行政行為の撤回 ― 職権取消しとの区別・撤回の制限法理
行政行為の撤回と職権取消しの区別、撤回の法的根拠と制限法理(信頼保護・既得権保護)を体系的に解説。個室付浴場事件等の重要判例も分析します。
この記事のポイント
行政行為の撤回とは、成立時に瑕疵のない行政行為について、後発的な事情の変更等を理由にその効力を将来に向かって消滅させることをいう。職権取消しが成立時の瑕疵を理由とする点で区別される。撤回には明文の根拠がなくても行いうるとされるが、信頼保護の原則や既得権の保護によって制限を受ける場合がある。
職権取消しと撤回の区別
基本的な区別
行政行為の効力を失わせる行政庁の行為には、職権取消しと撤回の2種類がある。両者は以下の点で区別される。
比較項目 職権取消し 撤回 理由 成立時の瑕疵(違法・不当) 後発的事由(事情変更等) 効果の発生時点 遡及効(原則) 将来効 根拠 法律の根拠は不要(原則) 法律の根拠は不要(原則) 制限 取消しの制限法理 撤回の制限法理 具体例 違法な許可の取消し 許可条件違反を理由とする許可の撤回用語の混乱
実定法上は「取消し」と「撤回」が厳密に区別されていない場合が多い。たとえば、運転免許の「取消し」(道路交通法103条)は、講学上は撤回に該当する(免許交付時の瑕疵ではなく、後発的な違反行為を理由とするため)。
撤回の法的根拠
法律の根拠の要否
撤回の法的根拠について、以下の議論がある。
- 不要説(通説・判例): 行政行為の発給権限を有する行政庁は、当然にその撤回権限も有する。撤回は行政行為に内在する権限であり、別途法律の根拠を要しない
- 必要説(少数説): 撤回は国民に不利益を及ぼす行為であるから、法律の根拠が必要である
撤回の主体
撤回は、原則として処分庁が行う。上級行政庁が撤回できるかについては争いがあるが、法律に根拠がある場合には上級行政庁による撤回も認められる。
撤回の制限法理
撤回が制限される場合
撤回は、法律の根拠がなくても行いうるのが原則であるが、以下の場合には撤回が制限される。
1. 授益的行政行為の撤回
授益的行政行為(許可・認可等)の撤回は、相手方の信頼利益・既得権を侵害するため、原則として制限される。撤回が許容されるのは以下の場合に限られる。
- 法令上の撤回事由に該当する場合
- 相手方の義務違反がある場合
- 公益上の必要性が相手方の信頼利益を上回る場合
2. 信頼保護の原則
相手方が行政行為の存続を信頼し、これに基づいて行動している場合、撤回は信頼保護の原則によって制限される。信頼保護が認められるための要件は以下のとおりである。
- 信頼の基礎: 行政行為が存在すること
- 信頼の行為: 相手方が行政行為の存続を信頼して具体的な行動をとったこと
- 信頼の正当性: 相手方の信頼が保護に値すること(相手方に帰責事由がないこと)
3. 比例原則
撤回が許容される場合であっても、撤回によって相手方が被る不利益と、撤回によって達成される公益との間に均衡がなければならない(比例原則)。
重要判例
個室付浴場事件(最判昭60.7.16)
事案
個室付浴場(いわゆるトルコ風呂)の営業について、建築確認を受けた業者が建築を進めていたところ、地方公共団体が児童福祉施設を急きょ設置し、風俗営業の規制法令に基づく営業禁止区域を作り出した。これにより業者の営業が事実上不可能となったことの違法性が争われた。
判旨
最高裁は以下のとおり判示した。
- 行政権の行使に当たっては、権利を侵害してはならないという一般原則がある
- 本件では、地方公共団体がもっぱら個室付浴場の営業を阻止する目的で児童福祉施設を設置しており、このような行政権の行使は著しく不当である
- 国家賠償法上の違法性が認められる
本判例のポイント
この判例は、直接的には撤回の事案ではないが、行政権の行使が信頼保護の原則に反する場合の違法性を認めた点で、撤回の制限法理にも関連する重要判例である。行政庁が正当な権限を行使する場合であっても、相手方の信頼利益を不当に侵害する態様で行うことは許されないことを示している。
菊田医師事件(東京地判昭47.11.22 等)
事案
医師免許の撤回に関して、医師が法令違反行為を行った場合に、医業停止処分ではなく免許取消し(講学上の撤回)を行うことの当否が問題となった事案。
ポイント
- 授益的行政行為の撤回には、公益上の必要性と相手方の不利益の比較衡量が必要
- 撤回の可否だけでなく、撤回の態様(全面的撤回か一部撤回か)についても比例原則が及ぶ
撤回と損失補償
補償の要否
適法な撤回が行われた場合であっても、相手方が被る不利益について損失補償が必要となる場合がある。
撤回の理由 補償の要否 相手方の義務違反 不要(原則) 公益上の必要 必要な場合がある 法令の変更 必要な場合がある 期限の到来 不要(原則)- 相手方に帰責事由がない場合の撤回は、特別の犠牲として損失補償の対象となりうる(憲法29条3項)
- 法律に補償規定がある場合はこれに従い、規定がない場合は憲法29条3項に基づく直接請求の可否が問題となる
職権取消しとの比較整理
職権取消しの制限法理
職権取消しにおいても、授益的行政行為については取消しの制限が問題となる。
- 違法な授益的行政行為の取消し: 法律適合性の要請(取消しを肯定する方向)と信頼保護(取消しを否定する方向)の比較衡量
- 不当な授益的行政行為の取消し: 撤回に準じた制限が及ぶ
共通する制限原理
制限原理 職権取消しへの適用 撤回への適用 信頼保護の原則 適用あり 適用あり 比例原則 適用あり 適用あり 法的安定性 特に重要 関連あり 相手方の帰責事由 考慮要素 考慮要素試験対策での位置づけ
行政行為の撤回は、行政法総論の基礎概念として論文式・短答式の双方で重要なテーマである。
- 職権取消しと撤回の区別は基本中の基本であり、正確な定義を述べられるようにしておく
- 撤回の制限法理(信頼保護の原則)は、事例問題で繰り返し問われる
- 個室付浴場事件は、行政権の濫用的行使と国家賠償の文脈で出題されることが多い
- 撤回と損失補償の関係は、憲法29条3項の論点と結びつけて理解する
答案構成のポイントは以下のとおりである。
- 撤回の定義と職権取消しとの区別を明確にする
- 撤回の法的根拠(不要説の立場で論証)
- 撤回の制限法理(授益的行政行為の場合の信頼保護・比例原則)
- 公益上の必要性と相手方の不利益の比較衡量
- 結論(撤回の可否・損失補償の要否)
撤回と行政手続法
不利益処分としての撤回
授益的行政行為の撤回は、相手方にとって不利益処分に該当する。したがって、行政手続法上の不利益処分の手続(聴聞・弁明の機会の付与等)が適用される。
撤回の種類 適用される手続 根拠条文 許認可の撤回 聴聞(原則) 行手法13条1項1号イ 資格の撤回 聴聞 行手法13条1項1号ロ その他の不利益処分 弁明の機会の付与 行手法13条1項2号理由の提示
撤回に際しては、行政手続法14条に基づく理由の提示が必要である。理由の提示が不十分な場合、撤回は手続的瑕疵を帯び、違法となりうる(最判平23.6.7一級建築士免許取消事件参照)。
- 処分の根拠法令の条項
- 処分の原因となった具体的事実
- 処分が法的に正当化される理由
関連判例
- 個室付浴場事件(最判昭60.7.16)― 行政権行使と信頼保護
- 最判昭63.6.17 ― 授益的行政行為の職権取消しの制限
- 東京12チャンネル事件(最判昭43.11.7)― 放送局免許の撤回
- 一級建築士免許取消事件(最判平23.6.7)― 不利益処分の理由提示
まとめ
行政行為の撤回とは、成立時に瑕疵のない行政行為について、後発的事由を理由にその効力を将来に向かって消滅させることをいう。撤回は法律の根拠がなくても行いうるのが原則であるが、授益的行政行為の撤回については、信頼保護の原則・比例原則による制限を受ける。個室付浴場事件は、行政権の行使が相手方の信頼利益を不当に侵害する場合の違法性を認めた重要判例である。撤回の可否は、公益上の必要性と相手方の不利益を比較衡量して判断され、適法な撤回であっても損失補償が必要となる場合がある。