規制権限の不行使とは
きせいけんげんのふこうし
規制権限の不行使とは、国民の生命・健康や財産を守るために法令が行政庁に与えた監督・規制の権限を、行政庁が行使しなかったことをいい、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときに、被害を受けた者との関係で国家賠償法1条1項の適用上違法となります。
工場が有害な排水を流し続けているのに、役所が止める権限を持ちながら何もしなかったとします。被害を受けた住民が、止めなかった国や県にも損害の賠償を求められるかが問題になります。権限を使うかどうかは行政庁の裁量に委ねられていますが、裁量があることは、使わない自由が無制限にあることを意味しません。判例は、不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くときに国家賠償法1条1項の適用上違法になるとしており、この考え方は消極的裁量濫用論と呼ばれます。
規範は、不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くかどうかです
国家賠償法1条1項の「公権力の行使」には、権限を行使しないという不作為も含まれます。もっとも、規制権限の行使は通常は行政庁の裁量に委ねられているので、行使しなかったことが直ちに違法になるわけではありません。判例は、権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときに、その不行使により被害を受けた者との関係において違法になるという枠組みをとります。「国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は,その権限を定めた法令の趣旨,目的や,その権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは,その不行使により被害を受けた者との関係において,国家賠償法第1条第1項の適用上違法となる」という肢は正しいです。裁量処分についても同じで、「工場排水の規制処分について法令により行政裁量が認められる場合において,裁判所が処分権限不行使の違法を理由とする国家賠償請求を認容するためには,処分権限の不行使が,その権限を定めた法令の趣旨,目的やその権限の性質等に照らし,具体的事情の下において,許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められることが必要である」という肢も正しいです。この規範は最判平成16年10月15日(関西水俣病訴訟)が工場排水の規制について述べたもので、最判平成16年4月27日(筑豊じん肺訴訟)も同じ文言を使っています。出発点は権限の根拠法令の解釈であって、被害の大きさだけで違法を導くのではありません。
宅地建物取引業者の監督では、不行使は違法とされませんでした
最判平成元年11月24日(宅建業者の監督と国家賠償責任)は、宅地建物取引業者の不正な行為で損害を受けた取引関係者が、知事が免許を更新し、業務停止や免許取消しの監督処分をしなかったことを違法だと主張した事案です。判例はまず、免許制度は業者の業務の適正な運営と取引の公正の確保を図り、購入者等の利益の保護をも目的とするものの、免許の付与や更新それ自体は個々の取引関係者の具体的な利益を直接保護するものではないとしました。次に、監督処分については、処分の選択や権限行使の時期等は知事等の専門的判断に基づく合理的裁量に委ねられているので、業者の不正な行為により個々の取引関係者が損害を被った場合であっても、具体的事情の下において、知事等に監督処分権限が付与された趣旨・目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときでない限り、取引関係者に対する関係で違法の評価を受けないとし、本件では違法としませんでした。財産上の損害にとどまり、被害者が自衛の手段を持っていた事案では、権限の不行使が違法とされる場面は限られます。この事件は、規範の適用の結果として責任が否定された例として押さえます。規制権限の不行使が問題になるとき、最初に確かめるのは、根拠法令がその被害者の個別的利益を保護する趣旨を含むかどうかです。公益の保護に尽きると解されれば、被害者との関係で違法を語る足場がなくなります。原告適格の判断で使う法令の趣旨・目的の解釈と、発想が重なります。
じん肺の事案では、省令改正権限の不行使が違法とされました
最判平成16年4月27日(筑豊じん肺訴訟)は、炭鉱労働者のじん肺被害について、通商産業大臣が鉱山保安法に基づく省令改正権限を行使して粉じん対策を義務づけなかったことを違法としました。じん肺に関する医学的知見が確立し、粉じん発生防止策の有効性も明らかになっていたのは遅くともじん肺法が成立した昭和35年の時点であるとして、その時点以降の不行使は許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと判断しています。鉱山保安法が鉱山労働者の生命・健康の保護を主要な目的としていたこと、技術的な対策が可能であったこと、被害が重大で回復しがたいことが決め手になりました。いつの時点から違法になるかを区切る判断の作法が、この判決の見どころです。権限の行使が裁量に委ねられていることは、この結論を妨げませんでした。裁量があるからこそ、行使しないという選択が著しく合理性を欠く場合に違法となる、という構成をとるからです。
水俣病の事案では、国と県の双方の不行使が違法とされました
最判平成16年10月15日(関西水俣病訴訟)は、水質二法に基づく規制権限を国が行使しなかったこと、および熊本県が県漁業調整規則に基づく権限を行使しなかったことを、いずれも違法としました。原因物質と排出源の解明が進み、被害の深刻さが認識できた昭和34年末の時点を基準に、昭和35年1月以降に規制の発動を怠った期間について責任を認めています。薬品の副作用が問題となった最判平成7年6月23日(クロロキン薬害訴訟)では、当時の医学的知見に照らして厚生大臣の権限不行使は著しく合理性を欠くとはいえないとされており、結論は事案によって分かれます。共通するのは、当時の科学的知見の水準を前提に、権限を行使すべき時期を具体的に特定していく手法です。後知恵で判断しないという建前が、予見可能性の検討として現れます。国と地方公共団体の双方が権限を持つ場合には、それぞれの権限について別々に不行使の違法を検討する必要があります。
判断は、予見可能性・結果回避可能性・期待可能性を軸に組み立てます
判決文は規範を一文で述べますが、当てはめでは要素が分解されます。中心になるのは四つです。被害が生命・健康にかかわる重大なものであること、行政庁が被害の発生を予見できたこと、権限を行使すれば被害を回避できたこと、そして被害者が自ら被害を避けることを期待できない状況にあったことです。これらがそろうほど、権限の不行使は許容される限度を逸脱した扱いになります。逆に、財産的な損害にとどまり、被害者が自衛の手段を持っていた場合には、宅地建物取引業者の監督の事案のように責任が否定されます。根拠法令が当該被害者の利益を個別に保護する趣旨を含むかどうかも、最初に検討する点です。
- 被害の重大性生命・健康にかかわり回復しがたい被害か
- 予見可能性当時の科学的知見で行政庁が被害の発生を予見できたか
- 結果回避可能性権限を行使していれば被害を防げたか
- 期待可能性被害者が自ら被害を避けることを期待できない状況か
不行使を将来に向けて争うなら、非申請型義務付け訴訟を使います
国家賠償は生じた損害の事後的な填補ですから、これから被害を防ぐには義務付け訴訟を使います。第三者に対する規制権限の発動を求める場合は非申請型で、一定の処分がされないことにより重大な損害を生ずるおそれがあり、かつ、その損害を避けるため他に適当な方法がないときに、法律上の利益を有する者に限って提起できます(行政事件訴訟法3条6項1号・37条の2第1項・3項)。もっとも、条文は第三者に対する処分に限っていません。「非申請型義務付け訴訟は,行政庁が第三者に対する規制権限の行使をしない場合に,その行使を求めて提起することが想定されていますので,自己に対する処分の義務付けを求めて提起することはできません」という肢は誤りです。37条の2第3項は法律上の利益を有する者であれば提起できると定めているだけなので、自己に対する処分でも、申請権がない以上は非申請型で義務付けを求めることができます。国家賠償の規範と義務付け訴訟の本案勝訴要件は別物ですから、混ぜずに使い分けます。
最判平成16年4月27日(筑豊じん肺訴訟)
国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は、その権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使により被害を受けた者との関係において、国家賠償法1条1項の適用上違法となる。
最判平成元年11月24日(宅建業者の監督と国家賠償責任)
当該業者の不正な行為により個々の取引関係者が損害を被った場合であっても、具体的事情の下において、知事等に監督処分権限が付与された趣旨・目的に照らし、その不行使が著しく不合理と認められるときでない限り、右権限の不行使は、当該取引関係者に対する関係で国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものではない。
論文ではこう使う
論文では、まず根拠法令の趣旨・目的を解釈し、当該規定が被害者の生命・身体といった個別的利益を保護する趣旨を含むことを示します。次に、権限の不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くかという規範を筑豊じん肺訴訟・関西水俣病訴訟の文言で立て、被害の重大性、行政庁の予見可能性、権限行使による結果回避可能性、被害者の期待可能性を順に当てはめます。とくに、いつの時点で知見が確立し、いつから権限を行使すべきであったかを具体的に特定することが評価につながります。そのうえで、権限の不行使に過失があったこと、不行使と損害との間に因果関係があることを述べ、損害額の算定に進みます。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。