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生存権の法的性質と裁判規範性|25条の解釈論

憲法25条の生存権の法的性質を解説。プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説の対立、朝日訴訟・堀木訴訟の判例法理を整理します。

この記事のポイント

生存権(憲法25条)の法的性質については、プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説の対立がある。判例は朝日訴訟で広範な立法裁量を認め、堀木訴訟で立法裁量論を確立した。25条は直接の請求権を付与する規定ではないが、立法裁量の逸脱・濫用に対する司法審査は可能であり、社会保障立法の合憲性審査の枠組みとして重要な意義を持つ。本記事では、25条の条文構造から学説の対立、主要判例の射程、答案上の書き方、頻出の論点までを体系的に整理する。生存権は社会権の中核をなす権利であり、自由権との性質の違いを意識しながら、なぜ「権利」と書かれていながら直接の給付請求が難しいのかという核心を理解することが、論文式試験でも択一式試験でも得点に直結する。


生存権とは何か――社会権としての位置づけ

自由権と社会権の対比

人権は、その性質によっていくつかの類型に分けられる。歴史的に最初に確立した自由権は、国家からの干渉を排除すること(国家からの自由)を本質とし、国家が個人の領域に介入しないことを求める消極的・防御的な権利である。表現の自由や財産権がその典型である。これに対し、社会権は、社会的・経済的弱者が人間に値する生活を営めるよう、国家による積極的な配慮を求める権利(国家による自由)であり、20世紀に入ってから登場した比較的新しい人権類型である。

社会権の思想的源流は、1919年のワイマール憲法に求められる。同憲法151条は「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生存を保障することを目的とする正義の原則に適合しなければならない」と規定し、生存権を初めて憲法に明記した。日本国憲法25条もこの系譜に連なるものであり、資本主義経済の発展に伴って生じた貧富の格差や社会的弱者の困窮を、国家が積極的に是正すべきという理念を背景としている。

生存権の権利性の特殊性

生存権が自由権と決定的に異なるのは、その実現には国家の積極的な作為と、財政的裏付けを伴う制度の構築が不可欠である点である。自由権であれば、国家が「何もしない」ことで権利は保障されるが、生存権は国家が「何かをする」ことではじめて意味を持つ。誰に、どのような形で、どの程度の給付を行うかは、財政事情・社会経済状況・他の政策との優先順位といった高度に政策的な判断を要する。

ここに、生存権の裁判規範性をめぐる難問が生じる。「健康で文化的な最低限度の生活」という抽象的な文言から、裁判所が一義的な給付内容を導き出すことは困難であり、また司法府が予算配分の当否に立ち入ることには権力分立上の懸念もある。この「権利として規定されながら、その内容の確定が容易でない」という構造的緊張が、後述する学説対立の根本的な原因となっている。


25条の規定と趣旨

条文の構造

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

― 日本国憲法 第25条第1項

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

― 日本国憲法 第25条第2項

25条1項は個人の権利を規定し、2項は国の義務を規定する。1項は「権利を有する」という権利章典型の文言を用いているのに対し、2項は「努めなければならない」という努力義務的・国家目標的な文言を用いている点が特徴的である。両項の関係については、1項が生存権の具体的権利の根拠、2項がその実現のための国の責務を定めたものとする見解が一般的であるが、後述するように、1項と2項を分離して理解するか一体として理解するかは、判例・学説上の重要な論点となっている。

「健康で文化的な最低限度の生活」の意味

25条1項の核心的な文言である「健康で文化的な最低限度の生活」とは、単に生物としての生存を維持できればよいという肉体的生存(最低生存)にとどまらず、人間としての尊厳を保ち、文化的な営みを含む生活水準を指すと解される。すなわち、餓死しなければよいという水準ではなく、その時代の社会通念に照らして「人間に値する」生活が念頭に置かれている。

もっとも、何が「最低限度」かは時代や社会の経済発展の段階に応じて相対的に変動する。高度成長期と現在とでは、最低限度とされる生活内容は当然に異なる。この相対性・可変性こそが、内容の一義的確定を困難にし、立法府・行政府の裁量を広く認める論拠ともなっている。

25条の保障対象――「国民」と外国人

25条は「すべて国民は」と規定しており、文言上は日本国民を保障対象とする。判例(最判平元.3.2塩見訴訟)は、社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかは、立法府の広い裁量に委ねられるとし、自国民を在留外国人に優先させることも許されるとした。すなわち、外国人に対して25条が当然に適用されるわけではなく、その保護は立法政策の問題とされている。


生存権の法的性質をめぐる学説

なぜ学説が対立するのか

生存権の法的性質論は、突き詰めれば「25条1項は裁判所で主張できる権利を定めたものか、それとも単なる政治的指針にすぎないのか」という裁判規範性の問題である。前述のとおり、生存権の実現には国家の積極的作為と財政的裏付けが必要であり、その内容が抽象的であることから、これを直接の裁判規範として用いてよいかが鋭く問われる。この問いに対する答えの違いが、以下の三つの学説を生み出している。

三つの学説

学説 内容 25条の効力 批判 プログラム規定説 25条は国の政治的・道義的義務(努力目標)を定めた規定であり、個人に直接の法的権利を付与しない 裁判規範性なし 「権利を有する」と規定した条文の意味が失われる/法的権利でないなら宣言にすぎない 抽象的権利説 25条は抽象的な法的権利を保障するが、それを具体化する立法があってはじめて具体的請求権となる。立法を待って裁判上主張できる 立法を介した裁判規範性あり。立法不作為の違憲性主張の根拠となりうる 立法がなければ救済が及ばず、結局プログラム規定説と差が乏しい場面がある 具体的権利説 25条は具体的な権利を保障し、これを具体化する立法が存在しない場合には、立法不作為の違憲確認訴訟を提起できる(直接給付請求まで認める見解もある) 立法不作為の違憲確認が可能。一部は直接請求も肯定 司法が具体的給付内容を決定する能力・権限への疑問/権力分立との緊張

通説は抽象的権利説であり、25条は抽象的な法的権利を保障するが、その具体化は立法に委ねられ、生活保護法等の制定によってはじめて具体的な給付請求権が発生するとする。

各説の詳細

プログラム規定説は、25条1項は国に対して国民の生存を確保すべき政治的・道義的責務を課したにとどまり、個々の国民に対して具体的・現実的な権利を賦与したものではないとする。資本主義経済における財政的制約や、給付内容の決定が立法・行政の裁量に属することを重視する。この立場では、25条違反を理由に裁判で何かを請求することはできず、その救済はもっぱら選挙を通じた政治過程に委ねられる。批判としては、せっかく「権利を有する」と明記した憲法の文言を空文化させる点が指摘される。

抽象的権利説は、25条1項は法的権利を保障するが、それは抽象的な権利であって、具体的な内容は法律によって定められてはじめて現実の請求権となるとする。たとえば生活保護法が制定されていることにより、同法に基づく保護請求権が具体的権利として発生し、その運用が25条の趣旨に反する場合には、25条を解釈基準・違憲審査の基準として援用できる。現在の通説であり、判例の立場とも親和的とされる。

具体的権利説は、25条1項からより直接的に裁判規範性を引き出そうとする立場である。具体化立法が存在しない場合に、その立法不作為が違憲であることの確認を求める訴訟を提起できるとする点に特色がある。ただし、25条から直接に金銭給付を請求できるとまでは多くの論者も認めておらず、その意味で「具体的」とは主に立法不作為の違憲確認に関するものである。司法府が予算を伴う給付を命じることへの権力分立上の難点が批判される。

言葉どおりの権利説・委任立法統制説

近時の有力説として、25条1項の文言を文字どおり受け取り、最低限度の生活水準は客観的に確定可能であるとして、より強い裁判規範性を認めようとする見解(いわゆる言葉どおりの権利説)や、25条2項が定める国の責務を手がかりに、制度後退を統制しようとする見解も主張されている。これらは抽象的権利説の枠内での精緻化という側面を持つ。


主要判例

食糧管理法違反事件(最大判昭23.9.29)

生存権に関する最高裁の初期の判断として、食糧管理法違反事件がある。最高裁は、25条1項について「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るよう国政を運営すべきことを国家の責務として宣言したにとどまり、直接に個々の国民に対して具体的・現実的にかかる権利を有することを保障したものではない」と述べた。この判示はプログラム規定説に立つものと理解され、その後の生存権論の出発点となった。

朝日訴訟(最大判昭42.5.24)

生活保護を受給していた朝日茂氏が、生活保護の日用品費月額600円(当時)が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものといえるかを争った、生存権訴訟の記念碑的事件である。「人間裁判」とも呼ばれ、社会的に大きな反響を呼んだ。

なお、本件は上告中に原告が死亡し、相続人による訴訟承継が認められないとして訴訟は終了した(生活保護受給権は一身専属的であり相続の対象とならないため)。最高裁は訴訟終了を宣言したうえで、「なお、念のため」として実体判断に言及した。すなわち、以下の判示は傍論(傍論部分)であることに注意が必要である。

何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委されており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることはあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない

ただ、現実の生活条件を無視して著しく低い基準を設定する等憲法および生活保護法の趣旨・目的に反し、法律によって与えられた裁量権の限界をこえた場合または裁量権を濫用した場合には、違法な行為として司法審査の対象となることをまぬかれない

この判決は、(1)何が健康で文化的な最低限度の生活であるかの認定判断は厚生大臣の広範な裁量に委ねられるが、(2)裁量権の逸脱・濫用がある場合には違法となりうるとする枠組みを示した。前半は広範な裁量を認める点でプログラム規定説に近いと評価されるが、後半で裁量統制の余地を残しており、純粋なプログラム規定説とは一線を画す。生存権が裁判の場で問題となる際の基本的な思考枠組み(裁量+逸脱濫用統制)を提示した点に大きな意義がある。

堀木訴訟(最大判昭57.7.7)

全盲の視力障害者である堀木フミ子氏が、障害福祉年金を受給しながら児童扶養手当の受給を申請したところ、当時の児童扶養手当法が定める併給禁止規定によって支給を拒否されたため、その合憲性を争った事件である。25条のみならず、14条(法の下の平等)違反も主要な争点となった。

最高裁は以下のように判示した。

憲法25条の規定の趣旨にこたえて具体的にどのような立法措置を講ずるかの選択決定は、立法府の広い裁量にゆだねられており、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄である

この立法裁量論は、25条に関する判例の基本的枠組みとして確立された。朝日訴訟が「厚生大臣の裁量」という行政裁量に着目したのに対し、堀木訴訟は「立法府の広い裁量」を正面から認め、立法の合憲性審査の基準として定式化した点に特色がある。併給禁止については、社会保障給付の総額をどのように配分するか、限られた財源の中で受給者の範囲や給付水準をどう設定するかは立法府の裁量に属するものであり、併給を禁止して受給者間の調整を図ることが著しく合理性を欠くとはいえないとして、合憲とした。14条違反の主張についても、立法裁量の合理性が認められる以上、不合理な差別とはいえないとして退けた。

堀木訴訟が示した「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」という基準は、極めて緩やかな審査基準(明白性の原則に類する)であり、社会保障立法が違憲とされる場面を相当に限定するものである。

老齢加算廃止訴訟(最判平24.2.28等)

生活保護のうち70歳以上の高齢者に上乗せ支給されていた老齢加算が、段階的に廃止されたことの違法性が争われた一連の事件である。最高裁は、保護基準の改定(引下げ)について、厚生労働大臣に専門技術的・政策的な裁量を認めつつ、その判断に「最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続における過誤、欠落の有無等」があったかどうかを審査するという枠組みを示した。これは結論の当否を直接審査するのではなく、判断に至る過程の合理性を統制する判断過程統制(判断過程審査)の手法であり、従来の緩やかな結論審査に比べて、審査を一定程度精緻化したものとして注目される。結論としては、本件における老齢加算廃止の判断に裁量の逸脱・濫用は認められないとして、廃止を適法とした。

学生無年金障害者訴訟(最判平19.9.28)

国民年金の任意加入対象であった学生が、加入していなかった期間に障害を負ったため障害基礎年金を受給できなかったことについて、立法不作為の違憲性等を争った事件である。最高裁は、学生を強制加入の対象とせず任意加入にとどめ、無拠出制の年金を支給する立法措置を講じなかったことが、25条・14条に違反するとはいえないとした。社会保障制度の設計における立法裁量を広く認める判例の流れに位置づけられる。

生活保護基準引下げ訴訟(いわゆる「いのちのとりで裁判」)

2013年以降に行われた生活保護基準(生活扶助基準)の引下げについて、全国の地方裁判所で受給者らが取消し等を求めて提訴し、判断が分かれている。一部の下級審では、引下げの判断過程に統計の用い方や物価下落率の算定をめぐる過誤・欠落があったとして、引下げ処分を違法とする判断が示されている。最高裁の統一的判断が注目される領域であり、老齢加算廃止訴訟で示された判断過程統制の手法が、引下げの当否を審査する際の中心的な枠組みとして機能している。


25条1項と2項の関係

一体的把握(堀木訴訟の理解)

堀木訴訟の多数意見は、25条1項は「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みうるように国政を運営すべきことを国の責務として宣言したもの」、2項は「社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言したもの」として、1項と2項を区別しつつも、両者を一体的・総合的に捉えて立法裁量を広く認めた。

1項2項分離論

これに対し、学説では1項が「最低限度の生活」の保障(救貧)、2項がそれを超える福祉の向上増進(防貧)を規定するものとして両項を分離する見解(1項2項分離論)が有力に主張されている。この立場によれば、1項に関わる事項(最低限度の生活そのものに直結する施策)については、立法裁量の幅を狭く解し、より厳格な司法審査を及ぼすべきであるとされる。たとえば、生活保護の基準そのものを下回るような立法は1項の問題として厳しく統制し、それを上回る付加的給付の設計は2項の問題として広い裁量を認める、という審査密度の使い分けが提唱される。分離論は、堀木訴訟のように一律に広範な立法裁量を認める態度を批判し、最低限度の生活保障の核心部分については裁判規範性を強化しようとする問題意識に基づくものである。


生存権と他の社会権・関連権利との関係

教育を受ける権利・勤労の権利との位置づけ

生存権(25条)は、社会権の総則的・基底的な規定として位置づけられる。これに続く26条(教育を受ける権利)、27条(勤労の権利)、28条(労働基本権)は、いずれも社会権に属する個別的な権利であり、25条が掲げる「健康で文化的な最低限度の生活」を、教育・労働といった具体的な生活領域において実現するための規定と理解できる。とりわけ27条1項が定める勤労の権利は、就労の機会を確保することを通じて自らの生活を支えるという点で生存権と密接に関連し、25条と27条・28条は、労働を通じた自立と、それが困難な場合の公的扶助という二本柱で国民の生活を支える構造をなしている。

生存権と財産権・自由権との緊張

生存権の実現は、しばしば他者の財産権や経済的自由との調整を伴う。社会保障の財源は租税によって賄われ、再分配は担税者の財産権への一定の制約を前提とする。憲法は29条で財産権を保障する一方、25条で生存権を保障し、両者の調和を図る。22条・29条の経済的自由が「公共の福祉」による広い制約に服すると解されるのも(積極目的規制の合憲性が緩やかに判断される背景)、社会国家・福祉国家の理念と無関係ではない。すなわち、生存権の保障は、経済的自由に対する立法府の広範な政策的制約を正当化する基礎の一つとなっている。

幸福追求権(13条)との関係

13条の幸福追求権は、個人の尊厳を基礎とする包括的な権利であり、生存権もまた個人の尊厳(13条前段の「個人として尊重される」)を社会経済的側面から具体化するものと理解できる。最低限度の生活が保障されてはじめて、個人は自律的な生を営み、自由権を実質的に行使できる。この意味で、生存権は他の人権を実質的に支える基盤的権利としての性格を持つ。


学説対立を理解するための具体的場面

立法が存在する場合――生活保護法のケース

生活保護法という具体的立法が存在する場面では、三説の差はそれほど大きく表れない。生活保護法に基づく保護請求権は、いずれの説でも具体的な権利として認められ、その運用や基準設定が25条の趣旨に反する場合には、25条を解釈基準・違憲審査基準として援用できるからである。朝日訴訟が、生活保護法に基づく権利を前提としつつ、その基準設定の当否を25条に照らして審査したのは、この場面の典型である。

立法が存在しない場合――三説の差が顕在化する場面

三説の対立が実益を持つのは、必要な具体化立法が存在しない(または不十分な)場合である。プログラム規定説では、立法がない以上、25条を根拠に何も主張できない。抽象的権利説では、立法がなければ具体的請求はできないものの、立法不作為が著しく不合理な場合には、それを違憲と評価する根拠として25条を援用しうると説く論者がある。具体的権利説では、進んで立法不作為の違憲確認訴訟を提起できるとする。この場面での救済の可否こそが、三説を分かつ実質的な分岐点であり、答案でも「立法が存在するのか否か」を意識して論じることが重要である。


答案での書き方

論点の所在を示す

生存権が論文式で問われる場面は、典型的には(1)25条の法的性質そのものを論じさせるパターンと、(2)具体的な社会保障立法・行政処分の合憲性(あるいは適法性)を、25条に照らして審査させるパターンに大別される。いずれの場合も、まず「25条1項が個人に裁判上主張しうる権利を保障しているか」という法的性質論を冒頭で簡潔に整理し、自説(通常は抽象的権利説)を明示することが出発点となる。

学説の対立を整理して論じる流れ

答案では、(1)生存権は社会権であり、その実現には国家の積極的作為と財政的裏付けを要すること、内容が抽象的であることから裁判規範性が問題となる、という問題の所在を示す。次に(2)プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説の各説を、それぞれの論拠と批判とともに対比し、(3)権利として規定した文言を尊重しつつ、立法による具体化を要するという抽象的権利説が妥当である、と自説を述べる。そのうえで(4)判例(朝日訴訟・堀木訴訟)が広範な裁量を認めつつ逸脱・濫用の統制を留保していることを指摘し、判例の立場を評価する、という流れが基本形となる。

違憲審査基準のあてはめ

具体的立法の合憲性を問う問題では、堀木訴訟の「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」という基準をベースにしつつ、(a)問題となる施策が1項の最低限度の生活そのものに関わるのか、それを超える福祉の向上に関わるのか(1項2項分離論)を意識し、前者であれば審査密度を高める余地を論じるとよい。さらに(b)近時の判例で採用されている判断過程統制の視点、すなわち立法・行政の判断過程に統計や事実認定の過誤・欠落がないかという観点を盛り込むと、判例の到達点を踏まえた説得力のある論述となる。あてはめでは、財源の制約、給付対象者間の公平、他制度との整合性といった事情を、立法目的の正当性・手段の合理性に引き付けて具体的に検討する。

あてはめの具体例

たとえば「ある社会保障給付について、所得制限を厳格化し受給者を限定する立法」の合憲性が問われたとする。この場合、(1)当該給付が最低限度の生活の核心に関わるか(核心に近ければ厳しく審査)、(2)所得制限の目的(財源の重点配分・真に必要な者への給付集中)の合理性、(3)その手段としての所得制限の基準が著しく不合理でないか、(4)制限により従来の受給者が最低限度の生活を割り込まないかを順に検討する。最低限度の生活を割り込ませる結果となる場合には、たとえ財政上の理由があっても、25条1項違反(裁量の逸脱・濫用)の評価に傾くと論じることができる。


よくある質問

Q1: 判例はプログラム規定説を採用していますか

食糧管理法違反事件(昭23)は、25条1項は国の責務を宣言したにとどまり個々の国民に具体的権利を保障したものではないとし、プログラム規定説に立つものと理解された。朝日訴訟も広範な行政裁量を認めた点でプログラム規定説に近いと評価されることがあるが、裁量権の逸脱・濫用の場合に違法となりうるとした点で、純粋なプログラム規定説とは異なる。堀木訴訟も同様に、「著しく合理性を欠く」場合には司法審査が及ぶとしており、一定の裁判規範性を認めている。総じて判例の到達点は、立法・行政の広範な裁量を前提としつつ逸脱・濫用を統制する枠組みであり、結論において抽象的権利説とも整合的と評価されている。

Q2: 25条に基づいて直接給付を請求できますか

通説(抽象的権利説)・判例の立場からは、25条1項に基づいて直接に生活保護等の給付を請求することはできない。具体的な給付請求権は、生活保護法等の具体的立法によって初めて発生する。もっとも、立法が制定されている場合に、その運用や基準設定が不当に低い水準であるとき、または併給制限等が著しく合理性を欠くときには、25条を援用して裁量権の逸脱・濫用(違法・違憲)を主張することができる。具体的権利説に立っても、認められるのは主に立法不作為の違憲確認であり、25条から直接の金銭給付を導くことは多くの論者も慎重である。

Q3: 25条の審査基準は何ですか

堀木訴訟が示した「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」に違憲となるという基準である。これは明白性の原則に類似する緩やかな基準であり、立法府の広い裁量を前提とする。学説では、1項2項分離論の立場から、最低限度の生活そのものに関わる施策については審査密度を高めるべきとの主張がある。また近時の老齢加算廃止訴訟・生活保護基準引下げ訴訟では、判断過程統制の手法が採用され、結論審査に加えて判断過程の合理性を問う形で審査の精緻化が進んでいる。

Q4: 制度後退禁止原則は日本法で認められていますか

制度後退禁止原則(一度実現された社会保障の水準を引き下げることは原則として許されず、引下げには特別の正当化を要するとする原則)は、ドイツ法等に由来する考え方であるが、日本の判例は明示的にはこれを採用していない。もっとも、保護基準の引下げについて判断過程統制を行うことで、引下げの判断に過誤・欠落があれば違法とされうるため、実質的に一定の歯止めをかける機能を果たしている。学説では、25条2項の「向上及び増進に努めなければならない」という文言を手がかりに、合理的理由のない後退を統制すべきとする見解も主張されている。

Q5: 朝日訴訟の判示はなぜ「傍論」と呼ばれるのですか

朝日訴訟では、上告中に原告本人が死亡し、生活保護受給権は一身専属的な権利であって相続の対象とならないため、相続人による訴訟承継は認められず、訴訟は終了した。したがって、本案(保護基準の当否)について判決で確定的に判断する必要はなかったが、最高裁は「念のため」として実体判断に言及した。この部分は判決の結論(訴訟終了宣言)を導くために必要な理由ではないため、判決の先例的拘束力を持つ判決理由(レイシオ・デシデンダイ)ではなく傍論(オビタ・ディクタ)と位置づけられる。とはいえ、その後の生存権論に与えた影響は大きく、実務・学説上重要な意義を持つ。

Q6: 外国人にも生存権は保障されますか

25条は「すべて国民は」と規定しており、保障対象は原則として日本国民である。判例(塩見訴訟・最判平元.3.2)は、社会保障上の施策において在留外国人をどう処遇するかは立法府の広い裁量に委ねられ、限られた財源の下で自国民を在留外国人より優先的に扱うことも許されるとした。したがって、外国人に対する社会保障給付は憲法上当然に保障されるものではなく、立法政策の問題として位置づけられる。

Q7: 抽象的権利説と具体的権利説はどこが違うのですか

両説はいずれも25条1項に法的権利性を認める点で共通し、プログラム規定説と一線を画す。違いは、具体化立法が存在しない場合の救済方法にある。抽象的権利説では、立法がなければ直接の請求はできず、25条はあくまで解釈基準・立法を介した裁判規範にとどまるとする。これに対し具体的権利説は、一歩進んで、立法不作為そのものの違憲確認を求める訴訟を提起できるとする点に独自性がある。ただし、具体的権利説も25条から直接の金銭給付請求まで広く認めるわけではなく、多くは立法不作為の違憲確認のレベルで具体的権利性を主張する点に注意が必要である。実際には、必要な立法が一応存在する日本の現状では、両説が結論を分ける場面は限られる。

Q8: 朝日訴訟と堀木訴訟は何が違うのですか

両者はともに25条の立法・行政裁量を広く認めた点で共通するが、着眼点が異なる。朝日訴訟は、生活保護基準の設定という「行政(厚生大臣)の裁量」に焦点を当て、その逸脱・濫用を司法審査の対象とした。これに対し堀木訴訟は、併給禁止という立法の合憲性が問題となり、「立法府の広い裁量」を正面から認めて、立法に対する審査基準(著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえない場合に違憲)を定式化した。すなわち、朝日訴訟が行政裁量統制の枠組みを、堀木訴訟が立法裁量統制の枠組みを示したものと整理すると、両判例の役割分担が明確になる。


関連条文

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

― 日本国憲法 第25条第1項

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

― 日本国憲法 第25条第2項


関連判例の整理表

事件名 裁判所・年月日 争点 結論・意義 食糧管理法違反事件 最大判昭23.9.29 25条1項の法的性質 国の責務の宣言にとどまる(プログラム規定説的) 朝日訴訟 最大判昭42.5.24 生活保護基準の適法性 厚生大臣の広範な裁量+逸脱・濫用の統制(傍論) 堀木訴訟 最大判昭57.7.7 年金と手当の併給禁止 立法裁量論を確立。著しく合理性を欠く場合に違憲 塩見訴訟 最判平元.3.2 外国人と障害福祉年金 在留外国人の処遇は立法裁量。自国民優先も許容 学生無年金障害者訴訟 最判平19.9.28 任意加入制と立法不作為 立法措置を講じなかったことは違憲でない 老齢加算廃止訴訟 最判平24.2.28等 保護基準の引下げ 判断過程統制を採用。本件廃止は適法

まとめ

生存権(25条)の法的性質については、プログラム規定説・抽象的権利説・具体的権利説が対立し、通説は抽象的権利説をとる。すなわち、25条1項は抽象的な法的権利を保障するが、その具体的な内容は立法によって定められてはじめて現実の請求権となる。判例は、食糧管理法違反事件・朝日訴訟・堀木訴訟を通じて、立法府・行政府の広範な裁量を認めつつ、裁量権の逸脱・濫用がある場合には司法審査が及ぶとする枠組みを確立した。とりわけ堀木訴訟の「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるをえないような場合」という基準は、社会保障立法の合憲性審査の基本となっている。

学説では、25条1項(最低限度の生活保障)と2項(福祉の向上増進)を分離し、1項に関わる施策の審査密度を高めるべきとする1項2項分離論が有力に主張され、また制度後退の統制も議論されている。近時の老齢加算廃止訴訟・生活保護基準引下げ訴訟では判断過程統制の手法が採用され、結論審査に加えて判断過程の合理性を問う形で審査の精緻化が進んでいる。答案では、法的性質論で自説を明示したうえで、判例の枠組み・1項2項分離論・判断過程統制の視点を組み合わせ、具体的事情に即してあてはめを行うことが求められる。

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