【判例】名誉毀損と真実性の証明(230条の2)
名誉毀損罪と真実性の証明に関する主要判例を解説。刑法230条の2の法的性格、真実性の錯誤の処理、表現の自由との調整を詳しく分析します。
この判例のポイント
名誉毀損罪(刑法230条)の成立が問題となる場合であっても、事実が公共の利害に関し、その目的が専ら公益を図るためであり、摘示された事実が真実であることの証明があったときは処罰されない(230条の2)。判例は、真実性の証明がない場合であっても、行為者が事実を真実と信じたことについて確実な資料・根拠に基づく相当の理由があったときは、故意が阻却されるとして処罰を否定した。
事案の概要
夕刊和歌山時事事件(最大判昭44.6.25)
新聞社が、公職の候補者に関する記事を掲載したが、その記事に含まれる事実の一部が真実であることの証明がなかった。しかし、取材の過程で記者が事実を真実と信じるについて相当の理由があったとされた事案。真実性の証明に失敗した場合でも、真実と信じたことに相当の理由があれば故意が阻却されるかが争われた。
月刊ペン事件(最判昭56.4.16)
月刊誌が宗教団体の会長の私生活上の行状を記事にした事案。「公共の利害に関する事実」の範囲と、「専ら公益を図る目的」の認定方法が問題となった。
争点
- 刑法230条の2の法的性格は何か(違法性阻却事由か処罰阻却事由か)
- 真実性の証明に失敗した場合、真実と信じたことに相当の理由があれば故意が阻却されるか
- 「公共の利害に関する事実」の範囲
- 名誉毀損罪と表現の自由(憲法21条)の調整
判旨
夕刊和歌山時事事件
刑法230条の2の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和をはかったものというべきであり、たとい刑法230条の2第1項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である
― 最高裁判所大法廷 昭和44年6月25日 昭和41年(あ)第2778号
本判決は、表現の自由と名誉の保護の調和という観点から、真実性の証明がない場合であっても、行為者が確実な資料・根拠に基づき事実を真実と信じたことに相当の理由があるときは、犯罪の故意が阻却されるとした。
月刊ペン事件
私人の私生活上の行状であっても、そのたずさわる社会的活動の性質及びこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などのいかんによっては、その社会的活動に対する批判ないし評価の一資料として、刑法230条の2第1項にいう「公共の利害に関する事実」にあたる場合がある
― 最高裁判所第一小法廷 昭和56年4月16日 昭和55年(あ)第273号
本判決は、私人の私生活上の行状であっても、その社会的活動の性質・影響力に照らし、社会的活動に対する批判・評価の資料となる場合には、「公共の利害に関する事実」に当たりうるとした。
ポイント解説
名誉毀損罪の構成要件
名誉毀損罪(刑法230条)は、公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した場合に成立する。構成要件は以下のとおりである。
- 公然性: 不特定または多数の者が認識しうる状態で事実を摘示すること
- 事実の摘示: 具体的な事実を述べること。意見・論評の表明は名誉毀損罪ではなく侮辱罪(刑法231条)の問題となりうる
- 名誉の毀損: 人の社会的評価を低下させるおそれのある事実を摘示すること。社会的評価の現実の低下は不要であり、抽象的危険犯とされる
230条の2の法的性格
刑法230条の2は、公共の利害に関する事実について、公益目的で摘示した場合に、真実性の証明があったときは罰しないと規定する。この規定の法的性格については以下の対立がある。
- 違法性阻却事由説(通説): 230条の2は違法性阻却事由を定めたものであり、要件を充たせば行為の違法性が阻却される。この立場からは、要件の錯誤は違法性阻却事由の前提事実の錯誤として処理される
- 処罰阻却事由説: 230条の2は処罰阻却事由を定めたものであり、犯罪は成立するが処罰が阻却される。この立場からは、真実性の錯誤は処罰阻却事由の錯誤として処理される
- 構成要件該当性阻却事由説: 名誉毀損罪の構成要件を限定するものであり、230条の2の要件を充たす場合は構成要件に該当しない
判例は、230条の2の法的性格について明示的な判断を示していないが、真実性の錯誤について故意を阻却するとの処理を採用していることから、違法性阻却事由説に親和的とされる。
真実性の錯誤(相当性の法理)
夕刊和歌山時事事件の最大の意義は、真実性の証明に失敗した場合の救済法理を確立した点にある。
行為者が事実を真実と信じたことに相当の理由がある場合には、故意が阻却されて名誉毀損罪は不成立となる。この相当性の法理の要件は以下のとおりである。
- 誤信の存在: 行為者が事実を真実であると信じていたこと
- 相当の理由: 確実な資料・根拠に基づく信頼が存在すること。単なる風聞や噂に基づく信頼では足りない
「公共の利害に関する事実」の範囲
230条の2第1項の「公共の利害に関する事実」には、以下の事実が含まれる。
- 公務員の職務に関する事実: 公務員の職務遂行に関する事実は、公共の利害に関する事実に当たる
- 公職の候補者に関する事実: 公職の候補者の適格性に関する事実は、230条の2第3項により特に規定されている
- 私人の社会的活動に関する事実: 月刊ペン事件の法理により、私人であっても社会的活動の性質・影響力に照らし、公共の利害に関する事実に当たる場合がある
- 犯罪行為に関する事実: 230条の2第2項により、「公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実」は公共の利害に関する事実とみなされる
学説・議論
相当性の法理の根拠
夕刊和歌山時事事件が相当性の法理を「故意の阻却」として構成したことについて、以下の議論がある。
- 故意阻却説(判例): 真実性の錯誤は、違法性阻却事由の前提事実の錯誤(事実の錯誤の一種)として故意を阻却する。この構成は、誤想防衛の法理と同様の処理である
- 過失犯説: 相当の理由がある場合は故意が阻却されるが、相当の理由がない場合でも過失犯としての処罰は可能であるはずである。しかし、名誉毀損罪には過失犯の規定がないため、故意が阻却されれば不処罰となる
- 責任阻却説: 相当の理由がある場合は、行為者に対する非難可能性(責任)が阻却されるとする
表現の自由との関係
名誉毀損罪は、表現の自由(憲法21条)との緊張関係を常にはらんでいる。夕刊和歌山時事事件が相当性の法理を確立した背景には、表現の自由を萎縮させないという政策的考慮がある。
- 萎縮効果の回避: 真実性の証明に失敗した場合に直ちに処罰されるとすれば、報道機関や一般市民は萎縮して報道・言論を控えるおそれがある。相当性の法理は、確実な資料・根拠に基づく言論を保護することで萎縮効果を緩和する
- 名誉の保護とのバランス: 他方で、相当性の法理は虚偽の事実の摘示を免責するものではなく、確実な資料・根拠に基づかない安易な事実の摘示は処罰の対象となる
インターネット上の名誉毀損
インターネット上の表現行為と名誉毀損罪の関係については、最決平22.3.15が、インターネットの個人利用者がウェブサイトに掲載した名誉毀損的表現について、「インターネットの個人利用者に対して要求される水準は、マスメディアに対して要求される水準と同一である」との判断を示した。すなわち、インターネットだからといって相当性の判断基準が緩和されるわけではない。
判例の射程
相当性の法理の適用範囲
夕刊和歌山時事事件の相当性の法理は、刑事事件における名誉毀損罪の故意阻却法理であるが、その趣旨は民事上の不法行為としての名誉毀損にも影響を与えている。民事判例においても、真実性の証明がない場合に相当の理由がある場合は違法性が阻却されるとの法理が確立している。
公共の利害に関する事実の範囲の拡大
月刊ペン事件が「私人の私生活上の行状」であっても公共の利害に関する事実に当たりうるとしたことにより、公共性の判断は形式的な基準ではなく、実質的な社会的影響力に着目した判断となった。もっとも、私人のプライバシーの保護との関係で、公共性の範囲が無限定に拡大されることへの懸念も示されている。
反対意見・補足意見
夕刊和歌山時事事件の大法廷判決には、多数意見に対する反対意見は付されていない。裁判官全員一致の意見であり、相当性の法理が最高裁の統一見解として確立されたことを示している。
もっとも、相当性の法理の具体的適用(「確実な資料・根拠」と「相当の理由」の基準)については、下級審段階で判断が分かれることがあり、基準の明確化が求められている。
試験対策での位置づけ
出題科目と重要度
名誉毀損罪と真実性の証明は、司法試験・予備試験の刑法(刑事系科目第1問)及び憲法(公法系科目第1問)の双方で出題されうる重要論点である。刑法上は230条の2の法的性格と真実性の錯誤の処理が、憲法上は表現の自由と名誉権の調整が問われる。科目横断的な理解が必要な分野である。
出題実績
司法試験論文式では、名誉毀損罪が直接出題されることは多くないが、表現の自由との関係で憲法の問題と組み合わせて出題されることがある。短答式では、230条の2の要件(公共の利害、公益目的、真実性の証明)の正確な理解、相当性の法理の要件、230条の2第2項・第3項の特則が頻出である。
関連論点との接続
名誉毀損罪は、侮辱罪(231条)との区別(事実の摘示の有無)、信用毀損罪(233条)との関係、民事上の名誉権侵害(709条・723条)、表現の自由(憲法21条)と公共の福祉、さらにはプライバシー権との調整と密接に関連する。
答案での使い方
名誉毀損罪の成否を検討する論証パターン
第1段階: 構成要件該当性の検討
「甲はインターネット上のウェブサイトにおいて、Aに関する具体的な事実を摘示し、Aの社会的評価を低下させるおそれのある記事を掲載した。不特定多数の者が閲覧可能な状態であるから公然性が認められ、具体的事実の摘示によりAの名誉を毀損したものとして、名誉毀損罪(230条1項)の構成要件に該当する。」
第2段階: 230条の2の適用の検討
「もっとも、摘示された事実が公共の利害に関する事実であり、かつ甲の目的が専ら公益を図ることにあったと認められる場合において、真実であることの証明があったときは罰しない(230条の2第1項)。」
第3段階: 真実性の証明がない場合の相当性の法理
「仮に真実であることの証明がない場合であっても、甲がその事実を真実であると誤信し、その誤信について確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるときは、故意が阻却され名誉毀損罪は成立しない(最大判昭44.6.25)。」
答案記述上の注意点
- 構成要件該当性を先に検討する: まず230条1項の名誉毀損罪の構成要件該当性を認定し、その後に230条の2の適用を検討する
- 3要件を順に検討する: (1)公共の利害に関する事実、(2)専ら公益目的、(3)真実性の証明の順で検討する
- 相当性の法理は真実性の証明が失敗した場合にのみ問題となる: 真実であることの証明があれば相当性の法理を論じる必要はない
- 「確実な資料・根拠」の具体的認定を行う: 取材源の信頼性、裏付け調査の有無等を具体的に検討する
重要概念の整理
230条の2の要件の整理
要件 内容 判断基準 公共の利害に関する事実 社会一般の利害に関わる事実 摘示事実の内容、社会的影響力 専ら公益を図る目的 公益を図ることが主たる動機 動機の内容を総合判断(他の動機の併存可) 真実であることの証明 摘示事実の主要部分が真実 主要な部分が真実であることの証明で足りる230条の2の特則
条項 内容 備考 230条の2第1項 一般的な免責規定 3要件の充足が必要 230条の2第2項 公訴提起前の犯罪行為は公共の利害に関する事実とみなす 公共性の推定 230条の2第3項 公務員又は公選候補者に関する事実は公共の利害に関する事実とみなす+公益目的を推定 公共性と公益性の推定相当性の法理と類似の法理の比較
法理 適用場面 効果 判断基準 相当性の法理(名誉毀損) 真実性の証明がない場合 故意阻却 確実な資料・根拠に基づく相当の理由 誤想防衛 侵害を誤信した場合 故意阻却 侵害の存在に関する誤信の相当性 違法性の意識の可能性 違法性を認識していない場合 責任阻却の余地 違法性の認識可能性発展的考察
SNS時代における名誉毀損
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及により、名誉毀損の問題は新たな局面を迎えている。匿名のアカウントによる名誉毀損的投稿、リツイートやシェアによる拡散、まとめサイトによる二次的な名誉毀損など、従来の判例法理では十分に対処しきれない問題が生じている。最決平22.3.15がインターネット利用者にもマスメディアと同等の注意義務を要求したことは、このような状況における一つの指針となっている。
名誉毀損と侮辱罪の区別の実務的意義
2022年の刑法改正により侮辱罪(231条)の法定刑が引き上げられ(1年以下の懲役又は30万円以下の罰金等が追加)、実務上の意義が増した。名誉毀損罪と侮辱罪の区別は事実の摘示の有無にあり、具体的な事実を示さずに人格を攻撃する表現は侮辱罪、具体的事実の摘示を伴う場合は名誉毀損罪が問題となる。SNS上の短文の投稿がいずれに該当するかの判断は実務上しばしば困難である。
公人のプライバシーと名誉毀損
月刊ペン事件が公人の私生活上の行状も「公共の利害に関する事実」に含まれうるとしたことは、公人のプライバシーの保護と表現の自由の調整という問題を提起する。政治家、著名な宗教家、大企業の経営者等の公的活動に関連する私生活の報道は、民主主義社会における情報流通の自由と人格権の保護の緊張関係の中に位置づけられる。
真実性の証明と取材源の秘匿
報道機関が名誉毀損罪で訴追された場合、真実性の証明のために取材源を明らかにする必要が生じることがある。しかし、取材源の秘匿は報道の自由の核心的要素であり、取材源の開示を強制することは報道の萎縮効果を招く。この問題は、230条の2の運用と報道の自由の保障の接点に位置する困難な問題である。
よくある質問
Q1: 真実であれば名誉毀損罪は成立しませんか
そうとは限らない。真実であることだけでは免責されない。230条の2の免責が認められるためには、(1)公共の利害に関する事実であること、(2)専ら公益を図る目的であること、(3)真実であることの証明の3要件すべてを充たす必要がある。私人のプライバシーに関する事実で公共性がない場合には、真実であっても名誉毀損罪が成立しうる。
Q2: 相当性の法理はどのような場合に認められますか
行為者が事実を真実であると信じ、その誤信について確実な資料・根拠に照らし相当の理由がある場合に認められる。具体的には、信頼できる取材源からの情報に基づいていること、裏付け調査を行っていること、複数の情報源から確認を得ていること等が考慮される。単なる風聞、噂、一方当事者の言い分のみに依拠した場合は相当の理由が認められない。
Q3: インターネット上の書き込みにも名誉毀損罪は適用されますか
適用される。インターネット上の書き込みは不特定多数の者が閲覧可能であるから公然性が認められ、具体的事実の摘示により人の名誉を毀損した場合には名誉毀損罪が成立する。相当性の判断基準についても、マスメディアと同等の基準が適用される(最決平22.3.15)。
Q4: 名誉毀損罪は親告罪ですか
親告罪である(刑法232条)。被害者の告訴がなければ公訴を提起することができない。これは、名誉毀損罪の訴追自体が被害者の名誉をさらに毀損するおそれがあるため、被害者の意思を尊重する趣旨に基づく。
Q5: 死者に対する名誉毀損は処罰されますか
処罰されうる。刑法230条2項は、死者の名誉を毀損した者について、虚偽の事実を摘示した場合に処罰すると規定している。生存者に対する名誉毀損と異なり、死者に対する名誉毀損は虚偽の事実の摘示に限定されており、真実の事実の摘示による場合は処罰されない。
関連条文
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
― 刑法 第230条第1項
前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
― 刑法 第230条の2第1項
関連判例
- 放火罪の判例 - 社会的法益に対する罪の比較
- 正当防衛の成立要件の判例 - 違法性阻却事由の錯誤の処理
まとめ
名誉毀損罪と真実性の証明に関する判例は、表現の自由と名誉の保護の調和を図る重要な法理を形成してきた。夕刊和歌山時事事件は、真実性の証明がない場合でも確実な資料・根拠に基づく相当の理由があれば故意が阻却されるという「相当性の法理」を確立し、報道・言論の萎縮効果の回避に寄与した。月刊ペン事件は、「公共の利害に関する事実」の範囲を私人の私生活上の行状にまで拡張しうることを示した。これらの判例は、名誉毀損罪の解釈を通じて表現の自由の保障を実質化するものとして、憲法的価値と刑法的規律の交錯領域において重要な意義を有している。