集会の自由とパブリックフォーラムとは
しゅうかいのじゆうとぱぶりっくふぉーらむ
集会の自由とパブリックフォーラムとは、多数人が共同の目的で一定の場所に集まる自由(21条1項)と、道路や公園、公の施設のように一般公衆が出入りする場所を表現の場として使う権利をめぐる問題です。集会は場所の確保なしには成り立たないため、公の施設の利用拒否や集団行進の許可制が実質的な表現規制として審査されます。
市民会館で集会を開こうと申し込んだら、反対する団体が押しかけてくるかもしれないからと断られたとします。会場がなければ集会そのものが開けません。集会の自由は言論のように一人で行使できる自由ではなく、他人が管理する場所を借りて初めて成り立つ自由です。だから、施設の利用を拒むことや、道路での集団行進に許可を求めることは、集会の自由そのものへの制約として扱われます。そのうえで、施設の管理や交通の安全という反対側の事情と、どこまで折り合わせるかを判例は決めてきました。
集会の自由は場所の確保なしには成り立たず、施設の利用拒否は実質的な表現規制になります
集会の自由は、多数人が共同の目的をもって一定の場所に集まる自由です(憲法21条1項)。表現の自由の一態様でありながら、他人の管理する場所を使わなければ成り立たないという特徴があり、場所の提供を拒まれれば自由そのものが失われます。地方自治法244条2項は、普通地方公共団体は正当な理由がない限り住民が公の施設を利用することを拒んではならないと定めています。そのため、公の施設の利用不許可や集団行進の許可制は、施設の管理や交通の規制という形をとっていても、表現規制として審査されます。集会の自由の制約は精神的自由の制約ですから、経済的自由の制約より厳格な基準で審査されるというのが判例の出発点です。
- 公の施設の利用地方自治法244条2項により正当な理由がない限り拒めない。不許可事由は限定解釈され、明らかな差し迫った危険の具体的予見が要る
- 公安条例集団行進の許可制。一般的許可制は許されず、特定の場所又は方法につき合理的かつ明確な基準の下でのみ許される
- 道路使用の許可道路交通法77条。道路の機能を著しく害し、条件によっても阻止できない場合に限り不許可にできる
- 敵意ある聴衆の法理反対者の妨害を理由に集会を拒めるのは、警察の警備等によっても混乱を防止できない特別な事情がある場合に限る
公の施設の利用拒否には、明らかな差し迫った危険の具体的な予見が必要です
最判平成7年3月7日(泉佐野市民会館事件)は、公の秩序をみだすおそれがある場合という不許可事由を限定解釈し、集会の自由を保障することの重要性よりも、集会が開かれることによって人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し防止する必要性が優越する場合に限るとしたうえ、危険の程度として、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることを要求しました。その予見は許可権者の主観ではなく客観的な事実に照らして認められる必要があります。「集会の自由に対する不当な制約を防ぐため,集会の用に供される公共施設の利用許可申請を公の秩序が害されるおそれを理由にして拒否することが許されるのは,明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合に限られる」という肢は正しいです。この基準は、条文の文言をそのまま適用すれば広い裁量を認めてしまう不許可事由を、憲法に適合するように読み替えることで導かれています。条例の文言が広いこと自体を違憲とするのではなく、限定解釈のうえで当てはめを厳しくするという処理です。同事件では、過激な活動を続ける団体の主催で、対立する団体との衝突により周辺住民の生命や身体に危険が及ぶことが客観的に予見できたとして、不許可処分は適法とされました。
反対者の妨害を理由とする不許可は、原則として許されません
集会に反対する勢力が妨害を予告した場合に、そのことを理由として利用を拒めるかが問われます。最判平成8年3月15日(上尾市福祉会館事件)は、会館の管理上支障があると認められるときという不許可事由について、管理上の支障が許可権者の主観によって予測されるだけでは足りず、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合に限ると解したうえで、主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、これを実力で阻止し妨害しようとする者が紛争を起こすおそれがあることを理由に利用を拒めるのは、警察の警備等によってもなお混乱を防止できないなど特別な事情がある場合に限られるとしました。したがって「施設管理者が自らの管理権を行使するだけではその妨害行為による混乱を防止できないと判断すれば,当該集会を不許可とすることができる」という肢は誤りです。管理権者の主観的な判断や、警察力を用いない前提での判断では足りません。反対者の実力行使を理由に集会を禁じることを認めれば、集会の自由を妨害しようとする者の意向によって左右させることになり、保障が骨抜きになるからです。もっとも、泉佐野市民会館事件のように、主催者側の対立に起因して人の生命、身体、財産が侵害され公共の安全が損なわれる危険がある場合には、不許可とし得ます。
施設に許可制を採ること自体は集会の自由を侵さず、公園の規制には管理上の考慮も働きます
公の施設は数に限りがあり、利用の調整が必要ですから、利用に許可を要するとすること自体は当然に許されます。「市民会館は,集会をするために必須の施設であるから,その使用について,届出制ではなく,許可制を採ることは,集会の自由を不当に制限することになる」という肢は誤りです。泉佐野市民会館事件も、許可制を採ること自体ではなく不許可事由の解釈と運用を統制したものです。問題になるのは許可制そのものではなく、不許可事由の広さと運用です。皇居外苑のように集会のために設置されたものではない国民公園でも、管理権者が許否を自由に決められるわけではありません。最大判昭和28年12月23日(皇居外苑使用不許可事件)は、国民公園は国が直接公共の用に供した公共福祉用財産で、国民が広場に集合して利用することは公園の目的に沿う使用の範囲内にあるから、その許否は管理権者の単なる自由裁量に委ねられたものではなく、公園としての使命を十分達成させるよう考慮を払って決めなければならないとしました。「公園を集会に使用するための許可の申請について、公園の管理権者はその許否を自由に決することができ、不許可処分を行っても憲法第21条に反しない」という肢は誤りです。他方で、同判決は、国民が公共福祉用財産を利用できるのは公共の用に供せられる目的に沿い、その態様や程度に応じた範囲内であるとしており、公園のように集会以外の一般の利用にも広く供される施設では、管理保存や他の利用者との調整という管理上の理由による規制が認められます。明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されるという基準は、泉佐野市民会館事件が集会のための施設の広い不許可事由を限定解釈する場面で用いたものであって、公物の使用規制一般に妥当する基準ではありません。「市の管理する公園について,人の生命,身体又は財産が侵害され,公共の安全が損なわれる,明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合でないのに,その使用を規制するのは,集会の自由を不当に制限することになる」という肢は誤りです。成田新法による工作物の使用禁止が争われた最大判平成4年7月1日(成田新法事件)も、集会の自由が民主主義社会において重要な意義を有することを認めたうえで、公共の福祉による必要かつ合理的な制限に服するとしており、集会の自由の制約が常に同じ強度の審査を受けるわけではありません。
集団行進の許可制も、合理的かつ明確な基準のもとでなら合憲です
最大判昭和29年11月24日(新潟県公安条例事件)は、行列行進や集団示威運動は公共の福祉に反する不当な目的又は方法によらない限り本来国民の自由であるから、一般的な許可制を定めて事前に抑制することは憲法の趣旨に反し許されないとしつつ、公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法について、合理的かつ明確な基準のもとで許可を要求することは差し支えないとしました。「公共の秩序を保持し、又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、集団行進についてあらかじめ許可を受けることを必要とするとの規定を設けたとしても憲法第21条に反しない」という肢は正しいです。規制の対象が場所又は方法という限られた事項で、集団行動一般を包括的に事前抑制するものではないこと、許否の基準が合理的かつ明確で行政庁の恣意的な運用を許さないことが、合憲とされる理由です。これに対し「集会等の時間,場所,方法を問わず,事前の許可を要すると条例で定めることもやむを得ない」という考え方は、新潟県公安条例事件が否定した一般的許可制にほかなりません。集会や集団行動が他人の権利と衝突する程度は具体的態様によって大きく異なるから、一律に事前の許可にかからせることは集会の自由に対する過大な制約だという見解は、この考え方への批判になります。道路交通法77条による集団行進の許可制についても、最判昭和57年11月16日(道路交通法による集団行進の許可制の合憲性)は、同法が許可を原則とし、不許可は集団行進の規模、態様、コース、時刻などに照らして一般交通の用に供されるべき道路の機能を著しく害すると認められ、条件を付与することによってもその事態の発生を阻止できないと予測される場合に限られると解したうえで、表現の自由に対する公共の福祉による必要かつ合理的な制限として合憲としました。「条件を付与することによってもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合には、当該集団行進について不許可処分がなされたとしても憲法第21条に反しない」という肢は正しいです。また、最大判昭和50年9月10日(徳島市公安条例事件)は、殊更な交通秩序の阻害をもたらすような行為は思想表現行為としての集団行進に不可欠な要素ではなく、これを禁止しても憲法上の権利の正当な行使を制限することにはならないとしました。「殊更に交通秩序の阻害をもたらすような行為は,思想表現行為としての集団行進に不可欠な要素ではないから,道路における集団行進を許可するに際し,これを禁ずるという条件を付するとしても,憲法上の権利を不当に侵害するものではない」という肢は正しいです。
私的な管理場所での表現には、管理権との調整が必要です
駅構内のように公衆が出入りする場所であっても、管理権者の許諾なく演説やビラ配布を続ければ、不退去罪等による処罰が許されます。最判昭和59年12月18日(吉祥寺駅構内ビラ配布事件)の法廷意見は、思想を外部に発表するための手段であっても、他人の財産権、管理権を不当に害するものは許されないとしました。道路や公園、広場のように一般公衆が自由に出入りでき伝統的に表現の場として機能してきた場所では、本来の利用目的のための管理権があっても表現の場としての価値に可能な限り配慮すべきだというパブリックフォーラムの考え方は、この事件の補足意見に現れたもので、法廷意見が採用したものではありません。最高裁の法廷意見がこの理論を正面から採用した例はありません。自衛隊宿舎への立入りが問題となった最判平成20年4月11日(立川反戦ビラ事件)も、立ち入った場所は職員とその家族が私的生活を営む宿舎の敷地と集合住宅の共用部分であって、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではないとしています。「本件立入りの場所が自衛隊・防衛庁当局が管理するものであることから,いわゆるパブリック・フォーラムたる性質を持つものであることを前提としつつ,判示したものである」という肢は誤りです。表現の自由の行使のためであっても、他人の権利を不当に害する態様の行為は許されず、管理権者の意思に反して立ち入れば住居侵入罪で処罰されるというのが判例の結論です。
最判平成7年3月7日(泉佐野市民会館事件)
本件条例七条一号、三条一項一号は、……集会の自由を保障することの重要性よりも、集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要である。
論文ではこう使う
論文では、まず集会の自由が場所の確保なしには成り立たない自由であることを述べ、不許可が実質的に表現の全面的な禁止をもたらすことを指摘します。公の施設の事案では、不許可事由を限定解釈したうえで、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されるかを、過去の経緯、警備の可能性、予告された妨害の具体性から当てはめます。妨害者の存在を理由とする不許可は原則として許されないとし、警察力によっても混乱を防止できない特別な事情があるかを検討します。集団行進の許可制では、一般的許可制と特定の場所又は方法に限った許可制を区別し、基準の合理性と明確性を審査します。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。