実行の着手とは
じっこうのちゃくしゅ
実行の着手とは、犯罪の実行行為を開始することをいい、予備と未遂を分ける基準です。判例は、構成要件に該当する行為に密接な行為であって、結果発生に至る客観的な危険性が認められる行為を始めた時点に着手を認めています。
泥棒をしようと道具を買いそろえただけの人と、他人の家に入ってたんすの引き出しに手を伸ばした人とでは、財産が奪われる危険の大きさがまるで違います。刑法は、準備にとどまる段階を原則として処罰せず、犯罪の実行に取り掛かった段階から未遂として処罰します。その境目が実行の着手です。境目は、結果が発生する危険がどこまで差し迫ったかで決まります。
実行の着手は、構成要件に該当する行為に密接で、結果に至る客観的な危険性がある行為を始めた時点に認められます
43条は、未遂犯を「犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者」と定めています。実行の着手は、構成要件に該当する行為そのものを始めた時点に限られません。判例は、構成要件に該当する行為に密接な行為であり、その行為を開始した時点で既に結果に至る客観的な危険性が明らかに認められる場合には、その時点で実行の着手を認めています。最決平成16年3月22日(クロロホルム事件)は、被害者を失神させたうえで海中に転落させて殺害するという計画の下でクロロホルムを吸引させた行為について、行為者の計画を踏まえて密接性と客観的な危険性を判断し、吸引させる行為を開始した時点で殺人罪の実行の着手を認めました。未遂犯が処罰されるのは結果発生の危険を生じさせたからであり、その危険がどの程度差し迫ったかは、行為者が次に何をするつもりであったかを考慮しなければ判断できないからです。
窃盗罪では、物色行為やこれに密接な行為を始めた時点で着手が認められます
窃盗罪の着手は、他人の財物の占有を侵害する行為に密接な行為を始めた時点に認められます。通常の住居では、侵入しただけでは足りず、財物の物色行為に至れば着手が認められます。大判昭和9年10月19日は、物色のためにたんすに近づいた時点で着手を認めており、物色行為に至らなければ着手が認められないということではありません。最決昭和40年3月9日(窃盗罪における実行の着手)は、深夜の店舗内で懐中電灯で照らして電気器具類があると分かったが、なるべく現金を取りたいと考えてタバコ売場の方に行きかけた時点で着手を認めました。「未だレジ内を物色していないので,窃盗罪の実行の着手は認められない」という肢は誤りです。歩いてレジの前に至ったところで警備員に発見された事例について「甲には窃盗罪の実行の着手が認められる」という肢は正しいです。すりについては、ポケットの外側に触れた時点で着手が認められます(最決昭和29年5月6日)。「財布に触っていないので,窃盗罪の実行の着手は認められない」という肢は誤りです。これに対し、財物があるかどうかを確かめるために外側から触れる当たり行為は、着手に当たらないとされています。「電話線を切断していなくても,窃盗罪の実行の着手が認められる」という肢は正しく、「運転席に乗り込む前でも,窃盗罪の実行の着手が認められる」という肢も正しいです。「その入力を誤ったため払戻しを受けることができなかった場合でも,窃盗罪の実行の着手が認められる」という肢も正しいです。土蔵については、内部が財物を保管するためだけに用いられているので、侵入行為に取り掛かった時点で着手を認めた裁判例があります(名古屋高判昭和25年11月14日)。
窃盗罪の着手時期
- 通常の住居侵入しただけでは着手は認められない。物色行為、又は物色のためにたんすに近づいた時点で着手
- 店舗現金を取ろうとしてレジやタバコ売場の方へ行きかけた時点で着手
- 土蔵侵入行為に取り掛かった時点で着手
- すりポケットの外側に触れた時点で着手。当たり行為は着手に当たらない
- 電話線切断用具を当てて切断を始めた時点で着手
- 自動車スペアキーで運転席のドアを開けた時点で着手
- 現金自動預払機カードを挿入して暗証番号を入力した時点で着手。入力を誤っても着手は認められる
性犯罪・放火・殺人・逃走の罪でも、結果に至る客観的な危険性がある行為を始めたかで判断します
最決昭和45年7月28日は、女性をダンプカーの運転席に引きずり込もうとした段階で、既に強姦に至る客観的な危険性が明らかに認められるとして、その時点で着手を認めました。出題当時の強姦罪は、現在は不同意性交等罪です。約5キロメートル先の工事現場に連れ込む計画でV女を殴って失神させ、ダンプカーに乗せて発進させた事例について「甲には強姦罪の実行の着手が認められる」という肢は正しいです。この結論は、計画を踏まえて密接性と危険性を判断するクロロホルム事件の考え方と整合します。ダンプカーに引きずり込む事例で強姦致傷罪の成立を認める見解は「実行の着手時期に関してこの判旨の考え方と矛盾する」という肢は誤りです。放火罪では、目的物に直接点火しなくても、焼損に至る危険のある行為を始めれば着手が認められます。住家を焼損する目的で約50センチメートル隔てて隣接する物置小屋に放火した事例について「甲には現住建造物等放火罪の実行の着手が認められる」という肢は正しいです(大判大正12年11月12日)。30分後に発火して建物に燃え移るように設定した時限発火装置を設置した事例について「甲には現住建造物等放火未遂罪は成立しない」という肢は誤りです。室内にガソリンを散布した時点で着手を認めた裁判例もあります(横浜地判昭和58年7月20日)。殺人罪について、前日の夜に人通りのない通学路に毒入りジュースを置いた事例で「甲には殺人罪の実行の着手が認められる」という肢は誤りです。置いただけでは他人が拾って飲む危険が差し迫っておらず、殺人の予備にとどまるからです。裁判例にも、農道の道端に毒入りジュースを置いた事案で、置いた時点では着手を認めず、被害者が拾って飲む直前に着手を認めたものがあります(宇都宮地判昭和40年12月9日)。加重逃走罪では、逃走の手段としての損壊を始めれば、逃走行為自体に及んでいなくても着手が認められます(最判昭和54年12月25日)。拘禁場の壁を削り取って損壊したが脱出可能な穴を開けるに至らなかった事例について「甲には加重逃走未遂罪は成立しない」という肢は誤りです。
詐欺罪では、現金の交付を求める文言がなくても、交付に直接つながるうそを述べた時点で着手が認められます
詐欺罪の着手は、財物の交付に向けて人を欺く行為を始めた時点に認められます。保険金をだまし取る目的で事故を偽装したり放火したりしただけでは、保険会社に対する欺く行為が始まっていないので、着手は認められません。「自動車を電柱に衝突させた時点で,詐欺未遂罪が成立する」という肢は誤りです。保険金を請求するに至らなかった事例について「甲には詐欺未遂罪は成立しない」という肢は正しいです。最判平成30年3月22日(詐欺罪における実行の着手)は、警察官を装って預金を引き出させ、後に訪問して現金の交付を求める計画の下で、電話でうそを述べた段階で着手を認めました。述べられたうそが、被害者が現金を交付するか否かを判断する前提となるよう予定された事項に係る重要なものであり、現金の交付を求める行為に直接つながるものであったからです。「【判旨】は、実行の着手を判断する際に行為者の犯行計画を考慮する立場を前提としている」という肢は正しく、「詐欺罪の実行の着手が認められるためには必ずしも財物交付要求行為が必要ないとの立場を前提としている」という肢も正しいです。「1回目の電話では実行の着手を認めず、2回目の電話で実行の着手が認められると明示している」という肢は誤りです。この判決の読み方は、各論の「詐欺罪の実行の着手と既遂時期」で詳しく扱います。
刑法43条
犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。
論文ではこう使う
論文では、結果が発生しなかった事例や、計画の途中で発覚した事例で、未遂か予備かを分けるために論じます。まず、未遂犯の処罰根拠が結果発生の危険を生じさせた点にあることから、構成要件に該当する行為に密接な行為であって、結果発生に至る客観的な危険性が認められる行為を開始した時点で着手を認めるという基準を示します。次に、行為者の計画の内容を認定します。そのうえで、問題となる行為が構成要件に該当する行為を確実かつ容易に行うために必要不可欠か、その行為に成功すればその後の計画の遂行に障害となる特段の事情がないか、時間的場所的に近接しているかを事実から当てはめます。特殊詐欺の事例では、うその内容が現金の交付の判断の前提となる重要な事項か、交付を求める行為に直接つながるかを具体的に示します。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。