因果関係の錯誤とは?故意は阻却されるか
因果関係の錯誤とは何かを、判例・通説の処理と「不要論」の対立まで整理。遅すぎた構成要件の実現(砂末吸引事件)と早すぎた構成要件の実現(クロロホルム事件)の2類型を比較表で示し、答案での検討順序を手順化する。
この記事のポイント
因果関係の錯誤とは、行為者が思い描いていた因果の道筋と、現実に結果へ至った道筋がずれた場合をいう。判例・通説はこのずれを原則として故意の阻却事由と扱わず、殺人罪などの既遂を認める。もっとも、その前提として、現実に生じた因果経過について客観的な因果関係(危険の現実化)が認められることが不可欠である。
受験生がこの論点で崩れるのは、ほぼ例外なく「客観的な因果関係の有無」と「因果関係の錯誤(故意の問題)」を混ぜてしまうからである。前者は構成要件該当性の客観面、後者は主観面であり、検討する場所が違う。本記事では、両者の切り分け方を固定したうえで、遅すぎた構成要件の実現と早すぎた構成要件の実現という2類型を比較し、答案での検討順序を手順化する。
因果関係の錯誤とは何か
因果関係の錯誤とは、行為者が認識・予見していた因果経過と、現実に発生した因果経過との間にずれがある場合を指す講学上の概念である。結果は行為者が意図したとおりに発生しているのに、そこへ至る道筋だけが違っている、という構造をもつ。事実の錯誤の一種として位置づけられる。
典型的な問題状況
もっとも分かりやすいのは次の形である。
- 行為者は「Aを絞殺しよう」と考えて首を絞めた
- 行為者はAが死んだと誤信し、犯行の発覚を防ぐために海岸へ運んで放置した
- Aは実際には絞首の時点では生きており、砂を吸い込んで窒息死した
行為者が意図した結果(Aの死亡)は現実に発生している。しかし行為者が思い描いた因果経過(首を絞めたことによる窒息死)と、現実の因果経過(放置による砂の吸引で窒息死)は食い違っている。この食い違いをどう評価するかが、因果関係の錯誤の問題である。
事実の錯誤の中での位置づけ
事実の錯誤は、ずれが生じている対象によって整理される。
錯誤の種類 ずれている対象 典型例 客体の錯誤 行為の客体(誰・何に向けたか) Aだと思ってBを撃った 方法の錯誤(打撃の錯誤) 結果が及んだ相手 Aを狙ったが弾がそれてBに当たった 因果関係の錯誤 結果に至る経過 絞殺したつもりが、放置による窒息で死亡した客体の錯誤・方法の錯誤が「誰に結果が生じたか」のずれであるのに対し、因果関係の錯誤は「どうやって結果が生じたか」のずれである。同じ事実の錯誤でも問題の質が異なるため、答案では混ぜずに扱う必要がある。詳しくは事実の錯誤の処理方法|具体的符合説と法定的符合説を参照してほしい。
故意の問題であることを見失わない
因果関係の錯誤は、刑法38条1項が定める「罪を犯す意思」=故意が認められるかどうかの問題である。したがって検討する場所は構成要件的故意であり、実行行為・結果・因果関係という客観面をすべて確定させた後に来る。この順序を守るだけで、答案の見通しは大きく良くなる。
前提:まず客観的な因果関係を確定する
因果関係の錯誤を論じる前提として、現実に生じた因果経過について客観的な因果関係が肯定されていなければならない。客観的因果関係が否定されれば、そもそも既遂結果を帰属できず、未遂罪の問題になるだけで、錯誤論に進む必要はない。
検討の順序は固定できる
答案上の順序は次のとおりで、ここが動くことはない。
- 実行行為性を認定する
- 結果の発生を認定する
- 客観的因果関係(行為の危険が結果へ現実化したか)を認定する
- ここまでが肯定されて初めて、構成要件的故意の中で因果関係の錯誤を検討する
3で否定されれば、既遂の客観的構成要件が欠けるので未遂の検討に移る。因果関係の錯誤は「客観的には既遂だが、主観とのずれがある」場面でのみ登場する論点である。
客観的因果関係の判断枠組み
現在の判例・通説は、条件関係を前提としたうえで、実行行為の危険が結果へ現実化したといえるかを問う「危険の現実化」の枠組みで判断している。具体的には、①実行行為自体の危険性の大きさ、②介在事情の異常性(通常性)、③介在事情に対する実行行為の寄与度・誘発性、といった要素を総合して判断する。
先ほどの絞殺事例では、大審院大正12年4月30日判決(刑集2巻378頁。いわゆる砂末吸引事件、殺人被告事件)が、被告人が被害者の首を縄で絞め、死亡したものと誤信して海岸に運んで放置したところ、被害者が砂を吸引して窒息死したという事案について、因果関係を肯定している。
判断枠組みそのものは因果関係の判断基準|危険の現実化説と介在事情の処理と危険の現実化説とは|相当因果関係説から何が変わったのかで扱っているので、そちらを前提知識として押さえておきたい。
「客観面で決着がつく」ケースが多い
実務・試験の双方で意識しておきたいのは、現在の判断枠組みの下では、多くの事例が客観的因果関係の段階で決着してしまうという点である。危険の現実化が肯定されれば結果は行為に帰属し、否定されれば未遂になる。ここに錯誤論を重ねて論じる実益がどれだけあるのかという問題意識が、後述する「因果関係の錯誤不要論」につながっていく。
学説の対立|故意を阻却しないとする通説と「不要論」
因果関係の錯誤の処理については、大きく分けて、①法定的符合説を前提に「構成要件の枠内で符合していれば故意は阻却されない」とする伝統的通説と、②客観的因果関係が肯定される以上、錯誤を独立に論じる必要はないとする不要論の対立がある。結論はいずれも既遂を認める点で一致することが多く、論じ方の違いが中心である。
①伝統的通説(法定的符合説からの処理)
法定的符合説は、行為者の認識と現実に発生した事実とが構成要件の範囲内で符合していれば故意は阻却されないと考える。因果関係の錯誤についても同じ発想を用い、認識した因果経過と現実の因果経過とが構成要件的評価において重なり合う限り、故意は阻却されないとする。
この立場では、次のように論じることになる。
- 因果経過は構成要件要素であるから、その認識も故意の対象となる
- しかし、因果経過の細部まで正確に認識している必要はない
- 認識した因果経過と現実の因果経過が、いずれも当該構成要件の予定する危険の実現として評価できる範囲にあれば、符合は認められる
- したがって故意は阻却されず、既遂罪が成立する
②不要論(客観的帰属・危険の現実化を徹底する立場)
これに対し、客観的な帰属判断を重視する立場からは、次のような批判がある。
- 危険の現実化の判断は、行為時に存在した事情を基礎に、結果までの経過を規範的に評価するものである
- そこで客観的因果関係が肯定されたということは、その因果経過が実行行為の危険の実現として構成要件的に評価できるということを意味する
- そうであれば、故意の段階で改めて「認識した因果経過との符合」を問う実益はない
- 因果関係の錯誤は、独立の論点としては不要である
この立場からは、答案でも因果関係の錯誤という項目を立てず、客観的因果関係の判断の中で処理することになる。
③両説の関係を整理する
論点 伝統的通説(法定的符合説) 不要論(客観的帰属重視) 因果経過は故意の対象か 対象になる(ただし細部の認識は不要) 実質的には客観面で処理済み 独立の項目を立てるか 立てる 立てない(客観的因果関係に吸収) 結論 構成要件の枠内で符合すれば故意は阻却されない 客観的因果関係が肯定されれば既遂 結論が分かれる場面 ほとんどない ほとんどない受験対策上重要なのは、両説とも結論はほぼ一致するという点である。したがって、どちらの立場を採っても答案の結論が変わることは稀であり、採点者が見ているのは「客観面と主観面を混同していないか」「必要な検討を落としていないか」である。
判例の立場をどう説明するか
判例は、因果関係の錯誤という論点について一般的な判断基準を正面から定式化しているわけではない。もっとも、後述するクロロホルム事件(最決平成16年3月22日・刑集58巻3号187頁)は、行為者の認識と異なる時点で結果が発生していたとしても「殺人の故意に欠けるところはなく、殺人既遂罪が成立する」と判示しており、因果経過のずれによって故意が否定されることはないという結論を明示している。答案では、判例が結論としてこの立場に立つことを指摘したうえで、自説の理由づけを示す形が扱いやすい。
類型①:遅すぎた構成要件の実現(ヴェーバーの概括的故意)
第1行為で結果が発生したと誤信した行為者が、発覚を防ぐなどの目的で第2行為に及び、その第2行為によって当初意図した結果が発生した場合を、遅すぎた構成要件の実現という。ヴェーバーの概括的故意と呼ばれてきた問題であり、砂末吸引事件がその典型例である。
事案の構造
段階 行為者の認識 現実 第1行為(首を絞める) 殺意あり。これで死亡したと誤信 被害者はまだ生存 第2行為(海岸に放置) 死体の遺棄・発覚防止のつもり(殺意なし) この行為により砂を吸引し窒息死行為者は、殺意をもった第1行為では結果を実現できず、殺意のない第2行為で結果を実現してしまっている。ここで、①殺人未遂罪+過失致死罪にとどまるのか、②殺人既遂罪が成立するのかが問題になる。
議論の歴史的経緯
19世紀ドイツの実務家ヴェーバーは、第1行為と第2行為を包括して概括的な故意を認めることでこの問題を処理しようとした。しかしこの構成は、殺意のない第2行為の時点に故意を認めることになり、「故意のないところに故意を認める」ものだという批判を受けた。
そこで現在の通説は、この問題を因果関係の錯誤として処理する。すなわち、行為者は殺意をもって第1行為に出ており、そこから死の結果までの因果経過が客観的に肯定されるのであれば、行為者が認識した因果経過(絞首による死)とのずれは構成要件の枠内にとどまり、故意は阻却されない、と考える。
処理の手順
- 第1行為に実行行為性があるか(殺人の実行行為として十分な危険性があるか)
- 第1行為から死の結果への客観的因果関係が認められるか(第2行為という介在事情の異常性・誘発性を評価する)
- 肯定されるなら、因果関係の錯誤として故意が阻却されないかを検討する
- 結論として殺人既遂罪
ここで注意すべきは、2の判断である。第2行為は行為者自身の行為であり、第1行為から誘発された行為だと評価しやすい。行為者が「死亡した」と誤信して死体を処理しようとするのは、殺害行為に通常伴う行動と評価できるからである。この誘発性ゆえに、危険の現実化は肯定されやすい。
結果が第2行為の危険から生じたと見るべき場合
もっとも、第2行為が第1行為とまったく無関係な高度に異常な行為であった場合には、客観的因果関係の段階で否定される余地がある。その場合は、殺人未遂罪と、第2行為についての過失致死罪等の問題になる。ここでも先に客観面で決着することを確認しておきたい。
類型②:早すぎた構成要件の実現(クロロホルム事件型)
行為者が「これから実行行為に出よう」と計画していた第2行為の前に、その準備段階と位置づけていた第1行為によって結果が発生してしまった場合を、早すぎた構成要件の実現という。最高裁は、第1行為の時点で実行の着手を認め、故意も欠けないとして既遂を肯定した。
クロロホルム事件(最決平成16年3月22日・刑集58巻3号187頁)
事案は、保険金を取得する目的で、①被害者にクロロホルムを吸引させて失神させ(第1行為)、②失神した被害者を自動車ごと海中に転落させて溺死させる(第2行為)という計画を実行したというものである。被害者の死因は特定されず、第1行為の時点で死亡していた可能性が残った。
最高裁は、次の2点を判示した。
- 実行の着手について:第1行為は第2行為に密接な行為であり、第1行為を開始した時点で殺人に至る客観的な危険性が明らかに認められるから、その時点で殺人罪の実行の着手がある
- 故意について:たとえ、行為者の認識と異なり第2行為の前の時点で被害者が第1行為により死亡していたとしても、殺人の故意に欠けるところはなく、殺人既遂罪が成立する
何が「錯誤」なのか
この事案で行為者は、「クロロホルムで失神させ、その後に海中転落によって死亡させる」という因果経過を認識していた。現実には「クロロホルムの吸引によって死亡した」可能性がある。認識した因果経過と現実の因果経過がずれているという点で、因果関係の錯誤の構造をもつ。
最高裁は、この点について詳細な理由づけを示していないが、故意に欠けるところはないと明言した。学説では、①第1行為の時点で実行の着手を認めた以上、第1行為から結果までの因果経過は当初の計画の枠内にあり、故意は阻却されないとする説明、②客観的因果関係が肯定される以上、錯誤を独立に問題にする必要はないとする説明などがなされている。
実行の着手の論点との関係を切り分ける
この判例は、実行の着手の論点と因果関係の錯誤の論点が同時に問われる典型例である。答案では次のように切り分けたい。
検討事項 どこで論じるか 判断のポイント 第1行為に実行の着手があるか 客観的構成要件(実行行為) 第2行為との密接性・客観的危険性 第1行為から死への因果関係 客観的構成要件(因果関係) 危険の現実化 認識との経過のずれ 構成要件的故意 構成要件の枠内での符合実行の着手の判断基準そのものについては【判例】実行の着手時期(未遂犯の成立)で扱っている。
2類型の比較
比較項目 遅すぎた構成要件の実現 早すぎた構成要件の実現 代表例 砂末吸引事件(大判大12.4.30) クロロホルム事件(最決平16.3.22) 結果が発生した行為 第2行為(殺意なし) 第1行為(準備段階と認識) 行為者の誤信 もう死んだと誤信 まだ死んでいないと誤信 主に併走する論点 客観的因果関係(介在事情) 実行の着手 判例の結論 因果関係を肯定 殺人既遂を肯定「行為者が結果発生の時期を早く見積もったのか、遅く見積もったのか」で2類型を覚えると混同しにくい。
答案での処理手順
答案では、客観面をすべて確定してから主観面に入る。因果関係の錯誤に触れる場合も、必ず「客観的因果関係は肯定される。もっとも認識とのずれがある」という接続を明示する。この一文があるかどうかで、論点を理解しているかが伝わる。
検討フロー
- 実行行為の特定:どの行為を実行行為と捉えるか(複数行為型では、第1行為・第2行為のいずれを実行行為とするかを明示する)
- 結果の発生:構成要件的結果が生じているか
- 客観的因果関係:条件関係を確認したうえで、危険の現実化を判断する。介在事情がある場合は、①実行行為の危険性、②介在事情の異常性、③実行行為の寄与度・誘発性を拾う
- 構成要件的故意:認識した事実を確定し、現実の事実とのずれを摘示する
- 錯誤の処理:自説(法定的符合説からの処理、または不要論)を示して、故意が阻却されないことを結論づける
- 罪責の確定
書き出しの型
因果関係の錯誤に入る局面では、次のような接続が使いやすい。
- 「以上より、甲の第1行為とAの死との間には因果関係が認められる。もっとも、甲は……という因果経過を認識していたにすぎず、現実の因果経過との間にずれがある。そこで、かかる因果関係の錯誤が故意を阻却しないかが問題となる。」
不要論を採る場合は、そもそも項目を立てずに、客観的因果関係の検討の末尾で「なお、甲の認識した因果経過と現実の因果経過にずれがあるが、上記のとおり実行行為の危険が現実化したと評価できる以上、故意を阻却しない」と一文で処理する書き方もある。
配分の目安
因果関係の錯誤は、単独で大展開する論点ではない。多くの問題では、実行の着手や客観的因果関係のほうが配点の中心にあり、錯誤は数行で処理することが求められる。学説対立を延々と紹介するより、事案の事実(行為者が何をどう認識していたか、介在事情がどれほど異常か)を拾うことに紙幅を使いたい。答案全体の型を固めたうえで、この論点は「短く正確に」処理するのが得策である。
論証例と覚えるべき要点
この論点で答案に落とし込むべき文言は多くない。規範部分を短く固定し、残りをあてはめに使うのが正解である。ここでは2類型それぞれの論証例と、記憶すべき最小限の要素を示す。
論証例(通説=法定的符合説からの処理)
故意(38条1項)が認められるためには、構成要件該当事実の認識が必要である。因果経過も構成要件要素である以上、その認識も故意の対象となる。もっとも、故意の本質は規範に直面したにもかかわらずあえて行為に出た点にある反規範的人格態度への非難にあるところ、規範は構成要件の形で与えられている。そうすると、認識した因果経過と現実の因果経過とが、いずれも当該構成要件が予定する危険の実現として評価できる限り、行為者は規範に直面していたといえ、故意は阻却されない。
論証例(不要論からの処理)
因果関係は、実行行為の危険が結果へ現実化したといえるかによって判断される。この判断は、行為時に存在した事情を基礎として、結果に至る経過を構成要件的に評価するものである。そうであれば、客観的に因果関係が肯定される以上、その因果経過は当該構成要件の予定する範囲内にあるといえ、故意の段階で改めて認識との符合を問う必要はない。
覚えるべき要点
項目 内容 条文 刑法38条1項(罪を犯す意思がない行為は、罰しない) 検討場所 構成要件的故意(客観面をすべて確定した後) 前提 現実の因果経過について客観的因果関係(危険の現実化)が肯定されること 結論 構成要件の枠内のずれであれば故意は阻却されない 代表判例1 大判大12.4.30 刑集2巻378頁(砂末吸引事件・因果関係を肯定) 代表判例2 最決平16.3.22 刑集58巻3号187頁(クロロホルム事件・殺人既遂を肯定)あてはめで拾うべき事実
- 行為者がどの行為で結果が生じると考えていたか(計画の内容)
- 第1行為の危険性の程度(それ自体で死の結果を生じさせうるか)
- 第2行為が第1行為から誘発された行為といえるか(発覚防止・死体処理など、殺害行為に通常伴う行動か)
- 第2行為の異常性(第三者の異常な介入や、まったく無関係な事情ではないか)
- 認識した因果経過と現実の因果経過が、同一の構成要件的評価に収まるか
この5点を拾えていれば、規範の書き方が多少揺れても答案は成立する。逆に、規範だけ正確でも事実の拾い方が薄いと評価は伸びない。
よくある誤りと注意点
この論点で失点する原因は、ほぼ4つに集約される。いずれも知識不足ではなく、検討場所の取り違えと配分ミスによるものである。事前に潰しておけば、答案の安定度が上がる。
誤り1:客観的因果関係を飛ばして錯誤論に入る
もっとも多いのがこれである。介在事情のある事案を見た瞬間に「因果関係の錯誤だ」と反応し、危険の現実化の検討を省略してしまう。客観的因果関係が否定されれば既遂結果を帰属できず、錯誤論に進む前提が崩れる。必ず客観面を先に処理する。
誤り2:客観的因果関係の判断の中に「行為者の認識」を持ち込む
危険の現実化の判断は、原則として客観的な事情を基礎とする。ここに「行為者は死んだと思っていたから」といった主観的事情を持ち込むと、客観面と主観面の区別が崩れる。行為者の認識は、故意の段階で改めて拾う。
誤り3:法定的符合説の説明をそのまま貼り付ける
客体の錯誤・方法の錯誤の場面で用いる「構成要件の範囲内で符合していれば故意を阻却しない」という定型文を、因果関係の錯誤にそのまま流用すると、何と何が符合しているのかが不明確な答案になる。因果関係の錯誤では、「認識した因果経過」と「現実の因果経過」が、いずれも当該構成要件が予定する危険の実現として評価できるか、という形で符合を語る必要がある。
誤り4:学説対立を長く書きすぎる
不要論と通説の対立は理論的に興味深いが、結論はほぼ一致する。紙幅を割いても加点は限られる。対立に触れるとしても数行にとどめ、事案の事実評価に時間を配分したほうが得点効率は高い。
補足:抽象的事実の錯誤との違い
因果関係の錯誤は、認識した罪と発生した罪が同一構成要件内にある場面の問題である。認識した罪と発生した罪が異なる構成要件にまたがる場合(たとえば器物損壊のつもりが傷害結果を生じた場合)は、抽象的事実の錯誤の問題となり、構成要件の実質的重なり合いを論じる別の枠組みになる。両者を取り違えないよう、まず「同一構成要件内のずれか否か」を確認したい。
まとめ
- 因果関係の錯誤とは、認識した因果経過と現実の因果経過のずれをいい、事実の錯誤の一類型である
- 検討する場所は構成要件的故意であり、実行行為・結果・客観的因果関係をすべて確定した後に来る
- 前提として、現実の因果経過について危険の現実化が肯定されていなければならない。否定されれば未遂の問題にすぎない
- 判例・通説は、構成要件の枠内でのずれであれば故意を阻却しないと扱う。客観的帰属を重視する立場からは、独立の論点として論じる必要はないとする不要論も有力である
- 代表的な2類型は、遅すぎた構成要件の実現(砂末吸引事件・大判大12.4.30刑集2巻378頁)と早すぎた構成要件の実現(クロロホルム事件・最決平16.3.22刑集58巻3号187頁)である
- 答案では学説対立を長く書かず、事案の事実評価に紙幅を配分する
なお、本記事は司法試験・予備試験の学習を目的とした学説・判例の整理であり、個別の事案についての法的判断を示すものではない。具体的な事件の処理については、必ず弁護士等の専門家に相談してほしい。
よくある質問(FAQ)
因果関係の錯誤について、受験生からよく出る疑問をまとめた。いずれも「客観面と主観面のどちらの問題か」を意識すると整理しやすい。
Q1. 因果関係の錯誤があると故意はなくなりますか
判例・通説の立場では、原則として故意は阻却されない。認識した因果経過と現実の因果経過が、当該構成要件が予定する危険の実現として評価できる範囲にあれば、細部のずれは故意の成否に影響しないと考えられている。ただし、前提として現実の因果経過について客観的因果関係が肯定されている必要がある。
Q2. 「因果関係の錯誤は不要」という説はどういう意味ですか
危険の現実化の判断は、実行行為の危険が結果へ実現したかを規範的に評価するものである。そこで客観的因果関係が肯定されたということは、その因果経過が構成要件的に評価可能だということを意味するから、故意の段階で改めて符合を問う実益はない、という趣旨である。結論としては通説と同じく既遂を認めるため、答案でどちらを採っても結論は基本的に変わらない。
Q3. 遅すぎた構成要件の実現と早すぎた構成要件の実現はどう違いますか
結果が発生した行為が第2行為か第1行為かで区別する。遅すぎた構成要件の実現は、殺意のある第1行為では結果が生じず、殺意のない第2行為で結果が生じた場合。早すぎた構成要件の実現は、準備段階と考えていた第1行為の時点で結果が生じてしまった場合である。前者は客観的因果関係、後者は実行の着手が主な併走論点になる。
Q4. クロロホルム事件は実行の着手の判例ですか、錯誤の判例ですか
両方の性格をもつ。最高裁は、第1行為が第2行為に密接な行為でありその時点で客観的危険性が認められるとして実行の着手を肯定したうえで、認識と異なる時点で死亡していたとしても殺人の故意に欠けるところはないとして殺人既遂を認めた。答案では、実行の着手(客観面)と故意(主観面)を分けて論じる必要がある。
Q5. 答案では因果関係の錯誤にどのくらい分量を割くべきですか
数行で足りることが多い。この論点は単独で大展開する性質のものではなく、実行の着手や客観的因果関係の検討のほうが配点の中心にあることが通常である。学説紹介ではなく、行為者が何をどう認識していたか、介在事情がどの程度異常かという事実評価に紙幅を配分したい。
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