内閣の総辞職と衆議院の解散(69条・7条3号)とは
そうじしょくとかいさん
内閣の総辞職とは、内閣が全員そろって職を辞することをいい、衆議院の解散とは、任期満了前に衆議院議員全員の資格を失わせることをいいます。衆議院が不信任決議案を可決し、または信任決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、内閣は総辞職しなければなりません(69条)。
会社の社長が取締役会から「もう任せられない」と突きつけられたら、辞めるか、株主に直接判断を求めるかのどちらかを選ぶことになります。内閣と衆議院の関係も似ています。衆議院が内閣を信任しないと決議したとき、内閣は10日以内に衆議院を解散して国民に選び直してもらうか、総辞職するかを選ばなければなりません。内閣は国民に選ばれた衆議院の信任のうえに立っているからです。同じ理由で、総選挙で衆議院の顔ぶれが変わったあと最初の国会が開かれたときも、内閣はいったん総辞職して、新しい衆議院に首相を選び直してもらいます。
総辞職が必要なのは、三つの場合に限られます
内閣が総辞職しなければならないのは、69条の不信任決議から10日以内に解散しなかったとき、内閣総理大臣が欠けたとき、衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったときの三つです(69条・70条)。70条の文言を正確に覚えることが出発点です。「衆議院議員総選挙又は参議院議員通常選挙の後に初めて国会が召集されたときは、憲法の規定により、内閣は、総辞職をしなければならない」という肢は誤りです。参議院の通常選挙の後には総辞職しません。衆議院議員総選挙の後だけが総辞職事由です。内閣の存立は衆議院との信任関係に立っており、解散と総選挙で議員全員が選び直された衆議院のもとで首相の指名をやり直す必要があるのに対し、参議院は解散がなく3年ごとに半数が改選されるにとどまるからです。また、「衆議院において内閣不信任決議案が可決されたときは,10日以内に衆議院が解散されない限り,内閣は総辞職をしなければならないが,参議院における問責決議には,かかる法的効力はない」という肢は正しいです。69条は文言上衆議院に限られており、参議院の問責決議は政治的な意味をもつにとどまり、69条の効果は生じません。
- 不信任決議から10日の経過69条。解散するか総辞職するかを内閣が選ぶ
- 内閣総理大臣が欠けたとき70条前段。死亡、辞職、国会議員の地位の喪失など
- 衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があったとき70条後段。参議院の通常選挙の後には総辞職しない
- 総辞職後の職務継続71条。新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続き職務を行う
「内閣総理大臣が欠けたとき」の意味が問われます
欠けたときに何が含まれるかは頻出です。欠けたときとは、死亡、失踪、国会議員の地位の喪失など、内閣総理大臣がその地位を法律上失った場合をいい、病気や一時的な海外滞在のような一時的な故障は含みません。「内閣の総辞職について規定している憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」とは,内閣総理大臣が死亡した場合のほか,憲法第58条第2項に基づき内閣総理大臣が除名により国会議員の地位を失った場合に限られる」という肢は誤りで、除名の場合に限られません。国会議員であることは首相の就任要件であるだけでなく在職要件でもあると解されていますから(67条1項)、資格争訟の裁判(55条)や当選無効で議員の地位を失った場合も含まれます。「内閣総理大臣は、国会議員でなければならないから、国会議員の当選の効力に関する訴訟の結果、自己の当選が無効となったときは、憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」に当たり、内閣は、総辞職をしなければならない」という肢は正しいです。自発的な辞職を含むかについては争いがありますが、「内閣の総辞職について定める憲法第70条の「内閣総理大臣が欠けたとき」には内閣総理大臣の辞職の場合を含まないとする見解によっても,その首長たる地位に鑑みれば,内閣総理大臣が辞職したときには,内閣は総辞職しなければならない」という肢が正しいとおり、含まないとする見解からも首長性を理由に総辞職が導かれます。内閣総理大臣は内閣の首長であり(66条1項)、国務大臣の任免権を専権としてもつ(68条)のですから、首長を失った内閣がそのまま存続することは考えられないからです。なお総辞職しても、新たな内閣総理大臣が任命されるまで引き続き職務を行います(71条)。
解散権の根拠は、7条3号に求められています
憲法は解散の決定主体を明示していません。実務は、天皇の国事行為である衆議院の解散(7条3号)に対する内閣の助言と承認に実質的決定権を読み込む7条説によっており、昭和27年のいわゆる抜き打ち解散以降、不信任決議を経ない解散が繰り返されて慣行として定着しています。「現在の実務は,内閣の自由な衆議院解散権を憲法第7条で根拠付けているが,最高裁判所は,これが妥当な憲法解釈であるか否かについて判断を示していない」という肢は正しいです。最大判昭和35年6月8日(苫米地事件)は、解散が依拠する憲法の条章の適用を誤ったために無効かどうか、内閣の助言と承認に瑕疵があったために無効かどうかは裁判所の審査権に服しないとしており、7条説の当否には触れていません。この説には批判もあります。「衆議院の解散に係る天皇の国事行為を定める憲法第7条第3号に、内閣の衆議院解散権の根拠を求める見解に対しては、最初から形式的行為にすぎない天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認を、衆議院解散の実質的決定権の根拠とすることはできないとの批判がある」という肢は正しいです。天皇は国政に関する権能をもたず(4条1項)、国事行為はもともと形式的・儀礼的な行為だからです。もっとも、批判の帰結を誤る肢に注意します。「憲法第7条で挙げられた国事行為はもともと形式的・儀礼的行為であるから,同条により内閣の衆議院解散権を根拠付けることはできないという説によれば,解散は衆議院が自律的に決定したときにのみ可能であるということになる」という肢は誤りで、7条説を否定しても69条説や、権力分立と議院内閣制という憲法全体の構造に根拠を求める制度説などの道が残り、自律的解散だけが残るわけではありません。解散権が内閣に属することにはほぼ争いがなく、争われているのはその憲法上の根拠です。
69条限定説からは、不信任の場合に限られます
69条の場合にのみ解散できるとする見解もあります。この説からは、内閣が民意を問いたいというだけでは解散できません。「内閣が衆議院解散を決定できるのは憲法第69条所定の場合に限るという説によれば,解散は新たな政治問題が生じた場合に国民の判断を求める制度であるということになる」という肢は誤りです。新たな政治問題について国民の判断を求める制度だと理解するのは、解散権を広く認める見解の側です。限定説の弱点は、内閣と衆議院の対立が不信任という形をとらない場合に民意を問えなくなる点にあります。他方、7条説のように解散を広く認めると、内閣が与党に有利な時期を選んで解散を繰り返すことになり、議会の任期の保障が形骸化するという批判が向けられます。解散権の根拠論は、この二つの不都合のどちらを重くみるかの選択でもあります。
衆議院の自律的解散は認められていません
衆議院が自ら解散決議をして解散できるかという論点があります。「衆議院が解散決議をして自律的に解散することはできないとする見解は、自律的解散を認めると、衆議院の多数派の意思によって少数派の議員たる地位を奪うことが可能になることや、自律的解散について憲法に明文の規定がないことをその根拠としている」という肢は正しいです。多数派の決議で少数派の議員の地位まで失わせることになる点と、明文の規定がない点が理由です。議員の任期は憲法が保障する地位ですから(45条)、任期満了前にこれを失わせるには憲法の明文の授権が要り、解釈で新しい解散の類型を作ることはできないと考えるのです。解散権の限界としては、東京高判昭和29年9月22日(抜き打ち解散事件)や名古屋高判昭和62年3月25日(解散権行使の限界――衆参同日選挙事件)で争われましたが、いずれも解散を無効とはしていません。
苫米地事件は、解散の効力を審査しませんでした
最大判昭和35年6月8日(苫米地事件)は、衆議院の解散を統治行為として審査の対象から外しました。「最高裁判所は、衆議院の解散は憲法第81条にいう「処分」であって、裁判所の違憲審査の対象となるが、極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であるから、その法律上の有効無効を審査することは裁判所の権限の外にあるものとした」という肢は誤りです。判決は、81条の「処分」に当たるとして違憲審査の対象になると述べたうえで審査を控えたのではなく、直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為は、法律上の争訟となり有効無効の判断が法律上可能な場合でも裁判所の審査権の外にあるとしました。審査の対象になることを前提とする書きぶりが誤りです。事案は、解散によって議員の地位を失った者が歳費の支払を求めたもので、訴え自体は法律上の争訟に当たっていました。争訟性を認めたうえで審査を及ぼさないという構造を、ここで確認しておきます。
憲法 第70条
内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。
論文ではこう使う
論文では、解散の適否や総辞職の要否が問われたときに使います。まず69条と70条の条文から総辞職事由を確定し、次に解散権の根拠を7条3号に求める立場を示して、その理由と批判を簡潔に述べます。解散権の限界を論じるときは、国民に信を問う必要があるかという実質的な観点から、抜き打ち解散や同日選挙の事案を参照します。最後に、解散の効力を裁判で争えるかについて苫米地事件の枠組みに触れ、統治行為として本案判断に入らないという結論を示します。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。