【判例】正当防衛の成立要件(刑法36条)
正当防衛の成立要件に関する主要判例を解説。急迫不正の侵害、防衛の意思、やむを得ずにした行為の各要件について、判例・学説の議論を詳しく分析します。
この判例のポイント
正当防衛(刑法36条1項)の成立には、急迫不正の侵害の存在、防衛の意思、やむを得ずにした行為(防衛行為の相当性)が必要である。判例は、侵害の急迫性について積極的加害意思がある場合にはこれを否定し、防衛行為の相当性については武器対等の原則にとらわれない柔軟な判断を行っている。平成29年決定は、侵害の急迫性の判断において刑法36条の趣旨に立ち返った新たな枠組みを示した。
事案の概要
急迫性と積極的加害意思の事案(最決昭52.7.21)
被告人は、相手方と以前からトラブルを抱えており、相手方が攻撃してくることを予期していた。被告人は包丁を準備した上で相手方の下へ赴き、相手方から攻撃を受けた際にこれに反撃して傷害を負わせた。侵害を予期していた場合に急迫性が認められるか、また積極的加害意思がある場合の急迫性の判断が問題となった。
防衛の意思の事案(最判昭50.11.28)
被告人は、相手方から突然殴りかかられたことに対して憤激し、「よし、やってやろう」という闘争的な意思をもって反撃に出た。反撃行為が防衛の意思に基づくものといえるかが争われた。
防衛行為の相当性の事案(最判昭44.12.4)
素手で攻撃してきた相手方に対し、被告人がナイフで反撃した事案。素手の攻撃に対して凶器を用いた反撃が「やむを得ずにした行為」に当たるかが問題となった。
侵害の急迫性の新判断枠組み(最決平29.4.26)
被告人は、知人から電話で呼び出しを受けた際、相手方の攻撃を予期し、包丁を準備してマンションの自室で待ち構えた。相手方が自室に侵入してきた際、被告人はこれを包丁で刺して傷害を負わせた。侵害を予期して準備行為を行った場合に、正当防衛の前提となる急迫性が認められるかについて、最高裁は新たな判断枠組みを示した。
争点
- 侵害を予期していた場合に「急迫性」は否定されるか
- 積極的加害意思がある場合の急迫性の判断はどうなるか
- 防衛の意思の内容と要否
- 防衛行為の相当性(「やむを得ずにした行為」)の判断基準
判旨
急迫性と予期(最決昭52.7.21)
刑法36条が正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではない
― 最高裁判所第一小法廷 昭和52年7月21日 昭和46年(あ)第2414号
しかし、同条が侵害の急迫性を要件としている趣旨から考えて、単に予期された侵害を避けなかったというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさないものと解するのが相当である
― 最高裁判所第一小法廷 昭和52年7月21日 昭和46年(あ)第2414号
本決定は、侵害の予期そのものは急迫性を否定しないとしつつ、積極的加害意思で侵害に臨んだ場合には急迫性が否定されるとした。これは、正当防衛が「不正」対「正」の関係にある場合の自己保全を認める制度であることから、自ら攻撃の機会を利用する者にはこの保護が及ばないとの趣旨である。
防衛の意思(最判昭50.11.28)
防衛に名を借りて侵害者に対し積極的に攻撃を加える行為は、防衛の意思を欠くものとして正当防衛の成立を否定すべきであるが、防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではないと解すべきである
― 最高裁判所第三小法廷 昭和50年11月28日 昭和50年(あ)第394号
本判決は、防衛の意思と攻撃の意思は併存しうるとした。憤激や闘争的意思が含まれていても、防衛の意思が完全に失われていない限り、正当防衛は成立しうる。もっぱら攻撃の意思のみによる場合に限って防衛の意思が否定される。
防衛行為の相当性(最判昭44.12.4)
正当防衛における防衛行為は、侵害に対する反撃行為が防衛手段として相当性を有するものであることを要するが、反撃行為が右の限度を超えたものであるかどうかは、侵害の態様・程度と反撃行為の態様・程度を比較し、防衛のための必要最小限度のものであったかどうかで判断すべきではなく、反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであったかどうかで判断すべきである
― 最高裁判所第三小法廷 昭和44年12月4日 昭和44年(あ)第1261号
本判決は、防衛行為の相当性は必要最小限度であることを要求するものではなく、防衛手段としての相当性の有無で判断されるとした。したがって、素手の攻撃に対して凶器を用いた反撃であっても、侵害の態様・程度に照らして相当といえる場合には、「やむを得ずにした行為」に当たる。
平成29年決定の新枠組み(最決平29.4.26)
刑法36条は、急迫不正の侵害という緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることが期待できないときに、侵害を排除するための私人による対抗行為を例外的に許容したものである。したがって、行為者が侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合、侵害の急迫性の要件については、侵害を予期していたことから、直ちにこれが失われるものではないが(中略)、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである
― 最高裁判所第一小法廷 平成29年4月26日 平成28年(あ)第1205号
本決定は、従来の「積極的加害意思」の有無という主観的基準ではなく、行為全般の状況を客観的に検討するという新たな枠組みを示した。具体的には、行為者と相手方の従前の関係、予期された侵害の内容、侵害の予期の程度、侵害回避の容易性、対抗行為の準備の状況(特に凶器の準備)とその態様等の事情を考慮して、行為者が侵害に臨んだ状況と行為者の対抗行為が正当防衛の趣旨に照らし許容されるものかを判断するとした。
ポイント解説
「急迫性」の意義と判断
急迫性とは、法益の侵害が現に存在するか、または間近に押し迫っていることをいう。過去の侵害や将来の侵害に対しては正当防衛は成立しない。
判例の展開を整理すると、以下のとおりである。
| 判例 | 判断 | 意義 |
|---|---|---|
| 最決昭52.7.21 | 侵害の予期は急迫性を否定しないが、積極的加害意思で臨んだ場合は急迫性が否定される | 主観的要素(積極的加害意思)による判断 |
| 最決平29.4.26 | 行為全般の状況に照らし、刑法36条の趣旨から急迫性を判断 | 客観的・総合的判断への転換 |
「不正」の意義
「不正」とは、違法であることを意味する。不正の侵害は、故意行為に限られず過失行為によるものも含まれる。また、侵害者に責任能力がなくても不正の侵害に当たる。ただし、動物による攻撃は「不正の侵害」に当たらず、正当防衛ではなく緊急避難(刑法37条)の問題となる。
防衛行為の相当性の判断構造
「やむを得ずにした行為」(防衛行為の相当性)の判断においては、以下の要素が考慮される。
- 侵害の態様・程度: 侵害者が使用する凶器の有無・種類、侵害者の体格・人数、侵害の執拗さ等
- 反撃行為の態様・程度: 防衛者が使用する凶器の有無・種類、反撃の強度・回数等
- 両者の比較: 侵害の態様・程度と反撃行為の態様・程度を対比し、反撃が防衛手段として社会通念上相当かを判断する
相当性は結果の均衡ではなく行為の均衡で判断される点が重要である。たとえ結果として侵害者に重大な傷害が生じたとしても、防衛行為自体が相当であれば正当防衛は否定されない。
学説・議論
防衛の意思の要否
正当防衛の成立に防衛の意思が必要かどうかについて、以下の対立がある。
- 防衛の意思必要説(判例・通説): 正当防衛が違法性を阻却するのは、正当な利益を守るために行われた行為だからであり、防衛の意思は違法性阻却の主観的要件として必要である。判例(最判昭50.11.28)もこの立場をとる
- 防衛の意思不要説: 違法性は客観的に判断されるべきであり、行為者の主観的意思は違法性阻却に影響しない。客観的に防衛行為として相当な行為であれば、防衛の意思がなくても正当防衛は成立するとする。この立場は結果無価値論に親和的である
自招侵害の問題
自招侵害とは、自らの挑発行為等によって相手方の侵害を招いた場合をいう。自招侵害の場合に正当防衛が成立するかについて、以下の議論がある。
- 正当防衛否定説: 自ら侵害を招いた者は「急迫不正の侵害」を主張することが権利濫用に当たるとして正当防衛を否定する立場。判例は、挑発行為が積極的加害意思に基づく場合に急迫性を否定することで、実質的にこの立場に近い結論を導いている
- 正当防衛制限説: 自招侵害であっても侵害の急迫性自体は失われないが、防衛行為の相当性が制限されるとする立場
- 正当防衛肯定説: 自招侵害であっても客観的に急迫不正の侵害が存在する以上、正当防衛の成立を認めるべきとする立場
判例(最決平20.5.20)は、被告人の先行する暴行が侵害を招いた事案において、被告人の反撃行為は「侵害の急迫性の要件を充たさない」として正当防衛を否定しており、自招侵害の場合の急迫性を否定する方向を示している。
平成29年決定の学説的評価
平成29年決定が示した新たな枠組みについて、学説上は以下の評価がある。
- 肯定的評価: 従来の「積極的加害意思」という内心の意思に着目する基準は、立証の困難さと判断の不安定さが指摘されてきた。平成29年決定が客観的事情を総合的に考慮する枠組みを示したことは、判断基準の明確化に資するとの評価がある
- 批判的評価: 客観的事情の総合考慮は判断要素が多く、結局のところ裁判官の裁量に委ねられる部分が大きいとの批判がある。また、従来の積極的加害意思論との関係(置き換えなのか、補充なのか)が必ずしも明確ではないとの指摘もある
判例の射程
昭和52年決定と平成29年決定の関係
平成29年決定は、昭和52年決定を引用しつつも、積極的加害意思の有無だけで急迫性を判断するのではなく、行為全般の状況を客観的に検討すべきとの新たな枠組みを示した。もっとも、平成29年決定は昭和52年決定を明示的に変更したものではないとされており、積極的加害意思論が完全に放棄されたわけではない。
今後は、昭和52年決定の積極的加害意思論と平成29年決定の総合判断論がどのような関係に立つかが、判例の蓄積を通じて明らかにされていくことになる。
防衛行為の相当性に関する判例の射程
最判昭44.12.4は、防衛行為の相当性が必要最小限度ではなく防衛手段としての相当性で判断されることを示した。この法理は、防衛者に過度の負担を課さないという正当防衛の趣旨に基づくものであり、その後の判例においても一貫して維持されている。
反対意見・補足意見
平成29年決定には個別の反対意見は付されていないが、本決定は裁判官全員一致の意見であり、正当防衛における急迫性の判断枠組みについて最高裁の意見が統一されたことを示している。
昭和52年決定についても、裁判官全員一致の意見であり、個別の反対意見・補足意見は付されていない。
試験対策での位置づけ
正当防衛は、司法試験・予備試験の刑法科目における最重要論点の一つであり、違法性阻却事由の中核として、短答式・論文式のいずれにおいても極めて高い頻度で出題されている。
短答式試験では、正当防衛の各要件(急迫不正の侵害、防衛の意思、やむを得ずにした行為)の意義、過剰防衛との区別、緊急避難との比較が定番の出題テーマである。特に、「不正の侵害」に対物防衛や過失行為による侵害が含まれるか、防衛の意思の要否をめぐる学説対立が頻出する。
論文式試験では、正当防衛は事例問題においてほぼ毎年検討が求められる論点である。平成29年司法試験刑法では共同正犯と正当防衛の交錯が出題され、採点実感では「急迫不正の侵害」及び「防衛の意思」について簡潔に論じた上、「やむを得ずにした行為」の意義を正確に論述することが求められた。令和元年・令和4年にも正当防衛に関連する出題がなされている。
出題パターンとしては、(1)急迫性の有無が問題となる事案(自招侵害・侵害の予期)、(2)防衛行為の相当性が問題となる事案(凶器使用・過剰防衛)、(3)量的過剰が問題となる事案(侵害終了後の追撃行為)の3類型が典型的である。平成29年決定が示した新枠組みは、今後の論文試験で出題される可能性が高い。
答案での使い方
基本的な論証パターン
パターン1: 急迫性が問題となる場合(侵害の予期がある場合)
「本件では、甲がAからの攻撃を予期していた点で、侵害の急迫性が認められるかが問題となる。この点、侵害が予期されていたとしても、そのことから直ちに侵害の急迫性が失われるものではない(最決昭52.7.21)。もっとも、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして、行為者がその機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、急迫性の要件を充たさない(最決平29.4.26)。本件では、甲は事前に凶器を準備し、相手方の下へ自ら赴いていることから、行為全般の状況に照らし、甲が侵害の機会を利用して積極的に加害する意思で臨んだと評価でき、急迫性が否定される。」
パターン2: 防衛行為の相当性が問題となる場合
「本件における甲の反撃行為が『やむを得ずにした行為』(刑法36条1項)に当たるかが問題となる。この点、防衛行為の相当性は、必要最小限度の行為であることを要求するものではなく、侵害の態様・程度と反撃行為の態様・程度を比較し、防衛手段として相当性を有するかにより判断すべきである(最判昭44.12.4)。本件では、Aの素手による攻撃は甲の身体に対する相当程度の危険を有するものであったところ、甲の反撃はこれを排除するために必要な限度にとどまっており、防衛手段として相当性を有する。よって、甲の行為は『やむを得ずにした行為』に当たる。」
パターン3: 過剰防衛が問題となる場合
反撃行為が相当性を超えた場合には、過剰防衛(刑法36条2項)の検討に移行する。「甲の反撃行為は防衛手段としての相当性を超えるものであり、『やむを得ずにした行為』とはいえない。もっとも、急迫不正の侵害に対する防衛行為として行われた以上、過剰防衛として刑の任意的減免が認められる(刑法36条2項)。」
答案作成上の注意点
- 急迫性→防衛の意思→相当性の順番で検討すること。急迫性が否定されれば、それ以降の要件は検討不要である
- 平成29年決定の新枠組みを用いる場合は、行為者と相手方の従前の関係、予期された侵害の内容、侵害の予期の程度、侵害回避の容易性、対抗行為の準備の状況の各要素を具体的に認定すること
- 防衛行為の相当性は結果の均衡ではなく行為の均衡で判断すること。結果が重大であるという理由だけで相当性を否定してはならない
- 量的過剰(侵害終了後の追撃行為)が問題となる場合は、侵害の継続性の認定が重要である。一連一体の行為と評価できるかどうかが過剰防衛の成否を分ける
重要概念の整理
正当防衛の成立要件の全体像
| 要件 | 内容 | 判断基準 | 主要判例 |
|---|---|---|---|
| 急迫不正の侵害 | 法益侵害が現に存在するか間近に迫っていること | 予期していても直ちに否定されないが、積極的加害意思又は行為全般の状況により否定されうる | 最決昭52.7.21、最決平29.4.26 |
| 防衛の意思 | 急迫不正の侵害を認識し、これを避けようとする意思 | 攻撃の意思と併存可能。もっぱら攻撃の意思のみの場合に否定される | 最判昭50.11.28 |
| やむを得ずにした行為 | 防衛手段としての相当性 | 必要最小限度ではなく、侵害と反撃の態様・程度の比較で判断 | 最判昭44.12.4 |
正当防衛・過剰防衛・緊急避難の比較
| 項目 | 正当防衛(36条1項) | 過剰防衛(36条2項) | 緊急避難(37条1項) |
|---|---|---|---|
| 対象 | 不正の侵害 | 不正の侵害 | 現在の危難 |
| 方向 | 侵害者に対する反撃 | 侵害者に対する過剰な反撃 | 第三者への転嫁も可 |
| 要件 | 急迫不正の侵害、防衛の意思、相当性 | 急迫不正の侵害、防衛の意思あり、相当性なし | 現在の危難、補充性、法益の均衡 |
| 効果 | 違法性阻却(罰しない) | 刑の任意的減免 | 違法性阻却(罰しない) |
| 補充性 | 不要(退避義務なし) | ― | 必要(他に方法がないこと) |
急迫性の判断枠組みの変遷
| 時期 | 判断枠組み | 内容 |
|---|---|---|
| 昭和52年決定 | 積極的加害意思論 | 侵害の予期だけでは急迫性は否定されないが、積極的加害意思がある場合は否定 |
| 平成20年決定 | 自招侵害における急迫性否定 | 自招侵害の場合に急迫性を否定する方向を示す |
| 平成29年決定 | 行為全般の状況による総合判断 | 従前の関係、侵害の予期の程度、回避容易性、準備状況等を総合考慮 |
発展的考察
量的過剰防衛の問題
量的過剰防衛とは、当初は正当防衛として相当な反撃行為であったものが、侵害が終了した後も継続された場合をいう。質的過剰防衛(反撃行為の態様が当初から過剰な場合)とは区別される。量的過剰防衛の場合、防衛行為と追撃行為を一連一体の行為として評価できるかが問題となり、一体と評価できる場合には全体について過剰防衛が成立するが、別個の行為と評価される場合には追撃部分について独立の犯罪が成立する。判例は、侵害の継続性と反撃行為の連続性を総合的に考慮して一連一体性を判断している。
対物防衛の問題
他人の犬に襲われた場合に犬を殴打して撃退する行為は正当防衛か緊急避難かという問題がある。判例・通説は、「不正の侵害」は人の行為を前提とするため、動物の攻撃に対しては正当防衛ではなく緊急避難が問題となるとする。もっとも、飼い主が犬をけしかけた場合には、飼い主の行為を通じた「不正の侵害」として正当防衛が成立しうる。近時は、対物防衛を広く認めるべきとする学説も有力化しており、物の危険に対する正当防衛を一般的に承認する方向の議論がある。
正当防衛と誤想防衛の関係
客観的には急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、行為者が侵害の存在を誤信して反撃した場合が誤想防衛である。誤想防衛の場合、行為者には故意が阻却されるとするのが通説であるが、その理論的根拠については、違法性阻却事由の前提事実の錯誤として故意を阻却するとする見解と、責任故意を阻却するとする見解の対立がある。さらに、誤想防衛において反撃が過剰であった場合(誤想過剰防衛)の処理についても議論があり、実務上も問題となることが多い。
正当防衛権の社会的機能
正当防衛の基礎にある「正は不正に譲歩する必要はない」という原理は、個人の権利保護にとどまらず、法秩序全体の維持という機能をも有する。この理解からは、正当防衛は緊急避難とは異なり退避義務が課されないことが説明される。もっとも、近時の学説では、正当防衛権の無制限な行使を抑制する方向での議論が活発化しており、社会的相当性による制限や、特殊な人的関係(夫婦・親子等)における正当防衛の制限が論じられている。
よくある質問
Q1: 正当防衛では相手を殺してしまっても罪に問われないのですか。
正当防衛の要件を全て充たす場合には、結果として相手が死亡しても違法性が阻却され、罪に問われない。ただし、防衛行為の相当性は厳格に判断されるため、生命に対する重大な侵害をもたらす反撃行為が「やむを得ずにした行為」と認められるには、侵害の態様・程度がそれに相応する重大なものであることが必要である。例えば、素手の攻撃に対していきなり刃物で致命的部位を突き刺す行為は、通常は相当性を欠くと判断される可能性が高い。その場合は過剰防衛となり、刑の任意的減免が問題となるにとどまる。
Q2: 侵害を予期して凶器を準備していた場合、正当防衛は一切認められませんか。
一切認められないわけではない。平成29年決定は、侵害を予期し凶器を準備していた場合であっても、そのことのみをもって直ちに急迫性が否定されるわけではないとしている。あくまで、行為者と相手方の従前の関係、予期された侵害の内容、侵害の予期の程度、侵害回避の容易性、対抗行為の準備の状況とその態様等の事情を総合的に考慮して判断される。もっとも、同決定の事案では、積極的に相手方に加害する意思で凶器を準備していたことから、急迫性が否定された。
Q3: けんかの場合に正当防衛は成立しますか。
けんかの場合であっても、一概に正当防衛が否定されるわけではない。判例は、けんかであっても一方の暴行が一方的に激化した場合や、一方が攻撃をやめた後に相手方が攻撃を継続した場合には、攻撃を受けた側に正当防衛が成立しうるとしている。もっとも、双方が対等に暴行を行っている状況では、相互に「不正の侵害」が存在することから、双方とも正当防衛を主張しにくい。実務では、けんかの経緯、先に手を出した側、暴行の程度の差異等を総合して判断される。
Q4: 自招侵害の場合に正当防衛は否定されますか。
自招侵害の場合、正当防衛が否定される方向にある。最決平成20年5月20日は、被告人が先に相手方に暴行を加え、これに触発された相手方が反撃してきた場合について、被告人の反撃行為は「侵害の急迫性の要件を充たさない」とした。もっとも、自招侵害の全てについて正当防衛が否定されるわけではなく、挑発の程度と侵害の程度が著しく均衡を欠く場合(軽微な挑発に対して凶器を用いた重大な侵害がなされた場合等)には、なお正当防衛が成立しうるとの見解が有力である。
Q5: 過剰防衛の場合、必ず刑が減免されますか。
過剰防衛による刑の減免は任意的である(刑法36条2項「情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる」)。したがって、裁判所は過剰防衛が認められた場合であっても、刑の減免を行わないことができる。実務上は、過剰の程度が軽微な場合や、防衛者が恐怖・興奮等の心理状態にあった場合には刑の減免が認められやすいが、過剰の程度が著しい場合や防衛者に落ち度がある場合には減免が認められないこともある。
既存セクションの拡充についての補足
ポイント解説の補足: 平成29年決定の具体的考慮要素
平成29年決定が示した急迫性の総合判断における考慮要素を整理すると、以下のとおりとなる。
| 考慮要素 | 内容 | 急迫性肯定方向 | 急迫性否定方向 |
|---|---|---|---|
| 従前の関係 | 行為者と相手方の人間関係 | 一方的な被害者 | 相互に対立・抗争関係 |
| 侵害の予期の程度 | 侵害をどの程度予期していたか | 漠然とした不安 | 確実に予期 |
| 侵害回避の容易性 | 侵害を回避することが容易であったか | 回避困難 | 容易に回避可能 |
| 対抗行為の準備状況 | 凶器の準備等の有無・態様 | 準備なし | 凶器を事前に準備 |
| 侵害の場所 | 侵害が行われた場所 | 自宅への侵入 | 自ら相手方の下へ出向いた |
学説・議論の補足: 正当防衛と社会的相当性
正当防衛においても社会的相当性による制限を認めるべきかが議論されている。例えば、幼児や精神障害者からの攻撃に対して、成人がこれを排除するために強力な反撃を行うことが正当防衛として許容されるかという問題がある。この場合、形式的には急迫不正の侵害が存在するが、侵害者の属性を考慮すると、退避やより穏やかな手段を選択すべきであるとする見解がある。この「社会倫理的制限」の問題は、正当防衛の正当化根拠とも関連する重要な論点である。
関連条文
急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
― 刑法 第36条第1項
防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
― 刑法 第36条第2項
関連判例
- 過剰防衛と誤想防衛の判例 - 正当防衛の限界を超えた場合の法的処理
- 刑法上の因果関係の判例 - 防衛行為による結果と因果関係
試験に出るポイント(5つ)
- 短答式: 正当防衛の各要件の意義と相互関係 --- 急迫不正の侵害・防衛の意思・やむを得ずにした行為の三要件について、「不正」には過失行為も含まれるか、動物の攻撃は「不正の侵害」か、防衛の意思は必要か等の正誤問題が頻出する。
- 短答式: 正当防衛と過剰防衛・緊急避難の比較 --- 正当防衛には補充性(退避義務)が不要であること、過剰防衛の刑の減免は「任意的」であること、緊急避難には法益の均衡が必要であること等の区別を正確に問う出題が定番。
- 論文式: 急迫性の判断(平成29年決定の新枠組み) --- 昭和52年決定の積極的加害意思論に加え、平成29年決定が示した「行為全般の状況に照らした総合判断」の枠組みを用いた論証が求められる。従前の関係・侵害の予期の程度・回避容易性・準備状況等の考慮要素を具体的事実にあてはめる能力が問われる。
- 論文式: 防衛行為の相当性の判断 --- 「必要最小限度ではなく防衛手段としての相当性」で判断するという基準(最判昭44.12.4)を正確に示し、侵害と反撃の態様・程度の比較を行う。結果の均衡ではなく行為の均衡で判断する点を明示する。
- 論文式: 量的過剰防衛の処理 --- 当初は相当な防衛行為が侵害終了後も継続された場合に、一連一体の行為として過剰防衛と評価するか、別個の犯罪行為と評価するかの判断が問われる。侵害の継続性と反撃の連続性の認定がポイント。
覚えるべき要点
キーフレーズ
- 「当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではない」(最決昭52.7.21)
- 「その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさない」(最決昭52.7.21)
- 「対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである」(最決平29.4.26)
- 「防衛の意思と攻撃の意思とが併存している場合の行為は、防衛の意思を欠くものではない」(最判昭50.11.28)
- 「反撃行為が侵害に対する防衛手段として相当性を有するものであったかどうかで判断すべきである」(最判昭44.12.4)
数字・日付
- 急迫性と積極的加害意思: 最決昭和52年7月21日(昭和46年(あ)第2414号)
- 防衛の意思: 最判昭和50年11月28日(昭和50年(あ)第394号)
- 防衛行為の相当性: 最判昭和44年12月4日(昭和44年(あ)第1261号)
- 急迫性の新枠組み: 最決平成29年4月26日(平成28年(あ)第1205号)
- 自招侵害: 最決平成20年5月20日
- 関連条文: 刑法36条1項(正当防衛)、36条2項(過剰防衛)、37条1項(緊急避難)
対比表
| 比較項目 | 昭和52年決定(積極的加害意思論) | 平成29年決定(行為全般の状況論) |
|---|---|---|
| 判断の着眼点 | 行為者の内心(積極的加害意思の有無) | 客観的事情の総合考慮 |
| 考慮要素 | 加害意思の有無 | 従前の関係、予期の程度、回避容易性、準備状況等 |
| 判断構造 | 主観的基準 | 客観的・総合的基準 |
| 批判 | 立証困難、判断不安定 | 裁判官の裁量が大きい |
| 相互関係 | 平成29年決定により補充・発展 | 昭和52年決定を明示的に変更したものではない |
論証への活かし方
規範の明示
答案で引用すべき規範は以下のとおりである。
急迫性の規範:
「侵害が予期されていたとしても、そのことから直ちに侵害の急迫性が失われるものではない。もっとも、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして、行為者がその機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、急迫性の要件を充たさない」(最決昭52.7.21、最決平29.4.26)
防衛行為の相当性の規範:
「防衛行為の相当性は、必要最小限度の行為であることを要求するものではなく、侵害の態様・程度と反撃行為の態様・程度を比較し、防衛手段として相当性を有するかにより判断すべきである」(最判昭44.12.4)
論文での引用例
「本件では、甲がAからの攻撃を予期して包丁を準備していた点で、侵害の急迫性が問題となる。侵害が予期されたとしても直ちに急迫性が失われるわけではないが、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきである(最決平29.4.26)。本件では、甲とAは従前から相互に対立関係にあり、甲はAの攻撃をほぼ確実に予期しつつ、殺傷能力の高い包丁を事前に準備した上で、自らAの下へ出向いている。侵害回避は容易であったにもかかわらず、甲はあえて対抗手段を準備して侵害に臨んでいることから、行為全般の状況に照らし、急迫性の要件を充たさない。」
あてはめのコツ
- 平成29年決定の考慮要素を一つ一つ認定する: 「従前の関係」「予期された侵害の内容」「侵害の予期の程度」「侵害回避の容易性」「対抗行為の準備の状況」を問題文の事実から丁寧に拾い、各要素について急迫性肯定・否定いずれの方向に作用するかを明示する
- 防衛行為の相当性は行為の均衡で判断する: 「結果として相手方が死亡したとしても、反撃行為自体が防衛手段として相当であれば正当防衛は否定されない」という点を明示し、結果の重大性のみで相当性を否定しないよう注意する
- 過剰防衛が問題となる場合は刑法36条2項の任意的減免を忘れない: 相当性を超えると判断した場合は、「もっとも、急迫不正の侵害に対する防衛行為として行われた以上、過剰防衛(刑法36条2項)として刑の任意的減免が認められる」と続ける
- 量的過剰の場合は一連一体性の認定が鍵: 侵害終了後の追撃を含む場合は、「防衛行為と追撃行為を一連一体の行為として評価できるか」を侵害の継続性・反撃の連続性から判断する
まとめ
正当防衛の成立要件に関する判例は、急迫性・防衛の意思・防衛行為の相当性の各要件について豊富な法理を形成してきた。特に急迫性については、昭和52年決定の積極的加害意思論に加え、平成29年決定が行為全般の状況を客観的に考慮する新たな枠組みを示し、判例の展開が注目されている。防衛行為の相当性については、必要最小限度ではなく防衛手段としての相当性で判断するという基準が一貫して維持されている。正当防衛は違法性阻却事由の中核であり、その要件論の精緻化は今なお継続的な課題である。
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