挙証責任と推定・立証の負担とは
きょしょうせきにんとすいていりっしょうのふたん
挙証責任とは、証拠調べを尽くしても証明すべき事実の存否を判断できないときに、その事実が認められないことによる不利益を受ける当事者の法的地位をいいます(実質的挙証責任)。立証の負担(形式的挙証責任)とは、裁判官の心証形成の推移に応じて当事者間を移動する、現実に証拠を提出しなければならない事実上の負担をいいます。
金庫から被告人の指紋が出たと検察官が立証すれば、裁判官は被告人が犯人だと思い始めます。そこで被告人が「1週間前に家に上がって金庫に触った」と説明して裏付けを出せば心証は白紙に戻り、今度は検察官が「指紋は犯行時刻に付いた」と立証しなければならなくなります。誰が次に証拠を出す必要があるかは審理の進み方で行ったり来たりしますが、最後まで分からなかったときに誰が負けるかは最初から決まっていて、犯罪事実については必ず検察官です。前者が立証の負担、後者が挙証責任です。
犯罪事実の挙証責任は検察官が負い、これは職権主義の下でも変わりません
挙証責任(実質的挙証責任)とは、証拠調べを尽くしてもなお要証事実の存否が真偽不明に終わったときに、その事実が認められないことによる不利益を負担する当事者の法的地位です。刑事裁判では犯罪の証明がないときは無罪を言い渡さなければならず(336条)、「疑わしきは被告人の利益に」の原則が妥当するので、犯罪事実(構成要件該当事実、違法性・責任阻却事由の不存在、処罰条件)の挙証責任は検察官が負います。被告人は自分が無実であることを証明する必要がなく、これが無罪推定の原則の中身です。この帰属は、誰が訴訟を主導するかという当事者主義・職権主義の区別から出てくるものではありません。裁判所が職権で証拠を集める構造の下でも、調べ尽くして確信に至らない事態は起きるので、そのとき誰が不利益を受けるかは決めておく必要があり、旧法の職権主義の下でも犯罪事実の挙証責任は検察官にあると解されてきました。「これは,刑事訴訟法が『当事者主義』による訴訟追行を原則としたことによるものであり,『職権主義』の下では,検察官が犯罪事実について『挙証責任』を負うことはない。」という肢は誤りです。
心証形成の推移に応じて当事者間を移動する事実上の負担は、挙証責任ではなく立証の負担です
検察官が指紋の一致を立証し、被告人が1週間前に金庫に触れた事実を立証して推認を覆し、検察官がさらに指紋が犯行時刻に付いたことを立証する必要が生じる、という見解の説明が主題にしているのは、訴訟の具体的状況に応じて現実に証拠を提出しなければならない側が入れ替わる現象です。これを立証の負担、挙証の必要、形式的挙証責任(主観的挙証責任)と呼びます。「訴訟における立証活動の事実上の負担は,裁判官の心証形成の推移に応じて当事者間を移動するものであり,これを立証の負担という。」という記述と、「証拠調べの過程で,ある事実の存在が一応証明され,又は,その存在に疑いのある状態が生じれば,これによって不利益を受ける当事者に,その存否について立証の必要が生じることとなる。」という記述が、この見解の主題を述べたものです。これに対し、「証拠調べを経ても証明すべき事実の存否を判断できない場合,これによって不利益を受ける一方当事者の法的地位を挙証責任という。」という記述は実質的挙証責任の説明で、その分配は訴訟の進行と無関係に証明事項ごとに固定しているので、この見解の主題ではありません。「事実認定は,証拠能力を有し,かつ,適式な証拠調べを経た証拠によってなされなければならない」という記述は厳格な証明の、「証拠の取捨選択及び事実の認定は,…裁判所の専権に属するが,それは経験則に反してはならない」という記述は自由心証主義の説明で、やはりこの見解の主題ではありません。被告人の側に立証の負担が移った場面で要求される立証は、検察官と同程度である必要はなく、推認を揺るがして合理的な疑いを生じさせれば足ります。
- 挙証責任(実質的挙証責任・客観的挙証責任)真偽不明のときに不利益を受ける法的地位です。犯罪事実については検察官に固定され、訴訟の進行で動きません
- 立証の負担(形式的挙証責任・主観的挙証責任・挙証の必要)現実に証拠を出さなければならない事実上の負担です。裁判官の心証形成の推移に応じて当事者間を移動します
- 挙証責任の転換法律が特定の事実について被告人側に実質的挙証責任を負わせることです。刑法230条の2の真実性の証明がその例とされ、その合憲性が論じられます
- 法律上の推定前提事実が証明されれば推定事実を認定してよい、又は認定しなければならないとする規定です。認定を義務づける読み方は挙証責任の転換と同じ働きをします
推定規定を認定の義務と読む見解は挙証責任の転換で、認定できると読む見解は反証の失敗を情況証拠の一つとするものです
人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律5条は、危険を生じさせうる物質を排出した者がいて、その地域に同種の物質による危険が生じているときは、その危険はその者の排出した物質によって生じたものと「推定する」と定めます。この推定の意味について、被告人が因果関係の不存在を立証できない場合に裁判所は因果関係を認定しなければならないとする見解(義務的推定)と、認定することができるとする見解(許容的推定)が対立します。義務的推定の見解からは、本来検察官が立証すべき因果関係について、不存在の立証ができないと有罪方向の認定を強制されるので、因果関係の挙証責任を被告人に転換する規定だということになります。「Ⅰの見解は,本条は,…因果関係につき,被告人に挙証責任を転換する規定であるとするものである。」という記述は、この見解の内容として正しいです。ただし、この見解は認定の拘束力を説くだけで、被告人に要求される立証の程度までは述べていませんし、転換された側の立証は合理的な疑いを超える程度である必然性もなく、証拠の優越で足りるとする理解が有力です。「Ⅰの見解は,被告人は,…合理的な疑いを超える程度に立証しなければならないとするものである。」という記述は、この見解の内容とはいえません。許容的推定の見解からは、本条は被告人が反証できなかったことを因果関係を推認させる一つの情況証拠とすることを認めるにとどまり、裁判所は他の証拠と併せて自由心証で評価し、合理的な疑いが残れば因果関係を否定しなければなりません。「Ⅱの見解は,本条は,被告人が…立証ができないことを,一つの情況証拠とすることを認める規定であるとするものである。」という記述はこの見解の内容として正しく、「認定するかどうかは,裁判所の裁量に委ねられることになる」という記述は、自由心証の問題を裁量と取り違えているので、この見解からの帰結ではありません。
「疑わしきは被告人の利益に」との抵触という批判は、挙証責任を転換する見解に向けられます
因果関係の存否に疑いが残っていても有罪方向の認定を強制されるのは、合理的な疑いが残れば被告人に有利に判断するという原則と正面から衝突します。したがって、本条が「疑わしきは被告人の利益に」の原則に反することになるという批判は、認定を義務づける義務的推定の見解に向けられるものです。許容的推定の見解では挙証責任は検察官に残ったままで、合理的な疑いを容れない心証に達しなければ有罪にできないので、この批判は当たりません。「Ⅱの見解に対しては,それによると,本条は『疑わしきは被告人の利益に』の原則に反することになるとする批判がある。」という記述は、批判の向き先を取り違えています。推定規定の合憲性を論じるときも、どちらの読み方を採るかで無罪推定との緊張の度合いが変わるので、まずその規定が義務的推定か許容的推定かを確定するのが順序です。
刑事訴訟法336条
被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。
論文ではこう使う
推定規定や挙証責任の転換を論じる答案では、まず犯罪事実の挙証責任は検察官にあり、その根拠が「疑わしきは被告人の利益に」と無罪推定(憲法31条)にあることを示します。次に問題の規定が、認定を義務づけて挙証責任を被告人に移すものか、反証の失敗を情況証拠として評価することを許すにとどまるものかを条文の文言と趣旨から確定します。前者なら無罪推定との抵触が正面から問題になるので、前提事実と推定事実の間に高度の経験則上の関連があるか、被告人に反証が容易かといった観点から合理性を検討し、後者なら合理的な疑いを超える証明の枠内で評価されることを述べて合憲性の問題を小さくします。立証の負担の移動を挙証責任の転換と書かないよう、用語を分けて使います。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。