【判例】誤想防衛と誤想過剰防衛(最判昭62.3.26)
誤想防衛と誤想過剰防衛に関する最判昭62.3.26を解説。急迫不正の侵害を誤信した場合の法的評価、事実の錯誤との関係、過剰防衛の準用の可否を詳しく分析します。
この判例のポイント
急迫不正の侵害が存在しないにもかかわらず、これが存在するものと誤信して反撃行為に及んだ場合(誤想防衛)において、その反撃行為が仮に侵害が存在していたとしてもなお防衛の程度を超えるものであったとき(誤想過剰防衛)は、刑法36条2項の準用により刑の減免が認められるとした判例。誤想防衛と誤想過剰防衛の法的評価を明確にした重要判例である。
事案の概要
被告人は、相手方から急迫不正の侵害を受けているものと誤信し、これに対する防衛行為として相手方に反撃を加えた。しかし、実際には急迫不正の侵害は存在しなかった。
さらに、被告人の反撃行為は、仮に急迫不正の侵害が存在していたとしても、防衛の程度を超える過剰なものであった。
検察官は傷害罪で起訴した。被告人は正当防衛を主張したが、急迫不正の侵害が実際には存在しなかったことが認定された。
争点
- 急迫不正の侵害を誤信した場合(誤想防衛)の法的評価はどうなるか
- 誤想防衛の場合で反撃行為が過剰であったとき(誤想過剰防衛)、刑法36条2項が準用されるか
判旨
最高裁は、以下のように判示した。
急迫不正の侵害に対して自己又は他人の権利を防衛するためやむを得ずにした行為と信じ、かつそのように信ずるについて相当な理由があるときは、事実の錯誤として犯罪の故意を欠くものというべきであるが、その行為が仮に急迫不正の侵害に対する防衛手段としてもやむを得ない程度を超えたものであるときは、いわゆる誤想過剰防衛に当たり、刑法36条2項の準用により刑の減免を認めるべきである
― 最高裁判所第二小法廷 昭和62年3月26日(趣旨)
すなわち、以下の枠組みが示された。
- 誤想防衛: 急迫不正の侵害が存在しないのに存在すると誤信して反撃した場合、事実の錯誤として故意が阻却される(過失犯が成立しうる)
- 誤想過剰防衛: 誤想防衛の場合で反撃行為が過剰であった場合、36条2項を準用して刑の減免が認められる
ポイント解説
正当防衛・過剰防衛・誤想防衛・誤想過剰防衛の体系
| 類型 | 侵害の存在 | 反撃の相当性 | 法的効果 |
|---|---|---|---|
| 正当防衛 | あり | 相当 | 違法性阻却(無罪) |
| 過剰防衛 | あり | 過剰 | 任意的減免(36条2項) |
| 誤想防衛 | なし(誤信) | 相当(仮定的判断) | 故意阻却(過失犯のみ) |
| 誤想過剰防衛 | なし(誤信) | 過剰(仮定的判断) | 36条2項準用による減免 |
誤想防衛の理論的位置づけ
誤想防衛は、事実の錯誤の一種として位置づけられる。行為者は、正当防衛の前提となる事実(急迫不正の侵害の存在)を誤信しており、この誤信は違法性阻却事由の前提事実に関する錯誤にあたる。
違法性阻却事由の前提事実の錯誤の効果について、判例・通説は以下のように解する。
- 故意を阻却する: 行為者が誤信した事実を前提とすれば正当防衛が成立する場合、行為者には故意犯の故意が認められない
- 過失犯の成立: 誤信に過失がある場合には過失犯が成立する
- 全くの無罪: 誤信に過失もない場合には犯罪は成立しない
誤想過剰防衛の法的構成
誤想過剰防衛は、理論的に以下のように構成される。
- 行為者は急迫不正の侵害が存在すると誤信している(誤想の要素)
- 仮に侵害が存在していたとしても、反撃行為は防衛に必要な程度を超えている(過剰の要素)
- 過剰部分については故意が認められる可能性がある
- 刑法36条2項の趣旨(恐怖・驚愕・興奮による過剰反撃の減免)が妥当するため、同項を準用する
36条2項準用の根拠
過剰防衛について36条2項が刑の減免を認めている趣旨は、急迫不正の侵害に直面した行為者が、恐怖・驚愕・興奮等により防衛の程度を超えた反撃に及ぶことはやむを得ない面があることに求められる。
誤想過剰防衛の場合にも、行為者は(主観的には)急迫不正の侵害に直面した状態にあり、恐怖・驚愕等により過剰な反撃に及ぶことはありうる。したがって、36条2項の趣旨が妥当し、同項の準用が認められる。
学説・議論
違法性阻却事由の錯誤に関する学説
違法性阻却事由の前提事実の錯誤(誤想防衛を含む)の効果について、以下の学説が対立する。
制限故意説: 故意は構成要件事実の認識を含むとともに、違法性の意識(又はその可能性)をも含むとする。誤想防衛の場合、行為者は違法性の意識を欠くため故意が阻却される。
厳格故意説: 故意の成立に違法性の意識が必要とする。誤想防衛の場合には故意が阻却される(結論は同じ)。
制限責任説(通説): 故意は構成要件事実の認識で足りるが、違法性阻却事由の前提事実の錯誤は事実の錯誤として故意を阻却するとする。
厳格責任説: 違法性阻却事由の錯誤は事実の錯誤ではなく、違法性の錯誤(禁止の錯誤)として処理すべきとする。この説では、誤想防衛は故意を阻却せず、責任の段階で処理される。
誤想過剰防衛の処理に関する学説の対立
誤想過剰防衛の処理については、以下の点で学説が分かれる。
36条2項準用肯定説(判例の立場): 誤想過剰防衛にも36条2項を準用し、刑の減免を認める。
36条2項準用否定説: 実際には正当防衛状況が存在しないのであるから、36条2項は適用(準用)されないとする。誤想の部分は事実の錯誤として処理し、過剰の部分は通常の犯罪として処理すべきとする。
区別説: 誤想過剰防衛を以下のように区別する。
- 誤想部分に過失がある場合: 過失犯が成立し、36条2項を準用して減免
- 過剰部分に故意がある場合: 故意犯が成立し、36条2項を準用して減免
判例の射程
誤想防衛の各類型
誤想防衛には以下の類型がある。本判決の射程はこれらの全てに及びうる。
- 相手方の行為を侵害と誤信した場合: 相手方が攻撃する意図がないのに攻撃と誤信
- 第三者の行為を侵害と誤信した場合: 無関係の第三者の行為を侵害と誤信
- 侵害の程度を過大に評価した場合: 侵害は存在するが、その程度を過大に認識
誤想避難
緊急避難の場面でも、現在の危難が存在しないのにこれが存在すると誤信して避難行為に及ぶ場合(誤想避難)がありうる。誤想防衛と同様の法理が適用される。
正当防衛と誤想防衛の境界
正当防衛が成立するためには急迫不正の侵害が客観的に存在する必要がある。行為者が侵害の存在を誤信した場合は、客観的には侵害が存在しないため正当防衛は成立せず、誤想防衛の問題となる。
反対意見・補足意見
本判決に反対意見は付されていない。誤想過剰防衛に36条2項を準用するという判断は、学説上も広く支持されている。
試験対策での位置づけ
出題可能性
誤想防衛・誤想過剰防衛は、刑法総論の最重要論点の一つであり、出題可能性は極めて高い。
- 誤想防衛の法的効果を問う事例問題(論文式試験の定番)
- 誤想過剰防衛の処理に関する問題
- 違法性阻却事由の錯誤の理論を問う問題
- 短答式試験での正当防衛・過剰防衛・誤想防衛の区別
短答式試験での出題ポイント
- 急迫不正の侵害を誤信した場合は誤想防衛として故意が阻却される(○)
- 誤想過剰防衛の場合には刑法36条2項が準用される(○)
- 誤想防衛は違法性が阻却される(×・故意が阻却される)
- 誤想に過失がある場合には過失犯が成立しうる(○)
答案での使い方(論証パターン)
誤想防衛の論証
甲は急迫不正の侵害が存在すると誤信して反撃行為に及んでいるが、実際には侵害は存在しなかった。この場合の甲の罪責を検討する。
急迫不正の侵害が存在しないのにこれが存在するものと誤信して反撃した場合は、誤想防衛にあたる。誤想防衛は違法性阻却事由の前提事実に関する事実の錯誤として、故意を阻却する。
もっとも、誤信に過失がある場合には過失犯が成立する。
誤想過剰防衛の論証
さらに、甲の反撃行為は、仮に急迫不正の侵害が存在していたとしても、防衛の程度を超える過剰なものであった(誤想過剰防衛)。
この場合、判例(最判昭62.3.26)は、刑法36条2項の準用により刑の減免を認める。すなわち、行為者が主観的には急迫不正の侵害に直面した状態にあり、恐怖・驚愕等により過剰な反撃に及んだことについて、36条2項の趣旨が妥当するからである。
重要概念の整理
正当防衛関連の体系図
| 類型 | 侵害 | 相当性 | 効果 |
|---|---|---|---|
| 正当防衛 | 客観的に存在 | 相当 | 違法性阻却 |
| 過剰防衛 | 客観的に存在 | 過剰 | 36条2項で任意的減免 |
| 誤想防衛 | 誤信(不存在) | 相当(仮定) | 故意阻却 |
| 誤想過剰防衛 | 誤信(不存在) | 過剰(仮定) | 36条2項準用で減免 |
違法性阻却事由の錯誤に関する学説
| 学説 | 処理 | 故意への影響 |
|---|---|---|
| 制限責任説(通説) | 事実の錯誤として処理 | 故意阻却 |
| 厳格責任説 | 禁止の錯誤として処理 | 故意は維持 |
| 消極的構成要件要素の理論 | 構成要件の錯誤として処理 | 故意阻却 |
36条2項の適用・準用場面
| 場面 | 適用/準用 | 根拠 |
|---|---|---|
| 過剰防衛 | 直接適用 | 36条2項 |
| 誤想過剰防衛 | 準用 | 判例(最判昭62.3.26) |
| 過剰避難 | 直接適用 | 37条1項但書 |
発展的考察
防衛の意思と誤想防衛
正当防衛の成立には防衛の意思が必要かという問題がある。判例は防衛の意思を必要としつつ、攻撃の意思が防衛の意思と併存しうるとしている。誤想防衛の場合にも、行為者に防衛の意思が認められるかが問題となるが、侵害を誤信して反撃した以上、通常は防衛の意思が認められる。
自招侵害と誤想防衛
自ら挑発行為を行って相手方の攻撃を招いた場合(自招侵害)に正当防衛が制限されるかは重要な論点である。自招侵害の場面で行為者が侵害の程度を過大に評価した場合には、誤想防衛の問題も重畳的に生じうる。
対物防衛と誤想防衛
動物の攻撃に対する防衛行為(対物防衛)において、実際には攻撃がなかったのに誤信して防衛行為に及んだ場合にも、誤想防衛の法理が適用される。
正当防衛状況の錯誤と量刑
誤想防衛として故意犯が否定された場合の量刑と、誤想過剰防衛として故意犯が成立するが減免を受ける場合の量刑は、実務上重要な差異を生じうる。
よくある質問
Q1: 誤想防衛と正当防衛の違いは何ですか?
A1: 正当防衛は客観的に急迫不正の侵害が存在する場合に成立し、違法性が阻却されます。これに対し、誤想防衛は実際には急迫不正の侵害が存在しないのに存在すると誤信した場合であり、違法性は阻却されませんが、事実の錯誤として故意が阻却されます。
Q2: 誤想防衛の場合、行為者は全くの無罪になりますか?
A2: 誤信に過失がなければ犯罪は成立せず無罪となります。しかし、誤信に過失がある場合(例:もう少し注意すれば侵害がないことに気づけた場合)には、過失犯が成立する可能性があります。
Q3: 誤想過剰防衛の場合、必ず刑が免除されますか?
A3: いいえ。36条2項の準用により「刑を減軽し、又は免除する」とされますが、減軽にとどまる場合もあり、免除されるかどうかは裁判所の判断によります。
Q4: 厳格責任説をとると誤想防衛の結論はどう変わりますか?
A4: 厳格責任説では、誤想防衛は事実の錯誤ではなく禁止の錯誤(違法性の錯誤)として処理されます。この場合、故意は阻却されず、故意犯が成立しますが、錯誤が回避不能であれば責任が阻却されます。日本の通説・判例は厳格責任説を採用しておらず、事実の錯誤として故意を阻却する立場をとっています。
Q5: 過剰防衛と誤想過剰防衛では法的効果は同じですか?
A5: いずれも36条2項(又はその準用)により刑の任意的減免が認められる点では同じです。ただし、過剰防衛は違法性の問題であり故意犯が成立するのに対し、誤想過剰防衛は錯誤の問題を含むため、故意犯の成否自体が問題となる点で異なります。
関連条文
- 刑法36条1項(正当防衛):急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
- 刑法36条2項(過剰防衛):防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
- 刑法38条1項(故意)
- 刑法37条(緊急避難)
関連判例
- 最判昭52.7.21:正当防衛と防衛の意思に関する判例
- 最決平20.5.20:防衛行為の相当性に関する判例
- 最判昭46.11.16:過剰防衛の減免に関する判例
- 最決平29.4.26:自招侵害と正当防衛に関する判例
まとめ
最判昭62.3.26は、誤想過剰防衛の場合に刑法36条2項を準用して刑の減免を認めた重要判例である。誤想防衛は違法性阻却事由の前提事実に関する事実の錯誤として故意を阻却し、誤想過剰防衛は誤想の要素と過剰の要素を併せ持つ場合として、36条2項の趣旨を考慮した処理がなされる。正当防衛・過剰防衛・誤想防衛・誤想過剰防衛の四類型の体系的理解は、刑法総論における最重要知識の一つである。試験対策としては、四類型の区別と各々の法的効果を正確に理解し、事例問題において的確に当てはめられるようにしておくことが不可欠である。
科目を選び、肢別演習で知識を確かめられます。