相当因果関係説と危険の現実化説の違い|判例はどちらに立つのか
相当因果関係説と危険の現実化説の違いを比較表で整理。条件説を加えた3説の判断枠組みがどこで異なるのか、介在事情のある事案で結論が分かれる場面、いわゆる「相当因果関係説の危機」の意味、判例の立場をどう理解すべきか、そして答案ではどちらの説で書くべきかを、1行論証の例まで示して解説します。
本記事の役割 — この記事は「相当因果関係説と危険の現実化説の違い」だけを取り出して比較する。
両説を含む因果関係論の全体像は
因果関係の判断基準|相当因果関係説から危険の現実化へを参照。
この記事のポイント
条件説・相当因果関係説・危険の現実化説の三つは、「因果関係を条件関係だけで決めてよいか」「絞るとしてどの物差しで絞るか」という点で段階的に異なる。相当因果関係説は「行為から結果が生じることが経験上相当か」を問い、危険の現実化説は「実行行為の危険が結果へと実現したか」を問う。両者の実質的な違いは、①判断の対象(相当性か、危険の実現か)、②判断の資料(誰の認識を基礎に置くか)、③介在事情の評価方法(異常性そのものを問うか、行為との誘発関係を問うか)の三点に集約される。
そして、行為後に異常な事情が介在した事案で判例が因果関係を肯定し続けた結果、相当因果関係説の枠組みでは判例の結論を説明しきれないという事態が生じた。これを学説上「相当因果関係説の危機」と呼ぶ。答案でどちらを採るべきかという問いには、結論から言えば「危険の現実化の枠組みで書く」のが現在の標準である。
この記事は、各説を一から解説するものではなく、どこがどう違い、どの場面で結論が分かれるのかに絞った比較記事である。各説そのものの詳しい説明は、危険の現実化説の解説・条件説と条件関係の解説を参照してほしい。
まず結論:3説の違いを1枚の表で
比較の全体像を先に示す。以下の表が、この記事でいちばん重要な部分である。
比較項目 条件説 相当因果関係説 危険の現実化説 問いの立て方 その行為がなければその結果は発生しなかったか その行為からその結果が生じることは経験上相当(通常)といえるか 実行行為のもつ危険が、その結果へと実現したといえるか 条件関係の位置づけ これが因果関係のすべて 前提として必要(その上で絞る) 前提として必要(その上で絞る) 絞り込みの物差し なし 相当性(=結果発生の通常性・予見可能性) 危険の実現(=行為の危険と結果との対応関係) 判断の資料(基底) 客観的事実すべて 学説内部で分岐(主観説・客観説・折衷説) 事後的に判明した客観的事情を含めて総合考慮 判断の視点 事実的・自然科学的 行為時を基準とした事前判断の色彩が強い 現実に生じた因果経過を踏まえた事後的・実質的判断 介在事情の扱い 条件関係がある限り因果関係を否定しない 介在事情の異常性そのもので判断(異常なら相当性が切れる) 介在事情が行為に誘発されたものか、結果への寄与がどの程度かで判断 長所 明確で誰が判断してもぶれにくい 条件説の広がりすぎを抑えられる 判例の具体的結論を統一的に説明できる 短所 処罰範囲が無限定に広がる 「相当性」が曖昧で、介在事情のある事案を説明できない 「危険」「実現」の内容がなお不明確との批判 判例との関係 初期の判例に近いと評価されることがある 判例をこの説に整理する理解が長く通説的だった 近時の最高裁は「危険が現実化した」という表現を用いている表を一言でまとめれば、条件説は絞らない、相当因果関係説は「ありそうか」で絞る、危険の現実化説は「行為の危険がそのまま出たか」で絞る、ということになる。
そもそも何を争っているのか(3説の位置関係)
三つの説は、対等に並ぶ三択ではない。議論の段階が違うので、そこを取り違えると比較が噛み合わなくなる。
因果関係の検討は、講学上、次の二段階で整理される。
- 条件関係(事実的因果関係)——「あれなければこれなし」の関係があるか
- 法的因果関係——条件関係を前提に、なお結果を行為者に帰責してよい結びつきがあるか
条件説は、この2段階目を置かないという立場である。これに対し、相当因果関係説と危険の現実化説は、いずれも1段階目を通過した後の2段階目の物差しをめぐる争いである。つまり、
- 条件説 対 それ以外 = 絞るか絞らないかの対立
- 相当因果関係説 対 危険の現実化説 = どう絞るかの対立
という構造になっている。「条件説 相当因果関係説 違い」と「相当因果関係説 危険の現実化説 違い」は、同じ平面の問いではないのである。
各説の要点だけ確認しておく。
条件説は、条件関係さえあれば因果関係を認める。判断は明確だが、条件関係はいくらでも遡れるため処罰範囲が際限なく広がる。現在の通説・実務は純粋な条件説を採らないが、条件説は否定された学説ではなく因果関係論の土台として残っている。条件関係の公式そのものや、択一的競合・仮定的因果関係といった特殊類型の処理は、条件説と条件関係の解説で扱う。
相当因果関係説は、条件関係を前提に、行為から結果が生じることが社会生活上の経験に照らして相当(通常ありうること)といえる場合にのみ法的因果関係を認める。異常な因果経過を経て生じた結果は行為者の所為とは評価しない、という発想である。核心は「相当性」だが、相当性を判断するときにどの事情を材料にするか(判断基底)で内部が三つに分かれ、それが後述する「危機」の火種になる。
危険の現実化説は、「相当か否か」ではなく、実行行為のもつ危険性が現実に生じた結果として実現したといえるかを直接問う。判断の骨格は、①行為自体の危険性の程度、②介在事情の異常性の程度、③介在事情の結果への寄与度、の総合考慮である。詳しい枠組みは危険の現実化説の解説および因果関係の判断基準を参照。
違いの核心①:判断の「対象」が違う
相当因果関係説と危険の現実化説の第一の違いは、何を判断の対象に据えるかである。
- 相当因果関係説は、因果経過の通常性を問う。「その行為から、そういう経過をたどってその結果に至ることは、ありそうなことか」という問いである。
- 危険の現実化説は、行為の危険の内容と結果との対応を問う。「その行為はどのような危険をはらんでいたか」「現に生じた結果は、その危険が形になったものといえるか」という問いである。
この差は、行為の危険性が極めて高い事案で表面化する。相当因果関係説では「その経過は珍しい」という一点で相当性が切れうるのに対し、危険の現実化説では「珍しい経過をたどってはいるが、生じた結果はまさにその行為が孕んでいた危険が形になったものだ」として因果関係を肯定しうる。危険の現実化説は、経過の珍しさよりも危険の内実を見るわけである。
違いの核心②:判断の「資料(基底)」が違う
第二の違いは、判断の材料である。相当因果関係説はここで内部分裂しており、それがそのまま説の弱点になっている。
相当因果関係説の内部対立 判断基底(相当性判断の材料) 特徴と批判 主観説 行為者が現に認識・予見していた事情 行為者の主観を基礎に据える。故意・過失の判断との区別が曖昧になるとの批判 客観説 行為時に客観的に存在した全事情+行為後の一般的に予見可能な事情 判断基底が広く、結論が条件説に接近するとの批判 折衷説 一般人が認識しえた事情+行為者が特に認識していた事情 長く通説的地位を占め、判例もこれに近いと整理されてきたこれに対して危険の現実化説は、判断基底の限定という発想を基本的に採らない。現実に生じた因果経過を、事後的に判明した事情も含めて評価の対象とし、その上で「行為の危険が実現したといえるか」を実質的に判断する。
したがって、両説の違いを一文で言うなら、相当因果関係説は「材料を絞ってから相当性を問う」、危険の現実化説は「材料を絞らずに危険の実現を問う」ということになる。前者は事前判断的、後者は事後判断的な色彩が強い、と説明されることも多い。
違いの核心③:介在事情の扱いが違う
第三の違いが、実際の事例処理で最も効いてくる。行為後に何らかの事情が割り込んだ場合の処理である。
- 相当因果関係説では、介在事情が異常であれば、それ自体で相当性が否定されやすい。介在事情の異常性が、判断基底から外れる(=考慮できない)事情であればなおさらである。
- 危険の現実化説では、介在事情が異常であること自体は決定打にならない。問うのは、その介在事情が行為によって誘発されたものか、そして結果に対して行為と介在事情のどちらが主要な寄与をしたかである。
そのため危険の現実化説では、介在事情のある事案を次の二型に整理して処理するのが通例である。
類型 内容 典型 直接実現型 行為の危険がそのまま結果に実現した。介在事情は結果に付随的な影響を与えたにとどまる 死因を形成した暴行の後に第三者の暴行が加わり死期が早まった事案 間接実現型(誘発型) 行為の危険が介在事情を誘発し、それを通じて結果に実現した 激しい暴行から逃れようとした被害者が危険な行動をとった事案この二型の使い分けは、答案の型としてもそのまま使える。詳しくは因果関係の判断基準と介在事情の処理にまとめている。
いわゆる「相当因果関係説の危機」とは
用語の意味
「相当因果関係説の危機」とは、行為後に異常な事情が介在した事案について最高裁が因果関係を肯定する判断を重ねた結果、相当因果関係説(とりわけ折衷説)の枠組みではその結論を説明できないことが明らかになり、同説の説明力が動揺した状況を指して、学説上用いられる呼称である。判例が公式に用いた表現ではなく、あくまで学説による状況の名づけである点に注意したい。
なぜ「危機」と呼ばれる事態が生じたのか
問題の構造はこうである。折衷説の判断基底は「一般人が認識しえた事情+行為者が特に認識していた事情」である。ところが、行為後に第三者が突発的に加えた故意の暴行のような事情は、一般人にも行為者にも認識しえない。すると、その介在事情は判断基底に入らない。判断基底に入らない事情を除いて相当性を判断すれば、結論としては相当性を肯定するか否定するかのいずれかになるが、いずれにせよ「現に起きた異常な経過」を評価枠組みの中に位置づけられない。
そこへ、最高裁は次のような判断を示した。
犯人の暴行により被害者の死因となった傷害が形成された場合には、その後に第三者による暴行が加えられ死期が早められたとしても、犯人の暴行と被害者の死亡との間の因果関係を肯定することができる
― 最高裁判所第二小法廷 平成2年11月20日(趣旨要約)
この判断(いわゆる大阪南港事件)は、介在事情の異常性ではなく、被告人の暴行が死因を形成していたという点を決め手にしている。相当因果関係説の側から見ると、「異常な介在事情があるのに因果関係が肯定されている」という説明困難な事例が現れたことになる。同種の判断はその後も積み重なり、たとえば道路上に停車中の自動車のトランク内に被害者を監禁していたところ、第三者の甚だしい過失による追突によって被害者が死亡した事案でも、監禁行為と死亡との因果関係が肯定されている(最決平18.3.27)。
こうして、相当性という物差しでは判例の結論群を統一的に説明できないという認識が広がった。これが「危機」の実質である。事案の詳細は大阪南港事件の判例解説および因果関係の断絶で扱う。
危機への応答
学説の対応は、相当因果関係説を修正する方向(判断基底の設定を組み替える、相当性判断の対象を絞る等)と、物差しそのものを取り替える方向(相当性ではなく危険の実現を基準に据える=危険の現実化説)の二つに分かれた。現在の議論の主流は後者である。もっとも、危険の現実化説に対しても、「危険」の内容や「実現」の意味が明確でなく結論を言い換えているだけではないか、という批判が向けられている点は押さえておきたい。
結論が分かれる具体的場面
比較記事として最も実益があるのは、「どの場面で結論が変わるのか」である。代表的な四場面を挙げる。
場面1:第三者の故意行為が介在し、死期が早められた
被告人の暴行により死因となる傷害が形成された後、無関係の第三者が新たな暴行を加え、死期がいくらか早まった、という事案である。
- 条件説:条件関係がある以上、因果関係を肯定。
- 相当因果関係説(折衷説):第三者の突発的な故意行為は一般人にも行為者にも認識しえず判断基底に入らない。異常な介在事情として相当性が否定される方向に傾き、因果関係を否定しやすい。
- 危険の現実化説:死因を形成したのは被告人の暴行であり、第三者の暴行は結果への寄与が付随的にとどまる。被告人の行為の危険が直接実現したものとして因果関係を肯定(直接実現型)。
結論が分かれる典型例であり、判例の結論は危険の現実化説と整合的である。
場面2:被害者自身の異常な行動が介在した
激しく執拗な暴行を受けた被害者が、恐怖のあまり高速道路に進入して自動車にはねられ死亡した、という事案(最決平15.7.16)が典型である。
- 条件説:肯定。
- 相当因果関係説:高速道路に進入するという行動は、それ自体としては通常予想しがたい。介在事情の異常性を正面から見る限り、相当性を否定する余地が大きい。
- 危険の現実化説:被害者にそのような行動をとらせるほど暴行が激しく執拗であった以上、介在事情は行為に誘発されたものである。行為の危険が被害者の行動を介して実現したとして肯定(間接実現型)。
なお、これに先立つ事案としては、夜間潜水の指導者が受講生のそばを離れて見失った事案について、被害者らの不適切な行動が介在していても、それが被告人の行為から誘発されたものである以上、因果関係を肯定して妨げないとした判断がある(最決平4.12.17)。誘発関係を軸に据える発想は、この時期から現れていたと理解されている。
場面3:行為時に存在した被害者の特殊な素因
被害者に重篤な持病や身体的異常があり、通常であれば死亡に至らない程度の暴行で死亡した、という事案である。
- 条件説:肯定。
- 相当因果関係説(折衷説):素因が一般人にも行為者にも認識しえないものであれば判断基底から外れ、相当性が否定される方向に働く。
- 相当因果関係説(客観説):行為時に客観的に存在した事情はすべて判断基底に入るため、素因を前提に相当性を判断でき、肯定に傾く。
- 危険の現実化説:行為の危険が被害者の身体状況を介して結果に実現したと評価でき、肯定に傾く。
ここは相当因果関係説の内部で結論が割れる場面であり、「折衷説か客観説か」という内部対立が結論を左右してしまうこと自体が、同説の不安定さを示すものとして批判されてきた。判例は、被害者の身体的素因が結果に寄与した事案でも因果関係を肯定する傾向にあると理解されている。
場面4:危険の現実化説でも因果関係が否定されうる場面
危険の現実化説を採れば常に因果関係が広く認められる、というのは誤解である。行為の危険とは別個の危険が結果を招いた場合には、いずれの説によっても因果関係は否定される。
自動車にはねられて屋根に跳ね上げられた被害者を、同乗者が走行中に引きずり降ろし、その転落によって被害者が死亡したという事案について、最高裁は、同乗者のそのような行為は経験上通常予想できるものではないとして、運転行為と死亡との因果関係を否定した(最決昭42.10.24、いわゆる米兵ひき逃げ事件)。死因が当初の衝突によるものか転落によるものか確定できなかったという事情も前提にある。
この判断は、相当因果関係説に親和的な判断として理解されてきたものであるが、危険の現実化説の立場からも、当初の運転行為の危険がそのまま結果として実現したとはいえない事案として説明可能である。両説は、いつでも結論が分かれるわけではないという点を確認しておきたい。
判例はどちらに立つのか
ここは慎重に理解する必要がある。試験でも書き方を誤りやすい部分である。
まず、判例が「相当因果関係説を採用する」「危険の現実化説を採用する」といった形で学説名を挙げて態度を表明したことはない。 判例は個別事案の判断を積み重ねる形で法理を形成しており、学説の名を明示して採否を語る形式を採っていない。したがって、答案で「判例は危険の現実化説を採用している」と断定的に書くのは、正確ではない。
その上で、次の三点は押さえてよい。
- かつては、判例の結論を相当因果関係説の枠組みで整理する理解が有力だった。米兵ひき逃げ事件のように、経験上通常予想できるかという観点から因果関係を否定した判断がその根拠とされた。
- その後、行為後に異常な事情が介在した事案で因果関係を肯定する判断が重なり、相当性の枠組みでは説明しきれなくなった(大阪南港事件、トランク監禁事件など)。
- 近時の最高裁は、「危険が現実化した」という表現を判文中で用いている。管制官の言い間違いによる降下指示が問題となった事案について、当該ニアミスは降下指示の危険性が現実化したものであるとして因果関係を認めた判断(最決平22.10.26、いわゆる日航機ニアミス事件)が代表例である。
したがって、判例の立場は「危険の現実化という枠組みで因果関係を判断していると理解されている」と書くのが正確であり、「判例が危険の現実化説という学説を採用した」という書き方は避けたい。判例の立場の読み取り方一般については判例の読み方も参考になる。
答案ではどちらで書くべきか
結論:危険の現実化の枠組みで書く
現在の司法試験・予備試験の答案としては、危険の現実化の枠組みで規範を立て、事実を当てはめるのが標準である。理由は三つある。
- 近時の最高裁がこの枠組みでの判断を示しており、判例の結論群を統一的に説明できる
- 介在事情のある事案(試験で問われるのはほぼこの型である)で、行為の危険性・介在事情の異常性・寄与度という具体的な検討項目が立ち、当てはめが書きやすい
- 相当因果関係説で書くと、判断基底(折衷説か客観説か)という前提の議論から始めざるをえず、限られた時間と紙幅を消費する
もっとも、相当因果関係説で書けば直ちに減点されるというものではない。学説の選択それ自体より、規範と事実の対応が明確であるかが評価を左右する。相当因果関係説で書くのであれば、判断基底を明示し、その基底に照らして具体的事実を評価しきることが必要になる。
1行論証の例
規範(基本形)
因果関係の有無は、実行行為の危険性が結果へと現実化したといえるかにより判断する。
直接実現型の当てはめ(1行論証)
甲の暴行によりAの死因となる傷害が既に形成されており、その後の第三者の暴行は
死期を早めたにとどまるから、甲の行為の危険が死亡結果へ直接実現したといえる。
間接実現型(誘発型)の当てはめ(1行論証)
Aが高速道路に進入したのは、甲らの暴行が極めて激しく執拗であったために
これから逃れようとしたものであり、介在事情は甲らの行為に誘発されたもので
あるから、甲らの行為の危険がAの行動を介して結果に現実化したといえる。
否定に振る場合の1行論証
Aの死亡は、甲の行為とは無関係に生じた別個の危険が実現したものであって、
甲の行為の危険が結果に現実化したとは評価できない。
書き方の注意点
- 学説名を並べる時間はない。三説を列挙して論評する答案は、規範定立が遅れるだけで加点されにくい。規範を一文で立て、当てはめに紙幅を割く。
- 「判例は危険の現実化説に立つ」と断定しない。「判例は、行為の危険が結果に現実化したかにより判断していると解される」といった書き方が安全である。
- 三つの考慮要素を必ず具体的事実に落とす。行為の態様・部位・回数から危険性を認定し、介在事情の異常性を行為との関係で評価し、結果への寄与度を比較する。
- 直接実現型と間接実現型を書き分ける。事案がどちらの型かを見極めて規範の当てはめ方を切り替えると、論述が締まる。
答案全体の組み立ては刑法の答案の書き方、因果関係が犯罪論体系のどこに位置するかは刑法総論の論点マップを参照してほしい。
よくある質問
Q1: 相当因果関係説と危険の現実化説は、結局のところ言い方が違うだけではないか。
同じ結論に至る事案が多いのは事実である。しかし、行為後に異常な事情が介在した事案では、相当因果関係説が介在事情の異常性で相当性を切りうるのに対し、危険の現実化説は誘発関係と寄与度で判断するため、結論が分かれうる。両説の差が現れるのはまさにこの領域であり、試験で問われるのもここである。
Q2: 「相当因果関係説の危機」は判例が使っている言葉か。
いいえ。学説上の呼称である。介在事情のある事案で判例が因果関係を肯定する判断を重ねた結果、相当因果関係説の枠組みでは判例の結論を説明できないという事態が明らかになった状況を指す。答案でこの語を使う場合も、意味を示さずに用いるのは避けたい。
Q3: 条件説はもう不要か。
不要ではない。条件関係は法的因果関係の前提であり、条件関係が否定されればそこで因果関係の検討は終わる。択一的競合や仮定的因果関係のような特殊類型は、条件関係のレベルで処理される論点であり、短答でも狙われる。
Q4: 危険の現実化説を採ると因果関係が常に広く認められるのか。
そうではない。行為の危険とは別個の危険が実現したと評価される場合には因果関係は否定される。米兵ひき逃げ事件(最決昭42.10.24)は、危険の現実化の枠組みからも因果関係を否定しうる事案として説明できる。
まとめ
第一に、三説は同じ平面の三択ではない。条件説と他の二説の対立は「絞るか否か」、相当因果関係説と危険の現実化説の対立は「どう絞るか」という、段階の異なる対立である。
第二に、相当因果関係説と危険の現実化説の実質的な違いは、①判断の対象(因果経過の通常性か、行為の危険の実現か)、②判断の資料(基底を限定するか否か)、③介在事情の評価方法(異常性そのものか、誘発関係と寄与度か)にある。
第三に、行為後に異常な事情が介在した事案について判例が因果関係を肯定する判断を重ねたことで、相当因果関係説では判例の結論を説明しきれないという状況が生じた。これが「相当因果関係説の危機」である。
第四に、判例が特定の学説を採用したと断定してはならない。近時の最高裁は「危険が現実化した」という表現を用いており、危険の現実化という枠組みで判断していると理解されている、という書き方が正確である。答案では、この枠組みで規範を立て、行為の危険性・介在事情の異常性・結果への寄与度を具体的事実に即して当てはめればよい。学説の羅列ではなく、規範と事実の対応を明確にすることが評価につながる。
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