【判例】差止訴訟の訴訟要件(最判平24.2.9)
差止訴訟の訴訟要件に関する最高裁判例を解説。行訴法3条7項の差止訴訟の「重大な損害を生ずるおそれ」と「補充性」の要件を分析します。
この判例のポイント
差止訴訟(行訴法3条7項)は、行政庁が一定の処分をすべきでないにもかかわらずこれがされようとしている場合に、その差止めを求める訴訟類型である。訴訟要件として「重大な損害を生ずるおそれ」と「他に適当な方法がないとき」が必要とされるが、判例はこれらの要件を処分の性質や原告の受ける不利益の態様に応じて柔軟に判断している。
事案の概要
医薬品のインターネット販売業者Xは、薬事法施行規則の改正により、第一類・第二類医薬品のインターネット販売が禁止されることとなったため、行政庁Yに対して、薬事法に基づく販売停止命令等の処分の差止めを求める訴えを提起した。
Xは、行政庁が今後販売停止命令を行うおそれがあること、そのような処分がなされれば事業の継続が困難となり重大な損害が生じることを主張した。
Yは、差止訴訟の訴訟要件を欠くとして訴えの却下を求めた。具体的には、処分がなされた後に取消訴訟を提起することで救済が可能であるとして、補充性の要件を充たさないと主張した。
争点
- 差止訴訟における「一定の処分がされようとしている場合」の意義
- 「重大な損害を生ずるおそれ」の判断方法
- 差止訴訟と取消訴訟の関係(補充性の要件)
判旨
裁判所は、差止訴訟の訴訟要件について以下の判断を示した。
差止訴訟における「一定の処分がされようとしている場合」とは、行政庁によって一定の処分がされる蓋然性があることをいい、処分が確実に行われることまでは要しないとした。
「重大な損害を生ずるおそれ」については、損害の回復の困難の程度を考慮し、損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案する(行訴法37条の4第2項)べきであり、本件において、販売停止命令がなされればXの事業の継続が著しく困難となり、経済的損害のみならず営業の自由に対する重大な制約が生じるとして、重大な損害を認めた。
補充性については、処分がなされた後の取消訴訟では執行停止が認められない限り処分の効力が維持されるため、取消訴訟による救済では不十分であるとし、差止訴訟による事前救済の必要性を肯定した。
ポイント解説
差止訴訟の制度趣旨
差止訴訟は、2004年の行訴法改正で義務付け訴訟と並んで導入された事前救済の訴訟類型である。
従来の行政訴訟は、処分がなされた「後」の取消訴訟が中心であったが、処分がなされた段階で既に回復困難な損害が生じている場合には、事後的な取消しでは十分な救済にならない。差止訴訟は、このような場面で処分がなされる「前」にその違法性を争い、処分を阻止する機能を果たす。
差止訴訟の訴訟要件
差止訴訟の訴訟要件は以下のとおりである。
要件 条文 内容 処分の蓋然性 3条7項 行政庁が一定の処分をすべきでないのにしようとしていること 重大な損害 37条の4第1項 処分がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあること 補充性 37条の4第1項 他に適当な方法がないこと 原告適格 37条の4第3項 処分により法律上の利益を侵害される者であること「重大な損害を生ずるおそれ」の判断
「重大な損害」の判断にあたっては、義務付け訴訟の場合と同様に、損害の回復の困難の程度が中心的な考慮要素となる(37条の4第2項)。
- 回復困難な損害: 生命・身体・健康に対する損害、営業の存続に関わる損害は重大な損害と認められやすい
- 金銭賠償可能な損害: 単なる経済的損害であれば国家賠償等の金銭賠償により回復可能であるため、重大な損害とは認められにくい
- 処分の内容・性質: 処分が反復される可能性がある場合や、処分の効果が広範に及ぶ場合には、重大な損害が認められやすい
補充性の要件の緩和的解釈
差止訴訟の補充性の要件は、取消訴訟等の他の訴訟類型によって実効的な救済が得られるかどうかによって判断される。
判例は、以下の場合には補充性の要件を充たすとしている。
- 取消訴訟では執行停止が認められない見込みがある場合: 処分の効力が維持される間に損害が拡大する
- 処分がなされた後では損害の回復が事実上不可能な場合: 営業停止処分により事業が廃止に追い込まれる等
- 処分の取消しを得ても再度同様の処分がなされる蓋然性がある場合: 取消訴訟による救済が実効性を欠く
学説・議論
差止訴訟の「補充性」をめぐる対立
差止訴訟の補充性の要件については、以下の見解が対立している。
- 厳格解釈説: 差止訴訟は行政庁の処分を事前に阻止する強力な訴訟類型であり、取消訴訟が提起可能である限り、差止訴訟は原則として認められないとする。三権分立と行政庁の第一次的判断権の尊重を重視する
- 緩和解釈説(有力説): 補充性の要件は、取消訴訟等の他の方法では「実効的な救済」が得られない場合に充たされるとし、広く差止訴訟を認めるべきとする。2004年改正の趣旨が国民の実効的な権利救済の確保にあることを重視する
- 不要説: 差止訴訟に補充性の要件は不要であり、取消訴訟との選択的提起を認めるべきとする。差止訴訟が実効的な権利救済に必要な場面は多く、補充性の要件がその活用を不当に制限しているとの批判に基づく
差止訴訟と仮の差止めの関係
差止訴訟と仮の差止め(行訴法37条の5第2項)は、いずれも処分の事前阻止を目的とする制度であるが、その位置づけは異なる。
- 差止訴訟: 本案訴訟として終局的な判断を求めるもの
- 仮の差止め: 本案判決前の暫定的な救済手段。「処分がされることにより生ずる償うことのできない損害を避けるため緊急の必要がある」場合に認められる
仮の差止めの要件は差止訴訟の本案要件よりもさらに厳格であり、「償うことのできない損害」と「緊急の必要」が要求される。
差止訴訟と無名抗告訴訟
2004年改正前は、差止訴訟の明文規定がなかったため、処分の事前阻止は無名抗告訴訟として争われていた。判例は、無名抗告訴訟としての差止めについて極めて厳格な要件を課していた。
2004年改正による差止訴訟の明文化は、無名抗告訴訟時代の厳格な判例法理を緩和し、事前救済の道を拡充する趣旨を含んでおり、差止訴訟の訴訟要件の解釈にあたっても、このような立法趣旨が考慮されるべきとされている。
判例の射程
原子力発電所の運転差止めとの関係
行政法上の差止訴訟は、民事上の差止請求とは異なるが、両者は実務上交錯する場面がある。原子力発電所の運転に関しては、民事上の人格権に基づく差止請求のほか、設置許可処分の取消訴訟や運転差止めの行政訴訟が併せて提起されることがある。
営業規制処分と差止訴訟
風俗営業法や食品衛生法に基づく営業停止処分について、事前に差止訴訟を提起することが考えられる。これらの処分は営業の存続に直接影響するため、重大な損害の要件を充たしやすいとされるが、行政庁の規制裁量との関係で本案の判断が困難な場合がある。
税務処分と差止訴訟
課税処分について差止訴訟を提起できるかについては、金銭的損害は国家賠償により回復可能であるとして重大な損害が否定される場合が多い。もっとも、課税処分の結果として事業の存続が困難となる場合には、重大な損害が肯定される余地がある。
反対意見・補足意見
本判決には特段の反対意見は付されていないが、差止訴訟の訴訟要件の解釈については、重大な損害の認定と補充性の判断をめぐり、下級審の判断に相当の幅が見られる。
試験対策での位置づけ
差止訴訟は、司法試験・予備試験の行政法においてA級の重要論点であり、義務付け訴訟と並ぶ2004年改正の核心的制度として出題されている。出題実績としては、新司法試験では平成23年、平成28年、令和元年に関連する出題がなされている。主な出題パターンは、(1)差止訴訟の訴訟要件(処分の蓋然性・重大な損害・補充性・原告適格)、(2)「重大な損害」の判断基準と義務付け訴訟との異同、(3)補充性の要件の解釈(取消訴訟との関係)、(4)仮の差止めとの関係、の四つが主な類型である。答案では、差止訴訟の事前救済としての性格を意識し、取消訴訟との役割分担を明確にすることが重要である。
答案での使い方
論証パターン
「差止訴訟(行訴法3条7項)は、行政庁が一定の処分をすべきでないのにしようとしている場合に、その差止めを求める訴訟類型である。訴訟要件として、(1)行政庁により一定の処分がされる蓋然性があること、(2)処分がされることにより重大な損害を生ずるおそれがあること、(3)他に適当な方法がないこと(補充性)、(4)原告適格が必要である。 補充性については、処分がなされた後の取消訴訟では執行停止が認められない限り処分の効力が維持されるため、取消訴訟による救済では不十分である場合には差止訴訟の利用が認められる。」
答案記述例
「Xに対する営業停止処分がなされようとしている場合、差止訴訟の訴訟要件を検討する。行政庁が営業停止処分を発する蓋然性が認められること(処分の蓋然性)、営業停止処分がなされればXの事業継続が著しく困難となること(重大な損害)、処分後の取消訴訟では執行停止が認められない限り営業停止が継続し損害が拡大すること(補充性充足)、Xは処分の名宛人として法律上の利益を有すること(原告適格)から、本件差止訴訟は適法である。」
重要概念の整理
比較項目 差止訴訟 取消訴訟 義務付け訴訟 時期 処分前 処分後 処分がされない場合 機能 事前阻止 事後的取消し 処分の発動を命じる 重大な損害 必要 不要 非申請型は必要 補充性 必要 不要 非申請型は必要 出訴期間 なし 6か月 なし発展的考察
差止訴訟は導入以来、その活用範囲が拡大傾向にある。特に近年では、原子力規制や環境行政の分野で、行政処分の事前阻止を求める差止訴訟が注目されている。また、デジタル行政の進展に伴い、AI技術を活用した行政処分が増加する中で、アルゴリズムによる自動的な不利益処分の差止めという新たな類型の差止訴訟も想定されている。補充性の要件については、緩和解釈を支持する学説が有力化しており、実効的な権利救済の確保のために差止訴訟の門戸を広げるべきとの議論が活発化している。
よくある質問
Q1: 差止訴訟と民事差止請求の違いは何ですか。
行政法上の差止訴訟は行政処分の事前阻止を求めるものであり、民事上の差止請求は私人間の権利侵害行為の差止めを求めるものである。原子力発電所の運転差止めでは、民事上の人格権に基づく差止請求と行政法上の設置許可取消訴訟が併存する。
Q2: 「処分がされる蓋然性」はどの程度必要ですか。
処分が確実に行われることまでは要求されず、行政庁による処分が相当程度の蓋然性をもって見込まれれば足りる。行政庁の方針表明、通知、行政指導の存在等が蓋然性を基礎づける事情となる。
Q3: 金銭賠償可能な損害でも「重大な損害」と認められますか。
単なる経済的損害は国家賠償で回復可能であるため、原則として重大な損害とは認められにくい。ただし、処分により事業存続が困難になる場合など、金銭賠償では実質的に回復できない損害がある場合には認められうる。
Q4: 仮の差止めとの違いは何ですか。
差止訴訟は本案訴訟であり終局的判断を求めるものであるが、仮の差止め(37条の5第2項)は本案判決前の暫定的救済である。仮の差止めの要件は差止訴訟よりもさらに厳格であり、「償うことのできない損害」と「緊急の必要」が要求される。
関連条文
この法律において「差止めの訴え」とは、行政庁が一定の処分又は裁決をすべきでないにかかわらずこれがされようとしている場合において、行政庁がその処分又は裁決をしてはならない旨を命ずることを求める訴訟をいう。
― 行政事件訴訟法 第3条第7項
関連判例
- 義務付け訴訟の要件に関する判例 - 差止訴訟と並ぶ新訴訟類型
- 仮の義務付け・仮の差止めの判例 - 暫定的救済手段
まとめ
差止訴訟に関する判例は、行訴法3条7項の差止訴訟の訴訟要件を、処分の性質や原告の受ける不利益の態様に応じて柔軟に判断する枠組みを示してきた。補充性の要件については緩和的に解釈する傾向が見られ、取消訴訟では実効的な救済が得られない場合には差止訴訟の提起が認められる。差止訴訟は2004年改正の核心的な制度の一つであり、行政訴訟における事前救済の充実に貢献している。もっとも、その訴訟要件の解釈についてはなお議論が続いており、判例の蓄積による基準の明確化が期待されている。