【判例】覚醒剤事犯と故意(最判昭57.6.28)
覚醒剤事犯と故意の認定に関する最判昭57.6.28を解説。覚醒剤の認識と故意の成否、違法性の意識の要否、規範的構成要件要素の認識、概括的故意の問題を詳しく分析します。
この判例のポイント
覚醒剤であることの確定的認識がなくても、覚醒剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの認識があれば、覚醒剤所持・使用等の故意は認められるとした判例。薬物犯罪における故意の認定基準を示し、いわゆる概括的故意(未必的認識)の問題について重要な判断を示した判例である。
事案の概要
被告人は、覚醒剤を所持していたとして、覚醒剤取締法違反(所持)で起訴された。被告人は、所持していた薬物が覚醒剤であることの確定的な認識はなく、「何らかの身体に有害な違法薬物であると思っていた」が、覚醒剤であるとは知らなかったと主張し、覚醒剤所持の故意を争った。
第一審及び控訴審は、被告人が所持していた薬物が覚醒剤を含む違法な薬物であるとの認識を有していたことから、覚醒剤所持の故意を認定した。被告人は、覚醒剤であることの確定的認識がなければ故意は認められないとして上告した。
争点
- 覚醒剤所持の故意が認められるためには、当該薬物が覚醒剤であることの確定的認識が必要か
- 覚醒剤を含む違法薬物であるとの概括的認識で故意が認められるか
判旨
最高裁は、以下のように判示して被告人の上告を棄却した。
覚せい剤であるかもしれないし、その他の身体に有害で違法な薬物であるかもしれないとの認識はあつたことは否定できないのであるから、覚せい剤所持の故意に欠けるところはない
― 最高裁判所第一小法廷 昭和57年6月28日 昭和56年(あ)第588号
すなわち、最高裁は以下の判断を示した。
- 覚醒剤であることの確定的認識は不要
- 覚醒剤かもしれないとの認識(未必の故意)で足りる
- 覚醒剤を含む違法な薬物であるとの概括的認識があれば故意が認められる
ポイント解説
故意の内容としての「覚醒剤であること」の認識
覚醒剤取締法は、覚醒剤の所持・使用・譲渡等を禁止している。その故意としては、「自己が所持している物が覚醒剤であること」の認識が必要とされる。
問題は、この認識の程度である。
- 確定的故意: 「これは覚醒剤である」と確実に知っている場合
- 未必の故意: 「覚醒剤かもしれない」と思いつつ所持している場合
- 概括的故意: 「何らかの違法薬物である」と思って所持していた場合に、実際には覚醒剤であった場合
本判決は、未必の故意ないし概括的故意でも足りるとした。
規範的構成要件要素の認識
「覚醒剤」は、化学物質としての厳密な定義を有する法律用語であり、規範的構成要件要素に該当する。規範的構成要件要素の認識については、その要素の意味を法律的に正確に理解する必要はなく、素人的・日常的理解(いわゆるレイマン的理解)で足りるとされる。
すなわち、覚醒剤の化学組成や法律上の定義を正確に知っている必要はなく、「身体に有害で違法な薬物」であるという素人的認識があれば足りる。
抽象的事実の錯誤との関係
被告人が「覚醒剤ではなく別の違法薬物だと思っていた」場合、これは抽象的事実の錯誤の問題と構成される余地がある。
例えば、大麻だと思って所持していたが実際には覚醒剤であった場合、覚醒剤取締法違反と大麻取締法違反の間に構成要件の重なり合いがあるかが問題となる。判例は、違法薬物の所持という点で重なり合いがあるとして、覚醒剤所持の故意を認める方向にある。
違法性の意識の要否
本判決は、故意の問題として処理しているが、「違法な」薬物であるとの認識は、厳密には違法性の意識の問題でもある。判例(最判昭25.11.28等)は、故意の成立に違法性の意識は不要(自然犯・法定犯を問わず)とする立場をとっており、本件でもこの立場が前提となっている。
学説・議論
故意の認識対象に関する議論
覚醒剤所持の故意の認識対象について、以下の見解がある。
厳格説: 覚醒剤であることの確定的又は少なくとも具体的認識が必要とする。「何か違法な薬物」という程度の漠然とした認識では故意を認めるべきではない。
緩和説(判例の立場): 覚醒剤を含む違法薬物であるとの概括的認識があれば足りる。薬物犯罪の実態に即した現実的な判断として支持される。
中間説: 少なくとも覚醒剤である「かもしれない」という未必の認識が必要であり、他の違法薬物であるとの認識しかない場合には故意を否定すべきとする。
概括的故意の理論
概括的故意とは、特定の構成要件事実を具体的に認識していなくても、当該事実を包摂する上位概念について認識がある場合に故意を認める考え方である。
覚醒剤の場合、「違法薬物」という上位概念の認識があれば、その下位概念である「覚醒剤」についても故意が認められるかが問題となる。判例は、基本的にこの方向を肯定している。
錯誤論との関係
「大麻だと思っていたが覚醒剤であった」場合の処理について、学説の対立がある。
- 法定的符合説: 覚醒剤取締法違反と大麻取締法違反の構成要件が重なり合う限度で故意が認められる
- 具体的符合説: 認識した事実と発生した事実の具体的一致が必要であり、異なる薬物の認識では故意は否定される
- 判例の立場: 違法薬物の所持・使用という共通の性質に着目し、概括的認識で足りるとする
判例の射程
他の薬物犯罪への適用
本判決の法理は、覚醒剤に限らず、大麻・麻薬・危険ドラッグ等の他の薬物犯罪にも適用される。所持している薬物の具体的種類についての確定的認識がなくても、違法薬物であるとの認識があれば故意が認められる。
輸入・密輸事案への適用
薬物の密輸事案では、被告人が「中身を知らない」「何かの荷物を運んでくれと頼まれただけ」と主張することが多い。本判決の法理に基づけば、少なくとも「違法な物かもしれない」との認識があれば故意が認められうる。
受け子・出し子事案への類推
特殊詐欺の受け子・出し子についても、具体的な犯罪内容の認識がなくても、「何か違法なことに加担している」との認識があれば故意が認められるかという類似の問題が生じる。
反対意見・補足意見
本判決に反対意見は付されていない。覚醒剤事犯における故意の認定については、実務上、本判決の基準が広く受け入れられている。
試験対策での位置づけ
出題可能性
覚醒剤等の薬物犯罪における故意の認定は、以下の形で出題される可能性がある。
- 故意の認識対象を問う問題(規範的構成要件要素の認識)
- 概括的故意の可否を論じさせる問題
- 抽象的事実の錯誤との関連での出題
- 未必の故意の認定に関する事例問題
短答式試験での出題ポイント
- 覚醒剤所持の故意には覚醒剤であることの確定的認識が必要である(×)
- 覚醒剤かもしれないとの未必の認識でも覚醒剤所持の故意は認められる(○)
- 大麻だと思って所持していた物が覚醒剤であった場合、覚醒剤所持の故意は認められない(×・判例の立場)
答案での使い方(論証パターン)
基本論証
甲に覚醒剤所持の故意が認められるかが問題となる。
この点、覚醒剤所持の故意が認められるためには、覚醒剤であることの確定的な認識は必要ではなく、覚醒剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの概括的な認識があれば足りる(最判昭57.6.28)。覚醒剤は規範的構成要件要素であるが、その認識は素人的理解で足りるからである。
本件では、甲は当該薬物が「何か違法な薬物であるかもしれない」と認識していたのであるから、覚醒剤所持の故意が認められる。
重要概念の整理
故意の認識対象と認識の程度
認識の程度 内容 故意の成否 確定的認識 「覚醒剤である」と確信 故意あり 未必的認識 「覚醒剤かもしれない」 故意あり 概括的認識 「何か違法薬物である」 故意あり(判例) 認識なし 「合法的な物だと思っていた」 故意なし薬物犯罪における故意の問題類型
類型 具体例 論点 薬物の種類の錯誤 大麻と思ったら覚醒剤 抽象的事実の錯誤 薬物であることの不知 荷物の中身を知らない 概括的故意の可否 違法性の不知 合法だと思っていた 違法性の意識の要否規範的構成要件要素と故意
構成要件要素 例 認識の程度 記述的構成要件要素 「人」「物」 自然的認識で足りる 規範的構成要件要素 「わいせつ」「覚醒剤」 素人的理解で足りる発展的考察
危険ドラッグと故意
近年の危険ドラッグ(旧称:脱法ドラッグ)の規制においては、指定薬物の範囲が頻繁に改正されるため、被告人が当該物質が指定薬物であることを認識していたかの故意の立証が困難となることがある。本判決の概括的故意の法理がこの場面にどこまで適用されるかは重要な実務的課題である。
国際的な薬物規制と故意
薬物の密輸事案では、外国における薬物規制と日本における規制が異なる場合がある。被告人が「自国では合法である」と認識していた場合の故意の問題は、違法性の意識の要否とも関連する。
AIによる薬物検出と故意の立証
薬物の検出技術の進歩に伴い、微量の薬物の所持についても摘発が可能になっている。しかし、微量の所持の場合に故意を立証することは困難を伴うことがあり、本判決の概括的故意の法理と合わせて検討が必要である。
故意の推定と無罪推定の原則
薬物犯罪における故意の認定は、被告人の内心の問題であるため、間接事実からの推認に頼らざるを得ない。しかし、無罪推定の原則(「疑わしきは被告人の利益に」)に基づき、故意の存在について合理的な疑いを超える証明が必要であることに変わりはない。
よくある質問
Q1: 「覚醒剤かもしれない」という認識すらなく、「大麻だと思っていた」場合にも覚醒剤所持の故意は認められますか?
A1: この場合は抽象的事実の錯誤の問題となります。判例の立場によれば、違法薬物の所持という点で構成要件の重なり合いが認められる限り、故意は否定されないと解されます。もっとも、大麻取締法違反の故意で覚醒剤取締法違反の罪に問えるかは、より詳細な検討が必要です。
Q2: 完全に合法な物だと信じて所持していた場合はどうなりますか?
A2: 所持している物が覚醒剤であるとの認識が全くなく、合法な物(例えば健康食品)だと信じていた場合には、故意が否定されます。ただし、「合法だと信じていた」との弁解が認められるかどうかは、取得の経緯、保管の態様等の客観的事情から判断されます。
Q3: 違法性の意識がなくても故意は認められますか?
A3: 判例の立場によれば、故意の成立に違法性の意識は不要です。したがって、覚醒剤の所持が違法であることを知らなかったとしても、覚醒剤であることの認識があれば故意は認められます。もっとも、違法性の意識の可能性すらなかった場合には、例外的に責任が阻却される余地があるとする学説もあります。
Q4: 薬物犯罪以外の犯罪にも概括的故意の考え方は適用されますか?
A4: 概括的故意の考え方は、薬物犯罪に限らず、他の犯罪類型にも適用されうるものです。例えば、盗品であるとの認識はあるが具体的にどのような窃盗により得られたものかの認識がない場合の盗品等関与罪の故意の問題等で、同様の考え方が用いられます。
Q5: 本判決は、故意の認定を緩やかにしすぎているとの批判はありませんか?
A5: あります。学説の中には、概括的故意を広く認めると、具体的な構成要件該当事実の認識を要求する刑法38条1項の趣旨に反するとの批判があります。特に、異なる法律で規制される薬物間の錯誤について、構成要件の重なり合いを安易に認めることへの懸念が示されています。
関連条文
- 刑法38条1項(故意):罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
- 刑法38条2項(事実の錯誤):重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
- 覚醒剤取締法41条の2(所持等の罰則)
関連判例
- 最判昭25.11.28:違法性の意識不要説を採用した判例
- 最判昭54.3.27:大麻輸入罪の故意に関する判例
- 最決平2.2.9:覚醒剤使用の故意に関する判例
- 最判昭61.6.9:規範的構成要件要素の認識に関する判例
まとめ
最判昭57.6.28は、覚醒剤事犯の故意について、覚醒剤であることの確定的認識は不要であり、覚醒剤を含む身体に有害で違法な薬物類であるとの概括的認識があれば足りるとした判例である。この判断は、薬物犯罪における故意の認定基準として実務上広く受け入れられている。理論的には、規範的構成要件要素の認識の程度、概括的故意の射程、抽象的事実の錯誤との関係等の問題を提起しており、刑法総論の故意論における重要判例として位置づけられる。試験対策としては、故意の認識対象と認識の程度の問題として正確に理解し、概括的故意の論証パターンを身につけておくことが重要である。