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日本憲法史と成立の法理とは

にほんけんぽうしとせいりつのほうり

憲法 憲法総論

日本憲法史と成立の法理とは、天皇主権を採り権利を法律の留保の下に置いた明治憲法から、国民主権の日本国憲法へ移った経緯と、その移り変わりを法的にどう説明するかという問題です。日本国憲法は明治憲法73条の改正手続を経て成立しており、その法的な説明として八月革命説が説かれます。

いまの憲法は、形の上では明治憲法を改正して作られました。ところが明治憲法は天皇が主権者で、いまの憲法は国民が主権者です。会社でいえば、定款の変更手続を使って持ち主そのものを入れ替えたようなもので、手続を踏んだだけで説明が付くのかが問われます。憲法の改正には限界があると考えるなら、主権者の交代は改正では説明できません。そこで、ポツダム宣言を受け入れた1945年8月に法的な意味での革命があり、新しい主権者である国民が憲法を作ったのだと説明するのが八月革命説です。

歴史の講義室の場面。黒板に横一本の年表があり、左に「明治憲法:天皇主権」の札、右に「日本国憲法:国民主権」の札、その間の1945年8月の位置に深紅の縦線と札「ポツダム宣言の受諾=法的な意味での革命」。年表の下に「明治憲法73条の改正手続」と

明治憲法は天皇主権を採り、権利は法律の留保に服しました

明治憲法は統治権の総攬者を天皇とし、国民の権利は生まれながらの人権ではなく天皇が臣民に与えた恩恵的な権利とされ、しかも法律の範囲内でのみ保障されました。これを法律の留保といいます。日本国憲法の国民主権と基本的人権の保障は、この構造の否定として表明されたものです。もっとも、その趣旨を推し進めて「日本国憲法下において、少なくとも天皇は国民ではないことは明らかである」とする肢は誤りです。天皇の地位は1条の定める特別の地位ですが、人権享有主体性が当然に失われるわけではなく、その職務の性質に応じて権利が制限されると説明されます。国民に課される義務も、国家への全面的な服従義務を意味するものではありません。「国民主権と基本的人権の保障を旨とする日本国憲法において課される国民の義務は、国家への全面的な服従義務を意味するものではなく、憲法の基本原理と調和する限りにおいて認められるものである」という肢は正しいです。

統帥権は国務大臣の輔弼の外に置かれていました

明治憲法の下では、天皇が有していた、作戦用兵の目的のために陸海軍を統括する統帥権について、国務大臣の輔弼の対象外とされたため、帝国議会は関与し得ませんでした。統帥権の独立と呼ばれる仕組みで、作戦用兵は専門的な判断を機密のうちに迅速に行う必要があるとして政治部門から切り離され、軍部が内閣の統制を離れる制度的な原因となりました。日本国憲法が66条2項で文民条項を置き、内閣が行政権を担うものとしたのは、この経験を踏まえたものです。また、「明治憲法の下では内閣制度は憲法で規定されておらず、帝国議会の権限が強く保障されていたので、各国務大臣は天皇ではなく帝国議会に対して責任を負うとされていた」という肢は誤りです。内閣に憲法上の規定がなかったのは正しいものの、国務大臣は天皇に対して個別に責任を負うとされ、帝国議会は天皇の立法権に協賛する機関にとどまりました。

明治時代の宮中の場面。中央に玉座の絵と札「天皇:統治権の総攬者」。左に文官の男性(札「国務大臣」)が「輔弼」と書いた札を持って玉座に向かい、その横に小さく「帝国議会:立法権に協賛」の札。右に軍服の男性(札「参謀総長」)が「統帥権」と書いた札

内閣総理大臣の地位は同輩中の首席から首長へ変わりました

明治憲法の下で内閣総理大臣は、勅令である内閣官制で各大臣の首班とされるだけの同輩中の首席にすぎず、他の国務大臣に対する指揮監督権も罷免権も持ちませんでした。これに対し日本国憲法は、66条1項で内閣総理大臣を内閣の首長と位置付け、68条で国務大臣の任免権を与え、72条で行政各部の指揮監督権を認めています。これは内閣の一体性と統一性を確保し、内閣の国会に対する連帯責任の強化を図るものです。皇位の継承についても、明治憲法は「皇男子孫之ヲ継承ス」と定めていましたが、日本国憲法は2条で世襲と国会の議決した皇室典範の定めるところによるとするだけで、男系男子主義までも求めるものではありません。

八月革命説は改正限界説を前提に制定を正当化します

「ポツダム宣言の受諾によって主権の所在が天皇から国民に移ったという八月革命説は、憲法改正には限界があるという立場を採りつつ日本国憲法の制定を正当化しようとするものである」という肢は正しいです。宣言の受諾によって天皇主権から国民主権への変更が生じ、日本国憲法はこの新たな主権者による新憲法の制定である、と説明します。改正に限界があり主権の所在は改正手続では変えられないという考え方は、八月革命説がそこから出発する前提ですから、これを述べても八月革命説の批判にはなりません。この説に向けられる批判は、ポツダム宣言は日本に直ちに国民主権の採用を要求したものではなく、国民主権の憲法に改める債務を負わせたにとどまる、というものです。「ポツダム宣言を受諾した1945年8月から革命が漸進的に進行し、占領体制から脱して国家主権を回復したときにその革命が成就した」とする説明は八月革命説ではありませんから、そのような肢は誤りです。八月革命説は受諾の時点で法的な革命があったとする説であり、その後の事実の進行を内容にしていません。

大学のゼミ室で討論している場面。先生が八月革命説の側(札「八月革命説」)で立ち、机の上に「前提:憲法改正には限界がある。主権の所在は改正手続では変えられない」と書いた札を置いている。向かいの学生の男性(札「批判する側」)が二枚の紙を持ち、一

改正無限界説と占領下無効説にもそれぞれ批判があります

憲法改正無限界論を前提に、日本国憲法は明治憲法の改正として有効に成立したと主張する説もあります。社会が変転する場合には法もその変転に伴って変わるというのが法の本質である、という考え方は、この説が自らの根拠として用いる議論ですから、この説への批判にはなりません。これを批判として述べる肢は誤りです。なお、日本国憲法は明治憲法に定められた改正手続を遵守して制定されており、その全面改正として法的に有効に成立した、という説明は、改正無限界説からは導けますが、限界説からは導けません。手続を踏んだことだけで説明が終わるかどうかが分かれ目です。占領下無効説に対しては、ポツダム宣言と降伏文書に従った占領軍の要求は国際法上違法ではなく、また普通選挙で選ばれた議会が草案を審議した以上、国内での国民による自律的判断は存在したといえる、との批判があります。

明治憲法下の法令の効力は個別に判断されます

成立の法理の問題とは別に、明治憲法の下で作られた法令が日本国憲法の下でどこまで効力を持つかという問題があります。国又は公共団体の行為が非権力的な管理作用に属する場合は、明治憲法下でも判例上民法709条以下による不法行為責任がある程度まで認められていました。したがって、17条の意義は、権力作用に属する不法行為との関係で国家無答責の原則を否定し、国家の賠償責任を明記した点にあるといえます。占領期に作られた法令の効力を含め、この問題は明治憲法下の法令・占領法規の効力で扱います。

日本国憲法 前文 第1項

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

論文ではこう使う

憲法史そのものを論文で書くことはまずありませんが、憲法改正の限界を論じる場面で必ず顔を出します。改正の限界を認める立場に立つ理由として、憲法制定権力と憲法改正権の区別を述べ、国民主権と基本的人権の保障は改正できないと結びます。そのうえで、日本国憲法の成立をどう説明するかという問いに八月革命説で答える、という順に組み立てます。限界を認めない立場を採るなら、成立の説明は容易になる代わりに、96条の手続で国民主権を廃止できるという帰結を引き受けることになります。

試験ではこう問われる

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