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相殺の抗弁と二重起訴の禁止|114条2項と142条の交錯

相殺の抗弁と二重起訴の禁止の交錯問題を解説。114条2項の趣旨、別訴で訴求中の債権による相殺の可否、判例法理を整理します。

この記事のポイント

相殺の抗弁は判決理由中の判断であるにもかかわらず例外的に既判力が生じ(民訴法114条2項)、しかも自働債権の存否が別個独立の判断対象となるため、別訴で訴求中の債権を自働債権とする相殺は二重起訴の禁止(142条)の趣旨に抵触する。 この記事では、(1)相殺の抗弁とは何か、(2)なぜ114条2項が理由中の判断に既判力を認めるのか、(3)142条(重複起訴の禁止)の趣旨は何か、(4)両者が交錯する場面で判例(最判平3.12.17、最判平10.6.30)がどう処理したか、を順に整理する。検索意図である「相殺の抗弁 二重起訴」「114条2項 142条」「相殺 既判力」のすべてに正面から答えることを目標とする。

民事訴訟法の論点のなかでも、この相殺の抗弁と二重起訴の交錯は、(ア)実体法(民法505条以下の相殺)、(イ)既判力論(114条2項)、(ウ)訴訟係属論(142条)という三つの領域が一点で交わる、いわば民訴法の「結節点」というべき論点である。司法試験・予備試験では、既判力の客観的範囲の応用問題として、あるいは複雑訴訟(反訴・別訴・弁論の併合)の処理問題として、繰り返し出題されてきた。本記事は、各領域の基礎をていねいに確認したうえで、交錯場面の判例法理と答案の書き方までを一気通貫で整理する。


相殺の抗弁とは|端的な定義

相殺の抗弁とは、原告が訴求する債権(受働債権)に対して、被告が自らの有する反対債権(自働債権)をもって対当額で消滅させると主張する防御方法をいう。 実体法上の相殺(民法505条以下)を訴訟上の攻撃防御方法として行使するものであり、相殺の意思表示と訴訟上の主張という二面性を持つ。

ここで用語を確定しておく。

用語 意味 受働債権 相殺によって消滅させられる債権。訴訟物となっている原告の請求債権(被告から見れば受け身で消される側) 自働債権(反対債権) 相殺の主張者(被告)が有し、相殺の能動側として持ち出す債権 対当額 自働債権と受働債権が重なり合い、双方が消滅する額 相殺適状 双方の債権が対立し、いずれも弁済期にあり、性質上相殺が許される状態(民法505条1項)

相殺の抗弁の特徴は、被告が「請求債権の発生・消滅原因を争う通常の抗弁(弁済・免除など)」とは別に、自らの財産(自働債権)を犠牲にして請求を排斥する点にある。請求棄却を求める通常の防御方法と異なり、相殺は自働債権という独立の権利の存否判断を伴う。この「独立の権利の存否判断を伴う」という性質こそが、114条2項の既判力と142条の二重起訴の双方を引き起こす根本原因である。

通常の抗弁、たとえば弁済の抗弁が認められた場合、判決理由中で「弁済により請求債権は消滅した」と判断されるが、その「弁済の事実」自体には既判力は生じない(114条1項)。これに対し相殺の抗弁は、自働債権という被告の積極財産を訴訟に投入する。被告は相殺によって請求を退けることに成功すれば、その代わりに自働債権を失う。すなわち相殺は「攻撃を伴う防御」であり、純粋な防御方法である弁済等とは性質が大きく異なる。この差異が、後述するように既判力と二重起訴の両面で特別扱いを生む。

相殺適状と相殺の遡及効(実体法の確認)

相殺の意思表示がされると、双方の債権は相殺適状が生じた時点に遡って対当額で消滅したものとみなされる(民法506条2項、相殺の遡及効)。この遡及効は、相殺後の利息計算や遅延損害金の発生範囲に影響を与えるため、訴訟上どの時点で相殺適状が生じたか(自働債権の弁済期到来時か等)を確定する実益がある。訴訟上の相殺の抗弁が認められると、判決はこの実体法上の相殺の効果を前提として受働債権の消滅を確定し、114条2項により自働債権の消滅にも既判力を及ぼす。

なお、自働債権に同時履行の抗弁権その他の抗弁権が付着している場合、その抗弁権を相手方から一方的に奪うことになるため、原則として相殺の自働債権とすることはできないと解されている。訴訟上の相殺においても、自働債権に抗弁権が付着していないことが相殺が認められる前提となる。

相殺の抗弁の法的性質(私法行為説・訴訟行為説・両性説)

相殺の抗弁の法的性質については学説上の争いがある。

  • 私法行為説:相殺は民法上の意思表示であり、訴訟上は単にその効果(債権消滅)を主張するにすぎないと見る。
  • 訴訟行為説:相殺の主張は専ら訴訟上の防御方法であり、訴訟外の実体的効果は生じないと見る。
  • 両性説(併存説・通説):相殺の抗弁には私法上の意思表示と訴訟上の主張という二つの性質が併存すると見る。

通説たる両性説によれば、相殺の意思表示としての実体的効力と、訴訟上の防御方法としての規律(時機に後れた攻撃防御方法の却下、後述の予備的相殺の審理順序など)の双方が問題となる。この性質論は、相殺の抗弁が撤回できるか、訴え取下げ後に相殺の効果が残るか、といった具体的問題で意味を持つ。

たとえば、被告が訴訟上の相殺の抗弁を提出したものの、その後に訴えが取り下げられた、あるいは相殺の抗弁を撤回した場合に、いったんされた相殺の意思表示の実体的効果(自働債権の消滅)が残るのかという問題がある。両性説のうちでも、訴訟上の相殺は訴訟における審判を期待してされた条件付きの意思表示であるとみて、訴訟上の判断がされなかった場合には実体的効果も生じない(または効果が確定しない)と解する見解が有力である。これは、訴訟上の相殺が認められないまま手続が終了した場合に、被告が自働債権を失う不利益から保護する趣旨である。


民訴法114条2項|相殺の抗弁と既判力

条文と「相殺 既判力」の核心

民訴法114条は既判力の客観的範囲を定める。1項が「確定判決は、主文に包含するものに限り、既判力を有する」と原則(理由中の判断には既判力が生じない=既判力は訴訟物たる権利関係についてのみ生じる)を定めるのに対し、2項が「相殺のために主張した請求の成立又は不成立の判断は、相殺をもって対抗した額について既判力を有する」と例外を定める。

つまり、相殺の抗弁に対する判断は、判決主文ではなく理由中の判断であるにもかかわらず、例外的に既判力が認められる。これが「相殺 既判力」の中核である。理由中の判断に既判力が生じる場面は、実体法・訴訟法を通じてこの114条2項がほぼ唯一の明文例外であり、それだけにこの規定の趣旨と射程を正確に押さえることが重要となる。

なぜ理由中の判断に例外的に既判力が生じるのか(趣旨)

理由 内容 紛争の蒸し返し防止 相殺の抗弁が認められた(自働債権の存在を認めて受働債権を消滅させた)のに自働債権の不存在について既判力が生じないとすると、被告は同じ自働債権を別訴で再度行使でき、実質的に二重取りや蒸し返しが可能になってしまう 当事者間の公平・矛盾判断の防止 前訴で自働債権の存在を前提に相殺を認めながら、後訴で同じ自働債権の不存在が確定されると、判断が矛盾し当事者の信頼を害する 相殺の特殊性 通常の抗弁(弁済など)と異なり、相殺は被告の独立した財産(自働債権)を持ち出して請求を排斥するもので、自働債権の存否は受働債権の存否と独立に確定しておく実益がある

具体的に蒸し返しの危険を考えてみよう。原告Aが被告Bに対し100万円の貸金返還を請求し、Bが「Aに対する売買代金100万円で相殺する」と抗弁したとする。裁判所が相殺を認めて請求を棄却した場合、Bの売買代金債権は相殺によって消費されたはずである。ところが、もし自働債権の不存在に既判力が生じないとすると、Bは別訴で改めてその売買代金100万円をAに請求できてしまう。これではBは、いったん相殺で貸金の支払を免れたうえ、さらに売買代金も回収できることになり、実質的に二重の利得を得る。114条2項は、このような不当な結果を防ぐために、相殺で消費された自働債権の不存在に既判力を及ぼし、Bの再請求を遮断するのである。

既判力が生じる範囲

114条2項の文言どおり、「相殺をもって対抗した額について」自働債権の成立又は不成立の判断に既判力が生じる。対当額を超える部分には既判力は及ばない。

場面 既判力の内容 相殺の抗弁が認められ請求棄却(自働債権が存在し、対当額で受働債権が消滅した) 自働債権は対当額の範囲で不存在であることに既判力(既に消費されたから) 自働債権の不存在を理由に相殺が認められず請求認容 自働債権の不存在に既判力 自働債権は存在するが受働債権が不存在で相殺が認められなかった場合 そもそも相殺の判断に立ち入っていないので、自働債権の存否について既判力は生じない

注意したいのは、相殺が認められて請求が棄却された場合でも、既判力が生じるのは自働債権の「不存在」であるという点である。一見すると「自働債権が存在したから相殺できた」のだから「存在」に既判力が生じそうに思えるが、相殺によって自働債権は消滅しているため、判決時を基準に確定されるのは「(対当額の範囲で)もはや存在しない」という結論である。したがって、相殺が認められたケースでも認められなかったケースでも、114条2項により確定されるのは原則として自働債権の「不存在」である(前者は消費による不存在、後者はもともと存在しないことによる不存在)。この点は答案で混乱しやすいので、「結果として自働債権を二度使えなくする」という機能から逆算して理解するとよい。

最後の場面(自働債権は存在するが受働債権が不存在)が実務上重要である。裁判所がまず受働債権(請求債権)の不存在を認めて請求を棄却した場合、相殺の判断には入っていないため、自働債権について114条2項の既判力は生じない。 既判力は「相殺をもって対抗した額」について生じるものであり、相殺の判断に至っていなければ既判力の前提を欠く。これは後述する予備的相殺の審理順序とも直結する重要なルールである。

既判力の作用(消極的作用・積極的作用)と基準時

114条2項によって生じた既判力も、通常の既判力と同様に、後訴において消極的作用(前訴の判断に反する主張・判断の排除)と積極的作用(前訴の判断を前提とした審理の要請)を営む。後訴で被告が同じ自働債権を再度持ち出そうとしても、前訴で「対当額の範囲で不存在」と確定されている以上、その範囲では後訴裁判所はこの判断に拘束され、被告の主張は遮断される。

また既判力の標準時(基準時)は事実審の口頭弁論終結時である。相殺の自働債権についても、この基準時における存否が確定される。基準時前に存在した相殺適状を基礎づける事実を主張しないまま判決が確定した場合、後訴でその事実を蒸し返すことは既判力により遮断されうる(遮断効)。

一部請求と相殺の充当(補足)

明示的一部請求に相殺の抗弁が提出された場合、相殺をどの部分に充当するかが問題となる。判例(最判平6.11.22)は、明示的一部請求の場合、まず請求の対象となっていない残部から相殺の対象とし、なお残余があれば一部請求部分に充当するとする(外側説)。本記事の主題からはやや外れるが、114条2項の「対抗した額」を確定する前提として押さえておくとよい。外側説によれば、一部請求の訴訟物となっている部分に充当される相殺額が確定されるため、その範囲で自働債権の不存在に既判力が及ぶことになる。


民訴法142条|二重起訴(重複起訴)の禁止とは

端的な定義

二重起訴(重複起訴)の禁止とは、すでに裁判所に係属している事件について、当事者がさらに重ねて訴えを提起することを禁止する原則をいう(民訴法142条)。 条文は「裁判所に係属する事件については、当事者は、更に訴えを提起することができない」と定める。

ここで「裁判所に係属する」とは、訴えの提起により訴訟係属が生じている状態をいう。訴訟係属は訴状が被告に送達された時に生じると解されており、その時点から判決確定(または訴え取下げ・訴訟終了)まで継続する。142条は、この訴訟係属中の事件と同一の事件について重ねて訴えを提起することを禁じるものである。

趣旨(142条がなぜ存在するか)

趣旨 内容 既判力の矛盾抵触の防止 同一事件について二つの判決が並行すると、相矛盾する既判力が生じるおそれがある 訴訟不経済の防止 同じ争点について二重に審理することは裁判所・当事者の労力の無駄である 被告(相手方)の応訴の煩 同一の紛争で二重に応訴を強いられる相手方の負担を避ける

この三つの趣旨のうち、相殺の抗弁との交錯場面でとくに前面に出るのは「既判力の矛盾抵触の防止」である。なぜなら、相殺の自働債権には114条2項により既判力が生じるため、別訴の判決の既判力と矛盾抵触する具体的危険が生じるからである。一方、単なる訴訟不経済や応訴の煩だけであれば、弁論の併合等の運用で対処すれば足りるとも考えられ、142条の趣旨を及ぼすかどうかの決め手としては既判力の抵触のおそれが重視される。

二重起訴に当たる要件(事件の同一性)

142条の「事件」の同一性は、伝統的に次の二点から判断される。

  1. 当事者の同一:原則として前訴後訴で当事者が同一であること(ただし既判力の拡張を受ける者を含むかは議論あり)。当事者が形式的に同一でなくても、既判力の主観的範囲の拡張(115条)を受ける承継人等が後訴を提起する場合には、同一性が肯定されうる。
  2. 審判対象(訴訟物・請求)の同一:両訴の訴訟物が同一であること。もっとも判例・通説は、訴訟物が厳密に同一でなくても、主要な争点が共通し、既判力の矛盾抵触や審理の重複のおそれがある場合には142条の趣旨が及ぶと解する。

この「趣旨が及ぶ」という発想が、相殺の抗弁との交錯の鍵になる。相殺の抗弁における自働債権の主張は形式的には「訴えの提起」ではないが、114条2項により既判力が生じる以上、別訴の請求と既判力が抵触するおそれが生じるからである。

訴訟物の同一性の判断は、採用する訴訟物理論によっても左右される。旧訴訟物理論(実体法説)では実体法上の権利ごとに訴訟物を捉えるため、同一の経済的利益を目的としていても請求権が異なれば訴訟物は別個となる。新訴訟物理論(訴訟法説)では給付を求める法的地位(受給権)を一個の訴訟物と捉えるため、より広く同一性が認められやすい。もっとも142条の適用にあたっては、訴訟物の形式的同一だけでなく、上記のとおり既判力抵触・審理重複のおそれという実質をも考慮して同一性(または趣旨の射程)を判断するのが判例・通説の立場である。

二重起訴の禁止に違反した場合の効果

142条に違反して提起された後訴は、訴訟要件を欠く不適法な訴えとして却下される。二重起訴の禁止に当たることは職権調査事項であり、当事者の主張をまたず裁判所が職権で調査する。

仮に二重起訴が看過されて両訴それぞれに判決がされ、いずれも確定してしまった場合、後に確定した判決は前に確定した判決の既判力に抵触するため、再審事由(338条1項10号「前に確定した判決と抵触すること」)となりうる。すなわち142条は、このような矛盾判決という最悪の事態を未然に防ぐための制度であるといえる。


114条2項と142条の交錯|別訴で訴求中の債権を自働債権とする相殺

問題の所在

ここが本記事の中心論点である。次のような場面を考える。

BがAに対して甲債権(500万円)を訴求する別訴(甲訴訟)を提起して係属している。これとは別に、AがBに対して乙債権(500万円)を訴求する訴え(乙訴訟)を提起したところ、Bが乙訴訟において、甲債権を自働債権として相殺の抗弁を提出した。

このとき、すでに別訴(甲訴訟)で訴求している甲債権を、別の訴訟(乙訴訟)で相殺の自働債権として持ち出すことは許されるか。形式的には甲訴訟は「訴え」、乙訴訟の相殺は「抗弁」であって、142条の文言(「更に訴えを提起する」)に直接は当たらない。しかし、相殺の自働債権の判断には114条2項により既判力が生じるため、甲訴訟の判決の既判力と乙訴訟の相殺判断の既判力が矛盾抵触するおそれがある。ここに142条と114条2項が交錯する。

逆方向の場面(先に相殺の抗弁を提出し、後でその自働債権を別訴で訴求する場合)も同様に問題となる。

この問題を考えるうえで重要なのは、「相殺の抗弁の自働債権は、訴訟物ではないが既判力の生じる対象である」という二面性である。自働債権は乙訴訟の訴訟物ではない(乙訴訟の訴訟物はあくまでAのBに対する乙債権である)。したがって、自働債権の主張それ自体は「訴えの提起」とは異なる。しかし、114条2項により判断に既判力が生じる点では、訴えの提起と同じく既判力抵触の危険を生む。この「訴訟物ではないが既判力は生じる」という中間的な位置づけが、142条を直接適用するのではなく、その趣旨を類推適用するという論理を要請する。

学説の対立(許容説と否定説)

判例の立場を確認する前に、この問題についての学説の対立を押さえておくと理解が深まる。

  • 許容説(適法説):相殺の抗弁は「訴えの提起」ではなく、また被告にとっては自働債権を防御に用いるか別訴で訴求するかは選択の自由があるべきであり、別訴係属中でも相殺の抗弁を提出できるとする見解。重複審理や既判力抵触の問題は、弁論の併合等の運用で対処すべきだとする。
  • 否定説(不適法説):114条2項により既判力が生じる以上、別訴判決との抵触のおそれがあり、142条の趣旨を及ぼして相殺の抗弁は許されないとする見解。判例はこの立場に立つ。

否定説に対しては、被告の相殺権の行使を過度に制約するとの批判もあるが、被告には別訴の取下げ・弁論の併合の上申・反訴への切替えといった代替手段があるため、被告の保護に欠けるところはないと反論される。

最判平成3年12月17日(先に別訴係属→後に相殺の抗弁)

最判平3.12.17(民集45巻9号1435頁)は、係属中の別訴において訴求している債権を自働債権として、他の訴訟で相殺の抗弁を主張することは許されないとした。

判旨 内容 結論 係属中の別訴で訴求中の債権を自働債権として他の訴訟で相殺の抗弁を提出することは許されない 理由(既判力の抵触) 相殺の抗弁につき判断されると114条2項によりその自働債権の存否に既判力が生じ、別訴判決の既判力と抵触するおそれがある 理由(重複審理・応訴の負担) 同一債権について二重に審理することになり、142条が重複起訴を禁じた趣旨に反する

すなわち、相殺の抗弁は「訴えの提起」そのものではないが、114条2項により自働債権について既判力が生じる点で訴えの提起に類似する。したがって142条を類推(その趣旨を及ぼす)して、別訴係属中の債権による相殺の抗弁は許されないと解したわけである。

この判例の理解で重要なのは、相殺の抗弁を一律に「訴えの提起」と同視しているのではなく、114条2項によって既判力が生じることを媒介として、142条の趣旨(とりわけ既判力抵触の防止)が及ぶと構成している点である。つまり論理の運びは「相殺の抗弁=訴えの提起」ではなく、「相殺の抗弁→114条2項により既判力→別訴と既判力抵触のおそれ→142条の趣旨が妥当→不許容」という二段構えである。

最判平成10年6月30日(先に相殺の抗弁→後に別訴提起、反訴の場合)

逆の順序、すなわち先に相殺の抗弁を提出し、その自働債権を後から訴求する場面についても判例がある。最判平10.6.30(民集52巻4号1225頁)は、本訴において相殺の抗弁を提出した被告が、その自働債権を反訴として提起することは142条に違反しないとした。

その理由は、本訴の相殺の抗弁と反訴は同一手続内で審理判断されるため、別個の手続で二重に審理されることがなく、既判力の矛盾抵触も審理の重複も生じないからである(むしろ弁論の併合と同様の効果が得られる)。さらに判例は、この場合の反訴は、本訴で相殺の自働債権として既に主張した債権について審判を求める点で、本訴で相殺の自働債権として判断されることを条件としない予備的反訴(本訴において相殺の自働債権として判断されなかった部分につき審判を求める趣旨の反訴)として扱うのが相当である旨を示している(実務上「予備的反訴」と整理される)。

予備的反訴とする意味は次の点にある。仮に本訴で相殺が認められ、自働債権が対当額で消滅したと判断されると、反訴で同じ自働債権の支払を命じることはできない(既に相殺で消費されているため)。逆に本訴で相殺が認められなかった(たとえば本訴の請求債権が他の理由で存在しないとされ相殺の判断に入らなかった)場合には、反訴で自働債権の存否を審判する実益が残る。そこで反訴を、本訴で相殺の自働債権として判断されなかった場合に備えた予備的なものと位置づけることで、自働債権について重複した審判・矛盾した判断が生じないように調整しているのである。これにより、被告は別訴を提起できないという制約を受けつつも、同一手続内の反訴という形で自働債権の確定を求める道が確保される。

両判例の関係を整理する

場面 処理 根拠 別訴係属中の債権を自働債権として相殺の抗弁を提出 許されない 最判平3.12.17(142条の趣旨に抵触) 相殺の抗弁の自働債権を「別訴」として提起 同様に142条の趣旨に抵触するおそれ 平3判決の射程 相殺の抗弁の自働債権を「反訴」として同一手続内で提起 許される(予備的反訴として処理) 最判平10.6.30

ポイントは、問題の所在が「同一債権を二つの別個の手続で重複審理させ、既判力を矛盾抵触させること」にあるという点である。したがって、同一手続内で処理される反訴であればその弊害が生じないため許される。逆にいえば、別個独立の手続が並行することこそが禁止の核心であって、相殺か訴えかという形式は決定的ではない、というのが判例法理の一貫した発想である。


交錯場面の処理方法(あてはめの選択肢)

別訴係属中の債権を相殺に用いたい当事者がとりうる適法な処理は次のとおり。

方法 内容 留意点 別訴の取下げ 自働債権に係る別訴を取り下げたうえで、当該債権を相殺の自働債権として用いる 取下げには相手方が応訴後は同意が必要(261条2項) 弁論の併合 裁判所が両事件を併合して同一手続で審理する(152条) 併合は裁判所の裁量で、当事者に申立権はない 反訴への切替え(予備的反訴) 別訴を取り下げたうえで、当初の本訴において自働債権を反訴として提起する 最判平10.6.30の射程。同一手続なので重複審理にならない

逆に、何らの調整もせず別訴係属中のまま相殺の抗弁だけを追加した場合、その相殺の抗弁は不適法として斥けられる(主張自体失当・却下)。実務的には、被告は別訴の帰趨と相殺による防御のいずれを優先するかを戦略的に判断したうえで、上記いずれかの方法を選択することになる。たとえば別訴で自働債権の全額回収を強く望むのであれば相殺の抗弁を断念し、当面の請求を退けたいのであれば別訴を取り下げて相殺に振り向ける、といった選択である。

なお、別訴が上訴審に係属している間に第一審の他の訴訟で相殺の抗弁を出すような場合も、審級が異なるだけで両事件が別個に係属している点は同じであるから、原則として最判平3.12.17の射程内として許されないと考えるべきである。


予備的相殺の抗弁と審理順序

意義

予備的相殺の抗弁とは、被告が「請求債権はそもそも発生していない・既に消滅した(請求棄却を求める通常の抗弁)」と主張し、それが認められない場合に備えて予備的に相殺を主張する形態をいう。 相殺は自働債権という自己の財産を犠牲にする防御方法であるから、被告としては通常、他の抗弁で勝てるならそちらを優先したい。そこで相殺を予備的・控え目に位置づけるのが通例である。

審理・判断の順序

  1. まず請求債権の発生・消滅に関する通常の抗弁(弁済・債務不存在など)から審理する。
  2. 通常の抗弁により請求が排斥できる場合は、相殺の判断に立ち入らない(この場合、自働債権について114条2項の既判力は生じない)。
  3. 通常の抗弁が認められない場合に初めて相殺の抗弁を判断し、相殺が認められて初めて自働債権の不存在に114条2項の既判力が生じる。

この順序は、相殺の特殊性(自働債権を消費させる)と114条2項の既判力(自働債権の存否が確定する)を踏まえた合理的な処理である。なお、相殺の抗弁は性質上、他の防御方法がすべて排斥された後に判断される「最後の抗弁」と位置づけられることが多い。

審理順序の帰結として重要なのは、予備的相殺の場合、相殺の判断にまで至らずに事件が終わることがしばしばあるという点である。前述のとおり、受働債権が他の理由(弁済・債務不発生など)で存在しないとされれば、相殺の判断に入らず、自働債権について既判力は生じない。被告にとっては、この場合は自働債権を温存できる(別訴で改めて行使できる)というメリットがある。逆に、被告がどうしても自働債権の存否まで確定したいのであれば、相殺の抗弁ではなく反訴を選択するという判断もありうる。


具体例で確認する

ケース1:別訴係属中の相殺(最判平3.12.17の射程)

Bは2025年4月、Aに対し請負代金500万円の支払を求める訴え(甲訴訟)を提起し係属中。同年9月、AがBに対し貸金500万円の返還を求める訴え(乙訴訟)を提起したところ、Bは乙訴訟で「甲訴訟で訴求している請負代金債権をもって相殺する」と主張した。

処理:Bの相殺の抗弁は、別訴(甲訴訟)で訴求中の債権を自働債権とするものであり、最判平3.12.17により許されない。乙訴訟の裁判所はこの相殺の抗弁を斥ける。Bが相殺を用いたいなら、甲訴訟を取り下げる、両訴訟の弁論を併合してもらう、甲訴訟を取り下げて乙訴訟内で反訴を提起する、等の処理が必要となる。なお、仮にこの相殺の抗弁を看過したまま乙訴訟と甲訴訟の双方で矛盾する判断(一方は請負代金債権の存在を認め、他方は相殺で消費されたとして不存在を確定する等)が確定すれば、再審事由(338条1項10号)を生じさせかねず、まさに142条が防ごうとした事態が現実化する。

ケース2:相殺後の反訴(最判平10.6.30の射程)

AのBに対する売買代金500万円請求訴訟(本訴)において、Bは「Aに対する別の貸金債権500万円で相殺する」と抗弁した。さらにBは、相殺が認められなかった場合に備え、同じ貸金債権について反訴を提起した。

処理:本訴の相殺の抗弁と反訴は同一手続で審理されるため、142条違反とはならない(最判平10.6.30)。この反訴は、本訴で相殺の自働債権として判断されなかった範囲について審判を求める予備的反訴として扱われる。本訴で相殺が認められて貸金債権が対当額で消滅したと判断されれば、反訴のうちその部分は理由がない(既に消費済み)として処理され、相殺の判断に入らずに本訴が終われば反訴で貸金債権の存否が審判される。

ケース3:受働債権不存在で請求棄却された場合の既判力

AのBに対する貸金500万円請求訴訟で、Bは弁済の抗弁と予備的に相殺の抗弁を主張した。裁判所はBの弁済の抗弁を認め、貸金債権は既に消滅しているとして請求を棄却した。

処理:裁判所は相殺の判断に立ち入っていない。よって自働債権について114条2項の既判力は生じず、Bは当該自働債権を別訴で行使できる。Bにとっては、弁済の抗弁で勝ったうえに自働債権も温存できるという、最も有利な結末である。

ケース4:相殺が認められて請求棄却→後訴で自働債権を再請求

AのBに対する貸金500万円請求訴訟で、Bが「Aに対する売買代金500万円で相殺する」と抗弁し、裁判所は相殺を認めて請求を棄却した。確定後、Bは別訴でAに対し当該売買代金500万円を請求した。

処理:前訴で相殺が認められた以上、Bの売買代金債権は対当額(500万円)の範囲で消滅したことに114条2項の既判力が生じている。後訴でBが同じ売買代金を請求しても、後訴裁判所はこの既判力に拘束され、当該債権の不存在を前提に審理せざるをえないため、Bの請求は棄却される。これがまさに、114条2項が防ごうとした「自働債権の蒸し返し・二重取り」の遮断である。


比較・整理表

114条1項と2項の対比

項目 114条1項(原則) 114条2項(例外) 既判力の対象 主文(訴訟物たる権利関係) 相殺の自働債権の成立・不成立 判断の位置 主文 理由中の判断 趣旨 法的安定・蒸し返し防止 自働債権の蒸し返し防止・矛盾防止 範囲 訴訟物の範囲 相殺をもって対抗した額

142条との交錯における処理の可否

行為 可否 根拠 別訴係属中の債権で相殺の抗弁 × 不可 最判平3.12.17 相殺の自働債権を別訴で提起 × 不可(趣旨抵触) 平3判決の射程 相殺の自働債権を反訴で提起 ○ 可(予備的反訴) 最判平10.6.30 別訴取下げ後に相殺 ○ 可 重複が解消されるため 弁論併合後の相殺 ○ 可 同一手続で審理されるため

相殺の抗弁と通常の抗弁(弁済)の違い

項目 相殺の抗弁 弁済等の通常の抗弁 性質 自働債権を犠牲にする「攻撃を伴う防御」 純粋な防御 理由中判断の既判力 生じる(114条2項) 生じない(114条1項) 二重起訴との交錯 生じる(114条2項を媒介) 生じない 審理の位置づけ 予備的・最後の抗弁とされることが多い 先に審理される

答案での書き方(論証の流れ)

別訴で訴求中の債権を自働債権とする相殺の可否が問われた場合、次の流れで書くと過不足がない。

  1. 問題提起:別訴で訴求中の債権を自働債権として相殺の抗弁を提出することが、142条との関係で許されるかを問う。
  2. 142条の文言:相殺の抗弁は形式的には「訴えの提起」ではなく、142条の文言には直接当たらない旨を指摘する。
  3. 114条2項の指摘:もっとも、相殺の抗弁につき判断されると114条2項によりその自働債権の存否に既判力が生じる。
  4. 趣旨からの論証:そうすると、別訴判決の既判力と相殺判断の既判力が矛盾抵触するおそれがあり、また同一債権が二重に審理されることになって、142条が重複起訴を禁じた趣旨(既判力の抵触防止・訴訟不経済の防止・応訴の煩の回避)に反する。
  5. 結論:したがって、別訴係属中の債権を自働債権とする相殺の抗弁は許されない(最判平3.12.17)。
  6. 反訴の場合の処理(応用):もっとも同一手続内の反訴であれば重複審理・既判力抵触のおそれがないため許される(最判平10.6.30)と展開できると高評価。

論証のキモは、「142条を直接適用するのではなく、114条2項を媒介として142条の趣旨を及ぼす(類推する)」という論理の運びにある。条文の形式的文言と、既判力という実質的効果のズレを橋渡しするのが114条2項である、という構造を明示できると説得的になる。

答案で差がつくポイント

  • 既判力抵触のおそれを「具体的に」書く:単に「既判力が抵触する」と書くのではなく、「別訴で自働債権の存在が確定する一方、相殺の判断で同債権の不存在が確定すれば、同一債権の存否について相矛盾する既判力が生じる」と、抵触の内容まで踏み込む。
  • 被告の不利益への目配り:否定説(不許容)をとる場合、被告の相殺権を制約することになるが、別訴取下げ・弁論併合・反訴という代替手段があるため被告の保護に欠けないことに触れると、結論の説得力が増す。
  • 反訴と別訴の区別を明確にする:交錯が問題となるのは「別個独立の手続が並行する」場合であり、同一手続内の反訴では弊害が生じない、という区別の理由を一言添える。
  • 予備的相殺の審理順序を絡める応用:受働債権の存否判断を先行させると相殺の判断に至らない場合があり、その場合は自働債権の既判力が生じない、という点を絡めると、114条2項の理解の深さを示せる。

よくある誤りと注意点

  • 「相殺の抗弁は理由中の判断だから既判力は生じない」と書くのは誤り。 114条2項が明文で例外を定めている。
  • 「142条を直接適用する」と書くのも不正確。 相殺の抗弁は「訴えの提起」ではないため、142条の趣旨を及ぼす(類推)と表現するのが正確。
  • 受働債権の不存在で請求棄却された場合に自働債権の既判力を語るのは誤り。 相殺の判断に入っていなければ既判力は生じない。
  • 反訴は一律不可と書くのは誤り。 同一手続内の反訴は許される(最判平10.6.30)。
  • 相殺が認められた場合に自働債権の「存在」に既判力が生じると書くのは不正確。 相殺により消費された結果、確定されるのは対当額の範囲での「不存在」である。
  • 既判力が「対当額を超える部分」にも及ぶと書くのは誤り。 114条2項の既判力は「相殺をもって対抗した額」に限られる。

まとめ

  • 相殺の抗弁とは、受働債権(請求債権)に対し自働債権(反対債権)をもって対当額で消滅させる防御方法。自働債権という自己の財産を犠牲にする「攻撃を伴う防御」である点で、弁済等の通常の抗弁と性質が異なる。
  • 114条2項は、相殺の自働債権の成立・不成立という理由中の判断に例外的に既判力を認める(対抗額の範囲で)。趣旨は紛争の蒸し返し防止と矛盾判断の防止。
  • 142条(二重起訴の禁止)の趣旨は、既判力の抵触防止・訴訟不経済の防止・応訴の煩の回避。違反した後訴は不適法却下となり、看過すれば再審事由(338条1項10号)を生じうる。
  • 別訴で訴求中の債権を自働債権とする相殺は、114条2項を媒介として142条の趣旨に抵触するため許されない(最判平3.12.17)。
  • 一方、同一手続内の反訴であれば重複審理・既判力抵触のおそれがなく許され、予備的反訴として処理される(最判平10.6.30)。
  • 処理方法は別訴取下げ・弁論併合・反訴への切替え
  • 予備的相殺は、通常の抗弁を先に審理し、それが排斥された場合に初めて判断する。相殺の判断に至らなければ自働債権の既判力は生じない。

FAQ

Q1. 相殺の抗弁はなぜ理由中の判断なのに既判力が生じるのですか?

原則として既判力は主文(訴訟物)にしか生じません(114条1項)。しかし相殺は自働債権という独立した財産を持ち出して請求を排斥するものであり、その存否を確定しておかないと自働債権の蒸し返しや二重取りが生じます。そこで114条2項が例外的に、相殺をもって対抗した額について自働債権の成立・不成立の判断に既判力を認めています。

Q2. 別訴で訴求中の債権を相殺に使うと、なぜ142条が問題になるのですか?

相殺の抗弁自体は「訴えの提起」ではないので142条の文言には直接当たりません。しかし114条2項により自働債権の存否に既判力が生じるため、別訴の判決の既判力と矛盾抵触するおそれが生じ、また同一債権の二重審理になります。そこで142条の趣旨が及び、相殺は許されないとされます(最判平3.12.17)。

Q3. 相殺の自働債権を反訴として提起するのは二重起訴になりませんか?

なりません。本訴の相殺の抗弁と反訴は同一の訴訟手続内で審理判断されるため、別個の手続で重複審理されることがなく、既判力の矛盾抵触も生じません。最判平10.6.30は、この反訴を予備的反訴として扱うのが相当としています。

Q4. 受働債権の不存在を理由に請求が棄却された場合、自働債権について既判力は生じますか?

生じません。裁判所が相殺の判断に立ち入っていない以上、114条2項の前提(相殺をもって対抗した額についての判断)を欠くからです。被告は当該自働債権を別訴で行使できます。

Q5. 時効消滅した債権を自働債権として相殺できますか?

民法508条により、時効消滅前に相殺適状にあった場合は、時効消滅後も相殺できます。この場合も相殺が認められれば114条2項の既判力が生じます。

Q6. 相殺の抗弁を撤回できますか?

相殺の抗弁の法的性質をめぐる議論(両性説が通説)と関連します。相手方の同意があれば撤回できると解されますが、相手方の同意なく撤回できるかについては、相殺の意思表示としての実体的効果との関係で争いがあります。訴訟上の相殺を、訴訟における審判を期待した条件付きの意思表示と捉えれば、審判前の段階では撤回の余地を広く認める見解もあります。

Q7. 相殺が認められて請求が棄却された場合、自働債権の「存在」と「不存在」のどちらに既判力が生じますか?

「不存在」に既判力が生じます。相殺が認められたということは、その自働債権が対当額の範囲で受働債権の消滅に使われ、消費されたということです。したがって判決時を基準とすれば、自働債権は対当額の範囲でもはや存在しないことが確定されます。これにより被告は同じ債権を別訴で再請求できなくなります。

Q8. 別訴ではなく、最初から一方の訴訟で相殺の抗弁と反訴の両方を出してもよいですか?

同一手続内であれば問題ありません。むしろ最判平10.6.30は、相殺の抗弁を出した被告が同じ自働債権について反訴を提起することを許容し、予備的反訴として処理すべきとしています。重複審理や既判力抵触のおそれが生じないためです。

Q9. 二重起訴の禁止に違反した訴えはどう扱われますか?

訴訟要件を欠く不適法な訴えとして却下されます。二重起訴に当たるかは職権調査事項です。仮に看過されて両判決が確定し矛盾した場合、後に確定した判決について再審事由(338条1項10号)となりえます。


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