信頼の原則とは
しんらいのげんそく
信頼の原則とは、行為者が、被害者や第三者が適切な行動をとることを信頼するのが相当な場合には、その者の不適切な行動によって結果が発生しても、過失責任を負わないという考え方です。
青信号で交差点に入るとき、赤信号の側から車が突っ込んでくるかもしれないと考えて毎回止まっていたら、道路は使いものになりません。信号を守って走る人は、ほかの人も信号を守ると考えて行動してよいはずです。刑法も、他人が決まりを守って適切に行動すると信頼するのが相当な場面では、その他人が決まりを破ったために起きた事故について、過失の責任を負わせません。そうしなければ、交通や医療のように多くの人が役割を分け合う活動が成り立たなくなるからです。
信頼の原則は、他人が適切な行動をとると信頼するのが相当な場合に過失責任を否定します
信頼の原則とは、行為者が、被害者や第三者が適切な行動をとることを信頼するのが相当な場合には、その者の不適切な行動によって結果が発生しても、過失責任を負わないという考え方です。最判昭和42年10月13日は、右折の合図をして右折を始めた原動機付自転車に、後方から高速度で追い越そうとした車両が接触した事案で、この考え方を採用しました。最高裁は、車両の運転者は互いに他の運転者が交通法規に従って適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきものであるとしました。そして、あえて交通法規に違反して、高速度でセンターラインの右側にはみ出してまで追い越そうとする車両のあり得ることまで予想して、右後方の安全を確認すべき注意義務はないとして、無罪としました。
行為者に法令違反があっても、信頼の原則が適用される場合があります
最判昭和42年10月13日の事案では、被告人自身にも、あらかじめ道路の左端に寄らずに右折を始めたという道路交通法違反がありました。それでも最高裁は、この違反は注意義務の存否とは関係がないとして、信頼の原則を適用しました。行為者に何らかの法令違反があるというだけで、相手の適切な行動を信頼することが許されなくなるわけではありません。「行為者が法令に違反する行動をした事案においても信頼の原則が適用される場合がある」という肢は正しいです。問題は、その違反が事故の原因となる危険を高め、相手の行動への信頼を不相当にするようなものであったかどうかです。
相手の不適切な行動を予見できる特別の事情があるときは、信頼の原則は適用されません
信頼の原則が働くのは、相手の適切な行動を信頼することが相当といえる場合に限られます。相手が幼児や高齢者、酩酊者であって適切な行動を期待できない場合や、相手が現に危険な行動に出ているのを認識した場合には、信頼は相当でなく、その行動に備えた措置を採る義務があります。また、信頼の原則は、過失相殺とは別の考え方です。「被害者が不適切な行動に出ないことを信頼するに足る事情があり,その被害者の不適切な行動によって結果が発生した場合は,過失相殺が適用されるから,行為者の注意義務違反の程度が著しい場合であっても重過失が認められることはない」という肢は誤りです。刑法上の過失犯に過失相殺は適用されず、行為者に著しい注意義務違反があれば重過失が認められ得るからです。
信頼の原則は、交通事故に限らず、チーム医療のような分業の場面にも適用されます
信頼の原則は交通事故の分野で発展しましたが、複数の者が役割を分担して危険な作業を行う場面にも適用されます。札幌高判昭和51年3月18日(北大電気メス事件)は、手術で使う電気メスのケーブルを看護師が誤って接続した事案で、経験を積んだ看護師を信頼して接続の正否を点検しなかった執刀医について、注意義務の違反はないとしました。「信頼の原則は,交通事故の過失犯だけに適用されるものであり,それ以外の過失犯に適用される余地はない」という肢は誤りです。監督する立場の者についても同じです。「過失行為を行った者を監督すべき地位にある者の過失の有無を判断する際には,信頼の原則は適用されない」という肢は誤りです。部下が適切に職務を行うと信頼するのが相当であれば、監督者の過失は否定され得るからです。もっとも、信頼が相当といえるかは事案によります。最決平成17年11月15日は、診療科でだれも実施した経験のない抗がん剤治療について、科長は主治医らが投与計画を誤る事態を予見できたとして、投与計画の内容に踏み込んで検討し誤りを是正すべき注意義務を認めました。
信頼の原則は、旧過失論では予見可能性、新過失論では結果回避義務の問題として位置づけられます
信頼の原則が過失を否定する理由の説明は、過失の本質の捉え方によって変わります。結果回避義務違反を過失の本質とする新過失論からは、相手の適切な行動を信頼してよい場合には、相手の不適切な行動に備えた結果回避措置を採る義務がないと説明されます。予見可能性を過失の本質とする旧過失論からは、相手の不適切な行動まで予見する義務はないと説明されます。「A説の立場からは,いわゆる信頼の原則は,予見可能性が否定される場合の一部を類型化したものと理解することができる」という記述は、旧過失論からの説明として正しいです。「A説からは、いわゆる信頼の原則を過失犯に適用する余地はない」という記述は、旧過失論からの帰結として正しくありません。どちらの見解からも、信頼の原則によって過失が否定されるという結論は変わりません。
最判昭和42年10月13日
車両の運転者は、互に他の運転者が交通法規に従って適切な行動に出るであろうことを信頼して運転すべきもの
論文ではこう使う
論文では、交通事故や分業の事例で、注意義務の範囲を限定する根拠として信頼の原則を使います。過失犯の枠組みに沿って、予見可能性と結果回避義務を検討する中で論じます。まず、行為者が相手の適切な行動を信頼していたこと、その信頼が相当であったことを、問題文の事実から認定します。交通事故であれば、道路の状況、信号の表示、相手の速度や進路を拾います。分業の事例であれば、相手の資格と経験、役割分担の内容、過去に誤りがあったかを拾います。次に、信頼を不相当にする特別の事情がないかを検討します。相手が適切な行動をとれないことを行為者が認識していた場合や、行為者自身の違反が危険を高めていた場合には、信頼の原則は適用されないと書きます。信頼が相当といえれば、相手の不適切な行動に備える結果回避義務はなかったとして、過失を否定します。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。