議院内閣制の本質とは
ぎいんないかくせいのほんしつ
議院内閣制の本質とは、内閣が議会の信任に依拠して存立し議会に対して責任を負うという議院内閣制の核心を何に求めるかという問題です。議会に対する責任に求める責任本質説と、政府が議会の解散権をもち両者が均衡することにまで求める均衡本質説が対立します。
学校の生徒会長を全校投票で選ぶ学校もあれば、生徒会の委員の中から委員たちが選び、信頼を失えば辞めさせられる学校もあります。日本の内閣は後者に近く、国会が内閣総理大臣を指名し、内閣は国会に責任を負い、衆議院が不信任を決議すれば総辞職か解散を迫られます。この仕組みの核心が「国会への責任」にあるのか、それとも「内閣が国会を解散できる対抗関係」にまであるのかで、内閣が自由に解散できるかの答えが変わってきます。
議院内閣制は、内閣が議会の信任に依拠して存立する制度です
議院内閣制は、行政府の長が国民から直接選ばれる大統領制と対比されます。日本国憲法がこれを採用していることは、複数の条文の組合せから読み取られます。「日本国憲法は、国会による内閣総理大臣の指名、内閣の国会に対する連帯責任のほか、衆議院の内閣不信任決議権や衆議院の解散などを定めていることから、議院内閣制を採用していると解される」という肢は正しいです。憲法に「議院内閣制」という言葉があるわけではなく、指名・連帯責任・不信任決議・解散という制度の束からそう解されています。「名簿式比例代表制という選挙方法は,政党が作成した候補者名簿に有権者が投票するので,憲法が保障する直接選挙の原則に反するか否か問題となるが,最高裁判所は,選挙人の総意により当選人が決定される点において,直接選挙の原則に反しないと判示した」という肢も正しく、最大判平成11年11月10日(衆議院小選挙区比例代表並立制の合憲性)と最大判平成16年1月14日(参議院非拘束名簿式比例代表制の合憲性)は、いずれも、投票の結果すなわち選挙人の総意により当選人が決定される点で候補者個人を直接選ぶ方式と異なるところはないとしました。国会議員がこうして国民に直接選ばれ、その国会が内閣を支えるという回路が、国会と内閣を厳格に分離せず協働させる議院内閣制の土台になります。
- 責任本質説議院内閣制の本質は、内閣が議会に対して連帯して責任を負う点にある。政府が議会の解散権をもつことは本質的要素ではなく、あってもなくてもよい
- 均衡本質説議院内閣制の本質は、内閣の議会に対する責任に加えて、政府と議会が抑制と均衡の関係に立つ点にもある。政府が議会の解散権をもつことが本質的要素になる
責任本質説は、内閣の国会に対する連帯責任を本質とみます
責任本質説は、内閣が議会に対して責任を負い、信任を失えば地位を去るという点にこそ議院内閣制の核心があるとします。したがって、この説からは、政府が議会の解散権をもつかどうかは制度の本質と無関係です。「議院内閣制に関する責任本質説は,内閣の国会に対する連帯責任,衆議院の内閣不信任決議権,内閣の衆議院解散権を,議院内閣制の必須の要素としている」という肢は誤りです。解散権を必須の要素に数えているのは均衡本質説であって、責任本質説ではありません。議会と政府の分立、政府の議会に対する連帯責任という二つの要素はどちらの説も認めており、争いは解散権を本質に含めるかにあります。
均衡本質説は、政府が議会の解散権をもつことまでを本質に含めます
均衡本質説は、議会が内閣を倒せる一方で内閣が議会を解散できるという、相互に対抗手段をもつ関係を議院内閣制の本質とみます。「内閣の衆議院解散権の根拠を議院内閣制自体に求める見解は,政府が議会の解散権を有し,政府と議会が均衡していることが,日本国憲法が採用する議院内閣制の本質的要素であるとの考えに基づいている」という肢は正しいです。この説をとると、69条の場合に限らず内閣が自由に解散できるという結論を導きやすくなります。逆に責任本質説からは、解散権の根拠を議院内閣制そのものに求めることはできず、7条3号など別の条文に根拠を探すことになります。
議院内閣制から解散権を導く見解には、概念が一義的でないという批判があります
解散権の根拠を議院内閣制の本質に求める見解には、有力な批判があります。「日本国憲法は議院内閣制を採っていると理解できるから,この制度の本質からして内閣には自由な解散権が認められるという説に対しては,議院内閣制の概念は一義的ではないという批判がなされている」という肢は正しいです。議院内閣制の内容そのものが学説で分かれている以上、それを前提に解散権の範囲を決めるのは循環だ、という指摘です。実務が依拠しているのは7条3号を根拠とする見解です。「天皇の国事行為は元来政治的なものであるが,天皇は拒否権を持たないため,国事行為について「助言と承認」を行う内閣に実質的決定権があるという見解によれば,憲法第7条により内閣の衆議院解散権が基礎付けられる」という肢は正しく、また「現在の実務は,内閣の自由な衆議院解散権を憲法第7条で根拠付けているが,最高裁判所は,これが妥当な憲法解釈であるか否かについて判断を示していない」という肢も正しいです。最大判昭和35年6月8日(苫米地事件)は、衆議院の解散が依拠する憲法の条章の適用を誤ったか、助言と承認に瑕疵があったかの判断は裁判所の審査権の外にあるとして本案判断を避けており、解散権の根拠そのものには踏み込んでいません。
内閣の法律案提出権は、国会と内閣の協働から説明されます
憲法には内閣に法律案の提出権を認める明文がありませんが、内閣法5条がこれを認めています。その合憲性を支えるのが、議院内閣制のもとでの国会と内閣の協働という理解です。「憲法には内閣に法律案の提出権を認める規定はないものの、憲法では議院内閣制が採用されていることや、内閣に法律案の提出権を認めたからといって当然に国会の議決権が拘束されるわけではないことは、法律で内閣に法律案の提出権を付与することが憲法上禁じられていないと解する根拠となり得る」という肢は正しいです。提出された法律案を審議し可決するかどうかは国会が決めるのですから、国会の立法権を侵すことにはなりません。他方で「内閣の法律案提出権が認められるのは,議院内閣制においては国会と内閣との協働が当然に要請されており,憲法第72条の「議案」に法律案も含まれるからであるとの立場に立ったとしても,法律により内閣の法律案提出権を否定することができる」という肢は誤りです。憲法上当然に認められる権限だと解する以上、法律でこれを奪うことはできない、という帰結になります。
現代の議院内閣制では、対抗関係が与党と野党の間に移ります
制度の建前では議会と政府が対抗しますが、実際には議会の多数派が内閣を組織するため、両者は一体として動きます。「議会の多数党が政府を形成する議院内閣制の下では,とりわけ,伝統的な議会と政府の対抗関係は機能不全に陥りがちである,政治部門における権力分立は,むしろ,政府・与党と野党の対抗関係へと機能的に変化する」という肢は正しいです。国政調査権や少数派の議院内での権利が重視されるのは、この現実を踏まえてのことです。権力分立の現代的変容として、行政国家化・政党国家化・司法国家化と並べて問われます。議会と政府の対抗を前提にした制度が働きにくくなる分、野党や少数会派に調査と追及の手段を保障することが、権力分立の趣旨を実質的に支えることになります。
憲法 第69条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
論文ではこう使う
論文では、解散権の限界や独立行政委員会の合憲性を論じるときの出発点になります。まず日本国憲法が議院内閣制を採用していることを条文の束から示し、次にその本質をどう捉えるかを責任本質説と均衡本質説の対立として提示します。そのうえで、自説から解散権の根拠と範囲を導く、という順序で書きます。議院内閣制の本質論だけで結論まで走らないようにします。実務が7条3号を根拠としていること、最高裁が苫米地事件で本案判断を避けたことにも触れ、条文上の根拠と制度の本質論を組み合わせて論じると、説得力が出ます。解散権の限界を論じるときも、議院内閣制の本質から一気に結論を出すのではなく、民意を問う必要があるかという実質的な基準に落としてから当てはめます。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。