型の整理
類型 判断の核 介在事情の位置づけ 決め手となる評価 代表的な発想 直接実現型 行為の危険がそのまま結果に結実したか 結果への寄与が限定的/補助的 行為の危険性の大きさ・結果への直結性 既に死因となる傷害が形成されていた/危険な状態を作り出した 誘発型(間接実現型) 行為が介在事情を呼び込んだか 結果への寄与は大きいが行為に由来する 誘発関係の有無・介在行動の不自然さの程度 暴行から逃れる行動・行為者の落ち度が招いた他者の不適切行動この2類型は排他的なものではない。事案によっては両方の説明が可能であり、どちらの角度からも論じられることがある。類型はあくまで論述を整える補助線であって、「この事案は何型か」を当てるゲームではない点に注意したい。最終的に答えるべきは「行為の危険が結果に現実化したか」という一つの問いである。
因果関係が否定される場合
逆に、行為とは無関係に独立して生じた異常な事情によって結果が発生した場合には、実現したのは行為の危険ではないとして因果関係が否定される。軽微な暴行を受けた被害者がその後まったく無関係の落雷に打たれて死亡した場合が典型で、行為の危険が小さく、介在事情が異常かつ独立で、しかも行為がそれを誘発したともいえないという3つの否定要素が揃っている。因果関係の中断論との関係は因果関係の断絶で整理している。
判例はこの枠組みを採用しているのか
ここは慎重に述べる必要がある。
まず確認しておくべきなのは、最高裁が「当裁判所は危険の現実化説を採用する」と学説名を挙げて宣言したわけではないという点である。判例が特定の学説にコミットすることは通常なく、この論点でも同様である。したがって、答案や口頭で「判例は危険の現実化説を採用している」と断定的に述べるのは、厳密には正確でない。
そのうえで、近時の判例の判断枠組みが危険の現実化説によって最もよく説明されるというのは、学説上ほぼ共通の理解である。理由は次の3点に整理できる。
第一に、判例が相当因果関係説の枠組みを正面に立てていないこと。 近時の判例は、「一般人の予見可能性」や「判断基底」といった相当因果関係説特有の道具立てを用いて結論を導いていない。代わりに用いられるのは、行為が形成した傷害の性質、介在事情の不自然・不相当さの程度、介在事情が行為から誘発されたものか、といった評価である。これらは危険の現実化説の判断要素そのものである。
第二に、実際に「危険が現実化した」という表現を用いた判例が現れていること。 業務上過失致死傷の事案である最決平24.2.8(自動車の車輪脱落事故に関するもの)では、被告人らの義務違反に基づく危険が現実化したといえるとして因果関係を肯定する判示がなされている。学説の名称を採用したという意味ではないが、判断の言葉遣いとして「危険の現実化」が用いられた例である。
第三に、相当因果関係説では説明が苦しい結論を判例が積み重ねてきたこと。 大阪南港事件のように第三者の故意行為が介在しても因果関係を肯定する判断は、行為時の予見可能性という物差しでは説明しにくい。他方、かつて相当因果関係説的な発想で因果関係を否定したと理解されている米兵ひき逃げ事件(最決昭42.10.24)と対比すると、判例の判断のスタイルが変化してきたことが見て取れる。
したがって、記述として正確なのは次のような言い方である。
判例は特定の学説を明示的に採用してはいないが、近時の判断は、行為の危険性が結果に現実化したといえるかという枠組みによって統一的に理解されており、実務上もこの枠組みが定着している。
答案でもこの温度感で書けば、法的正確性を損なわずに判例の到達点を示せる。判例の読み方全般については刑法総論の論点マップも併せて確認しておきたい。
答案での当てはめ方
ここからが本題である。危険の現実化説は、規範を正確に書けてもあてはめが抽象的だと点が伸びない論点の代表格である。逆に言えば、あてはめの型を持っておけば安定して得点できる。
全体の型(4ステップ)
① 条件関係 …… 一言で認定して通過する
② 規範定立 …… 危険の現実化の規範と判断要素を示す
③ あてはめ …… 行為の危険性 → 介在事情の異常性 → 寄与度 → 誘発関係
④ 結論 …… 現実化の肯否を明示する
①に時間をかけないのが鉄則である。争点は②③にある。「被告人の暴行がなければAは死亡しなかったから、条件関係は認められる」で足りる。ここを長々と書くのは配点を読み違えている。
あてはめの手順を分解する
手順1:行為の危険性を「機序つきで」特定する
最も重要なステップである。「本件暴行は危険な行為である」では何も言っていないに等しい。
- ✕ 「被告人の暴行は危険であった」
- ○ 「被告人は、Aの頭部を金属バットで複数回強打しており、これは頭蓋内に致命的な損傷を生じさせて死亡の結果をもたらす高度の危険を有する行為である」
- ○ 「被告人は、深夜の高速道路上でAに執拗な暴行を加えており、これはAを畏怖させて車道への逃走という危険な行動に走らせ、車両に轢過されて死亡する危険を含む行為である」
2つ目の例のように、その場所・状況が行為の危険性をどう変質させているかまで書けると、誘発型の議論に自然につながる。
手順2:介在事情を摘示する
行為の後に何が起き、それが結果にどう関わったのかを事実として示す。ここは淡々と摘示すればよい。
手順3:異常性と寄与度を「分けて」評価する
受験生が最も混同するのがここである。「異常か」と「結果にどれだけ効いたか」は別の観点である。
- 異常性 = その介在は経験則上ありふれた事態か、それとも例外的・偶発的か
- 寄与度 = 結果発生に対してその介在がどれだけ決定的だったか
たとえば「路上に停車中の車両への後続車の追突」は、異常性は低いが寄与度は大きい。「第三者による瀕死の被害者への追い打ち」は、異常性は高いが寄与度は小さい(死期を早めたにとどまる)。両者は別の軸なのだから、答案でも分けて書く。分けて書くだけで、総合考慮をしているという姿勢が採点者に伝わる。
手順4:誘発関係を必ず一言検討する
被害者や第三者の行為が介在する事案では、「その行動は行為者の行為に追い込まれたものか」を必ず検討する。ここを飛ばすと、誘発型の事案で結論を導けなくなる。
- 誘発を肯定する事情:逃走・回避のための行動である/行為者が作り出した状況下での行動である/行為者の落ち度が他者の不適切な対応を招いた
- 誘発を否定する事情:行為とは無関係の動機に基づく/行為の状況から時間的・場所的に離れている/独立の意思決定に基づく
手順5:総合して現実化の有無を結論づける
要素を並べただけで終わらせない。「以上を総合すると、Aの死亡は被告人の暴行の有する上記危険が現実化したものと評価できる」と、必ず規範の言葉に戻して締める。規範で立てた言葉と結論の言葉を一致させることが、法律答案の基本である。
あてはめの実例
例1:直接実現型(肯定)
被告人は、Aの頭部を角材で複数回強打しており、これは頭蓋内損傷により死亡する高度の危険を有する行為であって、現にAには死因となる傷害が形成されていた。その後、第三者Bによる暴行が介在しているが、Bの暴行はAの死期をいくらか早めたにとどまり、結果への寄与は限定的である。第三者の故意行為の介在という点で異常性は否定できないものの、被告人の行為が既に死亡結果に直結する危険を実現させていた以上、Aの死亡は被告人の暴行の危険が現実化したものと評価できる。よって因果関係が認められる。
例2:誘発型(肯定)
被告人らは、深夜の高速道路付近においてAに対し執拗な暴行・脅迫を加えており、これはAを著しく畏怖させ、車道への進入という危険な逃走行動を招く危険を含む行為である。Aの本線車道への進入という介在事情は結果発生に直接寄与しているが、これは被告人らの暴行から逃れるためにとっさに選択された行動であって、暴行によって誘発されたものといえる。また、極度の恐怖下にある者の行動として著しく不自然・不相当とまではいえない。したがって、Aの死亡は被告人らの暴行の危険が、Aの逃走行動を介して現実化したものと評価できる。
例3:否定例
被告人の暴行はAに全治1週間程度の打撲を負わせたにとどまり、それ自体に死亡の危険は乏しい。その後Aが死亡したのは、搬送先の病院で発生した火災によるものであるところ、当該火災は被告人の行為とは無関係に独立して発生した偶発的事象であり、被告人の暴行がこれを誘発したともいえない。また、火災による焼死という結果は、暴行の危険とは全く異質のものである。したがって、Aの死亡は被告人の暴行の危険が現実化したものとは評価できず、因果関係は否定される。被告人には傷害罪(刑法204条)が成立するにとどまる。
減点されやすい書き方
- 行為の危険性を書かずに介在事情の評価から始める — 比較対象が定まらないまま「異常性が低い」と言っても評価になっていない。必ず危険性の特定から入る。
- 異常性と寄与度を一緒くたにする — 「介在事情は異常で寄与度も大きいから否定」と一息に書くと、総合考慮の中身が見えない。
- 判例の結論だけを引いて済ませる — 「大阪南港事件と同様に因果関係が認められる」では、事案の異同を検討していないことになる。判例の枠組みを借りて、本件の事実を評価する。
- 類型のラベル貼りで終わる — 「本件は誘発型である。よって因果関係が認められる」は論証ではない。類型は整理の道具であって結論の理由ではない。
- 条件関係に紙幅を割きすぎる — 争点は法的因果関係にある。答案全体の構成については刑法答案の書き方も参照されたい。
よくある質問
Q1. 危険の現実化説と相当因果関係説、どちらで書くべきか。
近時の判例の判断枠組みに親和的なのは危険の現実化説であり、答案でもこちらで書くのが標準的である。採点者が見ているのは説の名前ではなく、介在事情の異常性と寄与度を事実に即して評価できているかである。
Q2. 「危険の現実化」と書けば因果関係を肯定できるのか。
できない。「危険の現実化」は結論を示すラベルであって理由ではない。なぜ現実化したといえるのかを、4つの判断要素に即して具体的に述べて初めて論証になる。ラベルだけを書いた答案は、規範を書き写しただけと評価される。
Q3. 直接実現型と誘発型のどちらか判断がつかない事案はどうするか。
無理にどちらかに決めなくてよい。2類型はあくまで整理の補助線である。「行為の危険が直接結果に結実したといえるうえ、仮に介在事情の寄与を重く見ても、それは行為によって誘発されたものである」というように、両方の角度から論じてもまったく差し支えない。むしろ厚みのある論述として評価されうる。
Q4. 被害者の持病や体質(素因)は介在事情として扱うのか。
行為の時点で既に存在していた素因は、行為後に生じる介在事情とは性質が異なる。素因は、行為の危険性を評価する際の前提事情として位置づけるのが素直である。重篤な心疾患のある者への暴行は、健常者への同じ暴行よりも死亡の危険が高い行為だった、という形で危険性の評価に織り込む。相当因果関係説では素因を判断基底に取り込めるかが正面の争点となったが、危険の現実化説では危険性評価の一要素として扱われる。
Q5. 第三者の故意行為が介在したら因果関係は切れるのか。
必ずしも切れない。第三者の故意行為は異常性が高く、否定方向に強く働く事情ではある。しかし、行為者が既に死因となる傷害を形成していた場合のように、行為の危険が第三者の介在を待たずに結果へ直結していたと評価できるときは、なお因果関係が肯定される。
Q6. 因果関係が否定されると何罪になるのか。
結果を帰責できないので既遂犯は成立しない。故意犯であれば未遂犯の成否を検討する(殺人の故意があれば殺人未遂罪、刑法203条)。結果的加重犯(傷害致死罪など)であれば、加重結果を帰責できないため基本犯(傷害罪・暴行罪)の限度で処罰される。因果関係の判断は罪名を直接左右するので、結論を出したら必ず成立する罪名まで書き切ること。
Q7. 過失犯でも危険の現実化を論じるのか。
論じる。過失犯でも構成要件的結果の帰責には因果関係が必要であり、注意義務違反に基づく危険が結果に現実化したかという形で問われる。前述の最決平24.2.8がまさに過失犯の事案であり、義務違反に基づく危険の現実化という言い回しが用いられている。過失犯では、これに加えて予見可能性・結果回避可能性が別途問題となる点に注意したい。
答案での書き方(1行論証)
最後に、実際に答案へ落とし込むための論証をまとめておく。
規範定立(標準版)
条件関係が認められれば常に因果関係を肯定すると、処罰範囲が無限定に拡大しかねない。そこで、法的因果関係は、実行行為の有する危険性が結果へと現実化したと評価できる場合に認められると解する。具体的には、行為の危険性の大小、介在事情の異常性の程度、介在事情の結果への寄与度、行為が介在事情を誘発したか否かを総合考慮して判断する。
規範定立(短縮版・1行論証)
法的因果関係は、実行行為の危険性が結果に現実化したといえるか、すなわち行為の危険性、介在事情の異常性・寄与度、誘発関係を総合考慮して判断する。
直接実現型のあてはめ骨格
被告人の〔行為〕は〔機序〕により〔結果〕をもたらす高度の危険を有する行為であり、現に〔死因となる傷害等〕が形成されていた。〔介在事情〕が介在しているが、その結果への寄与は〔限定的である〕。よって、〔結果〕は被告人の行為の危険が現実化したものと評価でき、因果関係が認められる。
誘発型のあてはめ骨格
被告人の〔行為〕は、〔状況〕の下で〔被害者・第三者〕を〔危険な行動〕へと追い込む危険を含む。〔介在事情〕は結果に直接寄与しているが、これは被告人の行為によって誘発されたものであり、〔当該状況下の行動として著しく不自然・不相当とはいえない〕。よって、〔結果〕は被告人の行為の危険が〔介在事情〕を介して現実化したものと評価でき、因果関係が認められる。
否定のあてはめ骨格
被告人の〔行為〕自体の危険性は乏しい。他方、〔介在事情〕は行為とは無関係に独立して生じた偶発的事象であり、行為がこれを誘発したともいえず、結果への寄与も決定的である。したがって、〔結果〕は専ら〔介在事情〕の危険が実現したものであって、被告人の行為の危険が現実化したとは評価できない。よって因果関係は否定され、被告人には〔基本犯/未遂〕が成立するにとどまる。
まとめ
危険の現実化説とは、実行行為の有する危険性が、現実の因果経過を通じて結果へと実現したと評価できる場合に法的因果関係を肯定する考え方である。
相当因果関係説から変わったのは、結論よりもむしろ問いの立て方である。「行為時にこの結果を予想できたか」という事前の予測可能性から、「現に生じた結果は行為の危険の実現か」という事後の実質的評価へ、判断の軸が組み替えられた。これにより、行為後に生じる介在事情を予見可能性へ翻訳する必要がなくなり、その異常性・寄与度・誘発関係を正面から評価できるようになった。
判断は、行為の危険がそのまま結果に結実した「直接実現型」と、行為が介在事情を呼び込み、それを介して危険が実現した「誘発型」の2類型に整理すると論述が安定する。ただし両者は排他的ではなく、答えるべき問いは常に「行為の危険が結果に現実化したか」の一つである。
判例が学説名を挙げてこの説を採用したわけではないが、近時の判断はこの枠組みによって統一的に説明され、実務上も定着している。答案では、行為の危険性を機序つきで具体的に特定し、介在事情の異常性と寄与度を分けて評価し、誘発関係を必ず一言検討したうえで、規範の言葉に戻して結論を締める。この型を身につければ、因果関係はもう恐れる論点ではない。
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