1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この条文の過去問 38問
誤り。違うのは「交戦権は否認されていると解することはできない」の部分である。1項で自衛戦争が放棄されていないと解しても、2項後段で交戦権が全面的に否認されていると解することはできる。
憲法9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」を侵略戦争を指すものと読み、1項が放棄したのは侵略戦争だけで自衛戦争は放棄していないとするのが本肢の前提とする考え方である。しかしこの立場を採っても、2項後段の交戦権の否認まで自衛戦争との関係で限定されるわけではない。2項冒頭の「前項の目的を達するため」は、1項が戦争放棄に至った動機ないし理念を一般的に指すにすぎないと読めば、2項は目的のいかんを問わず一切の戦力の保持を禁じ、交戦権も否認していることになる。さらに2項前段が一切の戦力の保持を禁じている以上、自衛のためであっても戦争を遂行する実力が存在せず、否認される交戦権には自衛戦争に伴う交戦権も含まれる。その結果、1項で自衛戦争が放棄されていなくても現実にはいかなる戦争も行い得ないというのが通説的な理解である。1項の限定放棄と2項後段の全面的な交戦権否認は両立するのであって、前者を採ると後者の解釈ができなくなるとする本肢は、二つの項の関係を取り違えている。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄(自衛戦争は放棄していない) | 戦争放棄に至った動機を一般的に指す。2項は一切の戦力を保持せず交戦権も否認 | 自衛のための戦争も結果として行えない(通説) |
| 侵略戦争のみ放棄 | 1項で放棄した侵略戦争のための戦力だけを禁じる | 自衛のための戦力の保持と自衛戦争が可能 |
| 一切の戦争を放棄 | 動機を示すにすぎない | 当然に自衛戦争も行えない。2項の読み方で自衛戦争が復活することはない |
誤り。違うのは「特段の事情があったとしても、同条が直接適用されることはない」の部分である。判例は、公権力の発動たる行為と何ら変わりがないといえる特段の事情のない限り直接適用を受けないとし、特段の事情がある場合の直接適用の余地を残した(最判平元.6.20)。
最判平元.6.20は、自衛隊基地の用地の売買契約が憲法9条に反して無効かが争われた事案で、憲法9条はその憲法規範として有する性格上、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、人権規定と同様に私法上の行為に対しては直接適用されるものではないとした。そのうえで、国が行政の主体としてではなく私人と対等の立場に立って私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、その成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為と何ら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、憲法9条の直接適用を受けず、私法の適用を受けるにすぎないとした。国が取引の当事者にすぎない場面では憲法が本来規律する国家と国民の関係と異なるから直接適用しないが、契約という形式をとっていても実質が公権力の発動と変わらないなら、憲法が直接に働くべきだからである。したがって判例は、特段の事情がある場合には憲法9条が直接適用される余地を残している。本肢はこの留保を落とし、特段の事情があっても直接適用されないと言い切っている点で判例と異なる。

国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場に立つて、私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約がその成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為となんら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、憲法九条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の公平な調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎないものと解するのが相当である。
| 場面 | 適用される規範 | 効力の判断 |
|---|---|---|
| 国が私人と対等の立場で結ぶ契約(特段の事情なし) | 憲法9条は直接適用されず、私法が適用される。98条1項の「国務に関するその他の行為」にも当たらない | 民法90条の公序良俗で判断し、9条の趣旨は社会的に妥当な行為かを判断する一要素になる |
| 実質的にみて公権力の発動たる行為と何ら変わりがない特段の事情がある場合 | 憲法9条が直接適用される余地がある | 憲法に反する限度で効力を失う |
正しい。判例は、9条2項の戦力とはわが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得る戦力をいい、外国の軍隊はわが国に駐留していてもこれに当たらないとした(最大判昭34.12.16)。
最大判昭34.12.16は、駐留米軍の基地への立入りが刑事特別法違反として起訴された事案で、憲法9条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないとした。9条2項の名宛人は日本国であって、日本が指揮も管理もできない外国軍隊の実力は同項が保持を禁じる対象ではない、という理解であり、本肢の述べる考え方そのものである。判例はその前提として、憲法9条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を否定するものではなく、自衛のための措置として他国に安全保障を求めることを禁じるものではないとも述べた。なお判例は、日米安全保障条約そのものについては高度の政治性を理由に、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の範囲外であるとした。

同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
正しい。交戦権を国家として戦争を行う権利と広く解すると、1項が既に戦争を放棄している以上、2項後段は1項と重複するという批判がある。
9条2項後段は国の交戦権は、これを認めないと定めるが、交戦権の意義には二つの見解がある。一つは、戦争状態に入った国家が国際法上交戦国として認められる諸権能、すなわち敵性船舶の臨検・拿捕、戦利品の取得、占領地の行政などを指すとする見解で、国際法上の用例に沿う理解である。もう一つは、国家が戦争を行うこと自体の権利を指すと広く解する見解である。後者に対しては、1項が国権の発動たる戦争と武力の行使を国際紛争を解決する手段としては永久に放棄すると定めて既に国家が戦争をなす権能を放棄しているのだから、2項後段を戦争を行う権利の否認と読むと1項が放棄したものを改めて否認する同義反復になるという批判がある。この批判は1項の解釈を問わず妥当し、1項が一切の戦争を放棄したと解せば重複は全面的になり、侵略戦争のみを放棄したと解しても侵略戦争の限度で重複が生じる。前者の見解なら、1項が戦争そのものを放棄し、2項が交戦国としての個別の権能を否認して1項を徹底するという役割分担が明確になる。肢はこの批判の存在を正しく述べている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 国際法上の用例に従う見解 | 戦争を行う権利と広く解する見解 | |
|---|---|---|
| 内容 | 交戦国が国際法上有する諸権能(臨検・拿捕、戦利品の取得、占領地の行政など) | 国家として戦争を行う権利そのもの |
| 1項との関係 | 1項が戦争を放棄し、2項が交戦国としての個別の権能を否認して1項を徹底する | 1項が放棄した戦争をする権能を2項が改めて否認することになり、規定が重複する |
| 批判 | 自衛のための実力行使に伴う権能をどう説明するかが問題になる | 1項の解釈が全面放棄説でも限定放棄説でも重複が避けられない |
誤り。違うのは「同条第2項は自衛のための戦力の保持まで禁じたものではないから」の部分である。最大判昭34.12.16は、2項が自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別としてと明示的に留保し、外国の軍隊は我が国が指揮権、管理権を行使し得る戦力に当たらないという理由で駐留を合憲とした。
最大判昭34.12.16(砂川事件)は、9条は戦争を放棄し戦力の保持を禁止しているが、これにより我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、憲法の平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではないとした。肢の前段はこの判示に沿う。しかし同判決は、2項が戦力の不保持を規定したのは、我が国が戦力を保持し自らその主体となって指揮権、管理権を行使することにより1項が放棄した侵略戦争を引き起こすことのないようにするためであると解した上で、2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別としてと明示的に留保し、2項が保持を禁止した戦力とは我が国がその主体となって指揮権、管理権を行使し得る戦力、結局我が国自体の戦力を指すのであって、外国の軍隊はたとえ我が国に駐留するとしてもここにいう戦力に該当しないという論理で駐留米軍を合憲とした。理由は我が国の指揮権、管理権に服さない外国の軍隊であるという点にあり、自衛のための戦力の保持が許されるという前提に立ったものではない。肢は判例が明言を避けた事柄を判示として掲げる点で誤りである。

同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
- 9条により我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されず、平和主義は無防備、無抵抗を定めたものではない
- 2項が自衛のための戦力の保持をも禁じたか否かは判断を留保した
- 2項が保持を禁止した戦力とは我が国が指揮権、管理権を行使し得る我が国自体の戦力であり、駐留する外国の軍隊は戦力に該当しない
- 日米安全保障条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の範囲外である
正しい。aは自衛のための戦力と侵略のための戦力を区別できることを前提に自衛戦力の保持を認めるが、bはその区別が困難で2項が無意味になると指摘して、aの前提と帰結を否定している。
aは、9条1項が放棄するのは国際紛争を解決する手段としての戦争、すなわち侵略戦争に限られるという限定放棄説に立った上で、2項冒頭の「前項の目的を達するため」を1項の侵略戦争放棄という目的に限定して読み、侵略目的でない自衛のための戦力の保持は2項で禁じられないとする見解である。これに対しbは、自衛のための戦力と侵略のための戦力を実際に区別することは困難だと指摘する。兵器も部隊も編制も、用いられ方によって侵略にも自衛にもなり得るから、客観的な線引きはできず、aの下では保持する実力を自衛目的だと説明しさえすれば2項の適用を免れることになり、陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めた2項前段は規範としての意味を失う。bは、aが2項を空洞化させるという帰結の不当性を突き、aの結論を否定する関係に立つから、批判となっている。区別の困難さは、1項で侵略戦争のみを放棄しても2項で一切の戦力保持を禁じたと読む見解の根拠でもあり、その立場からの批判である。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の解釈 | 2項の「前項の目的」 | 帰結 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄(限定放棄説) | 1項の侵略戦争放棄の目的に限る | 自衛のための戦力の保持は許される。侵略と自衛の区別が困難だという批判がある |
| 侵略戦争のみ放棄(限定放棄説) | 1項全体の精神(国際平和の誠実な希求)を指す | 戦力は一切保持できず、結果として自衛戦争もできない(通説) |
| 一切の戦争を放棄(全面放棄説) | 放棄の動機を示すにすぎない | 2項の読み方で自衛戦争が復活することはない |
正しい。bは、自衛のための戦力と侵略のための戦力を区別できない以上、自衛目的と言いさえすれば2項を免れることになり戦力不保持の規定が無意味になると突いており、自衛戦力の保持を認めるaの批判となっている。
aは、9条1項が放棄するのは国際紛争を解決する手段としての戦争、すなわち侵略戦争に限られるとする限定放棄説に立ったうえで、2項冒頭の「前項の目的を達するため」を1項が掲げた侵略戦争放棄という目的に限定して読む見解である。その帰結として、侵略目的でない戦力、すなわち自衛のための戦力の保持は2項によって禁じられないことになる。bは、自衛のための戦力と侵略のための戦力とを実際上区別することは困難だと指摘する。兵器も部隊も編制も用いられ方によって侵略にも自衛にもなり得るのであって、客観的な線引きは容易でない。そうするとaの下では、保持する実力を自衛目的のものと説明しさえすれば2項の適用を免れることになり、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しないという2項前段の規定は規範としての意味を失う。bはaがこのように2項を空洞化させるという論理的帰結の不当性を突くものであり、aの結論を否定する批判として成り立っている。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結 | |
|---|---|---|---|
| 全面放棄説 | 一切の戦争を放棄 | 動機を示すにとどまる | 自衛戦争も戦力保持も不可 |
| 限定放棄・全面不保持説(通説) | 侵略戦争のみ放棄 | 1項全体の精神(国際平和の希求)を指す | 戦力は一切保持できず、結果として自衛戦争も遂行できない |
| 限定放棄・限定不保持説 | 侵略戦争のみ放棄 | 侵略戦争放棄という目的だけを指す | 自衛のための戦力の保持は可。自衛と侵略の戦力を区別できず2項が無意味になるとの批判 |
| 政府見解 | 侵略戦争のみ放棄 | 戦力は保持しない | 主権国固有の自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)は戦力に当たらない |
誤り。bの「文民条項を除き,戦争開始の決定手続や軍隊の編制に関する規定が存在しない」は、憲法が軍隊の存在を前提としていないことを示す論拠であり、2項で警察力を上回る実力の保持が全面的に禁じられるとするaを支えるものであって、aの批判となっていない。
aは、1項については限定放棄説に立ちつつ、2項の「前項の目的を達するため」を1項全体の精神、すなわち正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するという部分を指すものと解し、2項により警察力を上回る実力の保持が目的のいかんを問わず全面的に禁じられるとする通説的な見解である。この立場では、2項がおよそ戦力の保持を許さない以上、1項で放棄されていない自衛戦争も遂行する手段が残らず、結局は一切の戦争ができないという帰結に至る。bは、日本国憲法には66条2項の文民条項を除き、宣戦布告などの戦争開始の決定手続や軍隊の編制・統帥に関する規定が存在しないことを指摘する。憲法が軍隊の保持を予定しているなら、その組織・統制や実力行使の発動手続について統治機構上の規定を置くのが当然であるのに、日本国憲法はこれを欠く。したがってbの指摘は、憲法が軍隊の存在を前提としておらず2項が全面的な戦力不保持を定めていることを裏づける論拠であって、aの結論を支えるものである。bはむしろ自衛戦力の保持を認める見解への批判として機能するのであり、aの批判とはなっていない。

内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結 | |
|---|---|---|---|
| 全面放棄説 | 一切の戦争を放棄 | 動機を示すにとどまる | 自衛戦争も戦力保持も不可 |
| 限定放棄・全面不保持説(通説) | 侵略戦争のみ放棄 | 1項全体の精神(国際平和の希求)を指す | 戦力は一切保持できず、結果として自衛戦争も遂行できない |
| 限定放棄・限定不保持説 | 侵略戦争のみ放棄 | 侵略戦争放棄という目的だけを指す | 自衛のための戦力の保持は可。自衛と侵略の戦力を区別できず2項が無意味になるとの批判 |
| 政府見解 | 侵略戦争のみ放棄 | 戦力は保持しない | 主権国固有の自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)は戦力に当たらない |
正しい。bは、個人の正当防衛とは異なり国家が固有の権利として自衛権を有するとはいえないとして、固有の自衛権の存在から自衛力保持の許容を導くaの前提そのものを否定しており、aの批判となっている。
aは、9条は我が国が主権国として有する固有の自衛権までも否定するものではないことを前提とし、自衛権を実効的に行使するために必要な最小限度の実力、すなわち自衛力は2項にいう戦力に当たらないとして、その保持は禁じられていないとする見解である。砂川事件(最大判昭34.12.16)も、9条は主権国としての固有の自衛権を否定するものではないと判示しており、aはこの理解に沿う。この見解の論理は、国家に固有の権利としての自衛権が存在するという出発点から、その裏づけとなる実力の保持を2項の枠外に置く点にある。bは、個人の正当防衛の権利とは異なり、国家が固有の権利として自衛権を有するということはできないとして、まさにaの論理の前提そのものを否定する。国家が国際社会において当然に自衛権を持つという命題は論証を要しないほど自明とはいえず、少なくとも憲法がそれを放棄することは可能だという指摘である。前提たる固有の自衛権が認められなければ、そこから自衛力保持の許容を導くaの論証は成り立たないから、bはaに対する批判として成立している。

わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。(中略)憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結 | |
|---|---|---|---|
| 全面放棄説 | 一切の戦争を放棄 | 動機を示すにとどまる | 自衛戦争も戦力保持も不可 |
| 限定放棄・全面不保持説(通説) | 侵略戦争のみ放棄 | 1項全体の精神(国際平和の希求)を指す | 戦力は一切保持できず、結果として自衛戦争も遂行できない |
| 限定放棄・限定不保持説 | 侵略戦争のみ放棄 | 侵略戦争放棄という目的だけを指す | 自衛のための戦力の保持は可。自衛と侵略の戦力を区別できず2項が無意味になるとの批判 |
| 政府見解 | 侵略戦争のみ放棄 | 戦力は保持しない | 主権国固有の自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)は戦力に当たらない |
誤り。bの「通常の国際法上の用例に従って解釈されるべきである」という立場からは、9条1項が放棄した戦争は侵略戦争に限られることになり、全ての戦争を放棄したとするaとは矛盾するから、bはaの根拠にならない。
aは、9条1項が自衛のためであると侵略のためであるとを問わず一切の戦争を放棄したとする全面放棄説である。これに対しbは、同項の「国際紛争を解決する手段として」の「戦争」という文言を、戦争抛棄ニ関スル条約(不戦条約)に見られるような通常の国際法上の用例に従って解釈すべきだとする。国際法上、国際紛争を解決する手段としての戦争とは、国家が自国の主張を実力で相手国に押し付けるために行う戦争、すなわち侵略戦争を意味するものと理解されてきた。したがってbの解釈を前提にすると、9条1項が国際紛争を解決する手段としてはという限定を付して放棄したのは侵略戦争にとどまり、自衛のための戦争や制裁戦争は同項では放棄されていないという帰結が導かれる。これは全ての戦争が放棄されたとするaの結論と正面から矛盾するものであり、bはむしろ、同項の放棄する戦争は侵略戦争に限られるとする限定放棄説を基礎づける論拠である。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
| 1項で放棄した戦争 | 2項の「前項の目的」 | 帰結 | |
|---|---|---|---|
| 限定放棄説+全面不保持 | 侵略戦争のみ(国際法上の用例) | 1項全体の趣旨(動機) | 一切の戦力を持てないため、結果として自衛戦争もできない |
| 限定放棄説+限定不保持 | 侵略戦争のみ | 侵略戦争の放棄 | 自衛のための戦力は保持できる |
| 全面放棄説 | 自衛・侵略を問わず一切 | 1項全体の趣旨 | 自衛戦争も放棄。侵略と自衛の区別が困難なことが根拠 |
誤り。bの「通常の国際法上の用例に従って解釈されるべきである」は、1項が放棄した戦争を侵略戦争に限る方向に働く見解であり、全ての戦争を放棄したとするaの根拠となっていない。
aは、9条1項が自衛のためであると侵略のためであるとを問わず全ての戦争を放棄したとする全面放棄説である。これに対してbは、同項の国際紛争を解決する手段としての戦争という文言を、不戦条約に見られる通常の国際法上の用例に従って解釈すべきであるとする。不戦条約は締約国が国際紛争の解決のために戦争に訴えることを非とする旨を定めたもので、国際法上、国際紛争を解決する手段としての戦争とは、国家が自国の主張を実力で相手国に押し付けるために行う戦争、すなわち侵略戦争を意味するものと理解されてきた。したがってbの解釈を前提にすると、9条1項が放棄したのは侵略戦争にとどまり、自衛のための戦争や制裁のための戦争は同項では放棄されていないという帰結になる。これは全ての戦争が放棄されたとするaの結論と正面から矛盾し、bはむしろ同項の放棄する戦争を侵略戦争に限る限定放棄説の論拠である。全面放棄説の根拠は、侵略と自衛の区別が困難であることなどに求められる。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
| 見解 | 1項の読み方 | 根拠 |
|---|---|---|
| 限定放棄説 | 国際紛争を解決する手段としての戦争=侵略戦争だけを放棄し、自衛戦争・制裁戦争は放棄していない | 不戦条約など通常の国際法上の用例に従う |
| 全面放棄説 | 自衛のためか侵略のためかを問わず一切の戦争を放棄した | 侵略と自衛の区別が困難であること。2項で一切の戦力を持たない以上、自衛戦争を残す意味がないこと |
正しい。bは9条を国家機関に対する行為の禁止と捉えてその保護法益を国民一般の公益に求めており、同条違反があっても個人の権利の侵害を観念できないとするaの根拠となっている。
aは、9条に違反する具体的な立法又は行政処分によって個人に何らかの不利益が生じても、同条で保障された個人の権利が侵害されたとはいえないとする見解であり、9条から裁判上主張できる個人の権利を導くことを否定する立場である。これに対してbは、9条を国家機関に対して一定の行為を禁止する規定と捉え、その保護法益は国民一般の公益であるとする。憲法規範がもっぱら国家機関に対する行為規範であり、保護する利益が国民一般の公益にとどまるのであれば、その規範から特定の個人に帰属する具体的な権利は生じず、規範に違反する立法や処分で事実上不利益を受ける者がいても、それは公益の保護による反射的な利益を失ったにすぎない。bはこの論理によってaの結論を基礎付けている。長沼ナイキ基地訴訟の控訴審判決(札幌高判昭51.8.5)も、9条は国家機関に対する行為の一般禁止命令でその保護法益は一般国民に対する公益であるとしたうえで、立法又は行政処分で個人に不利益が生じても同条により個々人に与えられた利益の喪失とはいえないと判示しており、bからaが導かれる関係を判決自体が示している。

憲法第九条は、前文における平和原則に比し平和達成のためより具体的に禁止事項を列挙してはいるが、なお、国家機関に対する行為の一般禁止命令であり、その保護法益は一般国民に対する公益というほかなく、同条規により特定の国民の特定利益保護が具体的に配慮されているものとは解し難い。…具体的な立法又は行政処分による事実上の影響として、個人に対し、何らかの不利益が生じたとしても、それは、右条規により個々人に与えられた利益の喪失とはいい得ない。
誤り。違うのは「我が国がその主体となってこれに指揮権,管理権を行使し得る戦力に限られず」以下の部分である。砂川事件は、9条2項の戦力を我が国自体の戦力に限り、駐留する外国の軍隊は戦力に該当しないとした。
最大判昭34.12.16(砂川事件)は、旧日米安全保障条約に基づく合衆国軍隊の駐留が憲法9条2項に反しないかについて、同項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしてもここにいう戦力には該当しないと判示した。同判決が採った基準は、その実力組織に対して我が国が指揮権、管理権を行使し得るかという帰属主体に着目したものであり、9条2項の名宛人は我が国自身であって、他国の指揮命令の下にある軍隊は規律の対象外だという理解に立つ。駐留軍が我が国の要請に応じて武力を行使する可能性があるかという機能面から戦力該当性を判定したものではない。同判決はさらに、9条は主権国としての固有の自衛権を否定せず、自国の平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることも禁じていないとしたうえで、駐留軍は我が国の戦力に当たらないから、その駐留は同項に違反しないという結論を導いた。本肢はこの判示と正面から食い違う。

同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
- ["自衛権", "9条は主権国としての我が国が有する固有の自衛権を否定するものではなく、他国に安全保障を求めることも禁じていない"]
- ["戦力の意義", "9条2項の戦力は我が国が指揮権、管理権を行使し得る我が国自体の戦力を指し、駐留する外国の軍隊は該当しない。この点は裁判所が自ら判断した"]
- ["安全保障条約の審査", "高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の範囲外。内閣・国会の判断と国民の政治的批判に委ねる"]
正しい。国が私人と対等の立場で締結する私法上の契約は、実質的にみて公権力の発動と変わらない特段の事情のない限り、憲法9条の直接適用を受けず私法の適用を受けるにすぎない(最判平元.6.20)。
最判平元.6.20(百里基地訴訟)は、国が自衛隊の基地用地を取得するために私人と締結した土地売買契約の効力について、憲法9条はその憲法規範として有する性格上、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、人権規定と同様、私法上の行為には直接適用されないとした。そのうえで、国が一方当事者として関与した行為であっても、物品の調達、公共施設に必要な土地の取得、国有財産の売払いのための契約のように、国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場に立って個々的に締結する私法上の契約は、その成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為と何ら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、9条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の公平な調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎないと判示した。本肢はこの判示をほぼそのまま述べている。もっとも同判決は、9条の理念が民法90条の公序良俗の内容を形成する一要素として間接的に及び得ることを認めたうえで、契約当時に自衛隊の存在が確定的に反社会的とみられていたとはいえないとして、無効を否定した。

国が行政の主体としてではなく私人と対等の立場に立つて、私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約が実質的にみて公権力の発動たる行為となんら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、憲法九条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の公平な調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎない。
- ["原則", "国が私人と対等の立場で結ぶ契約(物品の調達、土地の取得、国有財産の売払い)には9条は直接適用されず、私法の適用を受ける"]
- ["例外", "契約の成立の経緯及び内容が実質的にみて公権力の発動と何ら変わりがない特段の事情があれば、98条1項の国務に関するその他の行為として憲法が直接適用される"]
- ["間接的な作用", "9条の理念は民法90条の公序良俗の内容を形成する一要素として及び得る。当時、自衛隊の存在が確定的に反社会的とみられていたとはいえず無効ではない"]
- ["人権規定との並び", "三菱樹脂事件の間接適用説と同じ構造。私法の一般条項を通じて憲法の趣旨を及ぼす"]
正しい。1項で放棄したのは侵略戦争だけだとしても、2項前段で一切の戦力の保持が禁止され、後段で交戦権も否認されると解すれば、自衛戦争を遂行する法的手段がなく、結果として自衛のための戦争も放棄されたことになる。
9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言については、不戦条約1条が「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争」を放棄すると定めていた国際法上の用語例を手がかりに、放棄されたのは侵略戦争にとどまり自衛戦争は放棄されていないと解する見解がある。この見解に立っても、2項前段の「前項の目的を達するため」を、2項が禁ずる戦力の範囲を画する法的な限定ではなく、1項が掲げる国際平和の希求という目的一般ないし戦力不保持を定めるに至った動機を述べたにすぎないと読めば、自衛のためのものを含めおよそ一切の戦力の保持が禁止される。さらに2項後段は「国の交戦権は、これを認めない」と定めて交戦権を全面的に否認する。そうすると、戦争を遂行するための実力組織を一切保持できず、交戦権も行使できない以上、1項の段階では放棄されていないはずの自衛戦争も現実に遂行する法的手段を欠き、結果として放棄されたのと同じ帰結に至る。1項の読み方と2項の読み方の組合せで自衛戦争の可否が決まるという構造を、本肢は正確に述べている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。/前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項の読み方 | 自衛のための戦争 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は動機にすぎず、一切の戦力を保持できない+交戦権を否認 | 結果として放棄される(遂行する手段がない) |
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は侵略目的の戦力に限る限定と読む | 認められる余地がある |
| 侵略戦争のみ放棄 | 交戦権=戦いを交える権利そのものと読む | 認められない(交戦権=国際法上の権能の総体と読めば余地が残る) |
| 一切の戦争を放棄 | 2項をどう読んでも | 認められない(放棄された戦争が2項で復活することはない) |
誤り。違うのは「結果として自衛のための戦争は認められていることになる」の部分である。1項で目的のいかんを問わず一切の戦争が放棄されていると解する以上、2項の「前項の目的」を動機と読んでも、既に放棄された自衛戦争が復活することはない。
9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」について、現実の戦争で国家間の紛争解決という性格を欠くものはおよそ考え難く、侵略のための戦争と自衛のための戦争をあらかじめ峻別することも困難だという理由から、目的のいかんを問わず一切の戦争が1項で放棄されていると解する見解がある。この見解を前提とすれば、2項を持ち出すまでもなく、自衛のための戦争は既に1項の段階で放棄されている。他方、2項の「前項の目的を達するため」を、2項が禁ずる戦力の範囲を画する法的限定ではなく、立法者が戦力不保持を定めるに至った動機ないし理由を示したにすぎないと解する見解がある。しかしこの読み方は、保持を禁じられる戦力に目的による限定を加えない方向、すなわち禁止の範囲を広げる方向に働く解釈であって、1項でいったん放棄された戦争を復活させる働きを持たない。1項が自衛戦争を含む一切の戦争を放棄していると解する以上、2項の文言をどう読もうと、既に放棄された自衛戦争が改めて許容される余地はない。二つの見解を組み合わせて自衛戦争が認められるとする本肢は、動機説の働く方向を取り違えている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。/前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項の読み方 | 自衛のための戦争 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は動機にすぎず、一切の戦力を保持できない+交戦権を否認 | 結果として放棄される(遂行する手段がない) |
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は侵略目的の戦力に限る限定と読む | 認められる余地がある |
| 侵略戦争のみ放棄 | 交戦権=戦いを交える権利そのものと読む | 認められない(交戦権=国際法上の権能の総体と読めば余地が残る) |
| 一切の戦争を放棄 | 2項をどう読んでも | 認められない(放棄された戦争が2項で復活することはない) |
誤り。違うのは「交戦国に国際法上認められる権利と考えるか、国として戦いを交える権利と考えるかに関わらず、自衛のための戦争は認められていることになる」の部分である。交戦権を戦いを交える権利そのものと解すれば、自衛のための戦争も認められない。
9条1項について侵略戦争のみを放棄したと解すれば、自衛のための戦争は1項では放棄されていないことになり、最終的に自衛戦争が認められるかは2項後段の「国の交戦権は、これを認めない」をどう理解するかにかかる。交戦権の意義には、交戦国が国際法上有する権能の総体、すなわち相手国兵力の殺傷・破壊、船舶の臨検・拿捕、占領地行政などを意味すると解する見解と、国家が戦いを交えること自体の権利を意味すると解する見解が対立している。前者によれば、否認されるのは戦時における個々の権能にとどまるから、自衛のための戦争を行うこと自体は認められる余地があり、もっとも敵兵力の殺傷や敵領域への攻撃といった行為までは行えないことになる。後者によれば、戦いを交える権利そのものが否認される以上、侵略戦争はもとより自衛のための戦争も認められず、1項で自衛戦争を認めながら2項後段でこれを否定する結果となって条文相互の整合性が問われる。このように交戦権の理解によって結論は分かれるのであり、その意義をどう解するかに関わらず自衛のための戦争が認められるとはいえない。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項の読み方 | 自衛のための戦争 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は動機にすぎず、一切の戦力を保持できない+交戦権を否認 | 結果として放棄される(遂行する手段がない) |
| 侵略戦争のみ放棄 | 「前項の目的」は侵略目的の戦力に限る限定と読む | 認められる余地がある |
| 侵略戦争のみ放棄 | 交戦権=戦いを交える権利そのものと読む | 認められない(交戦権=国際法上の権能の総体と読めば余地が残る) |
| 一切の戦争を放棄 | 2項をどう読んでも | 認められない(放棄された戦争が2項で復活することはない) |
正しい。この見解では自衛のための戦力と自衛戦争が許されることになるが、憲法には66条2項の文民条項以外に戦争や軍隊を予定する規定がないから、憲法典の体系上この解釈は成り立ちにくいという批判が当てはまる。
肢の見解は、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」を国際法上の用例に従って侵略戦争を指すと読み、1項が放棄したのは侵略戦争のみであるとした上で、2項冒頭の「前項の目的を達するため」を、1項が侵略戦争を放棄した目的を達するためという条件を示す文言と解する。この読み方では、2項が保持を禁ずる「陸海空軍その他の戦力」は侵略目的の戦力に限られ、自衛のための戦力の保持と自衛戦争の遂行が憲法上許されるという帰結になる。しかし、憲法が自衛戦争とそのための軍隊を予定しているなら、軍の編制、統帥権、宣戦と講和の手続、軍事裁判など軍隊の存在を前提とする条項が置かれているはずである。ところが日本国憲法には、内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならないとする66条2項を除いて、戦争や軍隊を前提とする規定が一つもなく、76条2項は特別裁判所の設置を禁じて軍法会議も置けない。したがって、肢の批判はこの見解に的確に当てはまる。

内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結と難点 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 侵略戦争放棄の目的を達するため(条件) | 自衛のための戦力の保持と自衛戦争が許される。文民条項(66条2項)以外に戦争や軍隊を予定する規定がないという批判が当てはまる |
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 戦争放棄に至った動機を一般的に示す(通説) | 2項で一切の戦力の保持が禁じられ交戦権も否認されるから、結果として全ての戦争が放棄される。用例論はこの見解の根拠であり批判にならない |
| 自衛戦争を含む全ての戦争を放棄 | 2項の読み方を待たずに結論が出る | 全ての戦争が放棄される。「国際紛争を解決する手段としての戦争」は侵略戦争を指すという国際法上の用例に反するという批判が当てはまる |
誤り。違うのは「こうした用例を尊重すべきであるとの批判が当てはまる」の部分である。国際法上の用例は、この見解が1項の放棄対象を侵略戦争に限る根拠そのものであり、批判にならない。
肢の見解は、1項が放棄したのは侵略戦争のみであるとしつつ、2項の「前項の目的を達するため」を戦力不保持の条件ではなく、戦争放棄に至った動機を一般的に示す文言と読む通説の立場である。この見解が1項の放棄対象を侵略戦争に限る根拠としているのが、まさに肢が挙げる国際法上の用例である。1928年の不戦条約1条が国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、国家の政策の手段としての戦争を放棄すると定めたように、「国際紛争を解決する手段としての戦争」は「国家の政策の手段としての戦争」と同義で、自衛戦争を含まない侵略戦争を意味するというのが国際法上の通常の用例であり、9条1項はこの文言をほぼ踏襲している。この用例を尊重すべきだという指摘は、1項が自衛戦争まで放棄していないというこの見解の論拠を補強する主張にほかならず、批判にはならない。用例論が批判として機能するのは、1項で自衛戦争を含む一切の戦争が放棄されていると解する見解に対してである。肢は批判の向け先を取り違えている。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結と難点 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 侵略戦争放棄の目的を達するため(条件) | 自衛のための戦力の保持と自衛戦争が許される。文民条項(66条2項)以外に戦争や軍隊を予定する規定がないという批判が当てはまる |
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 戦争放棄に至った動機を一般的に示す(通説) | 2項で一切の戦力の保持が禁じられ交戦権も否認されるから、結果として全ての戦争が放棄される。用例論はこの見解の根拠であり批判にならない |
| 自衛戦争を含む全ての戦争を放棄 | 2項の読み方を待たずに結論が出る | 全ての戦争が放棄される。「国際紛争を解決する手段としての戦争」は侵略戦争を指すという国際法上の用例に反するという批判が当てはまる |
正しい。前段の見解では2項が目的を問わず一切の戦力の保持を禁じ交戦権を否認するため結果として自衛戦争も行えず、後段の見解では1項の段階で全ての戦争が放棄されるから、いずれも全ての戦争が放棄されるという結論に至る。
前段の見解は、1項では侵略戦争のみが放棄され自衛戦争は放棄されていないとしつつ、2項の「前項の目的を達するため」を戦力不保持を定めるに至った動機を一般的に示す文言と解する。この立場では、2項は目的のいかんを問わず無条件に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定め、さらに「国の交戦権は、これを認めない」としているから、1項でいったん留保されたはずの自衛戦争も、遂行する実力組織を持てず交戦権も否認される以上、結局は行えない。9条全体として全ての戦争が放棄されるという結論に至る。後段の見解は、1項の文言は戦争一般を放棄したものと読むべきであり、およそ戦争は自衛の名の下に遂行されるため侵略戦争と自衛戦争の峻別は不可能であることを理由に、1項の段階で自衛戦争を含む一切の戦争が放棄されていると解する。この立場では2項の解釈を待つまでもなく全ての戦争が放棄される。両説は1項の解釈と結論に至る筋道を異にするが、9条により全ての戦争が放棄されるという帰結は共通しており、肢は正しい。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的」の読み方 | 帰結と難点 |
|---|---|---|
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 侵略戦争放棄の目的を達するため(条件) | 自衛のための戦力の保持と自衛戦争が許される。文民条項(66条2項)以外に戦争や軍隊を予定する規定がないという批判が当てはまる |
| 侵略戦争のみ放棄(国際法上の用例を尊重) | 戦争放棄に至った動機を一般的に示す(通説) | 2項で一切の戦力の保持が禁じられ交戦権も否認されるから、結果として全ての戦争が放棄される。用例論はこの見解の根拠であり批判にならない |
| 自衛戦争を含む全ての戦争を放棄 | 2項の読み方を待たずに結論が出る | 全ての戦争が放棄される。「国際紛争を解決する手段としての戦争」は侵略戦争を指すという国際法上の用例に反するという批判が当てはまる |
誤り。「侵略戦争と自衛戦争等を峻別することは困難である」という主張は、1項で侵略戦争と自衛戦争を区別できることを出発点とする設問の見解と整合しない。
本肢は、現実の戦争において国際紛争を解決する手段としての戦争とそれ以外の戦争とを区別することはできず、したがって侵略戦争と自衛戦争等とを峻別することは困難だと主張する。これは、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」という文言に放棄される戦争を限定する意味を認めず、同項によって自衛戦争を含む一切の戦争が放棄されたと解する立場の主要な論拠である。これに対し設問の見解は、1項は侵略戦争を放棄したものであって自衛戦争は放棄されていないとしたうえで、2項が1項全体の企図する目的を達するために一切の戦力の不保持と交戦権の否認を定めたことにより、結果として自衛戦争も遂行できなくなると解する。この見解は、1項の解釈において侵略戦争と自衛戦争とを区別できることを論理の出発点としているのであり、両者の峻別が困難だとする本肢はその出発点そのものを否定する。設問の見解と本肢の帰結が自衛戦争の否定で一致するとしても、根拠の立て方が正反対である以上、本肢は設問の見解と整合しない。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
| 1項は侵略戦争のみ放棄(限定放棄説) | 1項で一切の戦争を放棄(全面放棄説) | |
|---|---|---|
| 1項の根拠 | 「国際紛争を解決する手段としては」を不戦条約など国際法上の用例に従って侵略戦争と読む | 侵略戦争と自衛戦争の峻別は現実には困難である |
| 2項「前項の目的」の読み方 | 1項全体の企図する目的(国際平和の希求)と読み、一切の戦力の不保持と交戦権の否認が及ぶ | 戦力不保持に至った動機を示すだけと読む |
| 帰結 | 戦力も交戦権もない以上、結果として自衛戦争も遂行できない。2項が実質的意義をもつ | 1項の段階で自衛戦争も放棄済みであり、2項の読み方で自衛戦争が復活することはない |
| 交戦権の意味 | 国家として戦争を行う権利と解する立場と、交戦国に国際法上認められる諸権利の総体と解する立場がある | 同左 |
正しい。設問の見解では、1項で放棄されなかった自衛戦争を遂行不能にするのは2項の戦力不保持と交戦権否認であるから、2項は確認的規定ではなく実質的な意義をもつ規定となり、本肢はこの見解と整合する。
設問の見解は、9条1項は侵略戦争のみを放棄したものであり自衛戦争は放棄されていないとしたうえで、2項冒頭の「前項の目的を達するため」を、1項全体の企図する目的、すなわち日本国民が国際平和を誠実に希求して戦争等を放棄するという動機を指すものと読む。この読み方によれば、2項の戦力不保持と交戦権否認は放棄される戦争の種類を問わずに及び、1項の段階では残っていた自衛戦争も、遂行するための戦力と交戦権を欠く以上、現実には行えなくなる。つまりこの見解において日本国憲法の非武装平和主義を基礎づける決定的な規定は2項であり、2項は1項の内容を念のため確認したにすぎない規定ではなく、1項の帰結を超えて独自の法的効果を生じさせる実質的な意義をもつ規定ということになる。これに対し、1項で一切の戦争が放棄されていると解する立場では、2項は1項の当然の帰結を確認した規定と位置づけられやすい。非武装平和主義の特徴を2項に見出し、同項を実質的規定と解する本肢は、設問の見解と整合する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項は侵略戦争のみ放棄(限定放棄説) | 1項で一切の戦争を放棄(全面放棄説) | |
|---|---|---|
| 1項の根拠 | 「国際紛争を解決する手段としては」を不戦条約など国際法上の用例に従って侵略戦争と読む | 侵略戦争と自衛戦争の峻別は現実には困難である |
| 2項「前項の目的」の読み方 | 1項全体の企図する目的(国際平和の希求)と読み、一切の戦力の不保持と交戦権の否認が及ぶ | 戦力不保持に至った動機を示すだけと読む |
| 帰結 | 戦力も交戦権もない以上、結果として自衛戦争も遂行できない。2項が実質的意義をもつ | 1項の段階で自衛戦争も放棄済みであり、2項の読み方で自衛戦争が復活することはない |
| 交戦権の意味 | 国家として戦争を行う権利と解する立場と、交戦国に国際法上認められる諸権利の総体と解する立場がある | 同左 |
誤り。「交戦権とは,…交戦国に認められている諸権利のことをいう」という理解は、交戦権を国家として戦争を行う権利と定義する設問の見解と整合しない。
9条2項後段の「国の交戦権」の意味には、交戦国が国際法上有する権利の総体、すなわち敵国領土の占領、船舶の臨検・拿捕、敵国兵力の破壊などを行う権利と解する立場と、国家として戦争を行う権利、すなわち国として戦いを交える権利と解する立場がある。設問の見解は、2項が一切の戦力の不保持を定めるとともに「国家として戦争を行う権利である交戦権」を否認するものだと明示しており、後者の理解に立つ。この理解は、2項によって自衛戦争を含む戦争の遂行そのものが不可能になるという設問の見解の論理構成と結びついている。これに対し本肢は、交戦権を交戦国に認められる諸権利の総体と捉える前者の理解を述べるものであり、設問の見解とは交戦権の定義そのものを異にする。本肢は国際法上の一般的な用語法を示して、設問の見解の交戦権の用法がその用例に合致しないと指摘する関係に立つから、設問の見解と整合しない。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項は侵略戦争のみ放棄(限定放棄説) | 1項で一切の戦争を放棄(全面放棄説) | |
|---|---|---|
| 1項の根拠 | 「国際紛争を解決する手段としては」を不戦条約など国際法上の用例に従って侵略戦争と読む | 侵略戦争と自衛戦争の峻別は現実には困難である |
| 2項「前項の目的」の読み方 | 1項全体の企図する目的(国際平和の希求)と読み、一切の戦力の不保持と交戦権の否認が及ぶ | 戦力不保持に至った動機を示すだけと読む |
| 帰結 | 戦力も交戦権もない以上、結果として自衛戦争も遂行できない。2項が実質的意義をもつ | 1項の段階で自衛戦争も放棄済みであり、2項の読み方で自衛戦争が復活することはない |
| 交戦権の意味 | 国家として戦争を行う権利と解する立場と、交戦国に国際法上認められる諸権利の総体と解する立場がある | 同左 |
正しい。①で1項が放棄したのは侵略戦争のみとなり、③で2項が禁ずる戦力は1項が放棄した戦争のための戦力に限られるから、自衛のための戦争もそのための戦力の保持も9条で禁止されない。
憲法9条1項は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を、国際紛争を解決する手段としては永久に放棄すると定める。見解①は、この「国際紛争を解決する手段としては」との留保に着目し、不戦条約以来の用語法上これは他国に対する侵略目的の戦争を指すと解する立場であるから、①によれば1項が放棄したのは侵略戦争にとどまり、自衛のための戦争は放棄されていない。次に2項は「前項の目的を達するため」陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めるが、見解③はこの文言を不保持とされる戦力の範囲を画する限定句として読む立場であり、2項が保持を禁ずる戦力は1項が放棄した戦争を遂行するための戦力に限られる。そうすると①と③を組み合わせた場合、1項が放棄したのは侵略戦争のみであるから、2項によって保持を禁じられる戦力も侵略戦争遂行のための戦力に限定され、自衛のための戦争は放棄されておらず、自衛のための戦力の保持も9条によって禁止されないという帰結が導かれる。これが9条の下でも自衛戦争と自衛戦力を許容する限定放棄説の論理構成であり、本肢はこの帰結を正確に述べている。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的を達するため」の読み方 | 帰結 |
|---|---|---|
| ①侵略戦争のみ放棄(自衛戦争は放棄していない) | ③1項が放棄した戦争のための戦力に限って不保持 | 自衛のための戦争もそのための戦力保持も許される(限定放棄説) |
| ①侵略戦争のみ放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 一切の戦力を持てず交戦権も否認されるので、結果として自衛のための戦争も放棄される(遂行不能説) |
| ②目的を問わず一切の戦争を放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 侵略戦争も自衛のための戦争も認められず、戦力の保持も一切許されない(全面放棄説) |
正しい。①で1項が自衛戦争を放棄していないとしても、④で2項が目的を問わず一切の戦力の保持を禁じ交戦権も否認する以上、自衛戦争を遂行する手段が残らず、結果として自衛のための戦争も放棄されることになる。
見解①は、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」という留保を侵略戦争を意味するものと解し、自衛のための戦争は1項では放棄されていないとする立場である。もっとも、1項の段階で自衛戦争が留保されていても、それを現実に遂行できるかどうかは2項の解釈にかかっている。見解④は、2項の「前項の目的を達するため」との文言について、日本国民が戦争を放棄するに至った動機ないし理由を一般的に示したものにすぎず、不保持とされる戦力の範囲を限定する趣旨を含まないと解する。したがって④によれば、2項は目的のいかんを問わず陸海空軍その他の戦力の保持を一切禁止し、あわせて国の交戦権も全面的に否認する。そうすると①と④を組み合わせた場合、1項では自衛戦争が放棄されていないとしても、2項によって自衛のための戦力を含む一切の戦力の保持が禁じられ交戦権も否認される以上、自衛戦争を遂行する法的手段が残されない。結局、9条全体としてみれば自衛戦争も放棄されたのと同じ結果になる。これがいわゆる遂行不能説であり、本肢はこの帰結を述べている。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的を達するため」の読み方 | 帰結 |
|---|---|---|
| ①侵略戦争のみ放棄(自衛戦争は放棄していない) | ③1項が放棄した戦争のための戦力に限って不保持 | 自衛のための戦争もそのための戦力保持も許される(限定放棄説) |
| ①侵略戦争のみ放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 一切の戦力を持てず交戦権も否認されるので、結果として自衛のための戦争も放棄される(遂行不能説) |
| ②目的を問わず一切の戦争を放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 侵略戦争も自衛のための戦争も認められず、戦力の保持も一切許されない(全面放棄説) |
正しい。②で1項が目的を問わず一切の戦争を放棄し、④で2項が一切の戦力の保持を禁ずるから、侵略戦争も自衛のための戦争も認められず、そのための戦力の保持も一切許されない。
見解②は、戦争は本来いずれも国家間の紛争を武力で解決しようとするものであって、自衛の名の下に行われる戦争もその実質は国際紛争解決の手段にほかならないとみる立場であり、9条1項の「国際紛争を解決する手段としては」との留保に限定的な意味を認めない。したがって②によれば、目的のいかんを問わず、戦争及び武力による威嚇・武力の行使は1項の段階ですべて放棄されている。他方、見解④は、2項冒頭の「前項の目的を達するため」を戦争放棄に至った動機を一般的に示す文言と解し、戦力不保持の範囲を限定する趣旨を認めない立場であるから、2項は目的を問わず陸海空軍その他の戦力の保持を全面的に禁止し、さらに交戦権も否認する。両見解を組み合わせれば、1項によって侵略戦争のみならず自衛のための戦争も含む一切の戦争が放棄され、2項によって一切の戦力の保持も許されないという、最も徹底した非武装の帰結が導かれる。本肢はこの帰結をそのまま述べている。砂川事件(最大判昭34.12.16)は固有の自衛権まで否定するものではないとしており、②④の組合せとは異なる。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
| 1項の読み方 | 2項「前項の目的を達するため」の読み方 | 帰結 |
|---|---|---|
| ①侵略戦争のみ放棄(自衛戦争は放棄していない) | ③1項が放棄した戦争のための戦力に限って不保持 | 自衛のための戦争もそのための戦力保持も許される(限定放棄説) |
| ①侵略戦争のみ放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 一切の戦力を持てず交戦権も否認されるので、結果として自衛のための戦争も放棄される(遂行不能説) |
| ②目的を問わず一切の戦争を放棄 | ④動機を示すだけで一切の戦力を不保持 | 侵略戦争も自衛のための戦争も認められず、戦力の保持も一切許されない(全面放棄説) |
正しい。最大判昭34.12.16(砂川事件)は、9条は我が国が主権国として持つ固有の自衛権を何ら否定するものではなく、我が国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではないとした。
最大判昭34.12.16(砂川事件)は、9条は戦争を放棄し戦力の保持を禁止しているが、これによって我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないとした。自衛のための措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然だからである。そのうえで同判決は、9条2項により戦力を保持しないことで生ずる防衛力の不足を、前文にいう平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補うのだと述べ、その安全保障の方式や手段は、原判決がいうように国際連合の安全保障理事会等が執る軍事的安全措置に限定されず、目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができるとして、9条は我が国が他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではないと結論した。本肢はこの判示のとおりである。

わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではない
- ["固有の自衛権", "9条は主権国として持つ固有の自衛権を否定せず、平和主義は無防備・無抵抗を定めたものではない"]
- ["他国への安全保障", "防衛力の不足は諸国民の公正と信義への信頼で補う。国際連合の措置に限らず、他国に安全保障を求めることも禁じられない"]
- ["駐留外国軍隊", "2項の戦力は我が国が指揮権、管理権を行使し得る戦力をいい、駐留する外国の軍隊は該当しない(裁判所が自ら判断)"]
- ["安保条約の審査", "高度の政治性を有する条約は、一見極めて明白に違憲無効でない限り司法審査権の範囲外"]
誤り。前半の戦力の定義は判例のとおりだが、「裁判所の司法審査権の範囲外である」の部分が違う。最大判昭34.12.16は、駐留する外国の軍隊は9条2項の戦力に該当しないと裁判所自身が判断した。
最大判昭34.12.16(砂川事件)は、9条2項がその保持を禁止した戦力とは、我が国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいい、結局我が国自体の戦力を指すとした。前段はこの判示のとおりである。しかし同判決は、外国の軍隊はたとえそれが我が国に駐留するとしてもここにいう戦力には該当しないと、実体判断を明示した。駐留外国軍隊が戦力に当たるかを最高裁自身が判断している以上、この論点に司法審査権が及ぶことが前提になっている。同判決が司法審査に原則としてなじまないとしたのは、駐留の根拠である日米安全保障条約それ自体の合憲性であり、主権国としての存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有する条約は、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査権の範囲外だとした。本肢は条約の合憲性審査についての判示と、駐留外国軍隊の戦力該当性についての判示を混同している。

同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない
- ["固有の自衛権", "9条は主権国として持つ固有の自衛権を否定せず、平和主義は無防備・無抵抗を定めたものではない"]
- ["他国への安全保障", "防衛力の不足は諸国民の公正と信義への信頼で補う。国際連合の措置に限らず、他国に安全保障を求めることも禁じられない"]
- ["駐留外国軍隊", "2項の戦力は我が国が指揮権、管理権を行使し得る戦力をいい、駐留する外国の軍隊は該当しない(裁判所が自ら判断)"]
- ["安保条約の審査", "高度の政治性を有する条約は、一見極めて明白に違憲無効でない限り司法審査権の範囲外"]
正しい。最判平元.6.20(百里基地訴訟)は、9条は下位のすべての法規の解釈適用の指導原理となり得るが、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、私法上の行為に直接適用されるものではないとした。
最判平元.6.20(百里基地訴訟)は、自衛隊基地の用地をめぐる国と私人との土地売買契約の効力が争われた事案で、9条は人権規定と同様に国の基本的な法秩序を宣示した規定であるから、憲法より下位の法形式によるすべての法規の解釈適用に当たってその指導原理となり得るものであることはいうまでもないが、その憲法規範として有する性格上、私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではなく、私法上の行為に直接適用されるものではないとした。そのため、物品の調達、土地の取得、国有財産の売払いのための契約のように、国が行政の主体としてではなく私人と対等の立場で個々的に締結する私法上の契約は、成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為と何ら変わりがないといえる特段の事情がない限り、9条の直接適用を受けず、私法の適用を受けるにすぎない。9条の趣旨は民法90条の公序良俗の一要素として間接に及ぶにとどまる。本肢はこの判示のとおりである。

憲法九条は、人権規定と同様、国の基本的な法秩序を宣示した規定であるから、憲法より下位の法形式によるすべての法規の解釈適用に当たつて、その指導原理となりうるものであることはいうまでもないが、…私法上の行為の効力を直接規律することを目的とした規定ではない
| 特段の事情なし(原則) | 特段の事情あり | |
|---|---|---|
| 判断の基準 | 国が私人と対等の立場で個々的に締結する契約(物品の調達・土地の取得・国有財産の売払い) | 成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為と何ら変わりがない |
| 憲法の適用 | 直接適用なし。私法の適用を受け、9条の趣旨は民法90条の公序良俗の一要素として及ぶ | 憲法が直接適用され、98条1項の国務に関するその他の行為として反する限度で無効 |
正しい。主権という語は統治権、国家権力の最高独立性、国政の最高決定権の三つの意味で用いられ、憲法9条1項と41条の「国権」は国家権力そのものを表す語である。
主権という語は多義的であり、一般に、立法・行政・司法を包括する国家権力そのものである統治権、国家権力が対内的には最高で対外的には独立であるという最高独立性、国の政治の在り方を最終的に決定する力ないし権威である最高決定権の三つの意味で用いられる。統治権の用例としてはポツダム宣言8項の「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」が、最高独立性の用例としては憲法前文3項の「自国の主権を維持し」が、最高決定権の用例としては前文1項及び1条の国民主権が挙げられる。本肢の前半はこの多義性を正しく述べている。そして日本国憲法は、国家権力そのものを表す語として「国権」を用いている。9条1項の「国権の発動たる戦争」とは国家がその統治権の発動として行う戦争を意味し、41条の「国権の最高機関」の国権も、立法権・行政権・司法権を総称する統治権を指す。「最高機関」の意義をめぐる統括機関説と政治的美称説の対立も、「国権」自体を統治権と解する点では変わらない。

国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
- 統治権:立法権・行政権・司法権を包括する国家権力そのもの。ポツダム宣言8項の「日本国ノ主権」、憲法9条1項・41条の「国権」がこれに当たる
- 国家権力の最高独立性:対内的には最高、対外的には独立という国家権力の属性。前文3項の「自国の主権を維持し」
- 国政の最高決定権:国の政治の在り方を最終的に決定する力ないし権威。前文1項・1条の国民主権の主権。判例はこの国民を日本国籍を有する者とする(最判平7.2.28)
- 国民が直接に決定する制度:憲法改正の国民投票(96条1項)、最高裁判所裁判官の国民審査(79条2項)、地方特別法の住民投票(95条)。投票権者の要件は法律に委ねられる
誤り。違うのは「私法の適用を受けるだけである」の部分である。判例は、契約が実質的にみて公権力の発動たる行為と変わりがないといえる特段の事情のない限り、という留保を付けている(最判平元.6.20)。
百里基地訴訟で最高裁は、国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場に立って、私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約がその成立の経緯及び内容において実質的にみて公権力の発動たる行為となんら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、憲法9条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の公平な調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎないとした。憲法98条1項にいう国務に関するその他の行為とは、同項に列挙された法律、命令、詔勅と同一の性質を有する国の行為、すなわち公権力を行使して法規範を定立する行為を意味し、私人と対等の立場で行う国の行為はこれに当たらないからである。もっとも判例は、形式が私法上の契約であっても実質が公権力の発動と変わらない場合には憲法の直接適用があり得ることを特段の事情として留保している。本肢は、国の私法上の契約を統治行動と同一の基準で律することはできないという判例の論理をなぞりながら、この留保を落として私法の適用を受けるだけであると言い切っている点が誤りである。

国が行政の主体としてではなく私人と対等の立場に立つて、私人との間で個々的に締結する私法上の契約は、当該契約が実質的にみて公権力の発動たる行為となんら変わりがないといえるような特段の事情のない限り、憲法九条の直接適用を受けず、私人間の利害関係の公平な調整を目的とする私法の適用を受けるにすぎない。
| 場面 | 適用される法 | 根拠 |
|---|---|---|
| 私人と対等の立場で結ぶ契約(物品の調達、土地の取得、国有財産の売払い) | 私法。憲法の趣旨は民法90条の公序の解釈に反映 | 98条1項の国務に関するその他の行為に当たらない |
| 実質的にみて公権力の発動たる行為と変わらない特段の事情がある契約 | 憲法が直接適用され、反する限度で無効 | 98条1項 |
誤り。違うのは論拠を述べる後半の「侵略戦争の放棄という目的にとって必要な限りのものである」の部分である。これは自衛戦争を合憲とする学説の論拠であり、政府の論拠ではない。
政府が、9条2項は自衛のための必要最小限度の実力、すなわち自衛力の保持を禁じていないという立場をとっていることは、本肢のいうとおりである。しかしその論拠は、自衛権は独立国家に固有の権利であって9条によっても否定されず、自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力は、2項が保持を禁ずる「戦力」とは区別され、これに当たらないという点にある。これに対し本肢が挙げる論拠は、1項の「国際紛争を解決する手段として」の戦争を侵略戦争と読み、2項冒頭の「前項の目的を達するため」という文言を侵略戦争の放棄という目的による限定と読むことで、自衛のための戦力の保持は禁じられていないとする見解のものである。この見解によれば、自衛のためであれば「戦力」そのものを保持できることになる。政府は、2項は自衛のためであっても「戦力」の保持を禁じていると解したうえで、自衛力は「戦力」に至らない実力であるとしており、論理の筋道が異なる。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。/前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
- 1項の読み方:「国際紛争を解決する手段として」の戦争を侵略戦争と読み、侵略戦争のみを放棄したとする説と、一切の戦争を放棄したとする説がある
- 2項の「前項の目的を達するため」:侵略戦争の放棄という目的に限って戦力を保持しないと読めば、自衛のための戦力は保持できることになる(自衛戦争合憲説の論拠)
- 政府見解:自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)は2項の「戦力」に当たらない。2項の文言による目的の限定を論拠とするものではない
- 集団的自衛権:従来の政府解釈は行使を憲法上許されないとしていた。平成26年7月1日の閣議決定で、存立が脅かされる明白な危険がある場合に限り行使を容認した
- 武器の使用:自己等の生命、身体を防衛するための必要最小限の武器の使用は「武力の行使」に当たらないと整理される
誤り。違うのは「高度に政治的な問題であり,純司法的な機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまず,法律上の争訟に当たらないと判示した」の部分である。最高裁判所は、民事上の差止請求として不適法であるとしたにとどまる。
厚木基地公害訴訟(最判平5.2.25)は、飛行場の周辺住民が国に対し自衛隊機の離着陸等の差止めを民事上の請求として求めた事案である。最高裁判所は、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務づけるものであり、周辺住民との関係において公権力の行使に当たる行為であるとした。そのうえで、民事上の差止請求は、必然的に防衛庁長官に委ねられた自衛隊機の運航に関する権限の行使の取消変更ないしその発動を求める請求を包含することになるから、行政訴訟としてどのような要件の下にどのような請求ができるかはともかく、不適法であるとした。理由は請求の形式が公権力の行使に対する民事訴訟であることに尽きており、自衛隊の合憲性や高度の政治性には触れていない。統治行為論を用いたのはこの事件の控訴審判決であり、最高裁判所はこれを採らなかった。本肢は控訴審の理由づけを最高裁判所の判示として述べている。

自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、…右騒音等により影響を受ける周辺住民との関係において、公権力の行使に当たる行為というべきである。…行政訴訟としてどのような要件の下にどのような請求をすることができるかはともかくとして、右差止請求は不適法というべきである。
誤り。違うのは「同条によって集団的自衛権の行使が禁じられており」の部分である。平成26年7月1日の閣議決定以降、政府は限定的な集団的自衛権の行使を憲法上許容されるとしており、出題当時の政府解釈の下では正しいとされていた肢である。
政府は、平成26年7月1日の閣議決定で、我が国に対する武力攻撃が発生した場合だけでなく、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合には、他に適当な手段がないときに必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容されるとした。現在は限定的な集団的自衛権の行使が容認されており、9条によって集団的自衛権の行使が禁じられているとする本肢の前段は、現在の政府解釈と合致しない。出題当時(平成19年)の政府解釈は、我が国は国際法上集団的自衛権を有するが、9条の下で許される自衛権の行使は必要最小限度の範囲にとどまるから、その行使は憲法上許されないとしており、公式の正解は本肢を正しいとしていた。自己や共に現場にいる隊員等の生命、身体を防衛するための必要最小限の武器の使用が「武力の行使」に当たらないとする後段の整理は、現在も維持されている。

わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った
- 1項の読み方:「国際紛争を解決する手段として」の戦争を侵略戦争と読み、侵略戦争のみを放棄したとする説と、一切の戦争を放棄したとする説がある
- 2項の「前項の目的を達するため」:侵略戦争の放棄という目的に限って戦力を保持しないと読めば、自衛のための戦力は保持できることになる(自衛戦争合憲説の論拠)
- 政府見解:自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の実力(自衛力)は2項の「戦力」に当たらない。2項の文言による目的の限定を論拠とするものではない
- 集団的自衛権:従来の政府解釈は行使を憲法上許されないとしていた。平成26年7月1日の閣議決定で、存立が脅かされる明白な危険がある場合に限り行使を容認した
- 武器の使用:自己等の生命、身体を防衛するための必要最小限の武器の使用は「武力の行使」に当たらないと整理される
正しい。判例は、9条によりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないとした(最大判昭34.12.16)。
砂川事件(最大判昭34.12.16)は、憲法9条はいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、これによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないとした。そのうえで、わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことであるとした。戦力を保持しないことによって生ずる防衛力の不足は、前文にいう平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補うこととしたのであり、その手段は国際連合の機関による安全保障措置に限られず、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができるとされた。他国に安全保障を求めることを憲法が禁じていないという結論は、この自衛権の理解から導かれている。本肢は判旨の出発点となる部分をそのまま述べている。

わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない
正しい。判例は、9条2項が保持を禁止した戦力とはわが国が主体となって指揮権、管理権を行使し得る戦力をいい、外国の軍隊はわが国に駐留するとしても戦力には該当しないとした(最大判昭34.12.16)。
砂川事件(最大判昭34.12.16)は、9条2項が戦力の不保持を定めた趣旨について、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすことのないようにするためであるとした。この趣旨からすれば、同項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうことになり、結局わが国自体の戦力を指す。外国の軍隊は、わが国が指揮権、管理権を行使できるものではないから、たとえそれがわが国に駐留するとしても、同項にいう戦力には該当しないとされた。同判決は、同項が自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かについては判断を留保しており、判断したのは駐留する外国の軍隊が戦力に当たらないという点に限られる。日米安全保障条約そのものの合憲性については、高度の政治性を有するものとして、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査権の範囲外にあるとした。

その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しない
誤り。違うのは「侵略のための陸海空軍その他の戦力の保持を禁じていることは一見明白である」と「一義的に明確な規定と解することはできない」の部分である。最高裁判所はこのような判示をしておらず、自衛のための戦力の保持を禁じたものであるか否かは別として、と述べて判断を留保した(最大判昭34.12.16)。
砂川事件(最大判昭34.12.16)は、9条2項が戦力の不保持を規定したのは、わが国が戦力を保持し、自らその主体となって指揮権、管理権を行使することにより、いわゆる侵略戦争を引き起こすことのないようにするためであるとした。しかし、9条が侵略のための戦力の保持を禁じていることは一見明白であるという判示はしていない。また、自衛のための戦力については、同項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、と述べるにとどめ、この点の判断を留保している。禁じているか否かについて同項が一義的に明確な規定とは解されないという判断を示したわけでもない。本肢のような説示は最高裁判所の判決には見当たらず、自衛隊の合憲性が争われた長沼事件の上告審(最判昭57.9.9)も、訴えの利益の消滅を理由に上告を棄却し、9条の解釈には立ち入らなかった。最高裁判所は自衛のための戦力の保持が9条2項に反するかについて判断を示しておらず、本肢は最高裁判所の判例の要約としては誤りである。

2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、…いわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためである
正しい。判例は、9条の宣明する規範は私法的な価値秩序とは本来関係のない優れて公法的な性格を有する規範であり、そのままの内容で民法90条の公の秩序を形成して私法上の行為の効力を一律に否定する作用を営むことはないとした(最判平元.6.20)。
百里基地訴訟(最判平元.6.20)は、国が自衛隊基地の用地を取得するために私人と締結した売買契約の効力が争われた事案である。同判決は、国が行政の主体としてでなく私人と対等の立場に立って締結する私法上の契約は、特段の事情のない限り憲法98条1項にいう国務に関するその他の行為に当たらず、9条の直接適用を受けないとした。そのうえで、9条の宣明する国際平和主義、戦争の放棄、戦力の不保持などの国家の統治活動に対する規範は、私法的な価値秩序とは本来関係のない優れて公法的な性格を有する規範であるから、私法的な価値秩序において、そのままの内容で民法90条にいう公の秩序の内容を形成し、それに反する私法上の行為の効力を一律に否定する法的作用を営むことはないとした。9条は、私法上の規範によって相対化され、社会的に許容されない反社会的な行為であるとの認識が社会の一般的な観念として確立しているかという観点から、公の秩序の内容の一部を形成するにとどまる。本肢はこの判旨を正確に述べている。

憲法9条の宣明する国際平和主義、戦争の放棄、戦力の不保持などの国家の統治活動に対する規範は、私法的な価値秩序とは本来関係のない優れて公法的な性格を有する規範であるから、私法的な価値秩序において、右規範がそのままの内容で民法90条にいう『公ノ秩序』の内容を形成し、それに反する私法上の行為の効力を一律に否定する法的作用を営むということはない