【判例】不作為犯の成立要件(不真正不作為犯)
不真正不作為犯の成立要件に関する主要判例を解説。作為義務の発生根拠、作為の可能性・容易性、不作為の因果関係について、判例・学説の議論を詳しく分析します。
この判例のポイント
不真正不作為犯が成立するためには、法的な作為義務の存在、作為の可能性・容易性、作為義務違反と結果との間の因果関係が必要である。判例は、作為義務の発生根拠について法令・契約・慣習・条理等を総合的に考慮し、とりわけ先行行為に基づく保障人的地位や排他的支配の有無を重視する傾向にある。
事案の概要
シャクティパット事件(最決平17.7.4)
被告人は宗教的治療行為を行う者であり、脳内出血で倒れた患者の親族から治療を依頼された。被告人は、患者を入院中の病院から運び出し、ホテルにおいてシャクティと称する手をかざすだけの治療行為を行った。被告人は患者に対する医療措置を一切行わず、病院にも戻さなかった結果、患者は痰による気道閉塞により死亡した。被告人が被害者を病院から引き取って自己の支配下に置いた上で、必要な医療措置を受けさせなかった不作為が、不作為による殺人に当たるかが問題となった。
札幌ひき逃げ事件(最決平元.12.15)
被告人は自動車を運転中に被害者をはねて負傷させた。被告人は被害者を自車に乗せて走行したが、途中で被害者を車から降ろして路上に放置し、その場を立ち去った。被害者はその後、別の自動車にひかれて死亡した。被告人のひき逃げ(不救護)行為と被害者の死亡との因果関係が争われた。
不作為による殺人(最決平20.2.20)
被告人は、生後間もない新生児を自宅に連れ帰った後、新生児に何らの栄養を与えないまま放置し、新生児を衰弱死させた。被告人には新生児を養育する法的義務があったにもかかわらず、これを怠った不作為が不作為による殺人罪に当たるとされた。
争点
- 不真正不作為犯の成立要件は何か
- 作為義務の発生根拠をいかに画定すべきか
- 不作為と結果との間の因果関係はどのように判断されるか
判旨
シャクティパット事件
被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。その際、被告人は、患者の重篤な状態を認識し、これを自らが救命できるかのように装って、患者の親族から、患者に対する医療措置を受けさせる機会を奪い去った上、自らは何ら医療行為を施さなかったものであり、被告人の行為は、患者の生命を現に保全すべき義務を有する保障人的地位にある者による不作為の殺人に該当する
― 最高裁判所第二小法廷 平成17年7月4日 平成17年(あ)第596号
本決定は、先行行為(患者を病院から連れ出したこと)、排他的支配(患者の生命を全面的に委ねられた地位)、医療措置を受ける機会の剥奪という複合的な事情に基づき、被告人の保障人的地位を認め、不作為による殺人罪の成立を肯定した。
札幌ひき逃げ事件
被告人が被害者を事故現場から自車内に引き入れて発進走行した時点において、被告人としては、直ちに被害者を医師の許に運び適切な治療を受けさせるべき義務があったのに、これを怠り、かえって被害者を自車から降ろして路上に放置した行為は、被害者に対する保護責任者遺棄致死に当たる
― 最高裁判所第三小法廷 平成元年12月15日 昭和63年(あ)第1087号
本決定は、被告人が被害者を自車に引き入れた先行行為により保護責任が生じ、その義務に違反して被害者を路上に放置した行為が保護責任者遺棄致死罪に当たるとした。
ポイント解説
不真正不作為犯の体系的位置づけ
不真正不作為犯とは、作為の形式で規定された構成要件(例えば殺人罪の「人を殺した」)を不作為によって実現する場合をいう。これに対し、遺棄罪(刑法217条以下)のように、構成要件自体が不作為を予定しているものを真正不作為犯という。
不真正不作為犯は、作為犯の構成要件を不作為に適用する点で罪刑法定主義との緊張関係が生じる。「人を殺した」という文言は通常、積極的な作為を想定しているからである。この問題に対し、判例は不真正不作為犯の処罰を認めつつも、その成立要件を限定することで罪刑法定主義との調和を図っている。
作為義務の発生根拠
不真正不作為犯の成立において最も重要な要件は作為義務の存在である。判例・学説において、作為義務の発生根拠として以下のものが挙げられる。
- 法令に基づく義務: 親権者の監護義務(民法820条)、同居義務等が典型例である。親が幼児に食事を与えず餓死させた場合、親権者としての監護義務違反が作為義務の根拠となる
- 契約・事務管理に基づく義務: 看護師が患者を看護する義務、ベビーシッターが幼児を保護する義務等がこれに当たる
- 先行行為に基づく義務: 自己の先行行為によって法益侵害の危険を創出した者は、その危険を除去する義務を負う。札幌ひき逃げ事件やシャクティパット事件がこの類型に該当する
- 排他的支配に基づく義務: 法益の維持・保全を排他的に支配している者は、その法益を保護する義務を負う。シャクティパット事件において、被告人が患者の治療を全面的に委ねられた地位にあったことが重視された
作為の可能性・容易性
作為義務が認められる場合であっても、その作為が物理的に可能であり、かつ容易であることが要求される。例えば、溺れている者を発見した場合であっても、救助者自身が泳げず救助が不可能である場合には、不作為犯は成立しない。
不作為の因果関係
不作為犯における因果関係は、「期待された作為を行っていたならば、結果を回避できたであろう」という仮定的判断(仮定的因果関係)によって判断される。この判断の確実性の程度について、「合理的な疑いを超える程度の確実性」が必要とする見解と、「相当程度の蓋然性」で足りるとする見解が対立する。
学説・議論
形式的三分説と実質的根拠論
作為義務の発生根拠については、伝統的に法令・契約・慣習(条理)という形式的な三分類(形式的三分説)が用いられてきた。しかし、この形式的分類に対しては以下の批判がある。
- 形式的根拠だけでは作為義務の範囲を限定できない: 法令上の義務があるからといって直ちに刑法上の作為義務が認められるわけではなく、逆に法令上の義務がなくても作為義務が認められる場合がある
- 「条理」の内容が不明確であり、結局は裁判官の価値判断に委ねられてしまう
これに対し、実質的根拠論は、作為義務の発生根拠を実質的な観点から再構成しようとする。代表的な見解として以下がある。
- 保障人説(西田典之ほか): 法益との関係で保障人的地位にある者にのみ作為義務を認める。保障人的地位は、法益保護の引受け、危険源の管理・支配、先行行為による危険の創出等に基づいて判断される。判例のシャクティパット事件決定は「保障人的地位」という表現を用いており、この立場に親和的である
- 排他的支配説: 行為者が結果原因(法益侵害の危険源)を排他的に支配している場合に作為義務を認める立場。法益に対する事実上の排他的支配が、作為と不作為の同価値性を基礎づけるとする
作為との同価値性の要否
不真正不作為犯の成立に、作為犯との構成要件的同価値性が必要かどうかについても議論がある。
- 同価値性必要説: 不真正不作為犯は作為犯の構成要件を不作為に適用するものであるから、作為によって構成要件を実現した場合と同等の非難に値することが必要であるとする。この立場は、作為義務の存在だけでは足りず、不作為が作為と評価的に等しいことを要求する
- 同価値性不要説: 作為義務の存在が認められれば、そこから当然に構成要件該当性が導かれるとし、別途「同価値性」を要求する必要はないとする
判例は、同価値性の要否について明確な立場を示していないが、作為義務の認定を厳格に行うことで、実質的に同価値性の要求を充たしているとの分析がある。
不作為犯と罪刑法定主義
不真正不作為犯の処罰は罪刑法定主義との関係で緊張を孕む。「人を殺した」という作為形式の構成要件に不作為を包摂することは、文言の拡張解釈ないし類推解釈に当たるのではないかという問題である。
この点について、通説は不作為犯の処罰自体は罪刑法定主義に反しないとする。理由として、作為犯の構成要件は不作為をも含みうる文言で規定されていること、不真正不作為犯の処罰は歴史的にも広く認められてきたことが挙げられる。ただし、作為義務の認定を厳格に行い、処罰範囲を限定することで罪刑法定主義の要請に応えるべきであるとされる。
判例の射程
シャクティパット事件の射程
シャクティパット事件は、先行行為(患者を病院から連れ出したこと)と排他的支配(治療を全面的に委ねられた地位)の複合に基づいて保障人的地位を認めた事案である。本決定の射程は、行為者が被害者の生命に対する危険を自ら創出し、かつ被害者の保護を排他的に引き受けた場合に及ぶ。
もっとも、先行行為のみで保障人的地位が認められるのか、排他的支配のみで足りるのかについては、本決定は複合的な事情を総合考慮しており、単独の根拠のみで保障人的地位を認めたものではない点に注意が必要である。
不作為による殺人と保護責任者遺棄致死の区別
不作為による生命侵害の場合、不作為による殺人罪(刑法199条)と保護責任者遺棄致死罪(刑法219条)のいずれが成立するかが問題となる。判例は、行為者の故意の内容(殺意の有無)と不作為の態様を総合して区別しているが、両者の限界は必ずしも明確ではない。
学説上は、殺意がある場合は不作為の殺人罪、殺意がない場合は保護責任者遺棄致死罪として区別する見解が一般的であるが、不作為の態様自体から殺人罪の実行行為性を認定すべきとする見解もある。
反対意見・補足意見
シャクティパット事件決定には個別の反対意見は付されていない。もっとも、下級審段階では不作為の殺人罪の成否について判断が分かれており、特に作為義務の存否と殺意の認定が争点となった。最高裁は原審の判断を是認する形で上告を棄却している。
試験対策での位置づけ
不真正不作為犯は、司法試験・予備試験の刑法科目において超頻出論点である。刑法総論の「実行行為」の認定における中核的論点であり、論文式試験ではほぼ毎年のように事例問題の中で検討が求められる。
短答式試験では、不真正不作為犯の成立要件(作為義務・作為の可能性と容易性・因果関係)の正確な理解を問う出題が定番である。特に、作為義務の発生根拠として法令・契約・先行行為・排他的支配のそれぞれがどのような場合に認められるかを問う正誤問題が出題される。シャクティパット事件の判旨における「保障人的地位」の意義を問う出題もみられる。
論文式試験では、平成26年司法試験刑法で不真正不作為犯が正面から出題された。同年の出題趣旨では、作為義務の発生根拠を多元的に理解していること、作為義務・救命可能性・故意のそれぞれについて時間的先後関係を意識して検討していることが高評価の要素として挙げられた。令和2年・令和4年にも不作為犯の検討が求められる出題がなされている。
論文式では規範を正確に示すことは当然の前提であり、あてはめの具体性と精度で差がつく。特に、作為義務の根拠となる事実を丁寧に摘示し、複数の根拠が重畳的に認められる場合にはそれぞれを指摘した上で総合的に判断するという姿勢が求められる。
答案での使い方
基本的な論証パターン
論文試験で不真正不作為犯を論じる際は、以下の手順で答案を構成する。
第1段階: 問題の所在の提示
「本件では、甲がAに対して何らの救護措置をとらなかった不作為について、殺人罪(刑法199条)の実行行為性が認められるかが問題となる。殺人罪は『人を殺した』という作為形式で規定されているため、不作為によりこれを実現する不真正不作為犯の成否が問題となる。」
第2段階: 規範の定立
「不真正不作為犯が成立するためには、(1)法的な作為義務の存在、(2)作為の可能性・容易性、(3)作為義務に違反する不作為と結果との因果関係が認められることが必要である。作為義務は、法令、契約、先行行為、排他的支配等の事情を総合して判断される。」
第3段階: 作為義務の検討(あてはめ)
ここが最も配点が高い部分である。事案に即して、以下の要素を具体的に検討する。
「本件では、甲はAを自己の支配下に移して病院から連れ出すという先行行為により、Aの生命に対する具体的危険を生じさせている。また、甲はAの治療を全面的に引き受け、Aの親族も甲に治療を委ねていたことから、Aの生命保護についての排他的支配が認められる。さらに、甲は必要な医療措置を受けさせる機会をAの親族から奪い去っており、事実上の引受けが認められる。これらの事情を総合すれば、甲はAの生命を保全すべき保障人的地位にあったと認められ、作為義務が肯定される。」
第4段階: 作為の可能性・容易性、因果関係、故意の検討
「甲がAを病院に搬送することは物理的に可能かつ容易であった。また、搬送していれば救命できた高度の蓋然性が認められ、因果関係も肯定される。甲はAの重篤な状態を認識しつつ放置しており、殺意も認定できる。」
答案作成上の注意点
- 作為義務の根拠は複数指摘すること。シャクティパット事件も先行行為と排他的支配の複合で判断しており、単一の根拠のみでは論証が薄くなる
- 不作為の殺人と保護責任者遺棄致死の区別を意識すること。殺意の有無が区別の基準となるが、殺意の認定根拠を具体的に示す必要がある
- 不作為の因果関係では、作為をしていれば結果回避が可能であったことを忘れずに検討する
- 作為義務と故意の時間的先後関係に注意する。作為義務が発生した時点で故意があったかが問われることがある
重要概念の整理
作為義務の発生根拠の比較
| 発生根拠 | 内容 | 具体例 | 判例 |
|---|---|---|---|
| 法令 | 法律上明文で定められた義務 | 親の監護義務(民法820条) | 親による子の餓死事案 |
| 契約 | 契約に基づく保護義務 | 看護契約、ベビーシッター契約 | ― |
| 先行行為 | 自己の行為により危険を創出したことに基づく義務 | ひき逃げにおける救護義務 | 札幌ひき逃げ事件、シャクティパット事件 |
| 排他的支配 | 法益の維持・保全を排他的に支配していることに基づく義務 | 患者の治療を全面的に引き受けた者 | シャクティパット事件 |
| 事実上の引受け | 保護を事実上引き受けたことに基づく義務 | 同棲相手の子の養育を引き受けた者 | ― |
不作為の殺人と保護責任者遺棄致死の比較
| 項目 | 不作為の殺人罪(199条) | 保護責任者遺棄致死罪(219条) |
|---|---|---|
| 作為義務 | 保障人的地位に基づく高度の作為義務 | 保護責任に基づく義務 |
| 故意 | 殺意(確定的故意・未必の故意) | 遺棄・不保護の故意(殺意不要) |
| 結果 | 死亡 | 死亡 |
| 法定刑 | 死刑又は無期若しくは5年以上の懲役 | 保護責任者遺棄罪の刑により処断(3月以上5年以下の懲役) |
| 区別の基準 | 殺意の有無が決定的 | 殺意がない場合に成立 |
形式的三分説と実質的根拠論の比較
| 項目 | 形式的三分説 | 実質的根拠論 |
|---|---|---|
| 内容 | 法令・契約・慣習(条理)で分類 | 保障人的地位の実質的根拠で判断 |
| 長所 | 明確・簡明 | 実質的判断が可能 |
| 短所 | 条理の内容が不明確、限定が困難 | 判断基準がなお抽象的 |
| 判例との関係 | 従来の判例はこの立場に近い | シャクティパット事件は実質的根拠論に親和的 |
発展的考察
令和2年最高裁決定と不作為犯の新展開
最決令和2年8月24日は、被告人が被害者に対する第三者の暴行を認識しながら制止しなかった不作為について検討がなされた事案であり、「救助的因果経過の阻止」という新たな問題領域を提示した。従来の不作為犯論は、行為者自身が法益侵害の危険を創出し又は管理している場面を主として想定してきたが、第三者による法益侵害を阻止すべき義務が問題となる場面において、不作為犯の成立要件をどのように適用するかが改めて議論されている。
不作為犯と共同正犯
シャクティパット事件は、不作為犯の共同正犯の問題をも提起している。判例は、不作為者と作為者との間の共同正犯、及び不作為者相互間の共同正犯のいずれも認めている。不作為の共同正犯が成立するためには、各共同正犯者にそれぞれ作為義務が認められるとともに、共同の意思に基づく不作為の実行が必要とされる。親が共同で子を保護しなかった事案などでは、両親それぞれの作為義務と意思連絡が問題となる。
不作為犯と過失犯の交錯
不作為と過失が競合する場面も実務上は少なくない。例えば、工場管理者が安全装置の不備を認識しながら放置し、労働者が死傷した場合、不作為犯と過失犯のいずれの枠組みで処理すべきかが問題となる。近時の学説では、不作為犯の成立要件と過失犯の注意義務違反の関係を整理する試みがなされており、作為義務と注意義務の異同、結果回避可能性の位置づけ等について議論が深まっている。
インターネット上の不作為と刑事責任
インターネットサービスの管理者が違法なコンテンツの存在を認識しながら削除しない場合に、不作為犯としての刑事責任を問いうるかという現代的問題がある。プロバイダ責任制限法との関係も踏まえつつ、インターネット上の排他的支配の意義や作為義務の範囲について、今後の判例・学説の展開が注目される。
よくある質問
Q1: 不真正不作為犯と真正不作為犯の違いは何ですか。
真正不作為犯とは、構成要件自体が不作為を予定している犯罪類型をいう。保護責任者遺棄罪(刑法218条)における「その生存に必要な保護をしなかった」が典型例である。これに対し、不真正不作為犯とは、「人を殺した」のように作為形式で規定された構成要件を不作為により実現する場合をいう。真正不作為犯では不作為であること自体が構成要件に含まれているため、作為義務の認定が特に問題となることは少ないが、不真正不作為犯では作為義務の存在が成立要件として厳格に要求される。
Q2: 先行行為があれば必ず作為義務が認められますか。
先行行為があるからといって直ちに作為義務が認められるわけではない。先行行為に基づく作為義務が認められるためには、先行行為によって法益侵害の具体的かつ切迫した危険が創出されたことが必要である。例えば、適法な先行行為(正当防衛による傷害等)から作為義務が生じるかについては争いがあり、正当防衛行為は適法行為であるから作為義務の根拠とならないとする見解と、適法であっても危険を創出した以上は作為義務が生じるとする見解が対立している。
Q3: 不作為の因果関係はどのように証明するのですか。
不作為の因果関係は、「期待された作為を行っていたならば、結果を回避できたであろう」という仮定的判断によって判断される。問題は、この結果回避可能性にどの程度の確実性が要求されるかである。判例は「十中八九」の確実性、すなわち合理的な疑いを超える程度の蓋然性をもって結果回避が可能であったことを要求するとされる。もっとも、「ほぼ確実に」結果を回避できたことまでは要求されないとするのが一般的理解である。
Q4: 保障人的地位と保護責任はどう違いますか。
保障人的地位は不真正不作為犯一般に要求される概念であり、法益の保護・保全を引き受けた者としての地位をいう。他方、保護責任は保護責任者遺棄罪(刑法218条)における身分要件であり、「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者」であることを意味する。両者は重なり合う場合が多いが、保障人的地位が認められる場合であっても、保護責任者遺棄罪における「保護する責任のある者」に該当するとは限らない。保護責任は法令・契約・事務管理・慣習・条理等に基づいて判断されるが、保障人的地位はより実質的な観点から判断される。
Q5: 不真正不作為犯の処罰は罪刑法定主義に反しませんか。
通説は反しないとする。理由として、殺人罪の「人を殺した」という文言は、作為のみならず不作為をも含みうる解釈が可能であること、不真正不作為犯の処罰は歴史的に広く承認されてきたこと、作為義務の認定を厳格に行うことで処罰範囲の明確性が確保されていることが挙げられる。もっとも、この点を問題視する見解もあり、不真正不作為犯の処罰にはより慎重な要件設定が必要であるとする立場からは、立法による明文化が望ましいとの主張もなされている。
既存セクションの拡充についての補足
ポイント解説の補足: 作為義務の判断における総合考慮の具体的要素
判例は作為義務の有無を判断するに際し、複数の要素を総合的に考慮している。シャクティパット事件決定の分析から、以下の考慮要素が抽出される。
| 考慮要素 | 内容 | シャクティパット事件での認定 |
|---|---|---|
| 先行行為 | 自己の行為により危険を創出したか | 患者を病院から連れ出し生命の危険を増大させた |
| 排他的支配 | 法益の保全を排他的に支配しているか | 患者の治療を全面的に委ねられた |
| 引受け | 保護を事実上引き受けたか | 親族から治療を依頼され引き受けた |
| 機会の剥奪 | 他の保護手段を奪ったか | 医療措置を受ける機会を親族から奪った |
| 危険の認識 | 危険を認識していたか | 患者の重篤な状態を認識していた |
学説・議論の補足: 不作為犯における正犯と共犯の区別
不作為者が正犯か共犯(幇助犯)かの区別も重要な論点である。作為犯においては正犯と共犯の区別は実行行為の有無で判断されるが、不作為犯ではこの基準の適用が困難となる。この点、義務犯論は、保障人的地位にある者の不作為は常に正犯であるとするが、判例はこの立場を明示的には採用しておらず、不作為者の関与の程度や態様に応じて正犯性を判断している。
関連条文
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
― 刑法 第199条
老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する。
― 刑法 第218条
関連判例
- 刑法上の因果関係の判例 - 不作為の因果関係と条件関係の問題
- 責任能力の判例 - 作為義務の認識と責任の問題
試験に出るポイント(5つ)
- 短答式: 不真正不作為犯の成立要件の正確な理解 --- 作為義務・作為の可能性と容易性・不作為の因果関係という三要件を正確に答えられるようにする。特に作為義務の発生根拠として法令・契約・先行行為・排他的支配の各類型を区別する正誤問題が頻出する。
- 短答式: シャクティパット事件の判旨 --- 「保障人的地位」の語を用いた最高裁決定として、先行行為・排他的支配・医療措置を受ける機会の剥奪という複合的事情による作為義務の認定過程が出題される。判旨の穴埋め問題に注意。
- 論文式: 作為義務の認定における多元的検討 --- 平成26年司法試験採点実感が示すとおり、作為義務の根拠を単一ではなく複数指摘し、各根拠を具体的事実に即して論じることが求められる。先行行為+排他的支配の重畳的認定が高評価の鍵。
- 論文式: 不作為の殺人と保護責任者遺棄致死の区別 --- 殺意の有無を軸としつつ、不作為の態様・被害者の状態認識・結果回避可能性を具体的に認定して区別する出題パターンが令和2年・令和4年に出題されている。
- 論文式: 作為義務と故意の時間的先後関係 --- 作為義務が発生した時点と故意が認定される時点のずれが問題となる事案で、時間軸に沿った丁寧な認定が求められる。同時存在原則との関係で原因において自由な行為との複合出題もありうる。
覚えるべき要点
キーフレーズ
- 「被告人は、患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあった」(シャクティパット事件)
- 「患者の生命を現に保全すべき義務を有する保障人的地位にある者による不作為の殺人」(シャクティパット事件)
- 「被告人としては、直ちに被害者を医師の許に運び適切な治療を受けさせるべき義務があった」(札幌ひき逃げ事件)
数字・日付
- シャクティパット事件: 最決平成17年7月4日(平成17年(あ)第596号)
- 札幌ひき逃げ事件: 最決平成元年12月15日(昭和63年(あ)第1087号)
- 不作為による殺人: 最決平成20年2月20日(平成17年(あ)第2049号)
- 関連条文: 刑法199条(殺人)、218条(保護責任者遺棄)、219条(保護責任者遺棄致死傷)
- 親権者の監護義務: 民法820条
対比表
| 比較項目 | 形式的三分説 | 実質的根拠論(保障人説) |
|---|---|---|
| 作為義務の分類 | 法令・契約・慣習(条理) | 保障人的地位の実質的根拠 |
| 判断基準 | 義務の形式的存在 | 法益との関係における排他的支配・引受け |
| 長所 | 明確・簡明 | 実質的な限定が可能 |
| 短所 | 条理の内容が不明確 | 判断基準がなお抽象的 |
| 判例との関係 | 従来の判例の枠組み | シャクティパット事件が親和的 |
論証への活かし方
規範の明示
答案で引用すべき規範は以下のとおりである。
「不真正不作為犯が成立するためには、(1)法的な作為義務の存在、(2)作為の可能性・容易性、(3)作為義務に違反する不作為と結果との因果関係が認められることが必要である。作為義務は、法令、契約、先行行為、排他的支配等の事情を総合して判断される。」
保障人的地位の認定規範:
「自己の責めに帰すべき事由により被害者の生命に具体的な危険を生じさせた上、被害者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあった者は、被害者の生命を現に保全すべき義務を有する保障人的地位にある」(最決平17.7.4参照)
論文での引用例
「本件では、甲がAに対して何らの救護措置をとらなかった不作為について、殺人罪(刑法199条)の実行行為性が認められるかが問題となる。殺人罪は作為形式で規定されているため、不真正不作為犯の成否が問題となる。不真正不作為犯が成立するためには、(1)法的な作為義務、(2)作為の可能性・容易性、(3)不作為と結果の因果関係が必要である。まず、(1)作為義務について、甲はAを病院から自己の管理するホテルに連れ出すという先行行為によりAの生命に具体的危険を生じさせ、かつ、Aの治療を全面的に引き受けて排他的支配下に置いている。さらに、甲はAの親族から医療措置を受けさせる機会を奪い去っている。これらの事情を総合すれば、甲はAの生命を保全すべき保障人的地位にあり、作為義務が認められる(シャクティパット事件・最決平17.7.4参照)。」
あてはめのコツ
- 作為義務の根拠を複数指摘する: 先行行為・排他的支配・引受けなど、事実関係から読み取れる根拠を重畳的に認定し、「これらの事情を総合すれば」と結論づける。採点実感でも多元的検討が高評価の要素とされている
- 作為の可能性・容易性は簡潔に処理する: 「甲がAを病院に搬送することは物理的に可能かつ容易であった」程度の認定で足りることが多い。ここで冗長に論じると時間を浪費する
- 不作為の因果関係は結果回避可能性として論じる: 「期待された作為(搬送)を行っていれば、高度の蓋然性をもって結果を回避できた」と認定する。「十中八九」の確実性が必要とされる判例の基準を示す
- 殺意の認定は不作為の態様と被害者の状態認識から導く: 「甲はAの重篤な状態を認識しつつ何らの措置もとらず放置しており、未必の故意が認められる」等、認識と認容を具体的事実から認定する
まとめ
不真正不作為犯の成立には、作為義務の存在、作為の可能性・容易性、不作為と結果の因果関係が必要であり、判例は作為義務の根拠として先行行為や排他的支配を重視している。シャクティパット事件決定は「保障人的地位」という概念を用いて不作為の殺人罪を認め、作為義務論の到達点を示した。もっとも、作為義務の発生根拠の体系化や作為との同価値性の要否については、なお学説上の議論が継続しており、個別事案の判断の蓄積を通じた法理の精緻化が求められている。
科目を選び、肢別演習で知識を確かめられます。