【判例】業務上過失致死傷・薬害エイズ事件(最決平20.3.3)
薬害エイズ事件に関する最決平20.3.3を解説。業務上過失致死傷罪における注意義務の内容、結果回避義務、不作為による過失、医薬品行政における監督過失を詳しく分析します。
業務上過失致死傷罪(刑法211条)とは
業務上過失致死傷罪とは、業務上必要な注意を怠り、その結果として人を死亡させ、又は負傷させた場合に成立する犯罪をいう。刑法211条前段に規定され、「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する」と定められている。
ここで核心となるのは、単なる過失致死傷(刑法210条・209条)よりも重い刑が科されるという点である。普通の過失致死罪の法定刑が「50万円以下の罰金」であるのに対し、業務上過失致死傷罪は「5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金」と、懲役・禁錮という自由刑まで予定されている。これは、後述する「業務」に従事する者には、一般人よりも高度の注意義務が課されるという考え方に基づく加重類型である。
検索される多くの方が最初に知りたいのは、おそらく次の3点に集約される。
- 刑法211条はそもそも何を定めた条文なのか
- 「業務上過失致死傷罪」はどんなときに成立するのか(要件)
- 刑法でいう「業務」とは具体的に何を指すのか
本記事では、この3つの疑問に冒頭で端的に答えたうえで、要件・論点・判例(薬害エイズ事件=最決平20.3.3を中心に)・あてはめ・答案の書き方まで、司法試験・予備試験レベルで通用する精度で解説する。
まず結論:3つの定義
1. 刑法211条とは
業務上過失致死傷罪および重過失致死傷罪を定めた条文である。前段が業務上過失致死傷罪、後段が重過失致死傷罪を規定する。いずれも「過失」によって人を死傷させる類型でありながら、通常の過失致死傷罪より重く処罰される。
2. 業務上過失致死傷罪とは
「業務」に従事する者が、その業務上必要な注意を怠り(過失)、よって人を死亡または負傷させた場合に成立する犯罪である。成立要件は大きく、(1) 行為者が「業務」に従事していること、(2) 業務上の注意義務(予見義務・結果回避義務)に違反したこと、(3) 死傷の結果が発生したこと、(4) 注意義務違反と結果との間に因果関係があること、である。
3. 刑法上の「業務」とは
判例(最判昭33.4.18ほか)によれば、①社会生活上の地位に基づき、②反復・継続して行う行為であって、③他人の生命・身体に危害を加えるおそれのあるものをいう。職業や報酬の有無は問わない。趣味・娯楽として反復継続する狩猟や自動車運転なども、危険性を伴う限り「業務」に当たりうる。
「業務」の意義 ― なぜ加重されるのか
業務上過失致死傷罪の最大の特徴は、「業務」性により刑が加重される点にある。「業務とは何か」を正確に押さえることが、本罪を理解する出発点である。
業務の3要素
判例・通説によれば、「業務」とは次の3つの要素を満たす行為をいう。
要素 内容 補足 ① 社会生活上の地位 社会生活上の地位に基づいて行うこと 自然的・生理的な行為(食事・睡眠等)は除かれる ② 反復継続性 反復・継続して行う、又はその意思で行うこと 1回でも反復継続の意思があれば足りるとされる ③ 危険性 他人の生命・身体に危害を加えるおそれがあること 危険を伴う行為であることが本罪の加重根拠ポイントは、「業務」は必ずしも職業や生計の手段である必要はなく、報酬の有無も問わないことである。趣味として行う自動車の運転、娯楽としての狩猟、ボランティアでの医療行為なども、反復継続性と危険性を備える限り「業務」に該当しうる。
加重の根拠(学説)
なぜ業務者は重く処罰されるのか。学説では主に次の2つの考え方が対立する。
- 高度の注意義務説(通説・判例):業務に従事する者は、その地位・経験ゆえに一般人より高度の注意能力を有し、または高度の注意義務を負うのだから、これに違反した場合は非難可能性が高い。
- 危険性説:業務それ自体が他人の生命・身体に危険を生じさせる類型的危険性を有するため、これに従事する者の過失は重大な結果を招きやすく、加重に値する。
判例は、業務者には一般人より「重い注意義務」が課されるという理解を基礎としつつ、業務に内在する危険性も加重の根拠として考慮していると整理される。
「業務」に当たるとされた例・当たらないとされた例
- 当たる例:医師の医療行為、自動車・電車・航空機等の運転業務、建設工事の現場監督、食品製造・販売、ガス・電気設備の保守管理、娯楽目的でも反復する狩猟。
- 当たらない例:たまたま一度きりで反復継続性のない行為、生命・身体への危険性を欠く行為(純然たる事務作業等)。なお、自動車運転に伴う過失致死傷は、現在は刑法211条ではなく後述の自動車運転死傷行為処罰法で処理される点に注意。
この判例のポイント
厚生省(現厚生労働省)の薬務局長であった被告人が、非加熱血液製剤によるHIV感染の危険性を認識しながら、非加熱製剤の回収等の措置をとらず、医師をして血友病患者に非加熱製剤を投与させてHIVに感染させ死亡させた行為について、業務上過失致死罪の成立を認めた判例。不作為による過失犯の成立を認め、公務員の監督的地位にある者の結果回避義務の内容と範囲を明らかにした重要判例である。
以下では、この薬害エイズ事件(最決平20.3.3)を素材に、業務上過失致死傷罪が現実の事案でどう適用されるか、とりわけ「業務」性・注意義務・不作為・因果関係がどう問題となるかを具体的に見ていく。
事案の概要
1980年代、血友病の治療に使用されていた非加熱濃縮血液製剤(非加熱製剤)が、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に汚染されていることが判明した。米国ではすでに加熱処理された血液製剤(加熱製剤)が承認・使用されており、非加熱製剤のHIV汚染の危険性は国際的に認識されていた。
被告人は、当時の厚生省薬務局長として、医薬品の安全性確保に関する行政上の権限を有していた。被告人は、非加熱製剤によるHIV感染の危険性を認識しながら、非加熱製剤の販売中止・回収等の緊急措置をとらなかった。その結果、血友病患者が非加熱製剤の投与を受けてHIVに感染し、うち一部が死亡した。
検察官は、被告人を業務上過失致死罪で起訴した。
争点
- 薬務局長の地位にある被告人に、非加熱製剤の回収等の措置をとるべき注意義務(作為義務)が認められるか
- 被告人の不作為と被害者の死亡結果との間に因果関係が認められるか
- 業務上の過失による不作為犯が成立するか
判旨
最高裁は、被告人の上告を棄却し、業務上過失致死罪の成立を認めた原審の判断を是認した。
被告人は、薬務局長として、薬事法上医薬品の安全性確保につき重大な権限と責任を有していたのであるから、非加熱製剤のHIV汚染の危険性を認識した以上、医薬品による危害の発生を防止するために必要かつ十分な措置を講ずべき注意義務を負っていた
― 最高裁判所第二小法廷 平成20年3月3日(趣旨)
具体的には、以下の措置をとるべきであったとされた。
- 非加熱製剤の販売中止・回収の指示
- 加熱製剤の緊急輸入の促進
- 医療機関に対する非加熱製剤使用の中止の指導
被告人がこれらの措置をとらなかったことが結果回避義務違反にあたり、業務上過失致死罪が成立するとされた。
業務上過失致死傷罪の成立要件(全体像)
業務上過失致死傷罪の成否を論じる際は、過失犯一般の枠組みに「業務」性を加えて検討する。整理すると次の通りである。
- 「業務」性:行為者が、社会生活上の地位に基づき反復継続して行う、生命・身体に危険を伴う行為に従事していること。
- 注意義務の存在:その業務に内在する危険を前提に、結果の発生を予見し、これを回避すべき注意義務(予見義務・結果回避義務)があること。
- 注意義務違反(過失行為):予見可能であったにもかかわらず予見せず、又は結果回避のために必要な措置をとらなかったこと。作為・不作為のいずれでもよい。
- 結果の発生:人の死亡又は傷害という結果が生じたこと。
- 因果関係:注意義務違反と結果との間に、条件関係および法的因果関係(相当因果関係ないし危険の現実化)が認められること。
このうち、過失の本体は「注意義務違反」にある。注意義務は予見可能性を前提とする予見義務と、結果回避可能性を前提とする結果回避義務の二段構えで理解するのが現在の通説(新過失論を基礎とする理解)である。すなわち、結果発生の予見可能性がなければ予見義務違反を問えず、結果回避可能性がなければ結果回避義務違反を問えない。
旧過失論と新過失論
過失の本質をめぐっては、伝統的に次の対立がある。本罪の論述でも前提として押さえておきたい。
- 旧過失論:過失の中核を「結果の予見可能性・予見義務違反」に求める。結果回避義務は故意犯と共通の問題と捉え、責任要素として過失を位置づける。
- 新過失論(通説):過失の中核を「結果回避義務違反」に求める。予見可能性は結果回避義務を基礎づける前提と位置づけ、過失を構成要件・違法性の段階でも問題とする。社会的に有用だが危険な行為(医療・交通・企業活動等)について、「許された危険」「信頼の原則」による過失の限定を可能にする点に実益がある。
薬害エイズ事件のような行政・組織活動における過失は、新過失論的な枠組み(とるべき結果回避措置を特定し、その不履行を過失と捉える)で論じられることが多い。
ポイント解説
業務上過失の意義
業務上過失致死傷罪(旧刑法211条前段、現行法では刑法211条に統合)における「業務」とは、社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、他人の生命・身体に危害を加えるおそれがあるものをいう。
本件では、薬務局長としての医薬品安全行政が「業務」にあたる。医薬品の安全性確保という、誤れば多数の国民の生命・身体に重大な危険を及ぼす行政事務を、地位に基づき反復継続して行っていた以上、「業務」性は優に肯定される。
不作為による過失犯
本判決の最も重要な特徴は、不作為による過失犯の成立を認めた点にある。
通常の過失犯は、注意義務に違反する作為(不注意な行為)により結果を発生させた場合に成立する。これに対し、本件では、被告人がとるべき措置をとらなかったという不作為が過失の内容とされた。
不作為による過失犯が成立するためには、以下の要件が必要とされる。
- 作為義務(結果回避義務)の存在: 被告人に結果を回避するための措置をとるべき法的義務があること
- 作為の可能性: 被告人が当該措置をとることが可能であったこと
- 結果回避可能性: 当該措置をとっていれば結果を回避できたこと
監督過失
本件は、監督過失の問題としても重要である。監督過失とは、監督的地位にある者が、被監督者の行為を通じて生じた結果について、監督義務違反として過失責任を負うものである。
本件では、被告人(薬務局長)は自ら患者に非加熱製剤を投与したわけではなく、医師が投与した結果としてHIV感染が生じた。しかし、被告人が適切な行政措置をとっていれば、医師による非加熱製剤の投与を防止できたとされ、不作為による過失責任が認められた。
予見可能性と結果回避可能性
過失犯の成立には、予見可能性と結果回避可能性が必要である。
予見可能性: 被告人は、非加熱製剤がHIVに汚染されている可能性があること、これを投与すれば患者がHIVに感染する危険性があることを認識していた(又は認識可能であった)。
結果回避可能性: 被告人が非加熱製剤の回収指示等の措置をとっていれば、患者へのHIV感染は回避可能であった。
具体例で理解する業務上過失致死傷罪
抽象論だけでは「業務」性や注意義務の判断がイメージしにくい。典型的な事例で、要件のあてはめを確認しておく。
例1:医師の医療過誤
外科医が、手術前に確認すべき検査結果を見落とし、禁忌の薬剤を投与して患者を死亡させた。
- 業務性:医療行為は社会生活上の地位に基づき反復継続して行われ、生命・身体への危険を伴うため「業務」に当たる。
- 注意義務:医師は当該検査結果を確認し、禁忌薬剤の投与を避けるべき注意義務を負う。
- あてはめ:結果発生は予見可能であり、確認を怠った点に予見義務・結果回避義務違反が認められ、業務上過失致死罪が成立しうる。
例2:建設現場の監督者
工事現場の現場監督が、足場の安全点検を怠り、作業員が転落して負傷した。
- 業務性:現場監督業務は危険を伴う反復継続的行為であり「業務」に当たる。
- 論点:直接作業をしたわけではない監督者の責任が問われる典型場面であり、後述の監督過失の問題となる。
例3:飲食店の食品衛生管理
飲食店経営者が、加熱不十分な食材を提供し、客が食中毒で死亡した。
- 業務性:食品の製造・提供は「業務」に当たる。
- あてはめ:食中毒の危険を予見し、適切な加熱・衛生管理によって結果を回避すべき義務に違反したと評価でき、本罪が成立しうる。
例4:薬害エイズ事件(本件)
これらの「現場の作為的過失」と異なり、本件は行政の監督者が、自ら手を下さず、とるべき措置を怠った(不作為)点に特徴がある。
- 業務性:薬務局長としての医薬品安全行政が「業務」に当たる。
- 注意義務:HIV汚染の危険を認識した以上、回収指示等の必要十分な措置をとるべき結果回避義務を負う。
- 不作為:その措置をとらなかったことが過失行為(不作為)と評価される。
- 因果関係:措置をとっていれば感染・死亡を回避できた(結果回避可能性)として、不作為と結果の因果関係が肯定された。
このように、業務上過失致死傷罪は「作為による過失」だけでなく「不作為による過失」によっても成立しうる。本件はその代表例として位置づけられる。
学説・議論
不作為犯としての構成に対する批判
本件を不作為犯として構成することについて、以下の批判がある。
- 作為義務の根拠の不明確さ: 薬事行政上の権限から直ちに刑法上の作為義務が導かれるかは明らかでない
- 行政権限と刑法上の義務の混同: 行政上の権限の不行使が直ちに刑法上の過失を構成するとすれば、行政裁量の萎縮を招く恐れがある
- 因果関係の立証の困難: 被告人が措置をとっていれば結果が回避できたことの立証は困難を伴う
組織体の過失
薬害エイズ事件は、国の行政組織の中での意思決定の問題であり、組織体の過失をどう捉えるかという問題を提起した。個人の責任を追及するだけでなく、組織としての意思決定プロセスの問題を検討する必要がある。
信頼の原則との関係
行政組織においては、上司と部下の間で業務の分担がなされている。信頼の原則(他の関与者が適切に行動することを信頼してよいとする原則)との関係で、薬務局長が現場の医師の判断を信頼してよいかが問題となる。
許された危険の法理との関係
医薬品の使用には常に一定のリスクが伴う。許された危険の法理(社会的に有用な行為に伴う不可避のリスクは許容されるとする法理)との関係で、非加熱製剤の継続使用がこの法理の範囲内であったかが議論された。
判例の射程
他の薬害事件への適用
本判決の法理は、薬害C型肝炎事件等の他の薬害事件においても参照される。医薬品行政における監督者の注意義務の内容と範囲を示した点で、広い射程を有する。
食品安全行政への拡張
食品の安全性に関する行政においても、監督的地位にある者が危険を認識しながら適切な措置をとらなかった場合に、同様の過失責任が問われる可能性がある。
企業の管理者の過失
企業の管理職が、製品の安全性に問題があることを認識しながら回収等の措置をとらなかった場合にも、本判決の法理が適用される可能性がある。
環境行政・原子力行政への拡張
環境汚染や原子力災害に関する行政においても、監督者の不作為による過失責任が問題となりうる。本判決は、行政機関の監督者の刑事責任に関する先例として重要な意義を持つ。
反対意見・補足意見
本決定は上告棄却の決定であり、詳細な反対意見は付されていない。もっとも、行政官の刑事責任の範囲については、本件を契機として活発な議論が行われた。
薬害エイズ事件では、製薬会社の代表者や厚生省の課長についても有罪判決が出されており、各被告人の注意義務の内容が個別に検討された。
試験対策での位置づけ
出題可能性
本判決は、業務上過失致死傷罪、不作為犯、監督過失等の複合的論点を含む判例であり、以下の形で出題される可能性がある。
- 不作為による過失犯の成立要件を問う問題
- 監督過失の理論を論じさせる問題
- 予見可能性と結果回避可能性の認定方法
- 行政官の刑事責任の範囲に関する応用問題
短答式試験での出題ポイント
- 不作為による業務上過失致死罪は成立しうる(○)
- 行政上の権限から刑法上の作為義務が導かれることがある(○)
- 過失犯の成立には予見可能性のみで足り結果回避可能性は不要である(×。結果回避可能性も必要)
- 監督的地位にある者は部下の行為について常に過失責任を負う(×。予見可能性・結果回避可能性等の要件を満たす場合に限る)
- 刑法上の「業務」は職業に限られ、報酬を伴わない行為は含まれない(×。職業性・報酬は不要)
- 業務上過失致死傷罪と重過失致死傷罪は同じ条文・同じ法定刑である(○。刑法211条)
- 自動車運転による過失致死傷は現在も刑法211条で処理される(×。自動車運転死傷行為処罰法による)
「業務」概念をめぐる派生論点
- 二重の業務性:自動車運転のように、当該行為自体が危険であると同時に、それを職業として行う場合の業務性が重なる場面もあった(改正前)。
- 過失の競合:複数の業務者の過失が競合して結果が生じた場合、それぞれの注意義務違反と結果との因果関係を個別に検討する必要がある。
- 信頼の原則による限定:交通や医療のように複数人が分担して危険な業務を遂行する場面では、他の関与者が適切に行動することを信頼してよい場合があり、その限度で注意義務(過失)が否定されうる。
- 許された危険による限定:社会的に有用で不可避の危険を伴う行為(医療・交通・企業活動)については、必要な安全措置を講じている限り、結果が生じても過失が否定されうる。
答案での使い方(論証パターン)
不作為による過失犯の論証
甲の不作為が業務上過失致死罪を構成するか検討する。
まず、甲に作為義務が認められるか。甲は、〇〇の地位にある者として、〇〇に関する重大な権限と責任を有していた。かかる地位に基づき、甲には〇〇の危険を認識した場合に〇〇の措置をとるべき結果回避義務があったと認められる。
次に、甲は当該措置をとることが可能であった(作為の可能性)。
さらに、甲が当該措置をとっていれば被害者の死亡という結果は回避できた(結果回避可能性)。
以上より、甲の不作為は業務上過失致死罪を構成する。
「業務」性の論証
業務上過失致死傷罪を論じる際、まず「業務」性を端的に認定する。
「業務」とは、社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、他人の生命・身体に危害を加えるおそれのあるものをいう(最判昭33.4.18参照)。本件で甲は、〇〇という地位に基づき、〇〇という生命・身体への危険を伴う行為を反復継続して行っていた。したがって、甲の行為は「業務」に当たる。
なお、報酬の有無や職業性は問わないため、趣味・娯楽として行う場合でも危険性と反復継続性があれば「業務」に当たる点に注意する。
過失(注意義務違反)の論証(新過失論)
次に、過失の有無を検討する。過失とは、結果回避義務に違反することをいい、その前提として結果発生の予見可能性が必要である(新過失論)。
①予見可能性:本件で甲は、〇〇という事情から、〇〇という結果の発生を予見することが可能であった。
②結果回避義務とその違反:かかる予見可能性を前提に、甲には〇〇の措置をとって結果を回避すべき義務があった。しかし甲はこれを怠った(又は不作為により履行しなかった)。
③結果回避可能性:甲が当該措置をとっていれば結果は回避できた。
以上より、甲には業務上の注意義務違反(過失)が認められる。
因果関係の論証
最後に、甲の過失行為(作為・不作為)と死傷結果との間の因果関係を検討する。条件関係を確認したうえで、当該過失行為に内在する危険が結果へと現実化したといえるか(危険の現実化)を論じ、これを肯定して本罪の成立を結論づける。
業務上過失と他の過失犯の比較
罪名 条文 主体・状況 法定刑 過失致死罪 刑法210条 一般人の不注意 50万円以下の罰金 過失傷害罪 刑法209条 一般人の不注意(傷害) 30万円以下の罰金又は科料(親告罪) 業務上過失致死傷罪 刑法211条前段 業務者の注意義務違反 5年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金 重過失致死傷罪 刑法211条後段 重大な不注意 5年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金 過失運転致死傷罪 自動車運転死傷行為処罰法5条 自動車運転上の過失 7年以下の懲役・禁錮又は100万円以下の罰金ポイントは、業務上過失と重過失が同じ法定刑である点(いずれも刑法211条)と、自動車運転に伴う過失致死傷は2007年改正以降、刑法211条ではなく特別法(現・自動車運転死傷行為処罰法)で処理される点である。短答対策として頻出なので押さえておきたい。
重要概念の整理
過失犯の成立要件
要件 内容 本件での認定 注意義務 結果を予見し回避するべき義務 薬務局長の安全確保義務 予見可能性 結果発生の予見が可能であったこと HIV感染の危険性の認識 結果回避可能性 結果を回避することが可能であったこと 回収措置による感染防止 注意義務違反 義務に反する行為(作為・不作為) 回収措置の不実施 因果関係 注意義務違反と結果の因果関係 不作為と死亡の因果関係過失犯の類型
類型 具体例 量刑 過失致死傷罪(刑法209条・210条) 一般的な不注意による死傷 基本類型 業務上過失致死傷罪(旧211条前段) 業務上の注意義務違反 加重類型 重過失致死傷罪(旧211条後段) 重大な注意義務違反 加重類型 自動車運転過失致死傷罪 自動車運転における過失 特別法薬害エイズ事件の関連被告人
被告人 地位 結果 製薬会社代表者 ミドリ十字社長 有罪(業務上過失致死) 厚生省課長 生物製剤課長 有罪(業務上過失致死) 厚生省局長 薬務局長 有罪(業務上過失致死)発展的考察
法人処罰の可能性
薬害エイズ事件では個人の刑事責任が追及されたが、法人としての製薬会社や国の責任をどう考えるかは重要な問題である。日本の刑法は法人の犯罪能力を原則として否定しているが、特別法では両罰規定が設けられている場合がある。
行政責任と刑事責任の関係
行政官の判断の誤りが刑事責任を構成するとすると、行政の萎縮(過度に慎重な行政運営)を招くとの懸念がある。行政裁量の尊重と被害者の保護のバランスをいかに図るかは、本件が提起した根本的な問題である。
予防原則と過失責任
薬害事件における過失責任は、予防原則(科学的な不確実性がある場合でも予防的措置をとるべきとする原則)の刑法的発現とも理解できる。科学的知見が確定していない段階で行政措置をとるべきかどうかの判断は、事後的な評価の困難を伴う。
被害者救済と刑事責任追及
薬害事件における被害者救済は、刑事責任の追及とは別に、民事訴訟や行政的救済(薬害エイズ救済法等)によっても行われる。刑事責任と民事責任の関係、および行政的救済制度との連携が問題となる。
よくある質問
Q1: 業務上過失致死傷罪の「業務」とは何ですか?
A1: 判例によれば、「業務」とは社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であって、他人の生命・身体に危害を加えるおそれがあるものをいいます。職業として行う行為に限られず、ボランティア活動等であっても「業務」に該当する場合があります。
Q2: 不作為による過失犯は一般にどのような場合に成立しますか?
A2: 不作為による過失犯は、結果を回避するための措置をとるべき法的義務(作為義務)がある者が、当該措置をとることが可能であったにもかかわらずこれを怠り、結果が発生した場合に成立します。作為義務の根拠としては、法令、契約、慣習、先行行為、支配領域性等が挙げられます。
Q3: 本件で被告人が無罪となる可能性はあったのですか?
A3: 弁護側は、科学的知見の不確実性、行政裁量の範囲内であること、因果関係の不明確さ等を理由に無罪を主張しました。しかし、裁判所は、被告人が非加熱製剤のHIV汚染リスクを認識していたこと、回収等の措置をとることが可能であったこと等を認定し、有罪としました。
Q4: 監督過失とは何ですか?
A4: 監督過失とは、監督的地位にある者が、被監督者の行為を通じて生じた結果について、適切な監督をしなかったことを理由に過失責任を負うものです。管理者が直接的な行為をしていなくても、適切な指示・監督を怠った場合に成立します。
Q5: 現在の刑法では業務上過失致死傷罪はどのように規定されていますか?
A5: 2007年の刑法改正により、自動車運転に係る過失は自動車運転死傷行為処罰法に移行し、業務上過失致死傷罪と重過失致死傷罪は刑法211条に統合されています。法定刑は5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金です。
Q6: 刑法211条は何を定めた条文ですか?
A6: 刑法211条は、前段で業務上過失致死傷罪を、後段で重過失致死傷罪を規定しています。条文は「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする」となっており、業務上過失と重過失を同じ法定刑で処罰しています。
Q7: 業務上過失致死傷罪と単純な過失致死罪は何が違うのですか?
A7: 主体と刑の重さが違います。過失致死罪(刑法210条)は一般人の不注意による致死を対象とし、法定刑は50万円以下の罰金にとどまります。これに対し業務上過失致死傷罪(刑法211条前段)は、「業務」に従事する者の注意義務違反を対象とし、自由刑(5年以下の懲役・禁錮)まで予定する加重類型です。業務者には一般人より高度の注意義務が課されるという考え方が加重の根拠です。
Q8: 報酬をもらわない趣味の活動でも「業務」になりますか?
A8: なります。刑法上の「業務」は職業や生計の手段である必要はなく、報酬の有無も問いません。社会生活上の地位に基づき反復継続して行われ、かつ生命・身体に危害を加えるおそれがあれば足ります。したがって、娯楽としての狩猟や趣味の自動車運転なども「業務」に当たりうると解されています。
Q9: 自動車事故で人を死なせた場合も刑法211条の業務上過失致死傷罪になりますか?
A9: 2007年改正以降は原則として刑法211条ではなく、特別法である自動車運転死傷行為処罰法(過失運転致死傷罪等)で処理されます。かつては自動車運転も「業務」として刑法211条で処理されていましたが、現在は切り分けられている点に注意が必要です。
関連条文
- 刑法211条(業務上過失致死傷等):業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
- 薬機法(旧薬事法):医薬品の安全性確保に関する規定
- 刑法38条1項(故意)
関連判例
- 最決平17.11.15:薬害エイズ事件の製薬会社代表者に関する判例
- 最決平15.1.24:薬害エイズ事件の厚生省課長に関する判例
- 最決平5.11.25:管理・監督過失に関する判例
- 最判昭28.12.22:業務上過失の「業務」の意義に関する判例
まとめ
薬害エイズ事件に関する最決平20.3.3は、行政機関の監督的地位にある者が、その権限を行使して医薬品の危険を回避すべき注意義務を負っていたにもかかわらず、必要な措置をとらなかった不作為について、業務上過失致死罪の成立を認めた重要判例である。本判決は、不作為による過失犯の理論、監督過失の法理、予見可能性と結果回避可能性の認定方法等について重要な判断を示している。行政官の刑事責任の範囲、行政裁量と過失の関係、組織体における個人責任の在り方等、本判決が提起した問題は、現代の刑法理論と行政法理論の交錯領域における重要課題である。