教育制度(義務教育・教科書検定・学習指導要領)とは
きょういくせいど
教育制度とは、憲法26条の教育を受ける権利を現実に支えるための仕組みのことで、義務教育の無償(26条2項後段)、検定を経た教科書の使用(学校教育法34条)、教育内容の大綱を定める学習指導要領がその柱です。義務教育の無償は授業料の不徴収を意味し、教科書検定は検閲にあたらず、学習指導要領には法規としての性質が認められています。
公立の小中学校では授業料を払いませんし、教科書も無料で配られ、どの学校でも同じ教科書会社の検定済み教科書と学習指導要領に沿った授業が行われます。子どもは自分で学ぶ内容を選べないので、憲法26条の教育を受ける権利を本当に実現するには、費用の壁を下げ、全国どこでも一定の水準と中立さを保つ仕組みが要るからです。ただし、憲法が直接に求めているのは授業料の不徴収までで、教科書の無償配布や検定の細かな運用は法律と判例が形づくっています。
義務教育の無償は授業料の不徴収を意味します
「憲法は,義務教育の無償を規定している。そこで無償とすることが求められているのは,授業料と教科書代のみであり,文房具代や給食費等就学に必要な一切の費用まで意味するものではない。」という肢は誤りです。教科書費国庫負担請求事件(最大判昭和39年2月26日)は、26条2項後段の無償とは授業料不徴収の意味だと解し、教科書や学用品など教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないと定めたものではないとしました。無償の範囲に教科書代は含まれません。同判決は、憲法が保護者に就学義務を課しているのは国家的要請だけによるものではなく、親の本来有している子女を教育すべき責務を全うさせようとする趣旨でもあるから、義務教育に要する一切の費用を当然に国が負担しなければならないとはいえないと述べています。この理由づけが見解問題で問われます。「a.憲法第26条第2項後段は、義務教育は無償とするとしているところ、当然に国が一切の費用を負担しなければならないとはいえないから、その無償の範囲は授業料であると解される。」という見解の根拠として、「b.義務教育は単なる国家的要請ではなく、親が本来有している子女を教育すべき義務を全うさせようとする趣旨によるものである。」という見解を挙げる肢は正しいです。義務教育が親の義務の履行でもあるなら、その費用も本来は親が負担すべき性質のものになり、国が一切を負担すべきとはいえないという帰結が導かれるからです。現に教科書が無償で配られているのは義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律によるもので、これを廃止しても直ちに違憲にはなりません。
- 無償の範囲授業料を徴収しないこと。教科書の無償配布は法律による政策であって憲法上の要請ではない
- 教科書検定文部科学大臣が検定基準に照らして審査する。不合格でも一般図書としての出版は妨げられない
- 学習指導要領教育内容の大綱的基準。法規としての性質が認められ、逸脱した授業は懲戒事由になる
- 教育委員会地方公共団体に置かれる合議制の執行機関。学校の管理と教育課程の指導を担う
教科書検定は検閲にあたりません
「教科書検定は,検定で不合格とされた図書を一般図書として『思想の自由市場』に流通させることを何ら妨げるものではなく,発表禁止目的や発表前の審査等の特質がないから,憲法第21条第2項の『検閲』には当たらない。」という肢は正しいです。第一次家永教科書訴訟(最判平成5年3月16日)は、検閲とは行政権が主体となって思想内容等の表現物を対象とし、発表の禁止を目的として網羅的一般的に発表前に内容を審査し、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質とするものだと述べたうえで、検定は一般図書としての発行を何ら妨げず、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから検閲に当たらないとしました。21条1項の側からは、「教科書検定が教科書執筆者の表現行為を制限することになるとしても,教育の中立・公正,一定水準の確保等の要請にかんがみれば,検定による表現の自由の制約は合理的で必要やむを得ない限度のものであるから,憲法第21条第1項に違反しない。」という肢が正しいです。審査の範囲を狭く限定した「教科書検定が憲法第21条第2項に違反しないとされるのは,審査が,教科書の誤記や誤植などの客観的に明らかな誤りがあるか,教科書の内容が教育課程の大綱的基準の枠内にあるかなどの点に限定され,かつ,執筆者の思想の内容にわたらない場合に限られる。」という肢は誤りです。判例は審査の内容の広さで検閲かどうかを決めるのではなく、発表禁止目的や発表前の審査といった特質の有無で決めているので、記述が学界で支持を得ていないかどうかといった実質的な審査に及んでも検閲にはなりません。
検定は学問の自由にも違反しません
「普通教育の場において使用される教科書は学術研究の結果の発表を目的とするものではなく,教科書検定は,記載内容がいまだ学界において支持を得ていないとき,あるいは当該教科課程で取り上げるにふさわしい内容と認められないときなど一定の検定基準に違反する場合に,教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎないから,憲法第23条に反しない。」という肢は正しいです。第一次家永教科書訴訟(最判平成5年3月16日)は、教科書が普通教育の場で児童生徒の用に供される図書であって学術研究の結果の発表を目的とするものではないという前提を置き、検定は教科書の形態における研究結果の発表を制限するにすぎないと述べました。不合格になっても、執筆者は同じ内容を一般図書として公刊したり学会で発表したりすることを妨げられません。これを裏返した「普通教育の場において使用される教科書は、研究結果の発表を直接の目的とするものではないものの、研究結果の発表という面があることから、記載内容がいまだ学界において支持を得ていないときに検定基準を満たさないとする教科書検定処分は憲法第23条に違反する。」という肢は誤りです。同じ検定制度でも、23条・21条2項・21条1項のそれぞれで判例が置いた理由は別ですから、どの条文との関係が問われているかに応じて、上の理由をそのまま答えます。
学習指導要領には法規としての性質が認められます
伝習館高校事件(最判平成2年1月18日)は、高等学校の学習指導要領が法規としての性質を有するとし、これに違反した授業と成績評価を理由とする懲戒免職処分を適法としました。「教育の具体的方法や内容に関して教師に認められるべき裁量には,おのずから制約がある。自分の考えと異なるとして教科書を使用しないで授業を行ったり,全員に一律の成績評価を行ったりすることは,教師の裁量の範囲内とはいえない。」という肢は正しいです。同判決は、教育の具体的内容及び方法につき高等学校の教師に認められるべき裁量を前提としてもなお、明らかにその範囲を逸脱して学校教育法の規定や学習指導要領の定めに明白に違反すると述べています。普通教育では児童生徒に教授内容を批判する能力がなく、教師が強い影響力をもち、全国的に一定の教育水準を確保する要請もあるため、教師に完全な教授の自由は認められないという旭川学力テスト事件(最大判昭和51年5月21日)の枠組みが前提になっています。国の関与も大綱的基準にとどまる限り許されます。
信仰を理由とする履修拒否には、代替措置の検討が求められます
教育制度の運用が信教の自由と衝突する場面もあります。「信仰上の理由から剣道実技の履修を拒否した高等専門学校の生徒に対して学校長が行った原級留置処分及び退学処分は,履修拒否が生徒の信仰の核心部分と密接に関連する真しな理由からのものであり,代替措置の申入れに対して学校側はそれが不可能でないのに何ら検討することなく拒否したなどという事情の下では,裁量権の範囲を超えて違法である。」という肢は正しく、剣道実技拒否事件(最判平成8年3月8日)の結論です。同判決は、退学処分が学生の身分を奪う重大な措置で原級留置処分も退学に直結するため校長の裁量判断には慎重な配慮を要するとし、体育科目の目的は他の種目の履修やレポートなど代替的方法でも達成できること、履修拒否が信仰の核心部分と密接に関連する真摯な理由に基づくことを指摘して、代替措置を何ら検討せずにした処分は考慮すべき事項を考慮しておらず社会観念上著しく妥当を欠くと述べました。逆に、「生徒が自らの信仰に基づき,その通学する公立校で義務付けられている授業の履修を拒んだため不利益処分を受けることになっても,公教育が特例なしに実施されるべきであることに鑑み,その不利益の内容や程度に関わりなく,これを受忍しなければならない。」という肢は誤りです。判例は教育水準の確保の要請を認めつつも、剣道実技の履修が必須とまではいえず、不利益が極めて大きいことを重く見ています。公教育の画一的な実施という一般論だけで不利益を正当化することはできず、学校側には代替措置の可能性を検討する義務があります。
検定の運用には裁量があり、逸脱・濫用があれば違法になります
検定制度そのものが合憲であることと、個々の検定処分が適法であることは別の問題です。第一次家永教科書訴訟(最判平成5年3月16日)は、検定の判断が学術的・教育的な専門技術的判断であるとして文部大臣の裁量を認めたうえで、検定当時の学説状況や教育状況についての認識に看過しがたい過誤があれば裁量権の逸脱・濫用として違法になるとしました。検定基準の合憲性を争うのか、具体的な修正意見の違法を争うのかで、立てる規範が変わります。検定の手続は教科用図書検定調査審議会への諮問を経て行われ、不合格の理由の通知と反論の機会も制度化されています。教育内容を誰が決めるかという問題そのものは教育権の所在で扱います。
最大判昭和39年2月26日(教科書費国庫負担請求事件)
憲法二六条二項後段の「義務教育は、これを無償とする。」という意義は、国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、授業料を徴収しないことを定めたものと解するのが相当である。
論文ではこう使う
論文では、教育内容への国の関与を争うとき、まず学習指導要領や検定基準が大綱的基準の範囲にとどまるかを検討し、旭川学力テスト事件の枠組みで合憲性を判断します。処分を争う場面では、根拠となる規範の法的性質(法規か内部基準か)を確定してから、裁量権の逸脱・濫用を論じます。信仰との衝突では、剣道実技拒否事件にならい、不利益の重大性、拒否の理由が信仰の核心と結びつくか、代替措置が可能かつ政教分離に反しないかを順に当てはめます。制度の細部が憲法上の要請とどう結びついているかを、条文と判例の両方から確かめておきます。
この用語が出た過去問の肢を、正誤を選んで解説で確かめられます。