天皇の国事行為と内閣の助言と承認とは
てんのうのこくじこういとないかくのじょげんとしょうにん
天皇の国事行為と内閣の助言と承認とは、天皇が行える行為を憲法の定める国事に関する行為に限り、そのすべてに内閣の助言と承認を必要として内閣が責任を負う仕組みです。天皇は国政に関する権能を有しません。
ニュースでは、天皇が法律を公布した、内閣総理大臣を任命した、と報じられます。けれども、その法律の中身を決めたのは国会で、誰を総理大臣にするかを決めたのも国会です。天皇は決められたことを形式として行うだけで、その一つ一つに内閣が助言と承認を与え、責任も内閣が負います。主権が国民にある以上、選挙で選ばれていない天皇に政治の判断をさせないためです。
国事行為は6条と7条に限定列挙され、天皇は国政に関する権能を有しません
国事行為とは、天皇が行う憲法所定の形式的儀礼的な行為をいいます。4条1項は、天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しないと定めます。3条は、天皇の国事に関するすべての行為には内閣の助言と承認を必要とし、内閣が責任を負うとします。国事行為は6条と7条に限定列挙されており、7条は次の10号を挙げます。
- 1号・2号・3号憲法改正、法律、政令及び条約の公布、国会の召集、衆議院の解散
- 4号・5号国会議員の総選挙の施行の公示、国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使公使の信任状の認証
- 6号・7号・8号大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権の認証、栄典の授与、批准書及び法律の定めるその他の外交文書の認証
- 9号・10号外国の大使及び公使の接受、儀式を行ふこと
6条の任命と7条5号の認証は別の行為で、認証は効力要件ではありません
6条は、天皇が国会の指名に基づいて内閣総理大臣を、内閣の指名に基づいて最高裁判所の長たる裁判官を任命すると定めます。これに対し7条5号の認証は、任免そのものではなく、任免が正当な手続でされたことを公に証明する行為です。したがって、国務大臣を任命するのは内閣総理大臣であり、天皇はその認証をするにとどまります。認証は効力要件ではありませんから、内閣総理大臣が国務大臣を任命した時点で合議体としての内閣が成立します。「国務大臣の任命は天皇により認証されるが、認証は効力要件ではないから、内閣総理大臣が国務大臣を任命した時点で、合議体としての内閣が成立する」という肢は正しいです。同じように、条約を締結する権限は内閣にあり(73条3号)、天皇は批准書を認証するだけです。「条約を締結する権限は内閣にあるが、批准を要する条約についての批准書の認証は天皇の国事行為である」という肢は正しいです(7条8号)。また、栄典は授与自体が国事行為とされており(7条7号)、恩赦の認証と異なり授与の認証を国事行為としてはいません。恩赦を決定するのは内閣で(73条7号)、天皇はその認証をします(7条6号)。「憲法は、恩赦の認証と異なり、栄典の授与自体が天皇の国事行為であるとしており、栄典の授与の認証を国事行為とはしていない」という肢は正しいです。
助言と承認は例外なく必要で、天皇には拒否権がなく、天皇の行為がなければ効力も生じません
国事行為には例外なく内閣の助言と承認が必要です。「国会の議決で内閣総理大臣を指名している以上、天皇が内閣総理大臣を任命するに当たって内閣の助言と承認は不要である」という肢は誤りです。内閣総理大臣の指名は国会が実質的に決めるので、内閣が助言と承認をしても無意味だという考え方もありますが、3条は「すべての行為」と書いており、不要な場合があると読むのは文言に反します。国事行為は形式的儀礼的な行為ですが、形式的だから助言と承認が要らないのではなく、天皇の行為から政治性を除くために内閣が責任を負う仕組みになっています。天皇の側から見れば、内閣の助言と承認があってはじめて行為ができるという歯止めにも意味があります。もっとも、国事行為が形式的だからといって、天皇の行為がなくても効力が生じるわけではありません。「国事行為としての天皇の行為がなくても、政令の公布や国会の召集の法的効力は発生する」という肢は誤りです。政令の公布は7条1号、国会の召集は7条2号が天皇の行為として定めており、最大判昭和32年12月28日も、法令が国民を拘束するには公布によって一般国民の知りうべき状態に置かれることが前提要件であり、7条1号がその公布を天皇の国事行為として定めていると述べています。他方、条約は内閣の締結と国会の承認によって国家の意思として確定し、条約自身の定める発効要件で効力を生じますから、公布は成立要件ではありません。「天皇が国事行為として公布することによって有効に成立する」という肢も誤りです。公布によって生じるのは、すでに成立している条約の国内での効力です。この仕組みは衆議院の解散権の根拠としても使われます。天皇の国事行為は元来政治的なものであるが、天皇は拒否権を持たないため、助言と承認を行う内閣に実質的決定権があるという見解によれば、7条により内閣の衆議院解散権が基礎付けられます。「天皇の国事行為は元来政治的なものであるが、天皇は拒否権を持たないため、国事行為について助言と承認を行う内閣に実質的決定権があるという見解によれば、憲法第7条により内閣の衆議院解散権が基礎付けられる」という肢は正しいです。これが7条説で、実務はこの立場によっており、69条の場合以外の解散が繰り返し行われてきました。これに対しては、最初から形式的行為にすぎない天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認を、衆議院解散の実質的決定権の根拠とすることはできない、という批判が向けられます。国事行為は元来形式的儀礼的な行為だという理解に立てば、「元来政治的なもの」という前提そのものが成り立たないからです。69条の場合に限るとする見解や、65条の行政権や議院内閣制の本質から導く見解との対比で問われます。
国会開会式のおことばの位置付けは三つの見解に分かれます
国会開会式のおことばのように、国事行為にも私的行為にも当てはまらない行為をどう位置付けるかが争われます。象徴としての地位に基づく公的行為と捉える見解は、国家機関として行動する天皇と象徴として立ち現れる天皇を分け、機関としての行為は4条2項のように委任できるが、象徴としての行為は天皇その人と結び付いていて委任できないと説きます。この見解には、象徴としての地位が天皇の一身専属のものであることを前提にすると、天皇の権能を代行する摂政はおことばを述べることができないのではないかという問題点があります。「象徴としての地位が天皇の一身専属のものであることを前提にすると、天皇の権能を代行する摂政はおことばを述べることができないのではないかという問題点がある」という肢は正しいです。国事行為である国会の召集と密接に関連する準国事行為と位置付ける見解は、国事行為に準ずるものとして3条の助言と承認を及ぼし、内閣に責任を負わせることを狙いとします。ですから「準国事行為と位置付ける見解については、おことばについて内閣による助言と承認を通じたコントロールを及ぼす余地がなくなるという問題点がある」という肢は誤りです。内閣の統制が及ばなくなるという批判は、むしろ公的行為を広く認める見解に向けられるものです。7条10号の「儀式を行ふ」に含まれるという見解は、天皇が自ら儀式を主宰する場合だけでなく、式に参列して儀式的儀礼的行為を行うことも「儀式を行ふこと」に当たると解釈することを前提にしています。国会開会式は国会が主催し、天皇は招かれて出席するにすぎないからです。したがって、この見解には、「儀式を行ふ」を「儀式を主宰する」と解すると文理上無理があるという問題点があります。「上記「儀式を行ふ」を「儀式を主宰する」という意味に解すると、文理上無理があるという問題点がある」という肢は正しいです。なお、7条10号の儀式は国家的全国民的な性格をもち、20条3項との関係で宗教的性格をもたないものに限られます。即位の礼はこれに当たりますが、大嘗祭は天皇が自ら神を祀る宗教的性質の儀式ですから7条10号の儀式には当たらず、国事行為として行うことはできません。「大嘗祭は、即位の礼と同様に憲法第7条第10号の定める儀式に当たるから、国事行為として行うことができる」という肢は誤りです。
摂政と国事行為の委任は事由も担い手も異なります
4条2項の国事行為の委任は、国事行為の臨時代行に関する法律の定める事由が発生した場合に、天皇が内閣の助言と承認に基づいて委任するものです。同法2条1項は、天皇に精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、摂政を置くべき場合を除き、内閣の助言と承認により国事行為を皇族に委任して臨時に代行させることができると定めます。委任も天皇の国事に関する行為ですから、3条により内閣の助言と承認に基づいて行われます。「憲法第4条第2項の定める国事行為の委任は、憲法第5条の定める摂政を置く場合とは異なり、国事行為の臨時代行に関する法律の定める事由が発生した場合に、天皇が内閣の助言と承認に基づいて国事行為を委任するものである」という肢は正しいです。これに対し5条の摂政は、皇室典範の定めるところにより置かれ、天皇の名で国事行為を行います。皇室典範16条は、天皇が成年に達しないときには当然に、天皇が精神若しくは身体の重患又は重大な事故により国事行為を自らすることができないときには皇室会議の議により、摂政を置くとします。摂政は天皇の委任によって置かれるのではなく、法定の事由があれば置かれる機関です。したがって、「天皇は、精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、国事行為を委任することができる」という肢は、摂政の事由と委任の要件を混ぜており誤りです。この肢は続けて「この場合には、摂政が天皇の名で国事行為を行う」としますが、委任を受けて国事行為を行うのは臨時代行者である皇族であって、摂政ではありません。
天皇は民事裁判権に服さず、人権の保障も国民一般と同程度ではありません
最判平成元年11月20日(記帳所事件)は、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であることに基づき、天皇には民事裁判権が及ばないとしました。地方公共団体が設けた記帳所の費用の支出をめぐる住民訴訟で、天皇を被告とする損害賠償請求ができるかが争われた事案です。人権享有主体性については、天皇及び皇族が日本国籍を有し、憲法第3章の「国民」に含まれるとするのが多数ですが、天皇を含めない見解もあります。含まれるとしても、象徴という地位の特殊性と皇位の世襲制から、一般国民には及ばない制約が憲法自身によって予定されています。天皇は国政に関する権能を有しないため政治的な表現の自由は大きく制約され、特定の政党に加入する自由や選挙権・被選挙権は認められず、外国移住の自由と国籍離脱の自由も認められないと解されています。学問の自由や表現の自由にも一定の制約が及びます。「天皇及び皇族は日本国籍を有する日本国民であり、憲法第3章の人権享有主体としての国民に含まれるから、表現の自由、外国移住の自由、国籍離脱の自由及び学問の自由について、国民一般と同程度の保障が及ぶ」という肢は誤りです。
日本国憲法 第3条
天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
論文ではこう使う
論文では、天皇の行為そのものより、7条3号を根拠とする衆議院の解散の限界を論じる場面で使います。7条説を採るとしても、解散は国民に信を問う制度だという趣旨から、重要な政策の変更や国政上の新たな課題が生じた場合など、実質的な理由が必要だと書きます。政教分離が問題になる事案では、即位の礼や大嘗祭への公務員の参列について、最判平成14年7月11日を引いて、社会的儀礼を尽くす目的と効果の限度で許容されると論じます。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。