司法権の限界(統治行為・部分社会)とは
しほうけんのげんかい
司法権の限界とは、法律上の争訟に当たる紛争であっても、事柄の性質上、裁判所の審査が及ばない場合をいいます。憲法が明文で定める議員の資格争訟(55条)と弾劾裁判(64条)のほか、統治行為、議院の自律権に属する事項、団体の内部事項という解釈上の限界が論じられます。
学校の中で部活の部長を誰にするかで揉めても、先生や校長はまず部の自治に任せ、いきなり判定に乗り出しません。裁判所も同じで、権利義務の争いの形をしていて法令で決着がつく事件でも、衆議院の解散のように政治部門と国民の判断に委ねるべき行為や、議院が自分で決めるべき議事手続、大学や政党の内部の問題には、あえて立ち入りません。争訟性が認められる入口を通ったあとで、なお裁判所が手を引く場面を扱うのがこの用語です。
統治行為は、高度の政治性ゆえに司法審査の外に置かれます
最大判昭和35年6月8日(苫米地事件)は、衆議院の解散について統治行為の法理を用いました。「衆議院の解散に対する有効無効の判断は,たとえ法律上可能であっても裁判所の審査権の外にあり,主権者たる国民に対して政治的責任を負う政府,国会等の政治部門に任され,最終的には国民の政治判断に委ねられている」という肢は正しいです。根拠は三権分立の原理に求められており、裁判所が政治的な判断に巻き込まれることを避ける点にあります。「苫米地事件判決(最大判昭和35年6月8日)は,法律上の争訟の要件が満たされる事案であっても,高度の政治性を有する国家行為に関しては,実際的必要性の観点から,裁判所が司法判断を下すのを自制すべきであるとしたものである」という肢は誤りです。判例が採ったのは、裁判所が審査権をもちながら行使を控えるという自制説ではなく、そもそも審査権の外にあるとする内在的制約説と理解されています。
- 憲法が明文で定める限界議員の資格争訟の裁判(55条)と裁判官の弾劾裁判(64条)。これらは各議院と弾劾裁判所の権限とされ、裁判所に出訴できない
- 統治行為直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為。国民に対して政治的責任を負う政治部門の判断に委ねられる
- 議院の自律権に属する事項議事手続や議員の懲罰など、各議院の自主性を尊重すべき事項
- 団体の内部事項(部分社会の法理)大学・政党・宗教団体などの自律的な団体の内部規律の問題。一般市民法秩序と直接の関係を有しない限り審査が及ばない
砂川事件は、一見極めて明白に違憲無効でない限り審査しないとしました
最大判昭和34年12月16日(砂川事件)は、日米安全保障条約について、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものであり、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは司法審査の範囲外にあるとしました。苫米地事件のように審査を全面的に排除するのではなく、明白な違憲の場合には審査の余地を残している点が違います。条約が81条の列挙する対象に含まれるかという審査権の有無の問題と、審査権があるとしてどこまで行使するかという限界の問題は、別の段階の議論です。
議院の自律権に属する議事手続は審査されません
最大判昭和37年3月7日(警察法改正無効事件)は、両院で議決を経たものとされ適法な手続で公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべきであるとしました。「警察法改正無効事件判決(最大判昭和37年3月7日)は,警察法改正が衆参両院において議決を経たとされ,適法な手続で公布されている以上,裁判所は両院の自主性を尊重すべきであり,議事手続に関する事実を審理してその有効無効を判断すべきでないとしたものである」という肢は正しいです。議事の混乱の有無を裁判所が事実認定して法律の効力を否定すれば、成立した法律の効力が長く不安定になります。議員の懲罰や資格争訟についても同じ発想で、各議院の自律に委ねられます。
部分社会の法理は、団体の内部事項を自治に委ねます
最判昭和52年3月15日(富山大学単位不認定事件)は、大学の単位授与行為は特段の事情のない限り純然たる大学内部の問題であるとしました。「「大学の単位認定行為は,特段の事情のない限り,純然たる大学内部の問題であって,大学の自主的な判断に委ねられるべきだから,司法審査の対象とならないとした判例もあったな」」という肢は正しく、反対に「大学の単位の授与(認定)という行為は、学生が履修した授業科目について合格したことを確認する教育上の措置であり、卒業の要件をなすものであるから、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであることは明らかである,それゆえ、純然たる大学内部の問題とはいえず、大学の自主的、自律的な判断のみに委ねられるべきものではなく、裁判所の司法審査の対象となる」という肢は誤りです。もっとも限界はあります。「「判例の考え方からすると,特定の授業科目の単位の取得が国家資格取得の前提要件とされている場合には,大学の単位認定行為が司法審査の対象になる可能性もあるね」」という肢は正しいです。同判決は、特定の授業科目の単位の取得それ自体が一般市民法上一種の資格要件とされる場合を特段の事情の例に挙げており、専攻科の修了認定も学生の身分に関わるとして審査が及ぶとされました。一般市民法秩序と直接の関係を有するかどうかが分かれ目になります。
地方議会の出席停止の懲罰は、司法審査に服します
最大判令和2年11月25日(岩沼市議会事件)は、従来の判例を変更し、出席停止の懲罰も司法審査の対象になるとしました。「地方議会の議員に対する出席停止の懲罰に関し、その懲罰を受けた議員が取消しを求める訴えは、法令の適用によって終局的に解決し得る法律上の争訟に当たるところ、議会により出席停止の懲罰処分を科されると、その議員は、住民の負託を受けた議員としての責務を十分に果たすことができなくなるから、当該処分が議会の自律的な権能に基づいてなされたものとして、議会に一定の裁量が認められるとしても、裁判所は、常にその適否を判断することができ、司法審査の対象となる」という肢は正しいです。議員が住民の負託を受けた責務を果たせなくなる点が重視されました。「「自律的な団体の内部紛争に対して司法審査が及ぶかという問題に関して,地方議会には,国会の両議院のような自律権はないものの,地方議会議員に対する懲罰としての除名処分は,内部規律の問題であるから,司法審査の対象とはならないとした判例があるよ」」という肢は誤りで、最大判昭和35年10月19日も、除名処分は議員の身分の喪失に関する重大事項で単なる内部規律の問題にとどまらないとして、従来から司法審査の対象としてきました。「「判例の考え方からすると,発声障害により自ら発声することができない地方議会議員が,第三者による代読等,自らの発声以外の方法による発言を希望したのに対し,これを認めないという地方議会の決定は,純然たる内部規律の問題であるから,司法審査の対象にはならないことになるね」」という肢も誤りです。名古屋高判平成24年5月11日は、議会での発言は住民の負託を受けた議員の職務の中核で、表現の自由や参政権の行使の一態様でもあるから、代読を認めない決定は純然たる内部規律の問題ではなく司法審査の対象になるとしました。
政党の処分は、適正な手続によったかの範囲でのみ審査されます
最判昭和63年12月20日(共産党袴田事件)は、政党の自律性を広く認めました。「政党が組織内の自律的運営として党員に対してした除名処分は、原則として自律的な解決に委ねるのが相当であり、その除名処分が一般市民法秩序と直接の関係のない内部的な問題にとどまる限り、司法審査の対象とはならず、また、一般市民としての権利利益を侵害する場合であっても、その処分の当否は、当該政党の自律的な規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限りその規範に照らし、規範がない場合は条理に基づき、適正な手続にのっとってされたか否かによって決すべきであり、司法審査もこの点に限られる」という肢は正しいです。審査が及ぶ場合でも、処分の内容の当否ではなく、自律的規範が公序良俗に反しないか、その規範にのっとった適正な手続がとられたか、という範囲に限られます。団体ごとに、審査が及ぶかどうかだけでなく、及ぶとしてどの深さまで及ぶかが違います。
最大判昭和35年6月8日(苫米地事件)
直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり、その判断は主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられているものと解すべきである。
論文ではこう使う
論文では、法律上の争訟に当たることを確認したうえで、なお審査が及ばないかを検討する段階で使います。統治行為を論じるときは、三権分立と民主的正統性の欠如という根拠を示し、対象となる行為が国家統治の基本に関する高度の政治性をもつかを当てはめます。団体の内部紛争では、部分社会という言葉に頼らず、当該団体の自律性の根拠がどこにあるか、問題となっている処分が構成員の一般市民としての権利利益に影響するかを順に検討します。岩沼市議会事件以降は、内部規律だから審査が及ばないという書き方が通りにくくなっている点に注意します。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。