偽証罪(「虚偽の陳述」の意義)とは
ぎしょうざい
偽証罪とは、法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をする罪です(刑法169条)。「虚偽の陳述」の意義については、証人の記憶に反する陳述をいうとする主観説と、客観的な事実に反する陳述をいうとする客観説が対立し、判例は主観説に立っています。
裁判で証人は、宣誓をしたうえで、自分が見聞きしたことを話します。裁判官はその場にいなかったので、証人の記憶を手がかりに事実を認定するしかありません。証人が記憶と違うことを話せば、裁判は誤った方向に進むおそれがあります。偽証罪は、宣誓した証人が虚偽の陳述をすることを処罰して、裁判が正しく行われることを守る罪です。何をもって「虚偽」というのか、記憶に反することか、客観的な事実に反することかが最大の争点です。
偽証罪の主体は、法律により適法に宣誓した証人に限られます
偽証罪(169条)は、法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときに成立し、3月以上10年以下の拘禁刑に処せられます。保護法益は国の審判作用の適正であり、刑事事件に限らず、民事事件の証人にも成立します。主体は宣誓した証人に限られる身分犯です。被告人は自己の事件の証人にはならないので、主体になりません。宣誓は適法にされたものでなければなりません。宣誓の趣旨を理解することができない者に誤って宣誓させ、その者が虚偽の陳述をした場合について、「偽証罪の「宣誓」は適法になされなければならないから、同罪は成立しない」という肢は正しいです。判例も、宣誓をさせることができない者が誤って宣誓のうえ虚偽の陳述をしても、偽証罪は成立しないとしています(最大判昭和27年11月5日)。これに対し、証言を拒むことができる者が、証言拒絶権を行使せずに宣誓して虚偽の陳述をした場合は、有効な宣誓をした証人ですから偽証罪が成立します。共犯者の事件で宣誓して自己の犯罪事実について虚偽の陳述をした事例について、「同証人には自己負罪拒否特権があるから、偽証罪は成立しない」という肢は誤りです。
裁判の結果に影響しなくても、当事者が承諾していても、偽証罪は成立します
偽証罪は抽象的危険犯であり、虚偽の陳述によって裁判が実際に誤ったことも、その具体的な危険が生じたことも要りません。「偽証罪は,証人がした虚偽の陳述が裁判の結果に影響しないのであれば,成立しない」という肢は誤りです。「国の審判作用に対する具体的な危険が発生しなかったといえるから、偽証罪は成立しない」という肢も誤りです。また、保護法益は国の審判作用という国家的法益ですから、訴訟の当事者が処分できるものではありません。民事訴訟の証人が虚偽の陳述をすることについて、原告と被告の「双方とも甲が虚偽の陳述をすることにつきあらかじめ甲に対して承諾していた場合,甲に偽証罪(刑法第169条)は成立しない」という肢は誤りです。
判例は、「虚偽の陳述」を証人の記憶に反する陳述とする主観説に立っています
主観説は、「虚偽の陳述」とは証人の記憶に反する陳述をいうとします。証人の役割は自分の体験した事実を記憶のとおりに語ることにあり、記憶に反する陳述をすること自体に、審判作用を害する抽象的な危険があるというのがその根拠です。判例は、証言の内容である事実が真実に一致し、又は少なくとも不実であると認めることができない場合であっても、証人が故意に記憶に反する陳述をしたときは偽証罪を構成するとしています(大判大正3年4月29日)。したがって、判例の立場では、「偽証罪は,証人が殊更記憶に反する陳述をした場合でも,陳述内容が真実であれば,成立しない」という肢は誤りです。「その他の証拠からその陳述内容が真実と認められるのであれば、国の審判作用は害されないから、偽証罪は成立しない」という肢も誤りです。主観説に対しては、陳述が真実に合致していて審判作用が害されない場合まで処罰することになり、結局のところ宣誓義務に違反したことを処罰するものであるという批判が向けられます。この批判は主観説に対するもので、客観説に対する批判ではありません。
主観説と客観説では、記憶と客観的事実が食い違う場面で結論が分かれます
客観説は、「虚偽の陳述」とは客観的な事実に反する陳述をいうとします。客観的事実に合致する陳述には審判作用を害する危険がないことが根拠です。証人が記憶に反する事実を客観的事実に反すると思いながら陳述したところ、それがたまたま客観的事実に合致していた場合、客観説からは虚偽の陳述に当たらず偽証罪は成立しませんが、主観説からは記憶に反する陳述である以上偽証罪が成立します。記憶に反する陳述が客観的事実にも反しており、証人もそう思っていた場合は、どちらの説からも成立します。客観説で注意が必要なのは故意です。客観説では、陳述が客観的事実に反することの認識が故意の内容になります。そのため、証人が客観的事実に反しないと思いながら記憶どおりに陳述したところ、実際には客観的事実に合致していなかった場合、客観説からも故意を欠き、偽証罪は成立しません。記憶に反する事実を客観的事実に反しないと信じて陳述し、実際には客観的事実に合致していなかった場合も、客観説からは故意を欠いて成立しません。この場合、主観説からは成立します。
- 記憶に反する+客観的事実に合致主観説:成立する/客観説:成立しない
- 記憶に反する+客観的事実に反する(反すると思っていた)主観説:成立する/客観説:成立する
- 記憶に反する+客観的事実に反する(反しないと信じていた)主観説:成立する/客観説:故意を欠き成立しない
- 記憶どおり+客観的事実に反する(反しないと思っていた)主観説:成立しない/客観説:故意を欠き成立しない
客観説には、真実と考えて陳述しさえすれば偽証罪が成立しなくなるという批判が向けられます
客観説に対しては、証人が記憶に反する事実を客観的な真実に合致していると考えて陳述しさえすれば、偽証罪が成立しないことになってしまうという批判が向けられます。犯人を見たときは甲に見えたが、その後、真実は甲ではないと考えるに至り、「犯人が甲でないことは間違いない。」と陳述した証人について、真実は甲が犯人であった場合、主観説からは記憶に反する陳述として偽証罪が成立しますが、客観説からは客観的事実に反することの認識がなく成立しません。いずれの説からも成立するとはいえません。また、客観説でも、虚偽かどうかを事件全体との関係ではなく個々の陳述との関係で判断すれば、成立する範囲が広がります。事件現場におらず何も見ていない証人が「私は,事件現場にいて,甲がVを包丁で刺したのを見た。」と陳述した場合、真実甲が刺したのであっても、現場にいて見たという部分は客観的事実に反するので、個々の陳述との関係で判断すれば客観説からも偽証罪が成立します。
偽証を教唆した者には教唆犯が成立し、自白すれば刑を減軽・免除することができます
偽証罪を犯した者が、証言をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができます(170条)。誤った裁判を防ぐための政策的な規定で、効果は任意的な減軽・免除です。自白しても偽証罪が成立したことに変わりはありません。共犯の成立には正犯の行為が構成要件に該当し違法性を具備することを要するとする見解からは、偽証をした証人が判決言渡し前に自白した場合でも、偽証を唆した者に偽証罪の教唆犯が成立し得るという結論になります。被告人が自己の事件について他人に偽証を教唆した場合も、判例は偽証罪の教唆犯の成立を認めています(最決昭和28年10月19日)。なお、偽証罪には親族による犯罪に関する特例(105条)の適用はありません。
刑法169条
法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の拘禁刑に処する。
刑法170条
前条の罪を犯した者が、その証言をした事件について、その裁判が確定する前又は懲戒処分が行われる前に自白したときは、その刑を減軽し、又は免除することができる。
論文ではこう使う
論文では、被告人が知人にアリバイの証言を頼み、知人が法廷で宣誓のうえ証言した、という事例で使います。まず、証人について偽証罪の成否を検討します。「虚偽の陳述」の意義について、証人の役割は体験した事実を記憶のとおりに述べることにあり、記憶に反する陳述自体が審判作用を害する危険をもつことを理由に、記憶に反する陳述をいうと解する主観説を示します。そのうえで、証人の陳述がその記憶に反していたかを問題文の事実から認定します。陳述がたまたま真実に合致していたとしても結論は変わりません。次に、証言を頼んだ被告人について、被告人自身は偽証罪の主体にならないことを確認したうえで、他人に偽証を教唆した場合に教唆犯が成立するかを論じます。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。