【判例】殺意の認定と未必の故意(最決昭59.2.17)
殺意の認定と未必の故意に関する最決昭59.2.17を解説。確定的故意と未必の故意の区別、殺意認定の判断基準、凶器の種類・創傷の部位等の間接事実による認定方法を詳しく分析します。
この判例のポイント
殺意(殺人の故意)の認定にあたっては、凶器の種類・用法、創傷の部位・程度、犯行の動機・経緯、犯行後の行動等の間接事実を総合考慮して判断すべきであり、被告人が殺意を否認している場合であっても、これらの間接事実から合理的に殺意(未必の故意を含む)を推認することができるとした判例。未必の故意による殺人罪の成立を認め、殺意認定の具体的判断基準を示した重要判例である。
事案の概要
被告人は、被害者と口論になり、激昂して手近にあった刃物(包丁等の鋭利な凶器)で被害者の身体の枢要部(胸部・腹部等)を複数回突き刺した。被害者は搬送先の病院で死亡した。
被告人は、捜査段階及び公判において、「殺すつもりはなかった」として殺意を否認し、傷害致死罪(刑法205条)の成立にとどまると主張した。
第一審及び控訴審は、凶器の種類・用法、創傷の部位・程度、犯行の経緯等の間接事実から殺意を認定し、殺人罪(刑法199条)の成立を認めた。被告人は、殺意の認定に事実誤認があるとして上告した。
争点
- 被告人が殺意を否認している場合に、間接事実から殺意(未必の故意)を推認することは許されるか
- 殺意認定にあたり、いかなる間接事実を考慮すべきか
判旨
最高裁は、被告人の上告を棄却し、原審の殺意の認定を是認した。
殺意の有無は、被告人の供述のみによつて決せられるべきものではなく、凶器の種類・形状及びその用法、創傷の部位・程度、犯行に至る経緯、犯行時及び犯行後の被告人の行動等の諸般の事情を総合して判断すべきものである
― 最高裁判所第二小法廷 昭和59年2月17日 昭和58年(あ)第1437号
すなわち、殺意の認定について以下の判断基準を示した。
- 殺意は被告人の供述のみによって決せられるのではない
- 間接事実を総合考慮して殺意の有無を判断すべきである
- 考慮すべき間接事実として、凶器の種類・用法、創傷の部位・程度、犯行経緯、犯行前後の行動等を挙げた
ポイント解説
故意の種類と殺意の位置づけ
刑法38条1項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」と定め、故意犯の成立に故意を要求する。故意は、その認識・認容の程度に応じて以下のように分類される。
| 故意の種類 | 内容 | 殺人罪との関係 |
|---|---|---|
| 確定的故意 | 結果の発生を確実と認識・認容 | 「殺す」と認識して行為 |
| 未必の故意 | 結果発生の可能性を認識・認容 | 「死ぬかもしれないがそれでもよい」 |
| 認識ある過失 | 結果発生の可能性を認識するが不発生を信頼 | 「死ぬかもしれないが死なないだろう」 |
本判決は、未必の故意による殺人罪の成立を認めたものと解される。すなわち、被告人が「確実に殺す」という確定的故意を有していなくても、「死ぬかもしれないがそれでもよい」という認容があれば殺意が認められる。
殺意認定の間接事実
本判決が挙げた殺意認定のための間接事実を整理すると以下のとおりである。
凶器の種類・形状及びその用法
- 殺傷能力の高い凶器(包丁、刀剣、銃器等)を使用したか
- 凶器の殺傷能力に照らして致命的な使用方法であったか
創傷の部位・程度
- 身体の枢要部(胸部、腹部、頭部、頸部等)に対する攻撃か
- 創傷の深さ・数・程度は致命的なものか
犯行に至る経緯
- 犯行の動機(怨恨、激昂等)
- 事前の計画性の有無
- 凶器の準備の有無
犯行時及び犯行後の被告人の行動
- 攻撃の執拗さ・回数
- 犯行後の救護措置の有無
- 犯行後の逃走・証拠隠滅の有無
殺意と傷害の故意の区別
殺人罪(刑法199条)と傷害致死罪(刑法205条)の最も重要な区別は、殺意の有無にある。
- 殺人罪: 殺意(確定的故意又は未必の故意)あり
- 傷害致死罪: 暴行又は傷害の故意はあるが殺意はなし
この区別は量刑に重大な影響を及ぼすため(殺人罪の法定刑:死刑又は無期若しくは5年以上の懲役、傷害致死罪の法定刑:3年以上の有期懲役)、殺意の認定は刑事裁判における最重要の事実認定問題の一つである。
未必の故意と認識ある過失の限界
未必の故意と認識ある過失の区別は、理論上も実務上も最も困難な問題の一つである。本判決は、この区別について直接的な基準を示していないが、間接事実の総合考慮という方法論を通じて、事実上の判断基準を提供している。
- 認容説(判例・通説): 結果発生の可能性を認識し、かつこれを認容(「それでもかまわない」という心理状態)した場合に故意が認められる
- 蓋然性説: 結果発生の蓋然性が高いことを認識した場合に故意が認められるとする(認容は不要)
学説・議論
認容説と蓋然性説の対立
未必の故意の成立要件について、認容説と蓋然性説の対立がある。
認容説は、結果発生の認識に加えて、結果発生を認容する心理的態度が必要とする。「死んでもかまわない」「死んでもやむを得ない」という心理状態が認容に該当する。判例・通説の立場とされる。
蓋然性説は、結果発生の蓋然性が高いことの認識があれば足り、認容という心理的態度は不要とする。認容は外部から認定困難であり、事実上は蓋然性の認識により判断されているとの指摘に基づく。
動機説は、結果発生を動機として行為したか否かにより判断する。結果発生を積極的に望んでいなくても、行為を思いとどまる動機となり得なかった場合に故意を認める。
故意の認定方法に関する議論
間接事実による故意の認定方法について、以下の議論がある。
- 客観的事実重視説: 凶器の種類・創傷の部位等の客観的事実を重視し、これらの事実から故意を推認する
- 主観的側面重視説: 被告人の内心を重視し、客観的事実はあくまで間接事実にすぎないとする
- 総合判断説(判例の立場): 客観的事実と主観的事実を総合的に考慮して判断する
殺意の立証責任
殺意の立証責任は検察官が負う(「疑わしきは被告人の利益に」の原則)。したがって、殺意の存在について合理的な疑いを超える証明がなされない場合には、傷害致死罪の成立にとどまる。
判例の射程
凶器使用事案全般
本判決の殺意認定基準は、凶器を使用した暴行事案全般に適用される。包丁等の刃物のほか、銃器、鈍器、自動車等を使用した事案にも射程が及ぶ。
素手による暴行の場合
素手による暴行であっても、被害者の身体の枢要部に対する執拗かつ強度の暴行がなされた場合には、殺意が認定されることがある。この場合にも、本判決の間接事実による総合判断の方法が用いられる。
不作為による殺人の場合
不作為による殺人の場合にも、殺意の認定は基本的に同様の方法による。もっとも、不作為の場合は積極的な攻撃行為がないため、殺意の推認はより慎重になされる傾向がある。
反対意見・補足意見
本決定は最高裁の決定であり、反対意見は付されていない。殺意の認定は事実認定の問題であり、最高裁は原審の事実認定が経験則・論理則に照らして不合理でないかを審査するにとどまる。
本決定は、原審の殺意認定が「所論のような不合理はない」として是認したものであり、殺意の認定基準を積極的に展開したものではないが、間接事実による殺意認定の方法を最高裁レベルで確認した意義は大きい。
試験対策での位置づけ
出題可能性
殺意の認定は、刑法の事例問題で極めて頻出のテーマである。
- 殺人罪と傷害致死罪の区別を問う問題(論文式試験の定番)
- 未必の故意と認識ある過失の区別を問う理論問題
- 間接事実から殺意を推認する過程を論じさせる問題
- 短答式試験での故意の種類に関する出題
短答式試験での出題ポイント
- 殺意は被告人の自白がなくても間接事実から認定できる(○)
- 未必の故意による殺人罪は成立しない(×)
- 鋭利な凶器で身体の枢要部を突き刺した場合でも殺意が否定されることがある(○・他の事情による)
- 殺意の立証責任は被告人が負う(×・検察官が負う)
答案での使い方(論証パターン)
基本論証
甲に殺意(殺人の故意)が認められるかが問題となる。
殺意の認定は、被告人の供述のみによって決せられるべきものではなく、凶器の種類・形状及びその用法、創傷の部位・程度、犯行に至る経緯、犯行時及び犯行後の行動等の諸般の事情を総合して判断すべきである(最決昭59.2.17参照)。
未必の故意は、結果発生の可能性を認識し、かつこれを認容する場合に認められる。
当てはめの例(殺意肯定)
本件では、甲は殺傷能力の高い包丁(凶器の種類)で被害者の胸部(身体の枢要部)を力を込めて突き刺しており(用法)、創傷は深さ〇cmに及んでいる(創傷の程度)。犯行後に救護措置をとっていないこと、犯行直後に凶器を洗浄していること等の事情も認められる。これらの間接事実を総合すれば、甲は被害者の死亡の可能性を認識しつつこれを認容していたものと推認でき、少なくとも未必の故意による殺意が認められる。
重要概念の整理
故意の分類
| 故意の類型 | 認識 | 意欲・認容 | 殺人罪の成否 |
|---|---|---|---|
| 確定的故意 | 結果発生を確実と認識 | 積極的に意欲 | 成立 |
| 未必の故意 | 結果発生の可能性を認識 | 認容(やむを得ない) | 成立 |
| 認識ある過失 | 結果発生の可能性を認識 | 不発生を信頼 | 不成立(過失犯のみ) |
| 認識なき過失 | 結果発生を認識せず | なし | 不成立(過失犯のみ) |
殺意認定の間接事実チェックリスト
| 間接事実 | 殺意肯定方向 | 殺意否定方向 |
|---|---|---|
| 凶器の種類 | 殺傷能力の高い凶器 | 殺傷能力の低い物 |
| 攻撃部位 | 枢要部(胸・腹・頭・頸) | 非枢要部(手足等) |
| 創傷の程度 | 深い・多数 | 浅い・少数 |
| 攻撃回数 | 多数回・執拗 | 1回・偶発的 |
| 犯行後の行動 | 救護なし・逃走 | 直ちに救護・通報 |
| 動機 | 怨恨・殺害計画 | 突発的激昂 |
殺人罪と傷害致死罪の比較
| 比較項目 | 殺人罪(199条) | 傷害致死罪(205条) |
|---|---|---|
| 故意の内容 | 殺意(殺人の故意) | 暴行又は傷害の故意 |
| 結果の発生 | 死亡(故意の範囲内) | 死亡(故意を超える結果) |
| 法定刑 | 死刑又は無期若しくは5年以上の懲役 | 3年以上の有期懲役 |
| 未遂 | 殺人未遂罪が成立 | 規定なし |
発展的考察
裁判員裁判における殺意の認定
裁判員裁判の導入により、一般市民が殺意の認定に関与するようになった。間接事実から殺意を推認するプロセスは専門的であり、裁判員にとって理解が容易でない面がある。裁判員裁判においては、争点整理を適切に行い、殺意認定の判断枠組みを分かりやすく提示することが重要とされている。
未必の故意と量刑
同じ殺人罪でも、確定的故意による殺人と未必の故意による殺人では量刑に差異が生じうる。未必の故意の場合は確定的故意に比べて責任非難の程度が低いとされ、量刑上も考慮される。
故意の認定と経験則
殺意の認定は、「人体の枢要部を鋭利な刃物で突き刺せば死亡しうることは通常人であれば認識しうる」といった経験則に基づいて行われる。この経験則の適用が適切であるか、個別の事情に照らして慎重に判断する必要がある。
過失致死との関係
殺意も暴行・傷害の故意もない場合には、過失致死罪(刑法210条)の成否が問題となる。故意の有無は、殺人罪・傷害致死罪・過失致死罪の区別における最も根本的な判断基準である。
よくある質問
Q1: 未必の故意と確定的故意で殺人罪の法定刑は異なりますか?
A1: いいえ。法定刑自体は同じです。殺人罪(刑法199条)の法定刑は、確定的故意であれ未必の故意であれ同一です。ただし、量刑の判断において、確定的故意か未必の故意かは重要な考慮要素となり、未必の故意の場合は比較的軽い量刑となる傾向があります。
Q2: 被告人が「殺すつもりはなかった」と述べていても殺意が認定されることはありますか?
A2: はい。本判決が示すように、殺意の認定は被告人の供述のみによって決せられるものではなく、客観的な間接事実を総合考慮して判断されます。したがって、被告人が殺意を否認していても、凶器の種類・創傷の部位等の客観的事実から殺意が推認される場合には、殺人罪が成立します。
Q3: 殺意が認められない場合でも、傷害致死罪は成立しますか?
A3: 殺意は認められないが暴行又は傷害の故意が認められる場合には、傷害致死罪(刑法205条)が成立します。傷害致死罪は結果的加重犯であり、暴行・傷害の故意に加えて死の結果が生じた場合に成立します。
Q4: 凶器を使わない場合にも殺意は認定されますか?
A4: はい。素手による暴行であっても、例えば被害者の頭部を硬い床面に何度も打ちつける等の態様であれば、殺意が認定される場合があります。凶器の不使用は殺意否定の一要素にはなりますが、それだけで殺意が否定されるわけではありません。
Q5: 殺人未遂と傷害罪はどのように区別されますか?
A5: 殺人未遂罪は殺意(殺人の故意)があるが死の結果が発生しなかった場合に成立し、傷害罪は暴行又は傷害の故意により傷害の結果が生じた場合に成立します。区別の決め手は殺意の有無であり、本判決が示す間接事実の総合考慮により判断されます。
関連条文
- 刑法38条1項(故意):罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
- 刑法199条(殺人):人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
- 刑法204条(傷害):人の身体を傷害した者は、十五年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
- 刑法205条(傷害致死):身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
関連判例
- 最判昭23.3.16:殺人の故意の認定に関する初期の判例
- 最決平2.11.20:因果関係の認定に関する大阪南港事件(故意の認定とは別の問題だが併せて学習すべき)
- 最判昭25.8.29:未必の故意の概念を示した判例
- 裁判員裁判における殺意認定の実務例:裁判員裁判導入後の殺意認定の傾向
まとめ
最決昭59.2.17は、殺意の認定にあたって被告人の供述のみに依拠するのではなく、凶器の種類・用法、創傷の部位・程度、犯行経緯、犯行前後の行動等の間接事実を総合考慮して判断すべきことを明確にした判例である。未必の故意を含む殺意の認定は、殺人罪と傷害致死罪の区別において最も重要な事実認定問題であり、本判決の示した判断枠組みは実務上も学問上も基本的な指針として機能している。試験対策としては、故意の分類(確定的故意・未必の故意・認識ある過失)を正確に理解し、間接事実から殺意を推認するプロセスを事例問題において具体的に展開できるようにしておくことが不可欠である。
科目を選び、肢別演習で知識を確かめられます。