法律の錯誤|違法性の意識の要否と判例の立場
刑法上の法律の錯誤を解説。違法性の意識の要否に関する厳格故意説・制限故意説・責任説の対立、判例の立場と具体的事例を体系的に整理します。
この記事のポイント
法律の錯誤とは、行為者が自己の行為を適法であると誤信した場合の問題であり、違法性の意識(ないしその可能性)が故意の成立に必要かという形で争われる。 判例は「法律を知らなかったとしても、そのことによって罪を犯す意思がなかったとすることはできない」(刑法38条3項)として故意の成立を認める立場を基本としつつ、相当の理由がある場合には故意を阻却する余地を認める方向に展開している。
法律の錯誤の意義
事実の錯誤との区別
事実の錯誤が構成要件該当事実の認識に関する錯誤であるのに対し、法律の錯誤(違法性の錯誤)は、構成要件該当事実は正しく認識しているが、その行為が法律上許されないことを知らなかった場合をいう。
区分 内容 例 事実の錯誤 客観的事実の認識の不一致 人を物と思って撃った 法律の錯誤 行為の違法性の認識の欠如 違法な行為を適法と信じたたとえば、外国人が日本では合法だと思って大麻を所持していた場合、大麻を所持しているという事実は認識しているが、それが違法であることを知らなかった場合が法律の錯誤である。
あてはめの錯誤との区別
法律の錯誤と混同されやすいものにあてはめの錯誤(包摂の錯誤)がある。これは、法規範の意味内容を誤解した結果、自己の行為が構成要件に該当しないと誤信した場合である。あてはめの錯誤を事実の錯誤として扱うか法律の錯誤として扱うかは、学説上争いがある。
違法性の意識に関する学説
厳格故意説
厳格故意説は、故意の成立には構成要件該当事実の認識に加えて、違法性の意識そのものが必要であるとする見解である。
- 帰結: 違法性の意識を欠く場合は、過失の有無を問わず故意が阻却される
- 長所: 責任主義を徹底し、適法行為の期待可能性を重視する
- 短所: 「法律を知らなかった」と主張するだけで故意犯の成立を免れる可能性がある
制限故意説
制限故意説は、故意の成立には違法性の意識の可能性で足りるとする見解である。違法性の意識を欠くことにつき相当の理由がある場合に限り、故意が阻却される。
- 帰結: 違法性の意識の可能性すらない場合に故意が阻却される
- 長所: 厳格故意説の不当な帰結を回避できる
- 短所: 故意の本質が曖昧になるとの批判がある
厳格責任説
厳格責任説は、違法性の意識ないしその可能性は故意の要素ではなく、責任の要素であるとする。故意は構成要件該当事実の認識・予見で足り、違法性の意識の可能性を欠く場合は、故意は認められるが責任が阻却されるとする。
- 帰結: 違法性の錯誤に正当な理由がある場合は責任阻却(犯罪不成立)
- 長所: 故意と違法性の意識を体系的に整理できる
- 短所: 故意があるのに犯罪不成立となることの説明が難しい
制限責任説(通説)
制限責任説は、基本的に厳格責任説と同じく違法性の意識の可能性を責任の問題とするが、事実の錯誤のうち違法性阻却事由の前提事実の錯誤(いわゆる誤想防衛等)については、故意を阻却するとする見解である。
- 帰結: 誤想防衛の場合は故意犯ではなく過失犯の成否を検討する
- 長所: 誤想防衛の処理が妥当な結論を導きやすい
- 特徴: 目的的行為論を基礎とする体系と整合的
判例の立場
38条3項の解釈
刑法38条3項は「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる」と規定する。
判例は、この規定を根拠に、法律の不知は故意を阻却しないとの立場を基本とする(大判大14.6.9)。
判例の展開
もっとも、判例は以下のような事例で故意の成立を否定する方向の判断を示している。
百円札模造事件(最判昭26.11.15)
- 通貨模造の罪について、法律の錯誤があっても「相当の理由」がない限り故意は阻却されないとした
たぬき・むじな事件(大判大14.6.9)
- 「たぬき」と「むじな」を別の動物と信じていた場合について、事実の錯誤として故意を阻却した
- 法律の錯誤ではなく事実の錯誤として処理した点が重要
判例の傾向としては、法律の不知は原則として故意を阻却しないが、行為者が違法性の意識を欠くことにつき相当の理由がある場合には故意の成立を否定する余地を認めている。この立場は制限故意説に近いとされるが、判例が明確にいずれの学説に立つかを宣言したわけではない。
具体的事例の検討
法律の錯誤が問題となる典型事例
- 行政犯における錯誤: 行政法規に違反する行為について、規制の存在を知らなかった場合
- 慣習による錯誤: 地域の慣習に従って行為した結果、法律に違反した場合
- 専門家の助言による錯誤: 弁護士等の専門家に相談し適法との助言を受けて行為した場合
- 公務員の教示による錯誤: 行政機関から適法であるとの教示を受けて行為した場合
相当の理由の判断基準
「相当の理由」の有無は、以下の要素を総合的に考慮して判断される。
- 行為者の職業・地位・知識
- 行為に先立って行った調査・確認の程度
- 関係法令の明確性・理解の困難さ
- 行政機関や専門家による助言の有無とその内容
試験での出題ポイント
論文式試験での検討手順
- 事実の錯誤と法律の錯誤の区別: まず、問題となっている錯誤が事実の錯誤か法律の錯誤かを特定する
- 学説の提示: 違法性の意識の要否について、主要学説(特に制限故意説と責任説)を紹介する
- 38条3項の解釈: 判例の立場を示し、事案へのあてはめを行う
- 相当の理由の検討: 違法性の意識を欠くことにつき相当の理由があるかを検討する
短答式試験の頻出知識
- 38条3項の条文の正確な理解
- 事実の錯誤と法律の錯誤の区別基準
- 判例は法律の不知が故意を阻却しないことを原則とすること
- 「たぬき・むじな事件」の位置づけ
まとめ
- 法律の錯誤は、行為者が自己の行為を適法と誤信した場合の問題である
- 違法性の意識の要否について、厳格故意説・制限故意説・責任説が対立する
- 判例は38条3項を根拠に法律の不知は原則として故意を阻却しないとするが、相当の理由がある場合には例外を認める余地がある
- 試験では事実の錯誤との区別と、学説の対立構造の理解が重要である
FAQ
Q1. 法律の錯誤と事実の錯誤はどう区別しますか?
事実の錯誤は構成要件該当事実の認識の問題であり、法律の錯誤は認識した事実の違法性の評価の問題です。「何をしたか」の認識が問題なら事実の錯誤、「それが許されるか」の認識が問題なら法律の錯誤です。
Q2. 判例は法律の錯誤についてどのような立場ですか?
判例は刑法38条3項を根拠に、法律の不知は原則として故意を阻却しないとしています。ただし、相当の理由がある場合には例外が認められる余地があるとされています。
Q3. 弁護士に相談して適法と言われた場合は「相当の理由」になりますか?
専門家の助言は「相当の理由」を基礎づける一つの要素になりえますが、それだけで直ちに相当の理由があるとは認められません。助言の内容、行為者自身の調査の程度、法令の明確性等を総合的に考慮して判断されます。