違法性の意識と法律の錯誤とは
いほうせいのいしきとほうりつのさくご
違法性の意識とは、自己の行為が法的に許されないものであると知っていることです。事実は正しく認識しながら、誤って自己の行為は違法でないと考えた場合を法律の錯誤(違法性の錯誤)といい、38条3項は、法律を知らなかったとしても故意は否定されないと定めています。
「そんな法律があるとは知らなかった」と言えば罪を免れるのであれば、法律を調べない人ほど得をすることになります。そこで刑法は、法律を知らなかったとしても罪を犯す意思がなかったとはいえないと定めています。もっとも、役所に確かめて「問題ない」と言われたような場合まで責めるのは酷です。違法だと知る機会がなかった人をどこまで非難できるかが、違法性の意識の問題です。
法律を知らなくても故意は否定されず、情状により刑を減軽できるにとどまります
38条3項は「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる」と定めています。故意の内容は犯罪事実の認識であり、自己の行為が法的に許されないという評価の認識までは含まないというのが本文の意味です。ただし書の効果は任意的な減軽だけで、免除は定められていません。「情状により,その刑を減軽し,又は免除することができる」という肢は誤りです。他方、38条3項ただし書による減軽は法律上の減軽なので、67条により、そのうえで酌量減軽をすることもできます。「情状により,法律上の減軽のみならず,更に酌量減軽もすることができる」という肢は正しいです。
違法性の意識が必要かどうかについては、不要説・厳格故意説・制限故意説・責任説が対立します
違法性の意識を欠いた者を故意犯として処罰できるかについて、見解が分かれます。不要説は、違法性の意識もその可能性も犯罪の成否に関係がないとします。この説に対しては、違法性を意識しなかったことに相当の理由がある場合にまで故意責任を認めるのは責任主義に反するという批判が向けられます。厳格故意説は、違法性の意識は故意の要件であり、違法性の意識が認められない場合には故意が否定されるとします。この説に対しては、自分は正しいことをしていると信じる確信犯や、法令を知らなかったと弁解する行政取締法規の違反者を故意犯として処罰できなくなるという批判が向けられます。制限故意説は、現実の違法性の意識は不要であるがその可能性は必要であり、それは故意の要素であるとします。この説に対しては、可能性という過失的な要素を故意に入れるのは故意と過失の混同であるという批判が向けられます。責任説は、違法性の意識の有無は故意の成立とは無関係であるが、違法性の意識の可能性がなければ責任を肯定することはできないとします。違法性の意識の可能性を、故意とは別の、故意犯と過失犯に共通の責任要素と位置づける見解です。
- 不要説違法性の意識もその可能性も不要。違法性の意識を欠いても故意犯が成立する
- 厳格故意説現実の違法性の意識が故意の要件。違法性の意識がなければ故意が否定され、過失犯が成立し得るにとどまる
- 制限故意説違法性の意識の可能性が故意の要素。可能性がなければ故意が否定される
- 責任説違法性の意識の可能性は故意と別の責任要素。可能性がなければ責任が否定され、故意犯も過失犯も成立しない
判例は違法性の意識を不要とする立場を基本としつつ、相当の理由の有無を検討した例があります
判例は、違法性の意識は故意の要件ではないとする立場を基本としてきました。もっとも、最決昭和62年7月16日(百円札模造事件)は、飲食店の宣伝のために百円紙幣に似たサービス券を作成した被告人らについて、違法性の意識を欠いていたとしても、それにつき相当の理由がある場合には当たらないとした原判断を正当としました。そのうえで、違法性の意識を欠くにつき相当の理由があれば犯罪は成立しないとの見解の採否については、立ち入った検討をまつまでもないとして、判断を留保しています。この事件の被告人は、警察署で、誰が見ても紛らわしくない物にするよう助言を受けたのに、その助言を軽視していました。最高裁が相当の理由の有無を実質的に検討したことから、違法性の意識の可能性を必要とする方向を示唆したものと受け止められています。
事実の錯誤は故意を阻却し、法律の錯誤は故意を阻却しません
事実の錯誤は、犯罪事実の認識そのものを欠く場合なので、軽率な誤解であっても故意を阻却します。法律の錯誤は、事実を正しく認識したうえで自己の行為は許されると誤信した場合なので、38条3項により故意を阻却しません。区別の基準は、その構成要件に当たる事実の意味を認識していたかどうかです。大判大正14年6月9日(たぬき・むじな事件)は、捕獲が禁じられた「狸」に俗にいう「むじな」が含まれることを意識せず、むじなは狸とは別物であるとの信念の下に捕獲した被告人について、禁止された獣を捕獲する認識を欠いていたとして、故意を阻却しました。これに対し、大判大正13年4月25日(むささび・もま事件)は、その地方で「もま」と呼ばれている動物を、それが捕獲を禁じられた「むささび」に当たると知らずに捕獲した被告人について、故意を阻却しないとしました。もまそのものを認識して捕獲している以上、それが法律上のむささびに当たることを知らなかったのは法律の錯誤にすぎないからです。最判昭和26年8月17日(事実の錯誤と法律の錯誤)は、鑑札のない犬は他人の飼い犬でも無主犬とみなされると誤信して撲殺した被告人について、他人の所有に属する事実の認識を欠いていた可能性があるとして、故意を認めた原判決を破棄しました。法令の誤解が原因であっても、その結果として犯罪事実の認識を欠けば、事実の錯誤として扱われます。
正当防衛の成立要件を誤解した場合は、違法性の錯誤として扱われます
正当防衛に当たる事実がないのにあると誤信した場合と、事実の誤信はないが正当防衛の成立要件を誤解して正当防衛が成立すると誤信した場合とは区別されます。前者は誤想防衛の問題であり、後者が違法性の錯誤です。後者の誤信にやむを得ない理由があったとはいえない場合、違法性の意識の可能性は認められます。そのため、違法性の意識の可能性がなければ責任を肯定できないとする見解からは、責任は否定されず、故意犯が成立するという結論になります。これに対し、違法性の意識は故意の要件であるとする見解からは、現実の違法性の意識がない以上、故意が否定されるという結論になります。行政法規に違反した事例や、当局の回答を信じて行為した事例では、公的機関の見解を信頼したことが、違法性の意識を欠いたことについての相当の理由になるかが問題になります。
刑法38条3項
法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
論文ではこう使う
論文では、行政法規に違反した事例や、当局の回答を信じて行為した事例で、違法性の意識の可能性を論じます。まず、行為者に犯罪事実の認識があり構成要件的故意が認められることを確認します。そのうえで、行為者が自己の行為は許されると考えていたことを、事実の錯誤ではなく違法性の錯誤と位置づけます。次に、違法性の意識を欠いても38条3項により原則として故意犯が成立することを示し、責任主義の観点から、違法性の意識の可能性すらない場合、つまり違法性の意識を欠いたことに相当の理由がある場合には責任が阻却されるという規範を立てます。当てはめでは、誰に確認したのか、回答の内容、その回答を信頼してよい立場の者か、助言に従ったかを事実から拾います。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。